拠点を出て早速、西と東にそれぞれ分かれて探索することになって一時間。
リンドがそれを見つけた時、最初に感じたのは違和感だった。
リオレウスの見慣れた赤い甲殻は禍々しさを増して赤黒く変色している。
それだけではない。次に目に飛び込んできた光景、これが衝撃的だった。黒焦げになった体や腕や足を食い千切られたハンターの姿があった。周辺には折れた大剣やガンランスの砕片が散開している。落ちている物の数からして人数は二人だろうか。
リンドから血の気が失せて、後ろからついて来るアウロラとピットに制止を促す。二人にこの光景を見せる訳にはいかない、という咄嗟の判断だった。
再度、リオレウスに目を向ける。返り血による変色では説明できない姿、リンドの脳裏に浮かんだのは突然変異種の単語だった。
しかし、その姿をリンドは知らなかった。色が蒼や金に変異するのは聞いたことがあるが、赤黒く変わるのは聞いたことがない。
違和感はそれに留まらない。なんとリオレウスは苦しそうに岩肌に何度も頭をぶつけているのだ。
あまりの異観にリンドは見入ってしまっていた。不安に思ったアウロラが顔を覗かせる。
「どうした、の――ひっ……!」
リオレウスがこちらに気づくのにそう時間はかからなかった。岩肌を睨んでいた兇悪な双眸がこちらを向く。
「っ、クソ」
リオレウスを発見次第、別行動を取っているジルバと合流する手筈だった。しかし、この状況で背を向けるのは得策とはいえない。
リンドは意を決し、大剣の柄に手をかけた。緊急事態を察したピットは信号弾を上空に放ち、ジルバへ情報を伝えた後、ペイント弾をリオレウスへ撃ち込んだ。
勇敢に駆け出したリンドが三人で狩りをしていた頃のように指示を送る。
「先生が来るまで持ちこたえるぞ!」
地響きを立てて吼えながらリオレウスが迫る。身をよじりリオレウスとの間に大剣を構えて直撃を避けつつ受け流す。しっかりと体勢を整え、カッと目を見開いたリンドが大剣を振るう。
尾を捉えた大剣は鈍い音を響かせながら弾かれる。当たり所が悪かったのか、リンドは舌打ちしながらアウロラへと視線を送る。
アウロラは黒狼鳥イャンガルルガの甲殻を用いた片手剣、ツルギ【鳥】を抜き放つ。勢い余った突進力をそのままに駆け抜けるリオレウスを正面衝突の間際で横っ飛びに転がって避けた。
リオレウスが急停止。その隙を狙おう、と背後からアウロラが走り込む。
「駄目だ! アウロラ!」
焦りを孕んだリンドの叫び声にハッとしたアウロラが身を投げ出すようにして俯けに伏せる。少し遅れて真上を尻尾が通過し、樹木がもの凄まじい勢いで叩き折られて吹き飛んだ。
尻尾と自分が交差する映像を描き、ゾッとする。アウロラは急いで距離を置いた。
すぐさまリンドが駆けつけ、アウロラの傍につく。大事でない状況は瞭然だが、リンドは心配せずにはいられなかった。
「怪我してないか!?」
「平気……それよりあのリオレウス……」
「ああ、明らかにおかしいな。何をするか分からない……防戦に徹しよう」
「そうね」
大体の動きを共有、把握してからリンドが射撃準備に取りかかり終えたピットに指示を飛ばす。
茶色い角笛を取り出し、息を吹き込む。途端に重たい音色が鳴り渡って狩人たちの鼓膜を刺激した。
硬化笛、彼が吹いた角笛はそう呼ばれている。用途は名の通りでその特殊な音によって人体のみに作用し、痛覚を鈍くしたり、また加工された防具が調和して硬化したりする。端的に言って防御力が上がるのだ。
兎にも角にも攻撃を受けないことが最優先。防御力が上がると言っても目に見えるほどの変化が望める訳ではない。油断せぬようにより一層、気を引き締めなければならない。
「来るぞっ!」
重たい地響きを立てながらリオレウスが突進してくる。リンドは大剣を、アウロラは片手剣を構えて左右に跳んで回避した。
背後から牙と牙がぶつかる音を聞きながらアウロラが振り返る。
瞬く間、引っ張られるような風を感じて――
「え?」
喉の、真っ黒な闇の向こうから炎が漏れ出して、直後、一面が火焔に包まれた。
一瞬だった。 本当に瞬くだけの時間に場は炎に埋め尽くされていた。
背中から押し寄せた熱気に脳が驚いて、咄嗟にリンドが振り返る。広がった火焔のカーテンが赤黒い体躯をより一層、凶悪にさせて真っ赤に光った眼が己をしかと見る――身の毛もよだつ光景。
絶望という言葉が相応しいその光景にリンドは目が離せずにいた。
いるはずの彼女が見当たらないから。ずっと隣にいた彼女が忽然と姿を消したから。
どこかにいるのだろう、と視線を動かせて正面のリオレウスさえも視界に入れない。けれど、見えるのは眩しいほどに炎々と燃える壁で映るのはどうしても赤ばかり。
そこでリンドは気づく。きっと彼女は炎の中で悶えていて黒焦げになるのを待つばかりなのだと。
彼女が生きていると信じて疑わないのは客観的な推測ではなくて、自分の「お願いします」なのだと。
――もう何も見えない。手からするり、と大剣が落ちてゆく。
突進し、噛みつきながら火を吹く。この一連の動作を奴は一瞬で行った。
遭遇から気づくべきだった。奴は恐るべき異常なのだと。
戦意喪失したリンドを尻尾で天高く打ち上げて、どすんと死体の落ちる音がする。
幼い頃から親友だったリンドが抜け殻のように倒れている。それを平然と眺めている自分は一体何なのだろう。
貴族の束縛するような生活から抜け出したくて、豪華な衣食住を放り出して家から飛び出して血みどろの職業に辿り着いた。
幼馴染の力を借りて頂点を目指し続けた日々。心底、満足していたはずだった。いつしか、持ちかけられた話に自分を見下していた王家の奴らを見返せるのではないか、と心の片隅に欲が湧いた。
結局、自分は何をしたかったのだろうか。どこで誤ったのだろうか。
自由を失うことで得る贅沢な暮らし。十分に幸せではないか。友を失うよりも、生活に苦労するよりもよっぽど幸せではないか。
なぜ自分は家を飛び出したのだろうか――答えは簡単だ。
きっと自分は嫌いだったのだ。何もしない自分が大嫌いだったのだ。
こうして、死んでゆく友を何もせずに眺める今のような自分が大嫌いだったのだ。
視界が炎に埋め尽くされる。不思議と、熱くない。
◆ ◆ ◆
ジルバは信号弾を聞きつけて急いで駆けつけてきた。後先考えずに全速力で駆けてき たために息が荒い。
目的地の付近までやって来ても戦闘音がしないことに気がついて途端に胸騒ぎがする。
あの時の光景が目の裏に浮かんで背筋がゾッとそそけ立つ。背負われた戦鎚にかけた手は汗でびっしょりしている。動悸が激しくなり、脳の中で予感が渦巻く。気持ち悪い、吐きそうだ。
ジルバは急旋回で角を曲がり、全貌を確かめて――力が抜けて膝を突いた。
――炎と竜と屍の地獄。
目も当てられない光景が無造作に目に飛び込んできた。
これを創り上げた主はゆっくりと首をもたげ、新たな来訪者を確認する。それは抜け殻のように立て膝をつくジルバ。焦点が合わず、色を失った目は空虚を見つめていた。
「お主達まで……先に逝ってしまうのか」
力なき震えた声が空いた口から漏れだす。
三人いれば大丈夫だろうと思っていた? 三人の力を信じていた?
――違う。隣に仲間がいるのが怖かった。だから適当な理屈を並べてから別行動を促し、無意識に守る責任から逃れようとしていた。失うことが怖いから、我関せずの立場に立とうと必死だった。
嗚呼――そうか。この惨劇は自分の『逃げ』が招いたものなのか。
どすん、どすん、と徐に地響きが近づいてくる。次第に目の前に異常の二文字がお似合いのリオレウスが兇悪な顔を眼前に覗かせた。
音もなく、涎を落としながら口が開く。牙が見え、闇が見え、敵が見える。
「――!」
全身の筋肉が戻るや総動員させて思い切り跳び退く。今すべきことが薄と理解できる。
――殺さねばならない。目の前の、敵を。瞬間、足のつま先から頭頂部に至るまで殺意 と憤怒が駆けあがった。
戦鎚を抜き放ちざま踏み込んで頭の天辺から叩き落す。地面に埋め込まれたリオレウスの頭を今度は打ち上げるように殴りつける。
鈍い音と共に変形し持ち上がった頭を執拗に追い駆ける。ぐわん、と急激に振られた頭がジルバを食らわんとばかりに襲い来る。戦鎚の頭の部分で完璧に受け止めて体を軸に戦鎚を一回転させて再び頭を吹き飛ばした。
口から血を撒き散らして、リオレウスが一歩、二歩と後じさる。
重量級のハンマーを振り回すもジルバに疲労の様子は見られず、強烈な打撃を食らった筈のリオレウスもまた同じく動じていない。
真っ向から臨む両者は明白な膂力と体格の差を示しながら対等な条件下で命を賭す。
理不尽で当たり前な世界に通ずる規則の縮図。
「がああああぁぁぁぁッ!」
「グオオオオオオォォォォォッ!」
鏡に映る虚像よろしく、己の出せる最大量の声を真っ向からぶつけ合う。
鼓膜を破らんとする声が二つ。誇り高き純朴の狼が絞り出す怒号と異色に染められた狂暴の竜が解き放つ咆哮。聞く者は死の恐怖を感じ、身を震わせて戦慄する。それほどの殺意を孕んだ凶器と成り得るだろう声だった。
まるで、彼我の間に横線を画すように首を振り、炎の垣根を建てる。しかし、その熱を氷河のような思考で冷却したようにジルバは物怖じせずに突き通った。
これを予想していなかったのだろうリオレウスは突然現れたジルバを叩き潰す策がなく、致命的な隙を与えてしまった。無論、ジルバはこれを最大限に活用する。
特製の大鬼鉄をジルバは全精力を傾けて振るった。戦鎚が景色を縦に駆け抜け、リオレウスの頭が天を仰ぐ。
その隙にジルバは腹の下へと飛び込んでリオレウスの左脚を水平に打ち叩く。完全にリオレウスは姿勢の制御が失われ、派手に転倒する。いつの間にか離脱していたジルバは既に攻撃の姿勢をとった。
大鬼鉄を振り被り、リオレウスの頭目掛けて躊躇なく落とす。鱗が割れて血が飛んで悲鳴が放たれる。
もう一撃――再度、ジルバは大鬼鉄を振り上げる。狙いは歪んでより兇悪になったリオレウスの顔面。
「……ッ!」
直後、ジルバの脳内で赤色灯が狂い回る。勘任せに身を引いて戦鎚の長い柄を立てる。脳が予見した通り、狂ったように暴れたリオレウスの牙が迫り来る。
渾身の力を込めたにも関わらず、ジルバの身体はふわりと浮いて後ろに跳び上がった。柄には一本の傷が刻まれたが、機能に問題はない。
立ち上がったリオレウスは両の翼を広げ、草やら砂やらを巻き上げて大きく後ろに飛んだ。水場に着地し飛沫があがる。
リオレウスが吼えて再び飛沫があがりジルバが疾走して距離を詰める。ジルバが戦鎚を振る姿勢に入った刹那、リオレウスが右半身を引いてジルバを睨んだ。
「なッ!?」
前触れなく降りかかる尻尾。ジルバはどう避けるか考えるより先に思い切り跳んで受け身を取る。戦鎚を構え敵の姿を睨み驚愕を顔に貼り付けた。
それは本来、リオレウスがする筈のない動き。これに似た動きをジルバは既知している。ナルガクルガだ。頭上に尻尾で弧を描き、敵に叩き込み、対象の即死は免れない。
予想の大外をいった展開にジルバは次の展開に置いていかれる。
横目から何かが飛来してくる。リオレウスが追撃すべく尻尾を薙ぎ払ったのだ。
気づいた時には足が地面から離れていて衝撃が背中へ向かって突き抜けた。地中から突き出た岩石に背中を打ち付けて肺から酸素が絞り取られる。
こんなところで寝ている暇はない。岩石にもたれ掛かり、倒れ込むのを防止する。視線は上げ、見るべき敵影を睥睨する。
リオレウスは片足の裏で地面を削ると、ジルバを確りと双眸に映す。その姿を正面から睨みつけるジルバは赤旗を睨む闘牛――否、双角の竜ディアブロスと重ねた。
脳を計り知れぬ速度で回転させる。逃げるべき方向を、方法を――が、しかし体中が鈍痛を放ち、時が止まったように体が固まる。
「しまっ――」
巨体が迫る。もう目の前だ。
ジルバはその最後に瞑目という熟練の狩人として断じて許容できない行為をした。
しかし、彼の目の裏に浮かんだのが最愛の妻と大切な息子だと知った時、誰が彼を責められようか。
凄まじい速度の竜車に轢かれたようにジルバは吹き飛んで、坂を転がり暗い洞窟に飲み込まれていった。
まるまるです。
リンド、アウロラ、ピットの名前の由来について。
ご存知の方もいるかもしれませんが、オーロラ伝説という北欧の神話から持ち出した名です。リンドとアウロラ(オーロラ)の性別が逆であることに特に理由はありません。因みにピットは二人の恋のキュー『ピット』から取りました。