「……見つけた」
舞台は森丘。見通しはよく近くには太陽の光を反射して輝く深い河川が見える。その他は草原と木、岩が点在しており、西側には台地へと繋がる洞窟が口をぽっかりと開けている。
ちょうどエリアが切り替わる直前の細い道でレイラの静止がかかった。視線の先を覗き、その堂々たる様、陸の女王をしかと見定める。
「最終確認するよ。私の指揮の下、私とエレナが前衛をキープ。デイヴは後衛から射撃。アルは基本、一切の動きを一任する」
レイラの最終確認に対して皆が首を縦に振り、出撃の合図を静かに待った。
風が吹き、草が爽やかな音色を奏でる。河川がそれに続き、リオレイアの存在が自然のつくり出す心地よい静けさに包まれて消える。エレナはふと見上げる。山脈に雲が隠れた。青空だ。
かなり時が過ぎた。
(まだ……かな? いつ――)
「――走れ」
「っ――!」
突然の合図。腰を上げると同時にエレナは急いで地を蹴った。前を走るレイラが肩越しに振り返り、またリオレイアの方へと向き直った。
体勢を立て直しつつ足音は立てない。段々と離れていくレイラとの距離をエレナが焦るように詰める。
(ついてきているか確認した……? ううん、違う。試されたんだ。私が気を抜いていないかを)
気を抜いてはいけない。エレナはそう自分に言い聞かせつつまた別の事柄にも気を配った。
一つの事柄に気を向け過ぎてはいけない。気を抜くまいと全身に力を入れると緊張して動きが硬くなる。冷静になるべく筋肉を弛緩して物事に注意する。ジルバの教えだ。
エレナの思考が纏まった後、銃声が轟いた。背後から一直線に放たれた弾丸はエレナ達を簡単に追い抜いてリオレイアの鱗を弾いた。
続けて二発目。今度はやや軌道が逸らしリオレイアの傍に生えていた木を貫いた。直後、木に括り付けてあった鳴き袋が連鎖して破裂、大音量を放った。
リオレイアの視線は無意識に音の鳴る方へ向く。注意がこちらから完全に削がれた。
(……凄い)
エレナが感心するのも束の間だった。
先行していたレイラが太刀を抜き放つと同時にリオレイアの脚を斬り付けた。鱗が宙を舞い、火が破裂し、少量の血が草原を赤く濡らす。少し遅れてエレナがもう片方の脚へと飛びつき双剣を振り下ろした。こちらも同じく血と鱗と火が錯綜する。
レイラがそのまま駆け抜けてエレナが下がる。リオレイアを挟み込む形になり、急襲に追いつけないリオレイアが視線を泳がす。そこへ正確な狙撃が追い打ちをかける。
攻めるべきか否か。エレナはレイラに視線をやった。彼女が送ったのは静止の合図だ。
警戒を保ちつつその場に留まったエレナは少し時間が経った後にレイラの意図を理解した。
急襲に困惑したリオレイアは対応が遅れたため一旦動きを止めて様子を窺った。そうして先に動いた者から迎撃しようと試みたのだ。だが、どうだ。狩人は動かず狩り場には奇妙な静止が訪れた。その最中でもデイヴが次々と撃ち出す弾丸はリオレイアを襲う。
リオレイアの思考を読み取り、そこから動かないという至極簡単なことだけでリオレイアを操り人形のように誘導してしまう。
(……私なんかがついていけるのかな)
一瞬エレナが晒した弱気だった。しかし、リオレイアは確りと見逃さなかった。
噛み殺さんとばかりに首を伸ばし、エレナに鋭い牙が襲いかかる。これを鋭いバックステップで避けるとエレナは更に跳びながら後退した。
追い打ちは続く。身体を反転させて尻尾を横薙ぎに振るった。風と草を巻き込みながら尻尾がもの凄い勢いで迫ってくる。エレナは堪らず駆け出して身を投げた。
「……っ!」
腹を打ちながら草の中に倒れ込む。肝を冷やしながら立ち上がって更に距離をとった。
エレナへの追撃を諦めたリオレイアが惜しそうにエレナを睨む。対してエレナは早鐘を打つ胸に手を当てながら安堵をしていた。
(あ、危なかった……)
エレナは普段、大型のモンスターが狩猟対象の時に少し離れた中衛の位置にいる。更に常にジルバの近くを位置取ることで安全性を配慮される。
しかし、今回は訳が違う。エレナが任されたのは前衛。リオレイアの脅威に常に晒され、ジルバがいるという安心感もない。運動量も緊張感もリスクも全てが桁違いだった。
そして早くも綻びが見え隠れする。初めにエレナの疲労が目に見えて分かるほどになった。既に息を切らし、動きが一拍子遅れ始めた。
ここで無理をしてしまっては間違いなく足元をすくわれて命を落としていただろう。しかし、ジルバの教えが何よりエレナの正直さがこれを阻止する。
起点はエレナとアルの巧妙な目配せからだった。言葉もなしにお互いの意図を読み取り、滑らかに前後を入れ替わった。
基本的にこれをアルとエレナのタイミングで繰り返す。レイラがアルに自由に動くように指示した一つの主因がこれだ。
気合いの一声を発散してアルがリオレイアに跳びかかる。一撃を剣で二撃目に盾を叩き込むとすぐに離脱する。アルの声を聞いたレイラが入れ替わったことを察知し、思考を切り替えて指示を飛ばす。
「少しずつ岩場に移動するんだ!」
「了解です!」
エレナは双剣を仕舞うと元気ドリンコを飲みながら岩場へと駆ける。アルとレイラもリオレイアを誘導するように走り回って岩場へと入った。
するとリオレイアはまるでレイラに筋書きされたようにその体勢に入った。長い首をもたげた次の瞬間、口の端から炎が垣間見えた。
凄まじい熱を孕んだ火球がレイラ目掛けて放たれた。が、リオレイアから見てそこにいた筈のレイラの姿は確認できず、火球は岩に当たって四散する。
これが岩場に移動した大きな理由だった。点在する自然の岩が頼もしい頑丈な盾となるのだ。更に驚くべきはレイラの指示する時期だ。丁度リオレイアが火球を吐く直前に合わせてきたのだ。こればかりは経験と直感が物を言う。
「散れ! 三方向から叩くぞ!」
司令塔から命令が飛ぶ。聞き取ったアルとエレナが素早く走り出す。
目配せから一斉に駆け出す。岩の間を滑らかに抜け、リオレイアの意識を各々が集めようと得物を鳴らし、防具を揺らし、声を上げる。
それはまるで我に攻撃せよ、と訴えるが如く。
リオレイアの視線が三方向に泳ぐ混乱の最中、翼膜に着弾した弾丸が爆破し、リオレイアの体勢を崩した。直後、リオレイアの足元を太刀の軌跡が駆け抜け、ほぼ同時に剣と盾が鱗を引き剥がす。
リオレイアが大きく口を開いた。眼前に迫るエレナを捕らえる為に。しかし、皮一枚の差でエレナはリオレイアの視界から逃げるように避けた。そのまま腹の下に潜り込んで足元を斬り付けながら離脱する。
エレナと入れ替わるようにリオレイアの視界に入ってきたアルが標的に変わる。その間にもレイラとエレナが次々とリオレイアに猛攻を振るっていた。
アルがリオレイアの猛撃を避け切った頃合い。エレナが岩場の頂から翼へと飛び移り、体重と力一杯に翼膜を縦に引き裂いた。
「グギャアアアアアアアアッ!」
狩人達の目まぐるしい怒涛の猛襲に堪らず雄叫びをあげて暴れ回った。正気を失った様に尻尾を振るい、牙を剥き、地面を踏み付ける。岩盤がひび割れて岩石が宙を舞い飛んで辺りは騒然と化す。
だが、狩人達に害はなく既に岩の裏に身を潜めていた。
落ち着いたのか、リオレイアの出していた騒音が途端に消え、狩り場に静けさが蘇った――と思った瞬間、膨大な音の塊が狩人達を飲み込んだ。
「ゴアアアアァァァ――ッ!」
それがリオレイアの怒り状態に入った時の咆哮だと分かるのに少しばかり時間がかかった。若個体といえども雌火竜、音量に限らず威圧感は大抵の生き物を震え上がらせてしまうに違いない。
事実にも狩人達は意に反して身体を硬直させていた。
リオレイアが走り出した。巨体が地響きを立ててアルに接近していく。アルは先のことも考えずに慌ててリオレイアの進路から直角に跳んだ。
しかし、陸の女王の名は決して伊達ではない。アルの逃げた方へと進路を微妙に修正し、翼爪を掠らせた。
「うぐっ」
咄嗟に構えた盾が幸いにも重傷を防いだ。だが、衝撃までは殺せずに身を投げるようにしてアルは岩盤の上を転がった。
一難は去った。しかし、リオレイアが諦めた訳ではない。急停止すると旋回してアルの方へと向き直り再突進。
デイヴの正確な援護射撃もリオレイアを止めることはできず、避けられないと判断したアルが盾を構えて腹を括る。アルの目に最悪の覚悟が定まった直後、青空に逆光を浴びる人影が映って視線が引き寄せられる。
それは岩から跳躍したエレナだった。突進しているリオレイアの翼に飛び込み、振り落とされる危険性を顧みずに翼に全体重を乗せて剣を突き刺した。
エレナが乗った翼の方へとリオレイアの重心がずれ、体勢が見る間に崩れて巨体が転倒した。危ういところでアルは命拾いし、土煙に覆われる。
「っ、エレナちゃん……!」
土煙の所為で状況が分からない。倒れたリオレイアの大きな影がぼんやりと見えるだけで肝心のエレナが確認できない。
「私が引き付ける! エレナはアンタが助けな! デイヴ、行くよ」
「は、はいッ!」
「おう!」
土煙が晴れる。立ち上がったリオレイアの視界にレイラがあえて飛び込み、注意を誘う。
その隙に回復薬を飲み終えたアルが駆け出し、エレナの援助に向かう。普段はガンナーという立場上、仲間に助けてもらうことは少ない。故に自分のために仲間が身を挺して助けてくれることがこれほど罪悪感のあるものだとは思いもしなかった。
しかし、落ち込んでばかりはいられない。この罪悪感を糧にしてでも今度は自分がエレナを助けなければならない。
土煙の中、エレナは苦しそうに草に横たわっていた。アルは顔を青ざめながら慌てて駆け寄った。
「エレナちゃんッ! っ、駄目だ……! レイラさん、撤退を……――!」
言葉が激しく飛び交う。小賢しい狩人達に一矢報いたリオレイアはここぞとばかりに吠え哮る。
眩い光がエリアを支配した。閃光玉だ。
忙しい足音が。身体が上下に激しく揺れて――苦しい。
何度も名を叫ばれて――応えられない。
視界が真っ暗になる。意識が分解されてゆく――。
◆ ◆ ◆
重たい目蓋がゆっくりと開き、景色が徐々に鮮明になってゆく。そこには岩の天井があった。
「ここ、は……?」
ベッドから上半身を起こすとそこはベースキャンプだった。岩をくり抜いたような場所に簡素なベッドが置かれ、支給品ボックスや炭だらけの肉を焼く用の設備。
記憶を辿るより早く驚いたアルの顔が視界に入ってエレナはハッとする。
「良かった……ごめん、僕の所為で――あっ、体の調子は?」
「……大丈夫、だけど。今、どうなってるの?」
「レイラさんとデイヴさんが交戦中だよ。加勢は認められてるけど……」
「行こう。急がなきゃ!」
エレナはそう言うや否やベッドから跳びはねて防具を身につけ始めた。慌てて止めに入ろうとするアルを差し置いて。
――無理をしているかもしれない。――今度は命を落としかねない。止めた方が。罪悪感。止める。
「――ジルバさんの面汚しにはなりたくない」
伸びていた手が止まった。神妙な面持ちで防具を身につけるエレナの横顔を見てハッとした。無意識にエレナの口から零れた言葉を耳にして筋肉が固まった。
仲間に優しくなることが正しいのか。助けられることが罪なのか。彼女の覚悟を、信念を潰すつもりか。
「エレナちゃん……好きなように動いてね」
「え……?」
アルの眼差しが変わる。迷走から決断を。罪の意識を糧に。
「僕が全力で援護するよ」
「……うん」
いつになく頼もしいアルの背中を見上げながらエレナは嬉しそうに応えた。
円形の広い草原はアプトノス達が好みそうな草が生えていたが、その姿はなかった。
それもその筈だった。奥、段差の上でぽっかりと口を開けた洞穴からする音の数々。近づけば近づくほど音は鮮明になり、空気は緊張し、熱が増す。
焦げた匂いに包まれながら奔走する一人と竜。炎を振り回し、弾丸と刃が熱を突き抜けて切り裂く。
巣へと戻ったリオレイアに奇襲をかけてから約三十分。ついに翼は機能を失い、雌火竜からは衰えが見え始めていた。しかし、変わらず緊張感は立ち込めていて油断も隙もない攻防が続いていた。
しぶとくリオレイアに貼り付いていたレイラが余分に距離を取ったその折、若々しい声が洞窟内に反響した。
「――加勢しますっ!」
「すみません。迷惑をかけました」
勢いよく洞窟に飛び込んできて臆さずレイラの傍へと駆け寄るエレナとアル。二人の存在に気がついたリオレイアと目が合い――睨み返す。
「よく戻って来たな。問題ないか?」
「はい。それと提案があって……」
「ふぅん、言ってみな」
レイラは内心でぞくっとした。決して自分から物を言わなかったエレナが大きな失敗を経て、編み出した物に。その奥底に眠る才能とジルバの面影が見えた気がして興奮が抑えきれなかった。
「私も遊撃……に回っても良いですか」
「……理由を聞こうか」
「それは僕から説明します」
経験、実績共に優れた者が的確な指示によって未熟者を指揮するのは定石。レイラもそれに乗っ取ってエレナには逐次、指示を流していた。アルの場合は例外だが、エレナを援護するという立場上、間接的にレイラの指示を受けていた。
それを完全に打ち消す。一歩間違えれば隊は全滅する。レイラは危険性を最も理解していた。無論、彼らも理解しているだろう。だからこそ狩人の上位者として、一個人として見たくなった。
定石を覆す若き力を。
「エレナは普段、ジルバさんの援助から成り立っています。ですから、ジルバさんのような巧みな支援がないと力を十分に発揮できないんです」
「……欠陥だな」
突き放すような冷たい発言にエレナが視線を落とす。レイラは、涎を垂らし落とすリオレイアに注意を払いながらアルの言葉に耳を傾けた。
「そうかもしれません。でも、支援さえあれば――レイラさんにも劣りません」
「……ほぉ。大きく出たな。しかし、その肝心の支援はどうする? 私がその役に回れば結局のところ戦力は変わらんだろう」
「僕がやります」
「アンタにジルバの真似事ができると?」
「はい」
威圧さえ感じるレイラの眼光にアルは劣らず立ち塞がった。出会った当初のような受け身の姿勢を全く感じない意志強固に意見を捻じ曲げない。
自信に溢れたアルの別人のような顔にレイラは電光のような刺激を受けて打ち震えた。本能が彼から計り知れぬ可能性を感じ取る。
「グォオオオオオッ!」
「どうやらこれ以上、待ってくれそうにないな。分かった。やって証明してみせな」
「有難うございます」
「失敗は恐れるな。尻拭いはしてやる」
エレナが二人の一歩前に飛び出し、金髪の髪を振るって見返り、笑みを零す。アルも同じように笑みを返し、二人はリオレイアへと向き直った。
咆哮が上がる。若い二人が飛び出す。銃声が鳴り個々の意識が錯綜し激戦は佳境へと突入する。