モンスターハンター 老年の狼   作:まるまる

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其の肆

 漂う濃い潮の匂い。空に浮かぶ雲の流れが速い。樹木たちが騒めき始め、風が吹き抜ける。

 静寂。生き物の気配が感じられぬ無の空間。

 刹那、寂れた石の町に戦闘音が蘇る。先手を打ったのはナルガクルガだった。挨拶代わりに尾棘を発射する。ハザンは太刀の腹で、ジルバは戦鎚の頭でこれを防ぐ。

 矢継ぎ早に跳びかかり噛み殺さんとナルガクルガが口を開く。が、しかし、あわやというところでナルガクルガは宙を噛んだ。肝を冷やしながらハザンとジルバが腰を引くようにして跳んで下がる。

 直後、視線を合わして同時に飛び出す。ナルガクルガの対応は早く爪が横薙ぎに払われるも二人は難なく回避した。

 渾身の一閃。だが、ハザンの斬破刀もジルバの戦鎚も風を裂いた。ナルガクルガは傍近の壁を吹っ飛ばしながら飛び退る。

 

「ルガァァッ!」

 

 ナルガクルガは一度地を蹴るだけでジルバとの間合いを零にまで詰め、前脚で地面を踏み抜いた。道がひび割れて塵が舞い上がる。そこに鮮血は混じっていない。

 ナルガクルガがジルバを探す猶予はなく前脚をハザンの斬破刀が貫く。脚から尻尾の先に向かって電撃が駆け抜けていく。

 痛がる余裕もなくジルバが振り上げた戦鎚が黒い頭をかち上げた。前脚が一瞬浮くほどに仰け反る威力。

 跳んで間合いを読んだナルガクルガの口から血が滴り、前脚から血が流れる。既に満身創痍。冷静沈着を貫いてきたナルガクルガが激しい焦燥に駆られてるのがわかる。

 颯爽と肉薄したエレナが閃光玉を投擲。なす術なくナルガクルガの双眼が閃光に包まれ、苛立ちと焦燥が極限に達する。まるで、箍が外れたように暴れ回るナルガクルガは壁を破壊し、土嚢を崩壊させた。

 

「っ、近づけんな……」

「ですね……」

「皆、下がるぞ」

 

 ジルバの冷静な指示。意図を理解せずとも、ジルバを信じてエレナとハザンが異論なしに足を運んだ。

 視界が元に戻る頃、ナルガクルガが纏っていた黒い鎧は大分削ぎ落ちていた。血も辺り構わず飛散し、周辺は荒れ放題だ。

 だが弱みだけは見せなかった。虚勢を張り、ナルガクルガは威迫を保つべく獰猛に吼える。

 しかしジルバは全てを見透かしていた。ナルガクルガの張った虚勢も、その死線も。

 だからこそ、最後の一手を――奴を仕留め得るだけの一手をジルバは打った。

 一も二も無く跳び回り、石の壁を倒壊させながらナルガクルガが狩人たちの視線を攪乱する。だがよくよく見れば地形の不利を一切感じていないようで実はかなり動きが制限されている。

 跳躍はぴたりと止み、ナルガクルガが前脚を構えた。その動作に見覚えがあり、エレナとハザンがハッとする。

 一瞬の後、二人は杞憂なのだと分かるとも知らず。

 夜の闇を吹き飛ばす莫大な炎。突然の爆発に心臓をばくん、と跳ね上げたエレナが大タル爆弾の爆発だと気づくのに時間がかかった。

 

「グギャアアァァッ、アアァッ!」

 

 ハザンは横目でジルバを盗み見て息を呑んだ。恐ろしく、そして頼もしい。

 ナルガクルガが石の壁を攻撃の手段とするのならば、罠を仕掛けてしまえばいい。実に単純で合理的で老獪。きっとこれを思いつくことが出来なかったのは経験が足らないからだろう。若しくはナルガクルガに圧倒されて平常心が失われていたから。

 どちらにせよ、この知謀を思いついたジルバはナルガクルガを上回る神算鬼謀。

 ハザンが感心する間にもジルバは戦鎚を構え駆け出していた。慌てて放心状態だったエレナとハザンが追い駆けてゆく。恐らくアルもそうであったのだろう、思い出したように銃声を鳴らした。

 戦鎚が鱗を砕き、双剣が肉を引き裂き、太刀が尻尾を切り苛み、弾丸が全身を鋭く突く。

 狩人の情け容赦ない猛攻。ジルバが予め仕掛けておいたシビレ罠が発動し、ナルガクルガの全身を電流が奔り、鎖で縛ったように身動きを封じる。そこに狩人たちの非情な攻撃が襲いかかった。

 幾度の悲鳴が響いただろうか。断末魔をあげた神算のナルガクルガがついに地に伏せる。

 

「終わっ……た?」

 

 エレナは小さく呟いたはずだが、静かな狩り場には響く。それほどの静寂。大きな存在感が消え失せた為に訪れた静寂は差が有り過ぎて妙だった。

 遠方からスコープを覗いていたアルが軽銃を折り畳み、丘を駆け下りる。エレナは一気に脱力し、びたん、と座り込んでしまった。ハザンとジルバは目を閉じたナルガクルガをずっと見つめて――

 

 

 

――漆黒の爪が閃き、ジルバを引き裂いて、大量の血飛沫が宙を舞った。

 

 

 

 否。漆黒の爪は戦鎚の柄によって阻まれ、その持ち主は兜の内で口角を吊り上げた。

 

「悪いが、ワシ達の勝ちじゃ」

 

 紅い双眸がカッと見開き、ナルガクルガが驚駭する。

 ――何故。

 

 蘇る記憶。

 自分は長い刀を握った狩人の位置が手に取るように分かった。「殺気」が凄まじかったからだ。

 

 ――嗚呼、殺気か。――否、我が全てに於いて劣っていたのか。

 納刀せず、その時を待っていたハザンが太刀を強く握り締め 、一足踏み込んで。

 

「全部……終わりだ」

 

 太刀を閃かせ、血が飛んだ。

 

 

 

 

 一行は剥ぎ取り作業を終えて、月下に立ち尽くしていた。立ち位置は妙でハザン一人に対して三人が並んで立っていた。

 三人に向かって言うべきことがあるのだ。とりあえず目標を達成した者としてはっきりとしなければならないことがある。

 改めて言うのは少し気恥ずかしく緊張もする。言葉を選ぼうにも納得できるものはなくて、ありのままに伝える。

 

「これからも、この隊に居て良いですか?」

 

 緊張の所為か、ハザンは目を瞑った。

 返事は、来ない。まさか否定されるのか。ハザンは底知れぬ不安を一斉に感じて足元が消えてなくなったような感覚を懐いた。

 少時が経った。返事は、来ない。

 誰もが不審に思うだろう。思わずエレナとアルがジルバの顔を覗き見た。

 ジルバの視線が――明後日の方向で何かを描き、その眼に生気はない。途端、エレナとアルの血の気が一気に失せていく。

 その時の出来事だった。

 

 ジルバの意識がぷつり、と切れて虐使された老体は徐に倒れてしまった。

 年齢にそぐわぬ過度な運動の連続。受けた傷のダメージと出血量。最近は体調も下り坂だった。ジルバの身体は既に限界を超えていたのだ。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 暴力が全てだった。

 物心ついた時から暴力をその身に覚え、十歳になる頃には物取りの知識を身につけていた。

 スラム街。世間でいう落ちこぼれや貧しい者達が生けながら死んでいる街。両親の顔は知らず、与えられたのは名と性だけ。凡人が受けるのであろう愛情も、衣食住も、何もかもが与えられなかった幼児期。

 自分自身の為だけに生き、孤独に生にしがみ付き、辿り着いた先が暴力だった。品物を盗んでは追い駆けられてそれに暴力で対抗した。初めの内は負けていたが、急所を知り弱点を知って勝ち方を身に覚えさせた。そこに慈悲など無い。生きるのに必死だから、罪とさえ感じなかった。

 無論、奪う立場だけでなく奪われる立場にもある。その時に必要なのが、またしても暴力なのだ。生きる上で暴力は命に等しい要素だったに違いない。

 暴力に生きてきた彼、ジルバは――当時、十八歳――はこの時までほとんど負けを知らなかった。そうこの時までは。

 何時もの様に物を盗み、時には気付かれなかったが今回は不運にも気づかれてしまった。帰ったらこの盗品をどう食べようか、そんな呑気のことを考えながら人混みに逃げ込み、人波を掻き分け、路地へと走り込んだ。

 何時もならここで追っ手を撒けるのだが、今回の追っ手は身の装いも纏う雰囲気も異彩を放っていた。

 

「へっ……久しぶりだぜ。ここまで追ってきた奴は……」

「ああ、そうかい。で、小僧、その余裕はどこから湧いて出るんだ?」

 

 ジルバの背には薄汚れた壁。行く手を阻むには十分の高さがあった。

 男二人は手に物騒な得物を握りしめてぶらぶらと危なげに振る。人数も状況も圧倒的不利の中、ジルバは口角を吊り上げてみせた。

 くるりと反転し、駆け出して跳躍。家の壁を蹴って再跳躍。あっという間に壁の頂きに手が届いてしまった。

 

「じゃあな、おっさんども」

 

 憎たらしい笑みを浮かべて、ジルバは手を振って颯爽と飛び降りる。

 毎度の事のように追っ手の悔しそうな声が聞こえないことを不審に思いながら顔を上げて、驚愕。

 

「なっ――ぶぁッ」

 

 ジルバは顔面を正面から蹴り飛ばされ、体が大きく仰け反った。強か背中を打ち付けるも、暴力には慣れている。鼻血を垂らしながら、意識を手放すことなく即座に視線をあげた。

 先ほどの男二人と同じような装備と雰囲気。二人という点も同じだ。

 

「ケッ。出し抜けたとでも思ったか。甘いな、小僧」

「……ちっ。やるじゃねぇか」

 

 ジルバは彼らが何なのかを知っていた 。

 自然界を支配する生き物たち、モンスター。彼らを相手取り、多彩な得物と道具を扱って命を狩る職業だ。世は彼らをモンスターハンターと呼び、称えた。

 ジルバもナイフ片手に青い鳥竜種、ランポスを相手取ったことがある。飛竜に関しては飛んでいる影を見たことがある。

 あんな怪物を狩る職業なのだから、さぞかし強いのだろうと一目置いていた。

 しかし、目の前の彼らは違う。装いや雰囲気はそれと同じだが、相手取る者が自分、人間だ。

 凡そ、理由は予想できる。何故ならそれはこの世の理なのだから。弱き者が死に強き者が生きる。単純で残酷なこの世の理。彼らは弱かったから、ハンターの世界から堕ちてスラム街に来たのだろう。

 表舞台から堕ちた者達。スラム街を生きてきたジルバとしては珍しい光景ではなかった。

 

「モンスターの相手は疲れたか? 落ちこぼれ」

「……いちいち癇に障るヤツだな」

 

 男はそう言って剣と盾を両手に構えた。

 

「ここまで来ちまったんだ。法なんてくそ喰らえ!」

 

 ハンターは対モンスター用の武器を人間に向けてはならない。御法度であり、破ればその罪は重い。最悪ギルドナイトが暗躍するかもしれない。

 しかし、ジルバにとってはどうでも良いことだった。今現在、彼らがこの場に現れて彼らを罰する訳ではないのだから。

 腰に携えたナイフを逆手に握る。それに基礎の型や武術など皆無。独学で身につけた構えで駆け出す。攪乱するように左右にブレながら駆け、跳躍した。

 稲妻の如き一閃。しかし、何の変哲もない鉄がドスランポスの鱗を貫く筈もなく、火花を散らす。割れなかったのが不思議なくらいだ。身軽なステップで振るわれた剣を躱し、間合いを読む。

 瞬間、ジルバの眼が開いて瞳孔が小さくなった。

 

「死ねぇぇッ!」

 

 後ろに控えていた男が身の丈ほどの筒を構える。それが、ジルバが初めて見る重弩だった。

 銃口が光る。刹那、銃弾が撃ち出されて。

 

「――ッ!」

 

 銃弾はナイフの腹にぶち当たって自滅。超高速の弾丸をジルバはナイフの腹で止めてみせたのだった。男達が驚かない筈がない。

 当の本人も驚愕の色で表情を染めた。

 しかし、僥倖。生の喜びに浸る間もなくジルバは駆け出す。銃口の先を見つめながら弾道を予測。回避する。更に縦横無尽に跳び回ることで銃弾を次々と回避した。

 

「チッ、ちょこまかと!」

 

 再び跳びかかる――と見せかけて横に大きく跳躍。壁を蹴って一気に間合いを詰める。

 しかし、閃いたナイフは剣に阻まれてしまった。瞬間、急接近する盾を見てハッとする。盾は本来、防御の為にあるもので攻撃の手段にはならないなんて単純な考えが犯したミス。

 盾に殴られてジルバは地面を転がった。脳が揺らいで、血が流れる。視界もぼやけて意識がはっきりとしない。

 ――それからの事はあまりはっきりと覚えていない。

 降り掛かる怒声と靴に死に物狂いで身を丸めながら、只管に耐え凌いだ。最後に唾を吐かれて軽蔑の眼で見下ろされ、男たちはジルバのポケットから金を取って去っていた。

 男たちがこの堕ちた世界の新米で非情に成り切れず、殺されなかったのが強運だったのはたしかだ。

 

 

 

 裏の路地から千鳥足で抜け出し、栄える港と大海原を見下ろせる高台にジルバは腰を下ろしていた。

 身は自分の血と靴の汚れでぼろぼろ。見るに堪えない姿だった。

 夕暮れ。港で働いていた漁師たちが沢山の魚を籠に詰め込んで運んでいる。この港町の表の住人ならそれを笑みで眺めるだろう。しかし、ジルバは違う。他人の、それも表舞台のぬるま湯に浸かって生きている奴らが憎たらしくて羨ましい。複雑な眼で眺めるのだ。

 盗んでやろうか、とも考えたがこの身なりで行こうとは到底思えなかった。

 一本だけだったナイフも持って行かれ、今日の晩飯の為にと盗んだ肉も奪われた。久方ぶりに三食を我慢することになる。喧しく鳴る腹が鬱陶しい。

 こんな悲惨な眼に合ったが恨みだけはしなかった。彼らもまたこの世の理に従っているだけ。物を盗んで、弱い者達を殴り付ける自分と同じだった。

 しかし、悔しい。自分の弱さへの怒りが治まらない。

 

「くそったれ……」

「どうかしたんですか?」

 

 ジルバが一生を思い出すのならこの日は間違いなく特別だったと語る。

 本来なら荒々しい生活のせいか背後の気配には逸早く勘付くし、女性がいれば盗人としての眼が光る。第一、他人と話すことに滅多にしない。

 薄茶のワンピースに赤いリボン。死と隣り合わせを日常としたジルバからは考えられないような澄んだ茶色の眼。綺麗に透き通った長い髪はきっと毎日手入れをしているのだろう。

 この日の夕陽はやたらと大きかった。

 彼女と初めて出会ったのが、この日だ。




まるまるです。

唐突に入った過去篇。文字数を優先してしまい、このような形になってしまいました。一応、ジルバの体調が悪いという伏線は入れましたが無理やり入った感否めないですね。しばらくジルバの過去篇となります。物語の要とも言っても過言ではない話。いつも以上に気を引き締めていきたいです。

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