羅針盤を頼りに鬱蒼とする密林を二日かけて歩き続け、時として洞窟や遺跡を通ってようやくジャンボ村が見え始めた。
緑で溢れた眼下の地に河沿いで栄える小さな村が見える。少し前の境遇を思い出し、改めて多からず人が歩く喉かな村を見てみると、思わず溜息が零れた。
体が鉛のように重たいが、ゆっくりと腰を持ち上げて、隣で喜びのあまり跳びはねる少女を見て呆れて物も言えない。二日間、就寝と休憩を挟みながらも歩き続けた人間の末とは思えない。改めて若さの真価を見た気がした。
跳びはねて喜んでいた少女はその格好に似つかない可愛げな笑顔で手を差し伸べてきた。
「ジルバさん、行きましょう!」
尽きない元気と笑顔に苦々しく笑いながらも、少女が持つ場を明るくする何かに釣られて、喜色の笑みを含ませていた。
午前にジャンボ村に着いた一行は取り敢えず、解散し、昼食を挟んだ後でしっかりとした会話の場を設けようという事になった。
二日間を共にし、年齢差を感じさせない親近感と相性から関係は親密なものになり、祝杯という形式で昼食を二人で済ませた。
そして、今に至る。
ジルバは自宅の寝台で寝そべり、その腰を私服姿のエレナが跨って座り、腰の上辺りを全身使って手で何度もぐいっと押していた。傍から見れば、孫娘がおじいちゃんをマッサージしている場面だ。実際、赤の他人なのだが。
若干、痛みを我慢しながらも腰に血が巡っていく感じがして気持ちが良かった。凝った肩や筋肉痛のふくらはぎも丁寧に揉んでくれたお蔭で大分楽になっていた。
やはり、二十五年前のように思い通りに体は動かなかったし、戦後もこの様だ。ジルバは予想以上の身体の衰えに呆れ返っていた。
「大丈夫ですか?」
「あ~。大分、楽になった」
強暴なイャンクックと戦った者とは全く思えないような柔らかい声にエレナは満足そうに微笑んだ。
頭にじんじんと気持ちよさが上ってくる中、寝室までに響く大きな扉を叩く音でジルバは現実に引き戻された。
「来たようじゃな。お茶を用意するから、客間に呼んで来れんかの?」
「客間ってとなりですよね」
「うむ」
元気よく返事すると寝台から飛び降りて、すたすたと玄関まで駆けていった。
年寄りを思わせる掛け声を出して、寝台から降りると炊事場でお湯と茶葉を取って、三十秒ほど浸出し、湯のみに注ぎ分けて客間に向かう。
こちらに気づいた村長が小さく手を振り、手伝おうとしていたエレナが察して静かに腰掛けた。それぞれ三人の前にお茶を置き、ふかふかなソファに腰を下ろす。
熱いお茶をゆっくり啜った村長が話を切り出した。
「じゃあまず、二人とも生きて帰って来てくれてありがとう。僕が村のみんなを代表して言わせてもらうよ」
「礼には及ばんよ。そんなことより、ワシに相談があるそうじゃないか」
「オイラからジルバに是非お願いしたことがあるんだ。エレナと徒弟関係になって欲しいんだ。知恵の伝授だけじゃなくて、一緒に狩りに出向いて欲しいんだ」
「……この老いぼれが、か?」
「オイラは人を見る目には自信があるんだよ……どうだい?」
そう暗に褒められれば、悪い気はしないが、じゃあやってみようかな、何て甘い気持ちにはならない。ハンターにとって情報とは不可欠と言って良い。それを無償で教えることに嫌気はない。だが、人の命を預かることには気が引ける。これは年齢に限らず、現役の自分だって同じ答えだったろう。
しかし、と観点を反転させる。今回のようなことがまた起きらないとは限らない。そんなとき、自分が近くにいれば、どうだろう。囮ぐらいにはなるかもしれない。狩り場で自分に不都合が起きれば、その時には踏み台になり、囮になり、犠牲になってやろう。そうすれば、この無価値な命も若い世代の為に使われるであろう。その為には。
「……答えは決まったかい?」
「そうさな……分かった、しかし、条件がある。今後、狩り場でワシ達の命が危険になるような事があれば、進んでワシを捨てる……そう誓えるなら」
「えっ……そ、そんなこと。私……」
「誓えぬならこの話は無しじゃ」
真剣な眼差し。狼狽えるエレナを攻め立てるような眼つきは非情さすら感じられる。壁に追い込まれるようなエレナが思わず、口を閉ざすのも無理はなかった。それほどの威圧感と言葉の重さがあったのだ。
だが、これを介さなかったように村長は間に入った。
「大丈夫。誓えるよ」
「えっ、村長さん?」
「この子は誓えるさ。これで大丈夫かい?」
睨むような視線。目だけで何かを訴えてくる。それは薄らとだが、確実に伝わってきた。頼む側としての懇願ではなく、権力を行使する村長の御諚。抗えない権力による命令。
これには流石に苦々しく笑う他なかった。
「そう言われてしまえば、仕方ないのう」
「恩に着るよ」
そう言って微笑むが、その微笑みさえ虚偽に見えてくる。疑惑の念が止まないが、考えても仕方がないと、この思考を隅に追いやり、これからすべきことを頭に思い描くと、嘆息が出そうだ。
「さて……じゃあ、エレナ」
「は、はい!」
「これからは師としてワシの全てを教える……覚悟はできておるか?」
頬が引き締まる。真っ直ぐな眼に揺らぎはない。
エレナは唾を飲み込んで、覚悟を決めた。
「はい! お願いします!」
ジルバの頬が緩む。差し伸べられた手は思った以上に厚く大きく、そして、僅かに冷たかった。
◆ ◆ ◆
昼時の鐘が空からジャンボ村に鳴り渡る。熱心に働いていた者達は手を止め、走り回って遊んでいた子供たちも手を振りながら分かれて各々の家に帰っていく。皆が昼食を取りに酒場や自宅を目指す。
そんな中、鐘の音に被っていた金槌の音が、また一定の間隔で鳴り響く。
甲高い音は本来、耳に障るが、今回は逆に心地良い。理由は一つ。この甲高い音が新たな強化された武具を作っているという証拠だからだ。
イャンクックとの交戦で大きく凹んでしまったチェーンシリーズには愛着すらわいていた。だが、機能しなくなったそれは着ては行けない。
だから、防具を改新しようとなった。早速、数日前に師匠となったジルバの進言を受け、防具の改新に至った訳だ。
改新する訳だから、より強力になるのは言うまでもない。より強力になれば、より強敵なモンスターを狩れる。あの高みを目指せるのだ。その高みとはイャンクック戦で目の当たりにしたジルバのことだ。あの感動は今でも覚えている。あれ以来、エレナは密かに彼を目標とし、尊敬していた。そして、何時しかあのイャンクックを目標としていることも。
それに一歩近づいたとなると、胸が躍らない訳がない。
歓喜に打ち震えていると、甲高い音が止んだ。あっ、と思ったときには工房のおばあちゃんの弟子である男性が裏口から出てきていた。彼は無言のまま、笑みを浮かべて、手招きする。体当たりするような勢いで工房の裏口から飛び込み、急な温度変化に驚く。中は熱が篭っていて暑く、煙もまだ残っていて更に薄暗かった。とても人が住むような場所ではない。
「ほいほい、暑かったね。今、換気するよ」
奥から声がすると、窓が開き、陽光が差し込んだ。光を拡散する煙が映る。周りを見渡す。相当、煙たい。
「ほっ、おいで。もう出来ているよ」
エレナでもひょい、と抱えられそうなおばあさんはゆっくりと奥へと進んでいった。釣られてゆっくりと歩き、雛形に着装されたそれを見て、感嘆を漏らす。
「これが、ランポスシリーズ」
膝上丈のスカートはランポスシリーズ従来の意匠で大陸共通だ。黒っぽく青い鱗で固められた外見は金属よりも強固さを増し、その中でも左の胸当てから腕に掛けてはかなり厚く頑丈そうに見える。兜はジルバの意向で少し改良しており、ランポスの皮と鱗を継ぎ合わせ、頭全体を覆う帽子になっており、双眼鏡もついている。
新品の防具からまるで、この防具自体が生きているような錯覚を抱かせ、より頼もしく見えてくる。
「ふむふむ……どうだい?」
「凄いです! ありがとうございます!」
「頑張ってくれるハンターさんのためだからね。ワシも精一杯、頑張らせてもらうよ」
エレナは温厚な笑顔が職人らしい引き締まった表情になるのを垣間見た。年齢を思わせないその表情はエレナをより一層、昂ぶらせた。
今回の防具の素材は自分で赴いて、取った物だ。勿論だが、出費も全部自分だ。だからこそ、溢れる充実感と実感は大きいものだった。
「奥で着替えるかい?」
「はい、是非!」
その会話を聞いていた男性が指示を待たずに奥の試着室に防具を運ぶ。慌てて手伝おうとするが、おばあちゃんの声に引き留められた。
「そういえば、お前さんのお師匠さんが、話があると言っておったよ」
「そうですか。後で寄って行きます。じゃあ、着替えて来ますね!」
「ほいほい」
一方その頃、ジルバは自宅にて、エレナの訪問を待ちつつ武器や道具の調整をしていた。
細かな部分まで見る為、片眼鏡を眼窩にはめ込んで、作業に取り掛かる。机に並べた様々な金属からナイフを手に取って、査定する。欠陥品と判断すれば、ガラクタで山積みになった籠に放り捨てた。
結局、机に並べられていた金属類のほとんどが籠の中へと捨てられてしまった。厳選されたナイフやホルダーは机の端に退け、埃が被った道具類の査定を始める。
亀裂の入った瓶や腐敗した木材、錆びた投げナイフ。こちらもまた使えないものばかりだ。嵩張っていくゴミの量に呆れ始めた頃、気遣わしい点が彷彿し、無意識に手を止めた。片眼鏡を外し、暫し思考に耽る。
ジルバにはずっと気がかりだった点が幾つかあった。数日前のイャンクックの事だ。昨夜、誤解であってほしいと願って、納屋から文献や図録を探ってみたが、疑惑が確証に成ってしまった。
イャンクックの性格上、武骨な争いは好まない。襲う理由としては縄張りの保全が尤もとされ、本来は臆病で戦闘を避ける傾向にある。商人が縄張りに踏み込んだ、その仮説が有力と思われたが、この仮説は無力に等しいと考えられた。つまり、あの一帯は怪鳥の城郭ではないということ。これは環境の状態と生活の痕跡が皆無という点から信憑性は高い。加えて、怪鳥とエレナの移動距離はかなりの数値になる。それほどの規模がある縄張りは無いと考えていいだろう。
そうなると、一つ謎が浮かび上がるのだ。奴が人を襲う理由とは何か。謎は深まるばかりで仮説など無限に生まれてくる。
(……いったん、保留じゃな)
このままでは知恵熱で寝込みそうだ、と存外有りうるので、ここで思考を止めた。
そして、丁度、その頃だった。扉を叩く音が家内に響く。
「入って良いぞ」
待ち人が来たようだ。間違いなく、興奮しているだろう少女の表情を思い浮かべる。きっと彼女はいつものように笑っているであろう。そんな姿が容易く想像できた。
思い浮かべた通りの表情で顔を出した彼女にうっかりいたずら心が働く。
「似合いますかっ?」
会って第一声がこれだ。相変わらず元気な少女だと鼻で笑う。
「あー……最近、目がかすんでいてのぉ」
「え、ウソっ」
思った通りの反応に満足し、笑いながら明かした。
「冗談じゃよ。よく似合っておるぞ」
「うぅ~……あ、それより、話って何です?」
「そうじゃ、そうじゃ」
そう言って腰を持ち上げ、棚から赤い風呂敷を取り出し、机の物を退かして置いた。音から分かる重さと硬さ。僅かに期待の笑みを漏らすジルバを見て、思わず中身を訊いた。
「これは?」
顔を見て聞いたところ、目が開けたら分かる、と告げる。エレナは座り込んで、結び目を解いていく。解けた風呂敷の端を大胆に広げるとそこには。
「あ!」
炎のような赤い刃と深い緑色の刃が一対となった二本の剣。素材はかの有名な飛竜、また、飛竜の代名詞ともいわれる雄火竜と雌火竜を基調としている。入手困難な火竜の骨髄が発生させる火はかなり強力とされている。そこら辺の初心者が扱うような安物ではない。エレナも双剣使いを目指し始めてからの憧れの代物だった。
いつかはこの手で握りたいと思っていた宝物のような存在。それが目の前にあるとなると、自我で止められるような興奮ではない。
「ツインフレイム!」
無意識の中で声が出ていた。心の底から湧き上がる歓喜に打ち震え、脳裏を何かが揺らめく。
頭の中で分かっていても言葉が止まらず、飛び出した。
「で、でも……こんなに良い物」
「気にしなくとも良い。老人の勝手な世話じゃ」
「~~っ! ありがとうございますっ!」
率直な心のこもった礼と予想以上の喜び様に不思議と笑顔がこぼれる。まるで、孫娘の誕生日を迎えたようなそんな気分だ。
老いてゆくにつれて、悲観的な思想が増えていたが、こういう経験も悪くないと思えた。
そして、まだ続く朗報を聞いた時の反応に期待が募る。喜色を含んだ声でジルバは話を続けた。
「早速、使ってみたいじゃろ?」
深い喜びに浸り過ぎて、声が出ず、頭を大きく何度も縦に振った。その言葉をそのまま受け取ると、それは全面的な、主体的な肯定だ。
その様子に満足し、持っていた羊紙を机に叩き付けて内容を簡潔に読み上げた。
「仕事じゃ。ドスファンゴが近くの密林に出たそうじゃ。明日の朝、出発するぞ」