モンスターハンター 老年の狼   作:まるまる

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其の肆

 イャンクックの襲来と護衛を担うハザンの負傷により隊員たちに剣呑な空気が流れたが、それは時間とともに治まりつつあった。

 今となっては気を引き締め直すという意味で良い風向きになっている。しかし、ハザンの欠落は調査の続行を危ぶまれるほどの損害だった。場の指揮権を任されたアルはこういった場面においての経験が浅い。

 大きな樹木や岩が点在する場を第二野営地と決め、侵入経路を三方向にまで絞った。またその内の二方向に簡易的なトラップを仕掛け、大きな音によって侵入者を追い払いかつ侵入を感知する。残りの一方向は二人一組の監視役を交代で設けた。

 この状況に関しての経験は浅いが、狩り場で起こる不測の事態に対処できる実践的な心と知識をアルは身につけている。アルは知識の提供者であるジルバに感謝しつつとりあえず場の空気が安息に収束されたことに安堵した。

 残った不安はハザンのことだけである。警戒を怠らずハザンが眠っているテントに視線を送った。あそこには食い気味に看護を申し出たミラがいる。それにしても無表情を貫き通していたミラが見せたハザンを心配する表情には心底驚いた。彼を必死に背負って来た時なんかは別人を見ているみたいだった。

 

「たぶん、大丈夫だ……」

 

 そう思った。きっと彼女が真剣に看てくれている。アルはそう確信できるほどの想いをミラから受け取っていた。

 

 

 

 ガラスに取り囲まれた炎の灯りに誘われて幾つかの虫が飛び交う。

 少し狭いテントには眠ったままのハザンとミラの二人だけだった。 包帯で巻かれた彼の額からは血が染みだし、傷の酷さが窺える。依然として苦しそうな寝顔を見るたびに何故だか胸に痛みを感じた。

 ミラは自分の胸にそっと手を寄せて痛みの源を探るが、原因は分からぬまま再び彼の苦しそうな寝顔を見つめた。

 ふと頭に過ぎったのは彼の言いかけた言葉。

 

『もしも、だ。俺がアンタの大切な――』

 

 彼は何を言おうとしていたのだろう。些細なことだった。ふと気になっただけの言葉は何度も頭の中で再生されて徐々に思考を埋め尽くす。

 こんな症状は初めてだ。知識を貪欲に知りたいと思った事はあるが、現状ほどではない。

 

(貴方は何を言おうとしたの……?)

 

 彼はいつも不可解な事を言う。そしてそれがどうしても気になってしまう。

 自分は知らないことばかりだ。周りと自分の本質が違っているのは重々分かっていた。しかしその原因を追究しようとは微塵も思わなかった。だが、今となってはそればかりが思考を駆け回る。

 きっとそれは心の陰に眠ってしまった人間だった頃のものが藻掻いて足掻きまくっているのだろう。自分に思い出してもらう為に。

 しかしそれを良しと思わない引っ掛かり(・・・・・)がある。一種の自己防衛なのかもしれない。そんな無意識の中で起こる葛藤が思考を奪うのだろう。

 

(――知りたい)

 

 ミラは胸に手を当てそう願った。

 そこに確かに持っていた沢山の豊かな感情を。人と接したいと思う心や誰かを思いやる心がここにあったはずなのだ。

 きっとそれを思い出した時、自分の知らない温かい世界があるのだろう。大事なものがあるのだろう。

 

(私は貴方を知りたい。そして、自分を知りたい)

 

 ミラがそう改めて決心したその時だった。

 平穏な夜営地に無情に警鐘が鳴る。アルが施した罠が作動したのだ。

 ミラは慌ててテントから飛び出し、音の鳴る方を確かめる。東側の罠が喚いている。飛び起きた古龍観測隊の人達が目を大きく開けて次々とテントから飛び出してきた。

 瞬く間に夜営地に殺伐とした空気が戻り、皆が寝不足と度重なる不幸を嘆く最中、的確な指示を飛ばしながら走る人影があった――アルだ。

 

「皆さん、荷物を早急にまとめてください。最悪の場合、ここを放棄します!」

 

 自分達よりも年下の彼に劣るわけにはいかない。大人たちは平常心を取り戻し、荷物の整理に努めた。

 それを確認しながら次々と鳴る音を聞き、激しい焦燥に駆られる。音の数からして多数の敵影であることは間違いない。

 さて、随分と数奇な運命を辿っているようだ。まるで、知能に優れた第三者に仕組まれているように思えてならない。アルは唯の自分達の不運を何か別のものにすり替えたいだけだろう、と思い思考を切り替えた。

 走る足と防具の擦れる音に混じって敵影の足音が聞こえてくる。予想以上に多い。正体は見なくとも分かる。

 

「っ……多い」

 

 即時に数えて十頭はいると判断。銃声で夜の密林を覚醒させる訳にはいかず片手剣を抜刀。先兵を見分けて疾駆。

 激突の直前で急停止し、盾で殴りつけて先制を浴びせる。そのまま真横を通り過ぎてもう一頭に斬撃を繰り出した。

 アルが斬撃で怯んだランポスに止めの一撃を食らわせたちょうどその時だった。二頭がそのまますぐ傍をあっという間に駆け抜けていった。

 

「なっ……!?」

 

 様子が、おかしい。脳を揺らがせて足止めしたランポスは覚束ない足取りで夜営地の方へと漸進する。それはまるで、命令のみを果たそうとする機械のようだ。

 他のランポス達もそうだ。端からアルのことなど見えていなかったように次々と夜営地の方へと駆けていく。

 

「っ、どうしてッ……」

 

 原因も分からず真横を駆け抜けようとするランポスを斬り付けていく。四頭を仕留めたが、六頭も侵入を許してしまった。

 急いで来た道を駆け出す。ランポス達の不可解な行動を納得させてくれる知識は持ち合わせておらず、アルは厳しい現状に表情を歪ませる。

 ランポスの喚き声と人間の悲鳴が同時に鼓膜を打つ。焦る気持ちを抑えられず息は自然と荒くなる。

 

「そんな……っ」

 

 酷い地獄を見ているようだった。

 二人一組で監視を置いていた方向からも数頭のランポスが雪崩れ込み、夜営地は肉に飢えた獣たちによる窮境と化していた。

 絶望に打ちひしがれる暇もなく、アルは間近で腕を噛み千切られそうになっている隊員の救出に走る。腕の肉に夢中なランポスの顎の筋肉を切り裂いて蹴り飛ばす。怯んだ隙に飛びかかって喉を突き刺し、絶命させた。

 

「あぐぅぁ……くそぉ、痛でぇ゛」

「っ……あそこに大きな岩があります。そこに上ってください!」

 

 腕の痛みに耐えながら血を垂らして隊員が走っていく。その背中に痛ましい視線を送る猶予もなく、夜営地の中心へと駆け急いだ。

 テントを覗く二頭のランポス。アルは息せき切ってランポスの背後から肉薄していく。

 尻込みする隊員二人は逃れられない窮地に様々な死の想像を頭に掻き回して狂ったように喚く。

 閃く銀の線。急所から弾け飛ぶ血液がテントと男の泣き顔に飛び散った。斃れ込んだランポスの奥から現れたアルが剣を納め、男二人に手を差し伸べる。

 

「大丈夫ですか?」

「あ、ありがとう。助かったよ」

 

 死線を退けた実感が湧かないのか男二人は目を丸くしたまま立ち上がった。先ほどの男と同様に岩を登るように指示し、男達はまだ震えが止まらない足に鞭を入れて駆けていった。

 再び痛々しい悲鳴が木霊する。アルは苦悶の表情を浮かべて声のした方向を見やった。

 

「ッ、急がないと……」

 

 テントの合間を駆け抜ける最中、辺りに視線を配ったが生物の気配がない。人も、ランポスも。

 悲鳴が止んだ――心臓が跳ね上がる。

 テントの奥。その先に待つ景色は果たして、血を流し斃れるランポスが数頭と太刀を握る人影。

 

「ハザン君……」

「アルか。どうやら全部片付いたみたいだな」

「良かった……」

 

 防具を身に付けず、身体中に血の滲んだ包帯を巻いたハザンは両の手で握る太刀のみで五頭ほどのランポスを屠っていた。

 ハザンの後ろにはミラと残りの隊員たちが団子になって固まっている。見る限り負傷者はいないらしい。

 

「それにしてもコイツら、一体どうしたんだ?」

 

 血の海に沈むランポス達を見下ろしてハザンが怪訝そうに呟いた。

 

「分からない。夜行性でもない彼らがこんなに大胆に動くのは有り得ないし、そもそもこの辺りはクシャルダオラの影響でモンスターが少ないはずなんだ」

「ああ……それに様子がおかしかった」

「何だろう……胸騒ぎがする。僕たちの知らないところで何かが起きているみたいだ」

 

 狩人たちは空に広がった星々を無意識に見上げた。

 見えざる恐怖を星空の壮大さで紛らわすように。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 ジャンボ村には相変わらず一際目立つ邸が平屋を従属させるように建っている。

 必ず安静という条件で退院したジルバは老人とは思えない回復力を見せていた。まるで、人という生き物が狩人として生きるべく進化したような現象だった。これには医者も驚きを隠せないといった様子だった。

 しかし、全快には至らず、後二週間は狩場へ赴くことを禁じられていた。これでも最大限に切り詰めての診断だ、と言葉を付け足した医者は呆れ顔だった。

 そんな医者の顔を思い出しながらジルバは来るはずの客を待ち詫びていた。

 温かい珈琲を口に含みながら古流観測隊が作成した書類を読み進める。現状ではほとんどの項目が不明であり、その情報に需要がないに等しいがこの退屈な日々を埋めるには十分だった。

 クシャルダオラが現れた原因の仮説を綴った欄に目を通し、時に感嘆し時に失笑しながら全部を読み終えた。

 書類を机に投げ出して珈琲を飲み終え、窓の景色に視線を当てた。

 

「お……帰ってきたみたいじゃな」

 

 大猪ドスファンゴの狩猟を単身で受けたエレナが受付嬢とのやり取りを終えて帰ってきた。手に握った金袋と明るい表情を見ればクエストの結果は聞くまでもないだろう。

 まだクシャルダオラが現れる前、ドスファンゴの狩猟に出かけた時は見間違えるほどに成長した弟子。我が子の成長を見ているようで、過去が脳裏に舞い戻ってきて悲しくて苦しくなる。

 

(もう誰も死なせたりせんぞ……)

 

 

 

 陽光が差し込む邸の広い一室。しんと静まり返る室内の中央にはいつもの防具に身を包むジルバとエレナが相対して立っている。

 エレナは二本の、ちょうどツインフレイムの形状に似た木刀を握ってジルバを睨む。それは決して師匠を見る眼ではなかった。ジルバもいつも握っている戦鎚に似た木槌を両手で握り、腰を低く構えていた。

 お互いしんと静まり返った室内の空気を同調するように気配を消した。

 二人が突然室内から消えたような錯覚。

 太陽は中天を目指し、差し込む陽光が徐々に窓際に吸い寄せられていって遂には屋根が陽光を遮った。

 窓の外では雲が空を渡り、人が忙しく行き交う。

 鳥が鳴き、木の葉が散り落ち、汗が床で弾けて飛んで――エレナが弾丸のごとく駆け出した。


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