モンスターハンター 老年の狼   作:まるまる

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第十一章 一歩先へ
其の壱


 ゴルドラ地方から飛び立った王立古生物書士隊の気球船は無事にドンドルマの地へと降り立った。

 手術は深夜に行われたにもかかわらず手際よく進み、ミラの生命は安全域に保たれた。薄暗い廊下で寝ずに待ち続けた狩人らは事件の元凶への怒りも忘れてただ歓喜した。

 激動の一日が終息し、緊張の夜が明けた。ただミラが眠る病室への入室が許されず、こればかりは医者の言葉を待つ他なかった。

 狩人らは彼女の生きている姿とある真実を掴む為、ドンドルマでの滞在を決めた。その旨を記した手紙をジャンボ村の村長へと飛ばし、ジルバ達はドンドルマでハンターとしての活動をすべく準備を整えていた。

 寝床も確保し、依頼も受けられる、つまりお金も稼げるということだ。滞在期間は未定だが、少なくとも衣食住は十分だった。

 重傷を負ったハザンは医者の判断で入院し、アルは大衆酒場の視察を任され、ジルバとエレナは情報収集という名目で街中を散策していた。

 

「そこで少し休もうか」

「はい」

 

 変哲のないベンチに並んで腰かけてジルバは表向きには何と無しに、裏向きには慎重に言葉を選んで話を切り出した。

 

「この前の、ワシを一番に犠牲にしてほしいと言った件じゃが……やはり聞き入れてくれんか?」

「すみません。多分、私が迷った時から答えは決まっていたみたいです。ジルバさんが私達のことを想って下さっているのは分かっています。でも、私達も同じくらいジルバさんに生きていてほしいんです。甘い考えなのは承知です。でもやっぱり、私は皆が生きられる道を選びたい」

 

 握りしめた小さな拳を見つめた後、エレナはゆっくりとジルバの顔を見上げて窺った。

 

「我がまま……ですかね」

「いいや。そうじゃなあ……ワシが引退するまでは綺麗なことだけを見るといい。現実を見るのはゆっくりで丁度いい」

 

 遠い目をするジルバが何を見ているのか、エレナには分からなかった。言われた通り綺麗なものを見ようとすれば色が鮮やかに、光が煌びやかに。

 きっと世界にはもっと信じられないような物語があるのだろう。そこには多分、不条理な残酷が含まれていてそれに惑わされないように、挫けないように綺麗なものに目を向けておけ、と言っているのだろう。

 エレナはその世界を垣間見た。自分と変わらぬ少女が人間の都合や悪意によって惨い仕打ちを受けたという現実を見たのだ。

 自分は世間も知らぬ娘だが、その世界に踏み込んでしまった。生半可な気持ちでは立っていられない。

 

「頑張らないと……」

 

 小さな拳に力を入れるエレナを傍から優しく瞳を凝らし、ジルバは微笑んだ。

 

「また老けたんじゃない? ジルバ」

 

 そんな折、ジルバとエレナの前から近寄る一人。エレナの視線が一目散に向かった先は女性の着ているレウス装備だった。火竜の代名詞とも言われる雄火竜を狩った証であり、同時に彼女が格上であるとエレナは悟った。女性は身の丈以上もある太刀を背負い、それは上級のモンスターを狩らねば到底、身に付けられぬ代物である。

 

「おぉ、レイラか。久しいの」

「そっちの子は連れ? アンタにしては珍しいじゃない。私の誘いは全部拒んだくせに」 

 

 レイラの少し毒のある鋭い声からして気に食わない面があるのだろう。

 

「まぁ、いいけど。で? 隠退したって聞いてたけど、復帰したの?」

「ワシにも色々あってな」

「ふーん……色々ねぇ」

 

 レイラはあからさまにエレナを見てわざとらしく言った。

 腕を組み、ジルバとは昵懇の仲なのか、年の差を感じさせぬ態度と口調でレイラは話を続けた。

 

「貴女、名前は?」

「エ……エレナ・ヴァーミリオンです」

「ヴァーミリオン……ってまさかローランの?」

「……お父さんを知っているんですか?」

「そりゃ知ってるわよ。ミナガルデの四天王、『疾風』のローラン。有名人よ。でも……」

「……はい。私が小さい頃、金獅子から私と母と商隊を守る為、亡くなりました」

 

 傍で話を聞いていたジルバが唖然としていて、それに気づいたエレナはハッとした。

 

「あ、秘密にしていた訳じゃないんです。ただ、言う機会が無かっただけで……」

「いや、構わんよ」

「ジルバ。アンタまさかその年で不健全な思いを働かせているんじゃないでしょうね?」

「ワシは生涯、妻一筋。お主も知っておるじゃろう?」

「フッ、そういえばそうだったな。……じゃ、私はこの辺で失礼するよ。身体には気を付けなよ」

 

 まるで風が吹いてきて去ったようにレイラは忽然と人混みに呑まれて消えていった。

誰もが想起する戦闘民族のようなハンターを具現化したようなレイラの性情に終始、緊張していたエレナは安心すると、エレナが気がかりだった点が浮き上がってきた。

 

「あの人、どこかで会ったことあるような……」

「多分、ローランと知り合いなのじゃろう。レイラもミナガルデの四天王の一人、『業火』の二つ名を持つ猛者じゃからな」

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 時刻は正午を迎え、各々が目的を持って街へと繰り出していた狩人達は宿で集合する手筈になっている。

 目ぼしい情報は見られなかったが、二人の間に残っていた蟠りはすっかり溶けてなくなっていた。

 道中でアルと合流し、宿にある自分達の部屋まで辿り着いた時だった。丁度、目線の高さに貼りつけられた紙にハザンの字と思しき文章が短く書かれてあった。

 ジルバがそっと紙を剥がし、内容を声に出して読む。

 

「ミラの病室への許可が下りたそうじゃ。ハザンは先に向かったらしい。ワシ達も行こうか」

 

 アルとエレナが頷き、結局三人は部屋には入らず踵を返して宿を出た。

 向かった先は言うまでもなくミラが入院する病院。受付にミラの病室を教えてもらい、急ぐ気持ちで足を運んだ。

 風に翻るカーテン。花瓶に挿された紫の花。窓から差し込む微光が少し寂しげな病室。しかし、そこにハザンの姿はなかった。

 不思議に思いながらも三人はミラの寝顔を覗き、驚愕し、そしてハザンが居ない理由をそこはかとなく察した。

 ミラは物静かな息遣いで仰向けに目を閉じ、穏やかに笑っていた(・・・・・)

 

「え……笑っ……て?」

「っ……」

 

 ミラの笑顔の意図を最も早く理解したのはジルバだった。そしてそれは伝染するようにアルとエレナに伝わっていく。

 当事者であるからこそ解る彼女からのメッセージだった。

 自分は問題ない。笑えるほどに問題ない。だから構わず先へと進んでほしい、と。

 偶然、ミラの口角が吊り上がったのかもしれない。全く別の意図を持っているのかもしれない。しかし、狩人達は彼女のその、不器用な空っぽの笑みを凝視することはできなかった。

 痛々しい傷と屈辱を受けて尚、事態の進行を気遣い、痛みと闘い狩人達の背中を押そうと、笑った。無感情だった、無表情だった、彼女が見せた最初の笑顔。

 狩人達は安堵していた。一先ず危機は去ったと。彼女の命を救い出せたと。しかし違っていた。

 まだドンドルマで蠢く書士隊の黒い噂の正体を掴めていない。突如として現れた薄気味悪い男、メージの思惑も分からぬままだ。

 何を安堵していたのか。最も不幸な筈の彼女はまだ闘っているというのに。

 

「……アル。ハザンを頼んだぞ」

「はい……でも、一人で大丈夫だと思います」

「……ああ、そうじゃな」

 

 アルは一足先に病室を後にし、姿の見えなくなったハザンを探しに向かった。ジルバとエレナはミラの眠る寝台の傍で腰かけ、無言で時の流れを待った。

 絶え間なく揺れ動くカーテンの奥に広がる青空を見つめながらエレナが徐に口を開き出す。

 

「少し話をしてもいいですか?」

 

 ジルバは少し驚いた顔をした後、無言のまま頷いた。

 小声で感謝を述べるとエレナはまるで語り部のように物語り始めた。

 

「私の父がローランだって話、ありましたよね。父が亡くなったあの日の――一晩明けた次の日から私の母はよく笑うようになったんです。ずっと、ずっと……笑うために邪魔な感情を押し殺して私が不幸な子どもにならないように。私の人生に父が居なくても幸せでいられるように。母は私のために笑っていたんです」

 

 エレナは涙を引っ込めるように努めた。嗚咽を押し戻し、言葉を溜め込むように口元を結んだ。

 その様子をジルバは優しく見つめ、思考を巡らせた。彼女が天真爛漫でよく笑うようになった理由が母の歩いた道をなぞっているからなのだと。今のエレナがあるのは母の絶え間ない必死の笑顔があったからなのだと。

 しかし、エレナは彼女の人知れぬ努力に気づいていた。だからこそ、苦しいのだろう。

 

「私はもう誰かのために笑う人を見たくなかったのに……ミラちゃんを……っ。私は弱いのに、ジルバさんみたく強くなんかないのに。叶えられない我がままばっかり……」

「強くなればいい。ワシが手伝ってやる。時間はまだ沢山ある、そうじゃろう?」

 

 しばらく、空白の時間を挟んだ。

 

「これからもきっと辛いことが、苦しいことが起こるじゃろう。それでも……もう、大丈夫か?」

「大丈夫、です」

 

 ジルバが立ち上がり、少し遅れてエレナが立ち上がる。

 心なしか、安心したようなミラの笑顔を見つめ、病室を後にする。吹っ切れたエレナの顔にはいつもの笑顔が戻っていた。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 痛みの所為だろうか。心が苦しいのだろうか。

 初めて見せた彼女の笑顔は泣きながら笑っているようだった。

 なにが『いつか目一杯に笑わせてやるよ』だ。

虚しい約束の言葉を思い出し、ハザンは自分の無力さに恥ずかしくなる。感情を見せなかった筈の彼女が少なくとも『楽しみ』と言ったのだ。絶好の好機だっただろう。

何故こうなった。何時から間違った。

 ――最高じゃないか。約束通りに笑わせられたのだろう?

 ――笑えよ。辛い時でも(・・・・・)笑うんだろう? 自分で言ったじゃないか。

 

「ちくしょう……」

 

 壁に叩きつけた拳が虚しい痛みを訴える。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 微塵も普段と変わらぬドンドルマの風情。

 自分達の置かれた状況とは一切関係なくドンドルマの時は何の弊害もなく流れ続けていた。

 ジルバは一枚の紙を見つめた後に再び窓から見えるドンドルマの光景を眺めた。人々は黒い噂が出回っているにもかかわらず平然と明日が平和であることを信じて疑わない。

 まるで別世界を見ているようだった。今から自分達は未知の何かと戦うことになるというのにすぐ傍にいる大人数が日常を生きている。不思議な感覚だ。

 ジルバは平穏な日常を眺めながら、長考して約一時間。久方ぶりに室内に音が響いた。

 ドアが開き、まだ少し目元の赤いハザンがゆっくりと姿を現した。静かに座っていたアルとエレナは何も言わずに立ち上がり、外出の支度をする。ジルバもゆっくりと腰を持ち上げると机の上に置いておいた紙をハザンに手渡した。

 

 ――狩人達の居座る旅宿に一通の手紙が届いた。

 マードック・リスカー書士隊筆頭士官よりミラを救出して頂いた件の礼がしたい、という内容だった。




まるまるです。

多忙です。少し用事に落ち着きが見えてきたので、ようやく後書きに登場することができました。と言ってもあまり書くこともないのですが…。

拙作も四十話を超えて折り返し地点も過ぎてしまったのですが(予定上)続々と新キャラが出てきます。もう少し早く出せばよかったかなぁ、と後悔しつつもしっかり纏められるよう努めていきたいです。

それでは。




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