モンスターハンター 老年の狼   作:まるまる

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其の弐

 町並みは面影を残さず、崩壊した。景観の九割は荒れた瓦礫と化した。

 破れたぬいぐるみ。積み重なった瓦礫の山。人気はなく閑散とした血と石の港町。

 行きつけの酒場も、お世話になった借家も、依頼書を受け取った集会所も、親友だった三人も、全部失った。

 神に等しき、動く山の如し古龍は全てを壊していった。まだ薄らと巨大な影が見える。

 ジルバは壊滅した港町の真ん中で力の限り、叫んだ。涸れ切ってしまったのか、涙は不思議にも流れない。

 ただ叫ぶのだ。

 中天を心の奥底から上がった声が穿つ。

 

 聞く者は大気の震えを感じ、同時に心臓が握り潰されるような想いを懐いた。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 港町が壊滅した日からまた一日を跨ぎ、ジルバは気球に乗ってドンドルマに辿り着いた。

 鉛色の空。見上げた曇り空を見ながら、それは自分の心を描いたようだと、ジルバは自嘲していた。

 孤独感。それはもう味わう事がないだろう、とジルバは心の片隅で安心していた。一度、ジルバは幸せを経験してしまった。だからこそ、孤独は辛く苦しい。

 何かにしがみつきたかった。生きる理由が欲しかった。しかし、周りを見ても灰色のモノばかりで掴まれるモノは何もない。

 アランの意見で参戦した老山龍迎撃戦。もちろん、ジルバを含めた三人も同意の上で。

 しかし、彼は言っていた。

 

 ――怖いんだ、と……。

 

 あの酔い潰れた夜、親友として彼を信じたいと思ったのが悪かったのか。スラム街ではいつもそうだった。信じた者は、願った者は必ず痛い目を見る。

 じゃあ、何を信じれば良い。神様を信じても、結局は裏切られた。ずっと親友と幸せで居たい、という切なる願いは果たされなかった。

 どこへ、帰ればいい。居場所を無くした自分は何を目指せばいい。

 途方に暮れたジルバは流れ歩いていると、人影の疎らな街角で落ち着いた。

 大きく溜息を漏らしながら、西に傾く陽を眺める。

 故郷のように海に沈みはしないが、この場面は奇しくもハンターを目指した特別な日によく似ている。こうしていると、後ろから声をかけられて、振り返って――

 

 ――メルラがいて。

 

「どうかしたんですか……ってね」

「メルラ……そうか、ドンドルマに来ていたんだったな」

 

 悲愴な表情を突然消してジルバが遠い目をする。

 赤色の頭巾に白色のワンピース。血色のいい両頬に浮かぶお茶目な笑み。数年の間、会わない内に少し雰囲気が変わったか、と目を凝らすが、やはり茶色の瞳は澄んでいる。その視線も相変わらず優しい。

 大人っぽくなったな、と心の中で呟いてジルバは隣に座るメルラを盗み見た。

 何を言うわけでもなく、沈黙が流れ、あの日と同じ様にやたらと大きい夕陽が二人を照らす。

 

「全部……知ってるよ」

「……だろうな」

 

 その一言でジルバは話題の凡そを理解する。

 動き出した時間がまた止まった。口を噤んだ二人の瞳には影を吸い込むような夕陽と対照的で光を吸い込むような陰がある。

 話したい内容はたくさんある。会えていなかった数年間、二人には色んな出来事があった。それこそ、念願のギルドガールになれたとか、強敵の雄火竜リオレウスを狩ったとか。

 でも、それ以上に二人の心に描かれる惨劇が重すぎた。

 不意にメルラがジルバに顔を向ける。そして堪えきれぬ様に眼を閉じた。すると彼女の頬を涙がゆっくりと伝っていく。

 

「ごめんね……私から話しかけたのに。何を言えば良いのか、分からないよ……」

「ここにいるだけで……十分、救われているさ。俺は……」

 

 夕陽が落ち、空が紺色に染まり、月が上がって星が煌く。

 それから二人の間に言葉はなかったが、メルラはジルバの大きな手をその華奢な手でずっと握っていた。

 

 

 

 ――もう居場所はない。

 そう思っていた。でも、まだ大切な人がいるから。この道を歩ませてくれた恩人がいるから。

 亡くなった三人は自分だけが幸せになることを許してくれるだろうか?

 ジルバは神様が大嫌いだ。幸せを奪ってゆく神様が大嫌いだ。でも、死んだ者の気持ちは神様しか分からないから貴方に聞く。

 自分だけが幸せになることをどう、思いますか?

 

 ジルバは隣のメルラを横目で見ながら心の奥でそう尋ねた。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 ジルバが体の変調を覚えたのは火山に棲む岩竜バサルモスを狩り終えて、妻が待つ家へと帰りついてゆっくりと腰を下ろした時である。

 声をあげてしまうほどの腰に走った激痛。その激しい腰痛の原因は幾らか想像がついた。

 ベッドに俯せに寝転んだジルバはメルラの余念のない指圧に阿呆な声をあげながら痛がる。そんなことお構いなし、とばかりに悪戯っぽい笑みでメルラはマッサージを続けた。

 

「痛痛っ……メルラ、もっと優しくしてくれ……!」

「だーめ。痛いのは悪い証拠でしょ? もっとやらないと」

 

 悪びれる様子もなく、メルラは片目を瞑ると微笑んだ。一方ジルバはメルラの――悪意はあるが――文句なしに奉仕してくれる優しさと激しい腰痛と葛藤する。

 

「どうせ、バサルモスの腹が弱点だからって何回も腹の下に潜り込んだんでしょ? あんまり頑張り過ぎないでね。体を壊したら元も子もないんだから……」

 

 ギルドガールになる為に身につけた知識で腰痛の原因を突き止めたメルラ。ジルバは図星を指されて苦笑いを浮かべた。

 老山龍迎撃戦の惨劇を境目にジルバが隊を組むことは一切なくなった。全ての狩りを単身で遂行し、彼の噂は尾ひれを付けられてドンドルマ中に広まった。白一角竜をその身とハンマー一つで狩っただとか轟竜相手に単騎かつ無傷で勝利しただとか。彼の武勇伝に憧れて、単身で狩り場に挑むなんて愚かな風潮も目立った。

 彼が一人でハンターを続けられる理由は最愛の妻がいるから。何時しかそんな噂も広まっていた。その妻がドンドルマの大衆酒場で受付嬢なのだから、当然ジルバには理想的で美女の妻がいる、という噂が広まる。

 兎にも角にも、彼には目ぼしい話題が多かった。ジルバの男前な顔立ちも手伝ってか、ジルバはドンドルマ中に老若男女問わず名の知れた有名人になっていた。

 無論、ジルバには若い女たちが彼のうわさを聞きつけて群がるが、ジルバは妻一途。群がる女たちを一蹴した。一方、メルラの方に男は群がらなかった。飛竜を相手に一人で勝ってしまう男の嫁に手を伸ばすほど男も馬鹿ではないらしい。

 二人は幸せな生活を送っていた。惨劇の過去を思わせないほどに。

 

「ねえ、そろそろ隊を組んでも良いんじゃないの?」

 

 慎重に問いかけたメルラ。ジルバは密かに眉をひそめる。

 唯一、残った惨劇の爪痕。ジルバは仲間を失うくらいなら、という一心で隊を組まない。もちろん、隊を組むことは飛竜を相手にするハンターにとっては必須条件。それこそ、仲間がいればバサルモス戦で腰痛を伴うほどの負担をかけずに済んだ筈だ。

 しかし、ジルバは頑なに拒んでいた。彼の罪は彼自身に重くのしかかった。

 

「まだ……時間がほしい」

「そう……無茶だけはしないでね」

「ああ」

 

 いつの間にか、感慨深くなったメルラの手が無意識の間に止まっている。

 ジルバの返答には素っ気なさがあって、どこか冷たかった。きっと本心の返答ではなく、これからも無理をするつもりなのだろう。

 メルラも分かっていた。彼の本当の返答を、一人でモンスターと対峙することに無茶をしないという選択肢は有り得ないことを。分かっていて非難の眼差しも、ジルバへの詰問もしなかった。

 彼の心理を一番に分かっていたから。

 

「ねぇ、久し振りにどこかに行かない?」

「そうだな。サクラなんてどうだ?」

 

 ジルバの提案。メルラは悪戯っぽく笑った。

 

「意外。珍しいのね」

「たまにはな……」

 

 メルラは毎年、自分の誕生日が近づくと遠回しに外出を誘う。三度目の今回はジルバも予想していて、念入りに観光地について調べていた。

 

「事前に調べたでしょ?」

「ばれてたか」

 

 またメルラが悪戯っぽく笑う。ジルバは呆気らかんと答える。ばれているのも予想していたからだ。

 

「ねぇ……」

「ん?」

 

 次の瞬間メルラはいきなりジルバの頬っぺたにキスをした。

 

「ありがとっ」

 

 メルラはニコッと天使のような笑みを浮かべた。

 対してジルバは目を丸くした後、照れ隠すように視線を泳がせる。

 

「……こちらこそ」

 

 ジルバはこれを予想していなかった。

 顔を赤らめるジルバを見ながら、メルラがほくそ笑んだ。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

「わぁ……」

 

 乗合馬車の客車から顔を覗いたメルラが嬉しそうに声をあげる。

 十数軒の平屋と長閑な雰囲気。乗合馬車に気がついた村の大人たちが頭を下げ、子供たちが元気よく手を振る。

 ジルバはメルラに寄り添うように客車の端に迫った。

 晴れ空は青く透けていて、それに広がるのは桜色の豪勢な花びらたち。平凡な景観を春色に演出した桜の大木はまるで、二人の訪れを祝っているかのようだった。

 ここはココット村。サクラとドスビスカスはココット村を象徴する花として有名で親し まれている。

 今日はメルラの誕生日だ。彼女が多めの有休をとれるのはギルドマスターが寛容というのもあるが、ジルバの活躍が一役買っている。メルラの世間付きあいが良い事も忘れてはいけない。

 ジルバ達は客車から降りて早速、目当てのサクラまで足を運んだ。

 近くで見ると随分と違って見えた。桜色の天井がつくった濃い影に花びらがひらひらと踊りながら散ってゆく。無数の桜を頭上に見上げると、陽に照って輝いている。

 

「これは……すごいな」

「来て正解だったね」

 

 彫の深い大木に手を当てながらジルバが頷く。

 ふわっと吹いた暖かい風に従ってメルラの茶色の髪が踊る。メルラは華奢な手で長い髪を退けた。その様子を横目にジルバは鋭敏な嗅覚でフローラ ルな香りを嗅ぎつけた。

 点々と咲くドスビスカス。ドンドルマでも栽培される極彩色の大きな花だ。かつては昔話の伝説の花だったいう文献をジルバは思い出した。

 呆然とドスビスカスに目を落としていると、にわかにメルラの手が伸びてきてジルバはどきっとする。

 

「ふふっ、花びら」

 

 背伸びしてジルバの頭の上に乗っかった花びらをメルラは指に挟んだ。数センチまで近づいたメルラから上品な甘い香りがしてジルバはどぎまぎする。

 ジルバの過敏な反応を面白がりながらメルラが悪戯っぽく微笑む。すると少し離れたところから手で招いた。

 

「酒場行くんでしょ? 早く行こっ」

 

 ジルバは楽しそうに跳びはねる妻の後ろ姿を見ながら口元を緩ませた。

 ――全く、変わらず元気だな……

 先を行くメルラをジルバは小走りで追いながら、そう心の中で呟いた。

 

 

 

 酒場の中は昼間であるが、混んでいた。規模は小さくともハンターの村といわれるだけはある。

 適当に見繕って席に腰を下ろし、二人は黄金芋酒を注文。他愛もない会話をしているうちにそれは運ばれてきた。

 

「「乾杯」」

 

 打ち鳴らし、二人の喉を通った黄金芋酒が体の奥に沁み渡った。

 ジルバの祝いの挨拶から始まって夫婦による至福の会話は続いた。次第にムードは良くなって周囲の他人もちらっと盗み見始めた頃、突如として少年は現れた。

 ハイメタシリーズに身を包み、ボーンハンマーを背負った弾み出るような若々しさを纏った少年だった。公共の場にも関わらず、堂々と大声を響かせる。

 

「アンタ、ジルバだよな!」

 

 ぴたり、と酒場の空気が止まった。仕事に勤しむ者、食事を楽しむ者、会話する者、全員が意識をこちらに引き付ける。

 ぞわっとするほどの視線が集まったのを察し、ジルバが慌てて少年を諭す。

 

「し、静かにしてくれないか?」

「あ……お、おう。すまねぇ」

 

 変に注目を浴びてメルラを巻き込む訳にはいかない。折角の観光を台無しにされてたまるか、とジルバは必死に少年の気迫を抑え込んだ。

 どうやらドンドルマで有名と言えど容姿までは周知でないらしい。酒場の空気は何事もなかったかのように動き出した。

 

「名前は?」

「エーランド。エーランド・カローゼラだ」

 

 相変わらず声が大きい。悪気がないのでジルバは憎み切れず項垂れた。

 

「そうか。良いか、エーランド。向こうで話そう、な?」

「ん、分かった」

 

 物分かりが良くて助かる、とジルバはホッと胸を撫で下ろした。取り敢えず、周囲からの 怪訝な視線は免れた。

 向かいの席で蚊帳の外に放り出されたメルラが頬杖をついてエーランドを見る。ジルバはエーランドの背中を押してやると、「ちょっとだけ話してくる」とメルラに一声かけた。

 嬉しそうに駆けていくエーランドを追い駆けながら、ジルバは長い溜息をついた。


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