モンスターハンター 老年の狼   作:まるまる

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第九章 永別と再会
其の壱


 メルラは酷く後悔していた。

 右眼を痛々しく包帯で覆い、傷心し切った彼を見たとき心底思った。自分が彼を不幸に導いて しまった、と。

 事の発端は身体に異変を感じたことだった。医者に診てもらった結果、この命がもう長くないと知ってしまった。最愛の夫を残して逝ってしまうことを罪と感じ、またジルバが打ちひしがれて立ち上がれなくなってしまうのではないか、という不安もあった。

 そんなことはさせない。生きている間に彼には頼れる仲間をつくって欲しい。そして、自分がこの世を去った時、彼を支えてくれる柱になって欲しい。

 そんな願いを込めて少し強引にジルバに隊を組ませた。その結果、尊い三つの命が失われ、ジルバにあの絶望と喪失感をまた背負わせてしまった。

 神に見放されたジルバは悪魔の手を取って修羅と化してしまった。

 壊れた防具を直すべく幾度と狩り場に身を投じ、単身で何もかもを蹂躙してきた。この費やした三か月は全て憎きリオレウスを殺すため。

 決意の光を瞳に湛え玄関で拳を握りしめたジルバを複雑な思いで見つめる。

 

「気を付けてね」

「ああ」

 

 ジルバに辛い思いをさせてしまった自分には彼を呼び止める資格はない、と。

 ――黙って見送ろうと決めたのに。

 

「四日後には帰ってくるんだよね?」

「ああ」

 

 心ここにあらずといった様子でジルバが短く返事をする。

 ――死ぬのが怖い。

 

「これ、作ったの。今日のお昼に食べてね」

「分かった」

 

 メルラが、真情を込めてつくった握り飯を竹皮に包んでジルバに震える手で渡す。

 ――隣にいて、助けて。

 

「じゃあ、行ってくる」

 

 ジルバがドアノブに手をかけた。

 心の底に押し込んだ思いが喉までせり上がる。

 ――待って。

 

「いってらっしゃい」

 

 ――行かないで。

 扉が開き、閉まる音が家内に虚しく鳴り響く。

 同時にメルラは崩れ落ち、押し込んでいた涙が止めどなく溢れてくる。しかし、お腹を押さえて涙を流すメルラに言葉をかける者はこの場に誰一人としていなかった。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 大きな穴から降りかかる陽の光を照明灯に洞窟内は結構な距離をはっきり可視できる照度だ。

 静寂に包まれた洞窟は生物の気配を感じさせず不気味さすら感じる。

 突然、差し込む陽の光を妨げて現れた影――リオレウスだ。静寂が破られ、強い風が地面に押し寄せて埃を舞い上げながらゆっくりと リオレウスが舞い降りる。

 数々の手痛い創痍を身に負いながら、行く手には平安の巣が待っている。

 リオレウスは辺りを用心深く警戒し、何度か嗅ぎ回った後、おもむろに巣へと歩き始めた。鋭い痛覚が走る度にあの憎き人間が目に浮かぶ。

 早急に傷を癒して返り討ちにしてやる。溜まり切った怒りを抑えるようにゆったりとした動作で巣に足を踏み入れ瞬間の事。

 

 足が沈み込んで巣の下部から烈しい爆然たる灼熱が噴き上がった。

 

 爆音は連鎖し、それにリオレウスの絶叫に覆い被さる。

 巣だった細木や骨やらは塵となって天高く舞い上がり、驚くべき範囲まで散らばる。

 凄まじい咆哮で洞窟の空気を震わせながら、リオレウスが黒煙から顔を出す。

 瞬刻――眼前に迫ったジルバと兜越しに目が合う。

 永遠のようなその一瞬。リオレウスは落ち着けた怒りを全身に駆け巡らせた。

 

「っがぁぁあ」

 

 途端、顔の真横から強引な力が捻じ込まれて否応なしに首が弧の軌道を描く。

 完璧な奇襲だった筈だが、リオレウスは転倒を耐え抜くどころか、筋肉を総動員させて反撃を仕掛ける。

 ジルバは底知れぬ執念を肌身に感じて驚きながら身をくの字に曲げてバックステップ。慎重に間合いを広げて戦鎚を即座に構えリオレウスを正視。ありとあらゆる危険性に対処すべく万全に備えた。

 ジルバが瞳を引き絞り、リオレウスは体を廻旋し遠心力を乗せて尻尾で薙ぎ払う。

 ジルバは両手を地面に付いて伏せ、その頭上の間近を尻尾が過ぎて、冷やりとする。 飛び起きるように立ち上がってジルバが駆け出す。

 鎬を削る長期戦に既にジルバの体力は底が見え始めていた。ならば、想像しているよりずっと出遅れているのではあるまいか――。

 その時リオレウスの蒼い眼を正視し広がる翼を見てハッとする。

 しまったと思った時には突如リオレウスが宙へと飛び上がって口から真っ赤な光が放たれる。悪寒が走り、踵で急停止。戦鎚を翳してジルバの身体が真っ赤な光に照らされる。

 

「くぅッ……!」

 

 見上げ、目を焼いてしまう様な照度の炎の奥にリオレウスを見つける。宙に浮いたまま足を武器にジルバへと接近してくる。

 鋭いバックステップと巧緻を極めた身のこなしで空中から仕掛けるリオレウスの足蹴になることなくやり過ごす。堪忍袋の緒が切れたのか、リオレウスはもう一度飛び上がると確りと体勢を整えた。十分過ぎる余裕を感じてジルバは腰のポーチに手を伸ばす――が、伸ばした手が空を彷徨いハッと気づく。

 目当ての閃光玉は既に使い尽くした。時間はジルバの遅れを待ってはくれずリオレウスが大波の如く翼を広げて滑空してくる。

 

「ちぃっ……」

 

 押し寄せるリオレウス。ジルバは己の失敗に強く舌打ちして走り出す。

 大きく跳ぶもリオレウスの翼に巻き込まれてジルバの脳を激痛が焼く。体が動力学の法則に従って地面を激しく転がり止まる。

 苦しんでいる暇はない。脳では分かってはいるが、体が動かない。

 首だけを動かしてリオレウスの動向を探る。足の裏で地面を削っている。非常にその先が読みやすいが、それに対処する術がない。

 ジルバは顔を苦渋の色に染めて地面と身体を突き放すように腕を伸ばした。しかし、人間の脆い身体は意に反して再び倒れ込んでしまう。

 地面から聞こえる地響き。リオレウスが走り始めたのを察し、ジルバが視線を移す。迫る巨躯、巻き込まれ踏み潰されれば即死なのは言うまでもない。

 

「せめて、直撃を――ッ!」

 

 立つ事は叶わず、しかし、地面を足で蹴って致命傷のみを避ける。咄嗟に戦鎚をリオレウスとの間に割り込んだのは正解だった。まるで、そう、一角竜モノブロスが角で敵を打ち上げる動作――それに激似した動作でリオレウスはジルバを宙へと舞い上げた。

 気持ち悪い浮遊感。転じて自由落下。激しい衝撃が背中を打って肺にあった空気をせり上げる。それと同時に少量の唾液が噴きあがった。

 ジルバは痛みを訴えるように空気を吐き出し悶える。声を出そうにも呼吸さえ難しい。

 天井に穿たれた穴。覗くのは鬱陶しいほどに澄み切った青空。見ているだけで糞やろう、そんな餓鬼染みた言葉を漏らしたくなる。

 途端、何もかもがどうでも良くなった気がした。頑張っている理由が、動機が分からなくなった。

 

「もう――死んでも良いか?」

 

 誰に問うた訳でもない。無論、周りには誰一人としてその質問に答える者はいない。

 リオレウスの口元に空気が集う。溜め込んだ息を炎と共に放つ。

 迫り来る炎。それは死と同義。

 視界が真っ赤に染まる。それはやがて、深淵の影のように真っ黒に変色していった。

 

 ――このまま焼かれて燃え落ちる灰になってしまうのも悪くなかった(・・・・)

 

 しかし、頭を過ぎるのだ。死への本能的な恐怖が。潔く死ぬなんて出来る訳がない。幾千も死と触れ合おうとも、熟練の狩人であろうとも、死に対する恐怖は普遍の人間と大差ない。それに近いか遠いか、それだけのことだった。

 ゆえに怖い。死ぬのが怖い。

 それ以上にこの世に唯二人残してはいけぬ者がいる。死に足掻く理由はそれだけで十分だった。

 

「がああああぁぁぁぁ――ッ!」

 

 猛火を戦鎚が突き抜いて、ジルバが火焔地獄に包まれる。炎々と燃える猛火に足を踏み込んで体を注ぎ込んだ。

 駆け抜ける。閃火を尾のように引いてジルバが火焔地獄を突破した。

  左手を水平に払い投げられたのは音爆弾。加速し続け音爆弾が炸裂すると同時に懐に潜入。ナイフを空いた左手に戦鎚は右手に。

 ナイフで脆くなった鱗を引き剥がし足の筋肉に突き入れる。踏み込み、構え、狙いをナイフの柄尻の一点に絞って戦鎚を叩き込む。計り知れぬ圧力がナイフの先端から放たれて肉と骨と血を穿った。

 喘ぎ苦しむリオレウスは当然の如く横倒しになる。リオレウスの頭へと駆けつけるジルバの速度はまるで韋駄天の如く。

 全身から殺意を放ち、注ぎ込まれた戦鎚はリオレウスの頭を――

 

 ――穿った。そう、字の如く。

 

 この日、誰もが恐れ憧れた伝説が蘇る。狩りに生きる者達から畏敬賛美を集め、孤高の頂きに登りつめた者。

 名をジルバと呼び、異名を黒狼と称す。絶対不敗の、無双の覇者。

 彼は異形と化した未知のリオレウスの頭を見事に叩き潰した、と。

 

 

 

 

 ――復讐を成し遂げた時、達成感ではなく貴女の顔が浮かんだ。

 ――死期を目前にした時、親の顔ではなく貴方の顔が浮かんだ。

 ――長い間、置き去りにしてすまなかった。 

 ――貴方を残して逝くことを許してください。

 

 ――今すぐ帰って貴女に会いたい。

 ――もう一度だけ貴方に会いたかった。

 ――これからも愛しています。

 ――ずっと愛していました。

 

 ――ごめんなさい。

 

 

 

 

 ――ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――さようなら。

 

 

 

 温かな家族が待っている筈の自宅に誰もいなかった時、無知の男は全てを知る。

 ジルバは本当の孤独を知ったのだ。


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