相変わらず容赦のない日差しが砂の海を照らす。
空は薄い青に塗りつぶされ、地は砂の色に限られている。簡素な色で出来たゴルドラ地方の一端で狩人らはひたすらに北上していた。
代わり映えのない景色を常に見回しながら努めて異変を探す。しかし、暑さを紛らわせる頼れる風は乾き切っていて殺しにかかるような日差しと喉の渇きに体力が削られていく。
砂漠に来るのが初めてでどんなものか、と密かに期待を膨らませていたエレナも普段の活力を発揮できないでいる。それはエレナに限らずジルバも同様であった。衰えた老体は過酷な環境に悲鳴を上げ、いつも以上の負担に襲われる。
過酷な環境な上に事態は難航している。不安と熱気だけが大仰に感じられる。見つけた異変といえば、遠方を走り抜けるゲネポスの群体ぐらいである。
そんな時だった。突然、ジルバが竜車を止め、慌てて席から飛び降りた。ハッとした三人も期待を胸に勢いよくジルバの後を追い駆けた。
「これって……」
ジルバが砂の中から引っ張り出したのは暗い緑色の羽織。皆の顔が青ざめたのはその羽織が破れていたからではない。
大きな真っ赤の染みが、それは論ずるまでもなくミラの血液で更に大量に染み込んでいた。
無意識にジルバの拳が握りしめられ、血塗れの羽織にしわが寄る。
黙って悲しんでいる訳にはいかない。ジルバは血塗れの羽織を強く握ったまま辺りに視線を配った。そして何かを見つけると砂を飛ばしながら小走りでそれに近寄った。
地中から飛び出した奇怪な植物、サボテンを篭手で触りながら遠方を見やる。後ろから覗いてきたエレナが切り落とされたサボテンと本体の切り口を見ながら疑問を零した。
「何ですか、それ?」
「恐らくミラが水分を得るために切ったものじゃろう。サボテンは多く水分を含んでおるからな。そして……この切り落としたサボテンは行先じゃな。この方角……そう遠くはない筈じゃ」
「じゃあ、あの岩山が……」
「間違いない」
陽炎を背にぼんやりと浮かぶシルエット。日差しを防ぐ為、若しくは敵影から逃れる為。
消えかけていた希望を掴んだ。離さぬという意志がジルバの拳に犇々とあらわれる。
遠方の、砂漠にぽつりと立つ岩山。寂しげに映る砂漠の根城で待つのは果たして命を抱きかかえた生存者か、それとも蝿に集られる干からびた屍か。
◆ ◆ ◆
息遣いと風が砂を舞い上げる音だけが狩人らの鼓膜を振動させる。
突き出た岩の陰に身を潜め、狩人らは砂漠の根城を目の前に足を止めていた。
ジルバが覗く双眼鏡は恐懼の遠景を取り込んでくる。岩山を囲む無数の影は砂漠の保護色となる鱗で身を包む小型肉食竜、ゲネポスの群れであった。数こそ尋常ではないが、その群れの最中にまるでそこにいるのが当然とでも言うように轟竜ティガレックスが佇んでいる。
そして、彼らが囲う岩山の頂点には横たわるミラの姿がはっきりと確認できる。
生物による城郭を築いた砂漠の根城は増々、誰もが想像する城らしく変貌を遂げていた。
何時からああしているのか。何故に岩山を囲っているのか。
原因も、時の長短も議論すべき点ではない。あの頂点にいるのであろう彼女を救い出すため、意志を持って反抗する厄介な城郭となった生物たちを突破しなければならない。議論すべきはその手段だ。
「っ、どうして……こんな事に」
「くそッ……」
エレナが弱音を吐き、ハザンが苛立ちを乗せて岩を拳で叩きつける。
「ジルバさん……っ」
ハザンが急かすようにジルバの指揮を要求した。
「分かっておる。退くつもりはない」
ジルバは考察を重ね、より確実に緻密に策を練り上げる。状況が複雑かつ異例なために一歩間違えれば全滅になりかねない。
竜車に積まれた物資の数と種類を確認しながらジルバは足元の砂に鳥瞰図を描いていく。水筒を岩山に見立てその周りの砂を盛り上げて少し離れたところに小さなカラの実を四つ置いた。
「アル、特に動きはないか?」
「はい。今のところは何も……」
「そうか。よし、今から動向を説明する」
ジルバの掛け声とともに描かれた砂の鳥瞰図を四人が囲って覗いた。ジルバは鳥瞰図が表すものを三人に照らし合わせた後、遂に鳥瞰図がジルバの手によって動き出す。
「先ずエレナを先頭にワシが左、ハザンが右の三角形の陣を取る。その中央にアルを置く。分かっているとは思うが……エレナの場所が最も敵と接触することになる。……できそうか?」
「はい。絶対やってみせます」
「よし、その意気じゃ」
この陣形は狙撃手であるアルを守りつつ岩山へと到達するのを目的としている。エレナが先頭に立つのは彼女が最も小回りのきく双剣使いだからだ。常に敵と馳せ合うために太刀のようなリーチの長い武器も大振りを基本とするハンマーもこれには適さない。
四人の狩人を示す四つのカラの実がゲネポスの群れへと侵入し、ある一点で止まる。
「この辺りで轟竜と接触するに違いない。ここでアルが徹甲榴弾に轟竜に撃ち、ワシが追撃する。お主達はそのまま通り過ぎ、岩山に着いたらエレナとハザンでアルを護衛するんじゃ」
こうして四つのカラの実は水筒――岩山を示す物――の上に一つとその付近に二つと盛り上がった砂の最中に一つ置かれた状態になった。
後にジルバが群れの中を駆け回り、ゲネポス達がティガレックスの暴走に巻き込まれて空間ができる。それを利用してエレナとハザンが群れの外側へと逃げ込み、次いで群れから離れようとするジルバを援護する。
動向の流れを大まかに説明した上でジルバはもう一度、要所だけを伝えてから動きの詳細を各人に説明した。
気温が下がり始める宵まで待ちたいところだが悠長に空費している暇はない。皆が水分をとり終えて道具類を早急に確認した後。
「行くぞ」
ジルバの短い掛け声とともに乾いた空気を切り裂くように狩人達が疾走した。
駆ける道中、三つの小タル爆弾を置き去りにして――遂にエレナが双剣を振った。
血が舞う。開戦だ。
敵襲を告げる鳴き声があちこちから響き渡り、それと共に血が飛び上がる。狩人らはゲネポスの群れに大きな風穴をあけるように突き進んでいく。
ジルバは手持ちの小型ナイフで跳びかかってくるゲネポスを突き刺しながら受け流す。矢継ぎ早に現れた大きな口の顎を掌で突き上げてそのまま駆け抜ける。一寸の狂いもない洗練された体術でゲネポスを物ともしない。
ハザンは襲い掛かるゲネポスを必要最小限に斬り伏せ、時に修練の積み重ねで己の武器とした柔による受け流しで危なげなく捌く。
エレナは持前の速断力と洞察力で来る敵来る敵を双剣で切り払い、時に柄尻などで頭を叩いて全身をありとあらゆる武器に変えてゲネポスを処理していく。
間もなくして順調にゲネポス達を蹴散らしてゆく狩人らの視界にはっきりと凶悪な相貌が映る――轟竜。
「アル、今じゃ!」
駆けながら轟竜に狙いを定め、引き金を引く。撃ち出された徹甲榴弾はゲネポスの頭上を飛びながら狙い過たずティガレックスの身体に突き刺さった。
爆撃と同時、ジルバが加速し陣形から外れる。三人は息を揃えて進路を曲げ、岩山を目指す。
ジルバは戦鎚を抜き放って柄をぐっと握り、渾身の力を溜めた一撃をティガレックスの顔面に叩き込む。老人の放つ一撃とは思えない重々しい音が響き、戦鎚の面から噴いた火と叫声を引きつけながらティガレックスが頭を振り上げる。
振り返ることなく、ただ師を信ずるのみ。三人は己の役目を果たすため、次々とゲネポスを掻き分けてついに岩山の下へと駆け込んだ。
「ハッ、ハァッ……アル、上ってッ!」
「二人とも、気を付けて……っ」
「ああ、任せろ」
アルがある程度の高所まで上る間、ハザンとエレナは岩肌に張り付き、ゲネポスの波を押さえ込まなければならない。
澄んだ気合の声とともにエレナが先方の二頭を斬り付ける。エレナの気迫に動揺したゲネポスの喉元を逃さず突き刺し、引き抜く動作のまま自分の後方にいるゲネポスを切り裂く。
が、手応えが薄かった。浅い傷に怯まずにゲネポスがエレナへと牙を剥く。
「ッ……!」
体内に侵入したら最期、死まで一貫の麻痺毒を想像してエレナの顔が青ざめる。
牙がエレナを捉える直前でゲネポスはエレナの視界から突如消え去り、入れ替わるようにハザンが現れる。太刀に貫かれたゲネポスは酷く痙攣した後、ぐったりとしてしまった。
隣から聞こえる苦しそうな息遣いを気にかけ、尻餅をついたエレナにハザンが手を伸ばす。
「大丈夫か。無理するなよ?」
エレナはハザンの手をとった、が、しかし。
「……無理するよ。ジルバさんに絶対やるって言ったんだから。ミラちゃんを助けたいから。何が何でも……やってみせる」
「あぁ……そうだな。一気に行くぞ」
「うん!」
待ち構える飢えたゲネポス達。ハザンは斬破刀を、エレナは
ハザンとエレナの援助が巧妙だったのも勿論のことだが、ゲネポスやティガレックスがあの場から離れようとしないのでジルバは思っていた以上に簡単に群れの中から抜け出せることができた。
群れから距離を離すとゲネポス達は突然、興味を失ったかのように定位置に戻っていく。そして、まるで祭壇に集う人間達のように岩山を崇拝するがごとくじっと中央を見つめる。
何とも不思議な光景に違和感を覚えつつ一先ず、作戦の一段階が成功したことに安堵する。しかし、それも束の間、アルが放つ信号弾の色によってミラの生死、若しくは容態が決定付けられるのだから不安と期待が止まらない。
突然、岩山の頂点から空へと放たれた緑。アルが打ち上げた信号弾だ。
それは生きている――が、生命に関わる重傷であると告げていた。
さて、問題はここからだ。間違いなく長期戦が予想される。ゲネポスの数は手負いも含めて五十は超えている。この分厚いゲネポスの壁を排除せねば一人の重傷者を抱えて抜け出すことは先ず不可能だ。
ならば数を減らす必要がある。効率よく減らそうとするのなら、群れの中を駆け回りティガレックスに暴れてもらうのが定石だ、とジルバは考えた。
その為に三人が其々、散開して群れの中を駆け回る訳だが、それはつまり、一寸の失敗も許されないことを意味する。完全に孤立した人間が群れの真っただ中でミスを犯せば瞬く間にゲネポスの食餌となるだろう。
ハザンと、特にエレナには過ぎた重荷だ。無論、技量も経験も足りていない。しかし、やらねばなるまい。ミラの生存率は今もなお下がっているのだ。
十分な休憩と水分補給を済ませて作戦は第二段階へと入る。