モンスターハンター 老年の狼   作:まるまる

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第六章 忍び寄る影
其の壱


 ドスランポスの指揮を仰ぎ、ランポスらが雨の中を跳びはねる。エレナを包囲しその間合いを徐に詰めていく。

 師の言葉を思い出し、エレナは弾かれたように駆け始めた。連携を得手とする大勢の敵を前にして足を止めてはならない。格好の的に成りたくなければ、常に動き回って戦況を変動するべきなのだ。

 適当に一頭を照準に絞り、泥を抉り飛ばして疾駆する。当然の如くランポスが対応に走る。剣を雨の中に閃かせ、ランポスの喉を掻っ切った。雨が真っ赤に染まるのは微かな火の灯りと血によるもの。

 短兵急にも関わらず、即座に対応したランポスがエレナの真横から飛びかかった。エレナは身を翻して避け、また目的地もなく駆ける。

 足に急制動をかけ、足場の悪さを気にしつつ向き直る。背後へと回り込もうとするランポスを見張りながら、エレナが一息つく。

 

「あと、四頭……」

 

 その数にドスランポスは含まれておらず、また増援の可能性もなくはない。もしかすると、喉を掻っ切られたランポスが何かの拍子に立ち上がるかもしれない。いや、そんな筈はないだろうと自分の平常心のなさに驚いた。

 かなり疲労がたまっているらしい。長時間の戦闘の上に、この雨である。逃げる為に走った距離を加算すれば尚更だ。

 確信してある道具の数を頭の中に並べ、それを基にして起死回生の策を練る。

 閃光玉一つ。研ぎ石や回復薬など諸々ある。あとは、ジルバから勧められた爆雷針。

 閃光玉を使って相手を怯ませて爆雷針を仕掛け一気に殲滅するのも手だが、今後に備えて閃光玉は重宝したい。しかし、爆雷針で敵を一気に殲滅できるのは非常に嬉しい。

 仲間さえいれば。ふとそんな思いが頭の中を過ぎった。

 しかし、すぐにそんな楽観的な思考は断ち切った。現状でその考えは邪念にしかならない。頭を振るって雨が払われる。

 

「隙を狙ってしかけよう……」

 

 辿り着いた答えを呟き零し、エレナは双剣を構えて瞠った。甲高い鳴き声を妄りに響かせ、二頭のランポスが突貫する。

 一頭の真横を過ぎり、もう一頭の飛びかかりを横に跳んで躱す。踵を返し、着地した瞬間のランポスを斬り付けた。追撃はせず咄嗟に離れる。

 腰に手を回し、屈み込んで爆雷針を地面に設置。跳び退こうと体勢を整えた時、ランポスの脚がエレナを直撃。泥水を転がってそれでも即座に起立。

 どのような威力なのか。いつ発動するのか。爆雷針の周辺には望み通りにランポスが三頭集まっている。

 ――想定される時限はあっさりと超えてしまった。

 様々な可能性が頭の中を飛び交う中、認めたくない可能性が一番有り得た。

己の失態だ。爆雷針を起動するための衝撃が足りないのだ。慌てていたが為に肝心なことを忘れていた。

 下肢から力が抜けそうになるのを堪え、自省の念が脳を食いつくすのを堰き止め、エレナは双剣を交差して構えた。

 

「まだ諦めちゃだめだ……」

 

 エレナは爆雷針の位置を念頭に置き、駆け出す。誤って踏んだものなら即死は免れない。

 思考を切り替え、目の前のランポスに剣を振り下ろす。鱗すら満足に斬れないほど剣の切れ味は落ちてきていた。大きな損傷はない。ランポスは痛がる素振りも見せずエレナの頭へ噛み付きにかかった。反射的に振った剣が偶然に衝突する。

 衝撃までは相殺できず、エレナは尻から倒れ込んだ。必死に立ち上がろうとした瞬間を尻尾が薙ぐ。次の瞬間には数秒の記憶が飛んで、気付いた時には泥を飲んで地に伏せていた。

 口の中でじゃりじゃりと音が鳴る。不愉快な苦さに顔を顰めた。

 ハッとして顔を上げた。

 食料を見下ろす恐怖の視線。身に染みて感じる数の力。それと同時に感じる独りの辛さ。

 ――独り?

 

「……そうか、解った」

 

 すとん。心の中で何かが落ちた気がした。一点の曇りもなく答えが見つかった。

 そうだ。独りでの狩りは辛く苦しい。仲間の援護を頼って剣を研ぐことも、罠の設置を手伝ってもらうこともない。

独りで考えて、動いて、耐え抜いて挑むのだ。

 これが独り。仲間のいない狩人の末路。

 一人での狩りは難しいから、隊を組んで、助け合って乗り越える。助け合う為の隊で助けられることに負い目を感じるのは違うだろう。助けられて当たり前なのだ。これが、答えだ。

 伝えねば。助けられた時の感謝を、見つかった答えを――師匠に。

 だから、まだ負けられない。死ねない。

 

「ジルバさん……私、頑張ります」

 

 エレナは力を振り絞り、立ち上がる。消えかけた闘争の炎に薪を放り込み、しかと眼を見開いた。

 ――よく視える。乱れ打つ雨の一粒一粒が、敵の一挙手一投足が、行き着く未来までもが手に取るように分かる。

 慢心は狩人を死に誘うが、根拠なき確信は失敗を促すが。何故か、負ける気がしないという自信が素晴らしく頼もしい。

 激しい雨の中、ランポスが飛びかかり、背後に回り込んだランポスが牙を剥き、虚を衝いたランポスが食いにかかった。一糸乱れぬ連携だった。指揮を与えたドスランポスは勝利を確信した。

 しかし、エレナは剣で防ぎ、身を翻して回避し、何事も無かったかのように反撃の一手を繰り出した。そして、次の奇襲に備えていたランポスまでもその時エレナの剣は見据えていた。跳躍の直前、赤い光を灯した刃が喉を断ち切る。

 凶刃が踊り、血が飛び交うというのにその最中にいるエレナの風姿は流麗の一言だ。

 

「ギャアッ!」

 

 最後に残った一頭のランポスがエレナを潰すように落ちた。ドスランポスは殺った、と思い込んだ。のしかかったランポスが動かないことに気づくまでは。

 ずるり、とランポスの身体が滑り落ちる。現れたのはやはり、流麗を想わせる彼女の姿。剣を垂直に突き立て、あの一瞬を狙って突き刺したのだ。

 さて、この場の地面で雨に打たれているランポスの数は五頭。つまり、残るのは頭領のドスランポスのみ。

 

「「……」」

 

 ようやく辿り着いた頭領への謁見の舞台。

 お互いは張り詰めた空気に沈黙。雨音がこの場の空間を支配した。

 視覚が教えてくれた。刹那の後、ドスランポスが跳躍することを。

 身を捻り、着地したドスランポスの真横に逃げる。振り向きざまに左右の剣を同時に振るう。二本の軌道が横腹を通過後、血が噴き出した。まだこの剣でも斬れる。

 噛み付きか。再び視覚が攻撃の瞬間を示した。泥土に伏せ、その姿勢のまま剣を横薙ぎに振るって足払いをかける。ドスランポスも戦闘慣れしているらしく、ただでは倒れまいとエレナに圧し掛かろうと試みる。

 しかし、エレナはこれを察知していた。咄嗟に飛び退き、無様な姿を晒したドスランポスへと一突き。血潮が木の葉にまで吹き上がる。

 噛み付こうとする頭を剣の柄尻で打ち、跳びかかる寸前に転がって回避し、それでいて着実に反撃を欠かさない。斬り付けて転がり逃げ、ここは死角。

 好機と捉え、身を低めたまま転がり込んでドスランポスの正面の位置を取った。

 一足で踏み込み、雨すらも切り裂く剣が首を刈り取る軌跡を描く。力強く振るわれた剣はドスランポスの喉を両断し、確実な死へと至らしめる。

 

 だが、予想と違って剣は火花を散らした。

 

「な!?」

 

 無論、速度も力も落ちてはいない。落ちたのは、剣の質。長期戦に渡る末に毀れた飛竜の剣。

 大きく弾かれた。踵で制止をかけ、歯を食いしばり、再び剣を振り抜こうと身構える。しかし、視覚が警告を訴えて反射で逆の剣を構えた。

 衝撃。獰猛に払われた尻尾がエレナの腕ごと弾く。剣が手から離れて宙を舞い、エレナの身体がよろける。転倒は免れたが、体勢は厳しい。

 尻尾を振るったドスランポスが再び尻尾を振るうべく体をしならせるのを見る。避ける為の次善の策は講じていない。奥歯を食いしばり、耐える他ない。

 水平に薙がれた尾がエレナの腹部へと食い込み、鎧がメキッと音を立てた。エレナは泥を飛び散らせながら慣性力に従って地面を転がった。

 悪心、腕と腹部の激痛。内臓の出血はないが、吐き気がする。

 だが――ここは覚えている。念頭に置いてあった。ここには――

 

(――爆雷針!)

 

 苦痛に耐えながら、腕を精一杯伸ばして雨に塗れた爆雷針を掴む。伏せたまま体の向きだけを変え、ドスランポスへと投擲。爆雷針がドスランポスへと、当たる、その、直前の期。

 

 落雷が闇を吹き飛ばした。

 

 一瞬、辺りが白い光で埋め尽くされ直後に明瞭な視界が戻ってくる。雷鳴の余韻が残る中、さぁぁぁ、という雨の降る音がはっきりとし始めた。

 焼けた臭いがほんのり漂う。ドスランポスは舌を垂らし、動かない。最期を過ぎたようだ。

 エレナは身体をゆっくりと起こしたが、視界がぐらっと揺らめいて気付いた時には大の字に倒れ込んでいた。

 空から降る雨が放射状に広がって迫ってくる。灰色の空。できれば、青色の空を見たかったなんて突拍子もない言葉が浮かぶ。

 頭痛が激しいは、目眩がするは、吐き気もするはで体は酷く疲れているらしい。もう少し寝そべっていたい気持ちを抑え、注意深く起き上がる。

 動かない死体だらけの真ん中でエレナは眼を閉じ、命の行く先が幸福だと願って。

 

「よし」

 

 恒例の気合を入れる声。心なしか、否、はっきりとした元気がない。

 帰るまで安心はできないと緩みかけた自分に喝を入れる。水を吸い込み切った体は重く、変にだるい。

 

「あ、剣……」

 

 片方の剣がない事に気が付いて行方を探し回った。泥に塗れ、見えにくいが落ちている。拾いに行こうとして、はたと足を止める。

 ――まだ研ぎ澄まされていた神経がその気配を感じ取ったからである。

 

「ッ!」

 

 剣を餌にしていたのか、雨粒の帳の奥で赤い光がゆらりと覗く。

 闇に紛れ、聡明な頭をもち、迅雷の如き速度を誇る――ナルガクルガ。三度目の邂逅である。

 下肢から力が抜け、両足の間にお尻を落としてぺたんと座り込む。

 独りで頑張って、耐え抜いて、倒して。独りでの長期戦は酷く苦しく、何度も涙を堪えた。もしかすると、雨に濡れて判別がつかないだけで涙を流していたのかもしれない。でも、勝ったのだ。生き抜いたのだ。

 師匠に感謝と答えを伝えたいという一途な想いもあった。

 その結末が死とは如何なるものだろう。

 もう出来ることは全部やった。

 

 ――違う。

 ――まだ動ける。

 ――生き抜いた者として、今生きる者として。私が殺してきた生き物たちのように命尽きる最期まで。

 ――恥ずかしくない様に。

 

「――生きるんだ」

 

 残された赤の剣を両の手で握り、無様に死ぬまで抗おう、と誓う。

 脈打つ心臓が生きたいと叫んでいるようだ。体が燃えるように熱い。まだよく視える。

 生きたいという意志は十分だ。

 

 ――それなのに。

 

「もう、体が……」

 

 エレナの頬を雨と、悔し涙が伝う。

 

 

 

 私は怖かった。

 雨の冷たさが孤独を思い知らせるようで、多勢に無勢という地獄の底で、講じた万策は次々と破られていくのが悔しかった。何度も涙が零れそうになった。どんどんと死が近づいている気がして。

 だけど。

 一人の師匠へ伝えたい気持ちが私を支えてくれていた。

 

 

 

 降る雨すら吹き飛ばし、戦鎚が駆け抜けた。

 

「よく頑張ったの、エレナ」

 

 ――嬉し涙で霞むその背中は。

 

 怪鳥と戦った時も、迅竜と初めて会った時も、コンガの猛攻から救ってもらった時も、いつも狩り場で前を歩いていた時も、ずっと見ていた――

 

 ――師匠の大きな背中だ。

 




今回の挿絵。
エレナとドスランポスです。

【挿絵表示】


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