モンスターハンター 老年の狼   作:まるまる

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其の参

 ビールのジョッキの形をした看板をぶら下げただけの扉のない大衆酒場を後にし、宿屋へと足を運ぶその途中、ジルバは途端に急旋回した。

 向かう方角に宿屋はなく、足を運ぶほどに人気は薄く、影は濃くなっていく。ふと、路地裏の真ん中でジルバは足を止めた。薄暗い灰色の壁に挟まれた誰にも見られる心配のない(・・・・・・・・・・・・・)場所で。

 空は茜色。段々と薄暗くなる路地裏でジルバは誰もいない後ろへと振り返った。

 

「何者だ。出て来い」

 

 しんと静まり返った刹那、まだ茜色の陽が届く日向から暗い路地裏へと盛装の男が踏み込んだ。

 白いスーツに赤い飾り。黒い長髪は束ねられ、その毛先まで視線を追うとやがて路地裏の陰に見合わぬ綺麗な羽帽子が窺える。腰にぶら下げた碧い直剣をいきなり抜き放つと男はニヤリと不気味な笑みを浮かべた。

 ジルバはその剣と服装が彼をギルドナイトであることを裏付ける。同時にその束ねられた黒の長髪と狂った容貌がジルバの記憶にいる男、ビーコードと一致する。

 メージの側近に立ち、どす黒い執念深い殺気を放っていたあの男だ。

 

「お主……何故ここにいる」

「そんなことはどうでもいいでしょう。今、必要なのはこの状況じゃないですか?」

「……何のつもりじゃ」

「フン……強さに恵まれた貴方には一生、分からないだろうなぁ。俺の想いが、屈辱がぁ」

「矜持、いや、自尊心か」

「貴様ごときがこの俺に勝てるだと? ハッ、笑わせる。俺はあのメージとかいう素人に証明せねばならんのだよ。この俺が貴様よりも遥かに勝っているとなぁッ!」

「折角の余韻が――興醒めじゃ」

 

 途端、ビーコードは目の前に人を食らう獣が現れたような錯覚に捉われた。心臓を握られているような恐怖を感じ取ったビーコードは思わず足が竦んだ。

 しかし、しっかりと息を整えたビーコードもまた狂った殺気で対抗する。

 

「死ねぇええ!」

 

 突如、ビーコードが体勢を低く落とし地面を蹴った。低い体勢から剣の軌道を悟られぬよう身体で剣を隠す完璧な姿勢。バチンと金属の留め具が外れる音がしてジルバの背中からハンマーが滑り落ちた。

 ナイフを逆手にジルバはハンマーを飛び越えて下がる。ビーコードはそれを追走するべく加速し、ハンマーを躱して剣の届く範囲の際から剣を振った。

 残り数センチというところで剣先がジルバを捉えずに過ぎる。が、すぐに剣は切り返されて再びジルバを襲う。ジルバはこれを躱すと次々と襲いかかる剣を身をよじって躱すか、ナイフで防いだ。

 どれも一瞬で死に至るような急所を確実に狙い澄まされた正確な一閃だ。それは訓練なら否応なしに高評価だろう。訓練の中でなら。

 完璧にビーコードの剣を捌き切って見せたジルバは大きく退くと同時に傍のごみ箱を転がし、時間を稼いだ。ビーコードは堪らず足を止め、鬱憤を晴らすようにごみ箱を蹴り飛ばす。

 

「糞がぁ。逃げてばかりの腰抜けがぁ」

 

 その罵声とともに防戦一方だったジルバが走り出す。老人の動きとは思えぬ走りで距離を縮めていく。

 罵声の挑発に釣られたか、とビーコードは内心で笑みを浮かべ、剣を構えた。発声と同時に走り出すことで思考の時間を与えない、というジルバの思惑に気づかぬまま。

 彼我の距離を正確に見極めたビーコードが讃嘆たるタイミングで剣を振り下ろした。

 だが、これを予期していたジルバは急停止。驚愕したビーコードもまた対応は早く振り下ろさずに後ろに跳躍。急停止していた筈のジルバは地面を蹴ってビーコードの懐に飛び込んだ。

 

「ッ!?」

 

 その場凌ぎにと乱暴に振り下ろした素人のような剣はジルバのナイフに圧倒的に押し返された。途端、ジルバの勝利への展開は一瞬だった。

 身体を反るほどに押し返されたビーコードの踵がジルバの鋭い足払いに掻っ攫われ、喉元にジルバの腕が押し込まれた。ビーコードはいとも容易くその場で宙を一回転し、地面に叩きつけられた。

 まだビーコードの視界が揺らぐ中、気づいた時には喉仏にナイフが添えられていた。

 

「さぁ、吐いてもらうか。何故、ここにいる? お主達の目的は何だ?」

「ッ、貴様に屈するくらいなら死んだほうがマシだ」

「そうか。ワシは小さい頃から貧民街で暮らしていてな。生きるために人間の弱点は熟知してきた。それにハンターをしていく中で医学も齧っておる。今、ワシはお主の所為で機嫌が悪い。何なら死よりも辛い痛みを与えられる……言っていることが分かるな?」

「……っ、悪魔め」

「かもしれんな」

「貴様が送ってきた商人に紛れた奴らは斬った。殺してはいない。メージの行方は知らん。その目的もな。俺はただ腕を買われただけの武力役……奴らが何をしているかは知らん」

「それだけか?」

「……妙なことを聞いた」

「妙なこと?」

「何でも竜を操れる術がある……と。聞き間違いかもしれない」

「……そうか」

 

 

 

 後に駆け付けた警備隊員がビーコードを取り押さえ、拘束した。警備隊員の一人、デリクはジルバが仕組んだ知り合いであり、ある程度の事情を知っている。

 が、肝心のことを教えておらず、ジルバを信頼し切ったデリクといえども念を押す注意と入念な尋問は行われた。結局のところ別れ際には酒を酌み交わす約束をしていた。

 事情聴取というより久しぶりに再会した友人との何気ない会話だった気がする。ジルバはそれを嬉しく思いながら宿屋へと足を運んだ。

 部屋に待っていたのは相変わらず三人。今日も書士隊に関する聞き込みや街の様子を見回っていた。それにもう一つ、資金面を案じて出回っているクエストを確認も行った。これからは情報を交換する時間、なのだが。

 

「ジルバさん、話があります」

 

 ジルバが腰を据えると同時に姿勢を正したエレナが真剣な面持ちをつくった。

 

「おぉ、どうしたんじゃ。改まって……」

「実は……」

 

 今日の昼過ぎ、出回っているクエストを確認しに向かったエレナとアルに起こった出来事について話し始めた――。

 

 

 

「何かお探しですか?」

 

 クエストボードに貼られた羊紙たちをエレナが凝視していると茶髪に澄んだ目のギルドガールが話しかけてきた。

 

「あ、はい。どんな依頼があるのかなあ、と……」

「沢山ありますからねー」

 

 顎に手を当てながら羅列した文字と睨めっこするエレナを盗み見てギルドガールはまるで子供を見るようにクスッと笑った。それは彼女を小馬鹿にしたわけではなく、恐らく初心者だろうエレナのその姿がさながら一流のハンターのように見えた自分の目に笑ったのだ。

 こんなに真剣で純粋な彼女の邪魔をしてはいけない、と良心が働きギルドガールがその場を静かに立ち去ろうとしたその時だった。

 近くでエレナと同じような姿で羊紙と睨めっこしていたアルが依頼書を一枚剥がしてエレナに手渡した。

 

「これなんかどうだろう?」

「あ、良いんじゃない?」

「だよね。報酬金も十分だし、候補に入れておこう」

 

 どうやら目ぼしい依頼書があったらしく彼女達の実力が気になってギルドガールはそっと目を凝らして盗み見た。

 

「リオレイアっ!? ――あ……すみません」

 

 小型の鳥竜種か、よくて大型の牙獣種だろうと思っていたギルドガールは思わず声をあげていた。その声にアルとエレナも驚いて肩をびくりと上げ、申し訳なさそうにするギルドガールへと振り向いた。 

 まだ駆け出しではあるが、ギルドガールであることに変わりはない。ギルドガールはハンターがより良い狩猟生活を送られるようサポートする職業だ。時にその豊富な知識でハンター達を導いてやるのも仕事だ。

 世間は若くまだその本領を発揮し得ないモンスターを若個体と表現するが、その脅威を無視できる訳ではない。若個体でも飛竜種は飛竜種。更に陸の女王とも呼ばれるリオレイアだ。彼女たちがこれに挑むには早すぎる。止めてあげるのが道理だ。

 

(なるべく彼らの自信を損なわないよう……柔らかに……)

「ギ、ギルドガールさん?」

「あ、えっと。そのクエストを受けるの?」

「まだ候補ですけど、他に良いのがなければ受けるつもりです。あっ、先客がいるんですか?」

「あ、そうじゃなくてね。多分、お二人にはまだお早いかなあ、と思いまして。あ、余計なお世話だったらごめんなさい……」

「大丈夫ですっ。とっても強い方がいますのでっ。それに下位で若個体のリオレイアって結構、動きがパターン化されていて読み易いんですよ。ロックラック辺りのリオレイアだとそうも簡単にいかないですけど……」

「は、はぁ……よく知っているんですね」

「はいっ。ジルバさんっていうとっても強い方に教わっているんです」

 

 ドンドルマやシュレイド地方に生息するリオレイアとロックラックやバルバレ周辺に生息するリオレイアとでは脚力に大きな差がある。更にこちら側のリオレイアは若干、飛行能力に優れており低空飛行で得物を襲う習性などが見られる。

 しかし、これはギルドガールや書士隊などが知るような知識であって並大抵のハンターが持つ知識ではない。精々、雌火竜を狩ることを専門とするハンターが知るぐらいだ。

 それをこんな一介の、しかも幼げのある華奢な少女が平然と言ってのける。ギルドガールが呆気にとられるのも無理はなかった。

 

「よく知っているじゃない。ジルバに教わったんだって?」

「あ、レイラさん」

「お、お知り合いなんですか?」

「はい。最近、知り合いまして……」

 

 ミナガルデ四天王の一人を担う『業火』の異名を持つレイラ。そんな有名人と知り合いとなると増々ギルドガールは目の前にいる華奢な少女が異様に見えてきた。

 こんな場に居合わせていいものか、と思いつつも好奇心に勝てずギルドガールはその場に留まった。業務を忘れ、同業者からの鋭い視線を知らずに。

 

「受付嬢さん。この子達がリオレイアを狩りに行くのは心配だって良いたいんでしょ?」

「は、はい」

「だったら、私が同行すれば万事解決。違わない?」

「えっ? で、でも……」

 

 不意に、酒場が静かになった。すぐに喧騒は戻ったが、たくさんの視線がありありとこちらを向いている。

 ほとんどの者達が見知っていてもおかしくない二つ名持ち実力者が吹けば飛んでしまうような華奢な少女の狩りに自ら同伴を申し出た。つまり、エレナの実力を認め、己の命を預けるだけの強者だと判断した。高名な狩人が、一介の少女を。

 無論、視線はレイラからエレナへと集まっていく。

 

「何者だ? アイツ」

「さぁ、知らねぇな」

「俺は知ってるぜ。最近、この辺を『黒狼』と書士隊の噂について嗅ぎ回っているって話だぜ」

「『黒狼』ってあの一匹狼だろう? 大した奴じゃないだろう?」

「馬鹿言え。それは貴族の奴らが依頼を失敗された腹いせに金を使って流した噂だ。本当はとんでもねぇ桁違いの猛者だって話だ」

 

 一人の男から一つの卓へ話は流れ、僅かにだがエレナが聞いて思わず唾を飲む。

 駄目だ――臆するな。師の顔に泥は濡れない。

 胸を張り、眼光を鋭くしたエレナはレイラとギルドガールの会話に割り込んだ。

 

「何で私なんですか?」

ジルバ(アイツ)が気に入っているアンタが私も気になったからさ。何度も私の勧誘を拒んだくせに積極的にアンタと隊を組む訳を探ることも兼ねてな。ま、端的に言えばアンタに興味が湧いたってとこかな」

「そう、ですか。あの返事は……」

「ああ。そうだな、明後日の朝で場所はここで良い。それと……ガンナーのアンタも良かったら来てもらって構わないよ。ただし、私の連れが重砲使いでね。その腰についた片手剣で戦ってもらうことになるけど」

「は、はい。検討しておきます」

「よし。そうと決まれば受付嬢さん。この依頼書は予約しておいて。じゃお二人さん、良い返事を待ってるよ」

 

 手をひらひらと振りながら呆気なくレイラは立ち去って行った。

 レイラの半ば強引な雰囲気に呆気にとられたギルドガールを含めた三人は暫くの間、立ち尽くしたまま各々で惟みていた。

 

 

 

「それで、答えは決まったのか?」

 

 傍で聞いていたハザンが太刀の手入れを終えて問いを投げた。エレナは困ったように首をふるふると横に振った。次いでハザンとジルバの視線がアルを向く。

 

「僕は行きたい。前の僕ならきっと怖気づいたんだろうけど……そんな自分を変えたいから。それが僕の目標だから」

「そうか。頑張れよ」

「ありがとう、ハザン君」

 

 ハザンとアルの睦まじい会話を傍で聞きながら俯くエレナ。その様子に気づいたジルバが心配そうに声をかける。

 

「何じゃエレナ。心配か?」

「私も行きたいんです。経験しなきゃいけないって、二度とないチャンスだって分かっててもいつもと違うことが不安で……」

「そうじゃなあ。誰だって最初は不安なものばかりじゃろう。それで良いんじゃ。誰だって、ワシだってそうだったからな。だが……そこで一歩踏み込んだ者が上を目指すチャンスを手に入れる。強くなるという目標に一歩近づける」

 

 不意に、病室で眠るミラの顔が浮かんだ。必死に作ったあの不器用な笑みを。途端に優しかった母の笑顔が、ジルバの言葉が頭に浮かんできて酷く自分に怒った。

 強くなりたい。そう願った自分は嘘偽りだったのか、と自分を責めた。

 

「強くなりたいんじゃろう?」

「……私、行きます」

「うむ。その意気じゃな」

 

 弱っていたエレナの目はもうその影を無くし、強い意志で固められていた。小さな拳が強く握られた。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 夜が明け、毎度のように朝が来てあっという間に時は過ぎてまた夜が明けて朝が来た。

 レイラに返事を伝える約束の日だ。

 大衆酒場は早朝だというのに既にちらほらと人が見られた。受付嬢は勿論、夜の狩りを済ませて帰ってきた者達やこれから仕事に向かう者達。

 しばらく時間が経つと少なからずあった喧騒が止んだ。堂々と胸を張って現れた二人のハンターに視線が注がれる。

 火竜の鎧を身に纏い流麗な太刀を背負う女性と鎧竜の防具を身に付けた強固な重砲を背負う男性。その身なり、雰囲気からしても強者であることは間違いない。

 迷いなく向かう先にはまるで対照的な印象のエレナとアルが静かに佇んでいた。風貌は圧倒的な差があるものの強者二人を待ち構えるその立ち姿は驚くほどに互角、まったく気負いしていない。逆に自信しかないといった様子だ。

 虚勢でもなく、彼我の実力差が分からないほど阿呆な訳でもない。圧倒的な格上だと知っていて、自分が惨めな挑戦者だと理解していて尚、訴えているのだ。

 例え年齢に差があろうと、先輩後輩の関係であろうとこれから狩り場に立つハンター達は対等であると。

 

「いい面構えじゃないか」

「聞いた話よりずいぶんと自信満々じゃねぇの。面白ぇ」

 

 レイラは予約しておいたリオレイア討伐の依頼書を剥がすと、口元を緩ませた。

 

「さあ、行こうか」

 


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