ドンドルマとジォ・ワンドレオを繋ぐ大きな街道を悠々と駆ける馬車。
ガタガタと不規則に揺れるリズムを楽しみながら金髪の幼女、エレナは父であるローランの腕の中から雄大な自然を眺めていた。
商人らの都合で出発の日程が早まり、何やら約束を果たせなかったエレナは今朝から機嫌を損ねていた。だが、野鳥の群れやら自然の花の園やら多種多様、大小様々な景色に目を輝かせ、気づけば笑顔を見せるようになっていた。
やがて、馬車は平原を駆け切って野鳥たちの鳴く声が飛び交う樹林へと入っていった。
エレナが興味あるものを指差すたびに周りの大人たちが可愛がるように応え、大らかな笑い声を充満させながらゆく平和で愉快な帰郷――の筈だった。
異変はエレナが指差した物からだった。
不自然に折れ曲がった大木。狩人としての本能がローランに胸騒ぎを起こし、エレナを妻フェリアに預けると双眼鏡を覗いてその細部を見た。
無残に引き裂かれた正体も分からぬ屍。折れ曲がった大木が強引に捻じ曲げられたような痕がある。
「何だ……?」
夫の顔色を窺うフェリアが無邪気に遊ぶエレナを抱えたまま寄り添う。
「どうしたの?」
「なにか胸騒ぎがするんだ……」
ローランが狩猟に使用する道具類を確認し始めた時だった。突然、辺りの野鳥が一斉に飛び立ち、何も語らなかった樹林が騒めき出す。
瞬く間に辺りからは生命の気配が消え去り、重くのしかかるような空気が支配した。それを僅かながらに感じる商人ら一般人と鋭敏に感じ取るローランの様子には見て取れるほどの差がある。商人らは恐怖を、ローランは――死期を感じていた。
何かを悟ったローランは突然、馬車の後方に下ろされた幕を開いた。
「な、何だアイツは!?」
「クソッ――」
黄金の体毛と側頭部から生える一対の角は正しく鬼のごとき獣。
筋肉質の後ろ脚を凌駕する剛腕な前脚で地を捉え、澄んだ水色の眼が確りとこちらを睨んでいる。
「――金獅子、ラージャンか」
ローランは静かに双剣を引き抜くとその刃をしかと凝視した。その様子を見逃さなったフェリアが驚いて声をあげる。
「ローラン、ダメッ!」
「心配するな、フェリア。全部俺に任せろ」
ローランは剣を佩くと商人らのリーダーにぼそりと何かを呟いた。
「お父さん、どこ行くの?」
飛び降りようとしたローランの決意が大きく揺らぐ。ぐっと歯を食いしばったローランは一旦心を落ち着かせると心配する我が子の方へと振り返った。
「元気に育つんだぞ。エレナ」
泣き叫ぶ母親。怪物へと駆けてゆく父の背中。
記憶の最後に残ったのは母の啜り泣く声だけだった。
◆ ◆ ◆
「――……あ」
目が覚めるとそこはゲリョスの狩猟クエストを終えた後の帰路の最中だった。
先ほどの自分と同様に眠るアルの隣で静かに遠くを見るジルバ。ハザンは皆が剥ぎ取ったゲリョスの素材を整理している。
この辺の景色は見慣れている。もう間もなくジャンボ村に到着するだろう。
エレナはまだ眠たい目を擦ってから徐々に蘇ってきた記憶にハッとする。慌ててもう一度、皆の姿を見てみると明らかに傷や汚れが目立っていた。
何も今日の所為だけではない。最近の調子はずっとこんな感じだった。結果としてクエストは達成されるのだが、制限時間まで残り僅かのところだったり危険な場面が何度も見られたり、と過程は最悪だった。
原因はただ一つ。皆の気持ちが擦れ違っているがために。
皆は平然を取り繕っているものの、周りから見ても分かるぐらい欠けているところがあった。それは取り繕うとしているが故の、言い換えるなら本音を隠し虚偽で自分たちを押し固めようとしている。
全てはジルバの発言から始まったものだった。全員があの事を内心に引きずったままいつか心の中から抹消するのを待っている。
(ああ……嫌だなぁ)
結局、何時になっても会話は聞こえず、ギルドが手配した馬車は無事ジャンボ村に到着した。
しかし、待っていたのは温かな村人の迎えではなく、見知らぬ書士隊の事務的な言葉だった。
「どうも初めまして。私、書士隊のメージです」
◆ ◆ ◆
クエストの後処理を終えた四人は休憩することなくジルバの邸に集まった。
一対のソファには年老いた狩人と若い糸目の男が腰かけ、ジルバの後ろにはアル、ハザン、エレナが立ち並び、メージの後ろには一人のギルドナイトと書士隊員が背筋を伸ばして立っていた。
茶髪の男、メージは冷ややかな雰囲気を纏い、細い目から瞳は窺えず、何か得体のしれぬ謎を孕んでいる。まるで吐き出される言葉の一つ一つが嘘で塗り固められているような。
その様子はさながら軍国会議のようで殺伐とした空気を孕んでいた。
先ずメージが用件を話し始めた。狩人側はこれに意見を挟まず聞きに徹する。
「簡単に纏めますと……前任であるミラ二等書記官は再びポッケ村へ戻ることになりました。そして後任として私が参った、ということです」
「納得いかんな……突然、クシャルダオラの調査として書士隊員が送られ、今度はワシらの意見も聞かずに交代。ここはお主らの庭ではないぞ」
「大変申し訳なく思っています。ですが、こちらにも事情があることを考慮していただき、どうか寛容な心を持っていただきたい」
「事情の詳細は話さぬつもりか?」
「私はただの伝言役にすぎませんので何とも……」
「ワシに探られるとよほど都合の悪いことがあるらしいの?」
「さあ? どうでしょう?」
まるで、双方が言葉による不可視な攻防の応酬をしているようだった。
「そうじゃのう。これはワシの見解だが、先ずお主達は何か知られたくない事がある。それもこの辺一帯に深く関係するらしい。それを知ってしまった書士隊員が密告する可能性があり、口封じをせねばならなくなった。つまり、遠くに追いやる必要があった……いや、違うな。ワシがお主達の立場ならそんな面倒くさいことはせん。そうじゃな、例えば……」
真相が、ジルバの確信的な言葉の一つ一つが、この場にいる者達に戦慄を走らせる。
殺伐とした空気が更に緊張感を増し、ジルバは座ったまま威迫するように上半身を乗り出した。
「ポッケ村へ向かう道中で不慮の事故に遭わせる、とかのう」
背中が凍ったようにゾクッとして張り詰められた緊張感は限界を通り越した。
「貴様……ッ!」
刹那、冷たい殺気が室内を支配し、鞘鳴りが二つして総員が争乱を予期する。
「慎め、ビーコード……」
「しかし、この者はメージ様に無知たる侮辱をッ……!」
「力量を見極めよ、と言っているのです。貴方のような二流に適う相手ではないのですよ」
「ッ……」
ビーコードと呼ばれたギルドナイトの男は抜きかけた剣を鞘に戻すと、その粛然とした格好と雰囲気に似合わぬ下品な舌打ちをして落ち着いた。
ただ漏れの殺気は一切衰えておらず鋭く執拗な視線は依然としてジルバに向けられている。
「ハザン。それは御法度じゃろう?」
「すみません。つい……」
「いや……良く反応してくれた」
大人しく太刀の柄から手を離したハザンが静かに姿勢を正す。しかし、彼もまた気迫だけは殺し切れずに全身の筋肉はいつでも動き出せるように準備をしている。
傍で早鐘を打つ胸を押さえるエレナと目を白黒させるアルも落ち着き、室内の空気が安定し始めた頃合い、メージが口を開いた。
「これほど疑われているとは……分かりました。ミラ二等書記官の無事を確認したいのですね?」
「そうじゃ」
「分かりました。しかし、無事が確認できればこれから先は私達に従ってもらいます」
「うむ」
険悪な話し合いは争い無く終息し、多くの問題を抱えたまま一夜が明け、今朝方、狩人一行は北の大地へと向けて出発した。
◆ ◆ ◆
ジャンボ村から北上し、街道を進み、グロムバオム村を中継して狩人達はゴルドラ地方へと入っていた。
大陸の中央部に位置するゴルドラ地方の南側は山脈に阻まれ、ジャンボ村とポッケ村の直線上を塞いでいる。少し東側から迂回すれば山脈を超える必要がなく、また砂漠を越える必要もないが街道が走っていない。
対して西側は街道が施され、砂漠を越える必要があるもののある程度、便利な環境を進むことができる。ゆえにゴルドラ地方を縦断してポッケ村へ向かう進路が一般的である。
ジャンボ村に雇われていた三人のハンターが護衛し、ミラが同乗する馬車もその進路を辿っている。
刻限は迫っていた。
彼らがミラを消そうとするならば、先ず人目のつかぬ場所を選ぶ。つまり、辺境――更に言うと砂漠で事が行われる可能性が高い。砂漠と平原、密林を比べても砂漠の生存率は極めて低い。
こうして必然的に一行は砂漠を入念な捜索を交えながら進むこととなった。
しかし、ジルバを除く三人は大きな疑問があった。出来事の根底にあるジルバの推測は果たして真実と一致するのだろうか、と。
その疑問は砂漠に入る手前でジルバの説明で溶けて無くなるのだった。
「まだワシが仕事に復帰してない時じゃった。ミラが訪ねてきての、全てを打ち明けたんじゃ。ジャンボ村に来たのはワシ達に隠し事が知られぬように監視するため。それと奴らにイャンクックの観察を任されたらしい」
「イャンクック……?」
聞こえたモンスターの名を起因にエレナが襲われた記憶を思い出す。
「そう、エレナが村に来たばかりのころに襲ってきた、あのイャンクックじゃな。さてここからは推測だが、奴らはイャンクックに何かを施した。その何かがイャンクックに異変を起こし、それを感じたクシャルダオラが現れた」
「じゃあ、最近のおかしな出来事は全部、あの人たちが?」
不安げにアルが尋ねた。ジルバはあっさりと返事をする。
「そうなるのう」
「そんな人達をジャンボ村に残したままにしたら危なくないですか……?」
不安だった事をアルが尋ね、ハッとしたエレナとハザンがジルバの顔を窺う。
「それについては心配いらん。すでに村長に話を通して村の者達には警戒をしてもらっているし、ワシの知り合いが商人に紛れてジャンボ村に移住して奴らを監視している」
ジルバの入念な対策を聞いて三人はホッと胸を撫で下ろした。いつも世話になっている大切な村の人達に危害を加えるわけにはいかない。そのための
ジルバの説明は確信的で徐々にミラの危険が現実味を帯びてきた。事実、彼女はこちら側に付き、密告したのだから。そして、現在、彼女の姿がジャンボ村にないのだから。
間もなくして広大な乾き切った土地が見えてきて、やがて、竜車の車輪は砂の上のみを転がり始めた。
過酷な環境を身に染みて感じると同時、緑のない不毛な大地を見渡して改めて狩人達は感じる。彼女の命が遠退いているのを。二度と返らぬものとなりかけていることを。
彼女が出立してからすでに八日が経過している。時は刻々と流れてゆく。
残された時間は少ないだろう。