紅蓮の夕空が見下ろすは盲目の竜と狩人二人。電撃を帯びたフルフルが跳び上がり、絶叫する射手を担う狩人が手を伸ばし、大タル爆弾を抱えた狩人が驚いて。
瞬間の事だった。白い雪原にチカッと何かが閃いて、刹那の後に爆裂音。
大タル爆弾の内部から爆炎が弾け、猛烈な爆風に強かに体を叩きつけられてアルの体が宙を浮く。熱を含んだ暴風が雪を燃やし、周辺の雪を消した。
破砕した木片がアルを打ちつけ焦熱地獄を顕現した大タル爆弾は小さくなって雪の中に散った。
三半規管に多大なダメージ。アルは回る視界の中、視線を上に向けた。
紅蓮の空に上る黒煙。支配していく焦げの臭味。まだ残る熱気。
アルは呆然と炎の帳を見つめた。きっとあの奥に粉々の焼死体があって、フルフルの肉塊もあって――想像するだけで頭が壊れそうだ。
燃え上がる炎にアルは手を伸ばし、嗚咽を漏らした。
何分か、経ったのか。ようやく、アルが無意識に口を開いた。
「そんな……なんで――……僕のせいで」
「誰のせいだって?」
聞こえない筈の声。幻聴か、爆音で耳が壊れたか――否、確かに聞こえる声である。
「ったく、危うく死ぬところだったな」
「ハ、ハザン君……でも、どうして……?」
「無茶させるんだから」
炎の帳の向こうから次に現れたのはカルラだった。しかし、身を固めていた防具は表面が解けて形が歪。よく見ればハザンも同じく肩や足の甲などが解けている。
兜を外したカルラの顔は軽い火傷を負い、炭のせいか黒い。長い髪が波打っているのは焼けたせいか。そして、最も目を引いたのは原型を留めていない盾である。これが、埒外の一瞬の壮絶さを物語っていた。
「ちゃんと出来ることを探して、命を張ったのよ。どう? 良い働きしたでしょ?」
「ああ。アンタには感謝しても、し切れない」
カルラは調子に乗って、ふふん、と鼻を鳴らしながら胸を張ってみせた。カルラは「いつもみたく堂々と胸張って……」というハザンの言葉を早速に体現していた。意図を察したハザンがにやり、と笑う。
間もなくして、エリックが駆け付け、四人は沈んでゆく夕日に見られながら、始末の剥ぎ取り作業に取り掛かった。
黒煙はまだ少し残っていて昇ってゆく。紅蓮の夕日は夜を迎えるべく、山の遥か彼方に退場してゆく。
もしも、太陽が言葉をもっているとするならば、果たしてこう言うだろう。
――良き狂宴であった、と。
夜の帳が音もなくゆっくりと下ろされた。
◆ ◆ ◆
フラヒヤ山脈近くの雪山。その麓にはポッケ村という名の活気づいた村がある。
村民は寒さを凌ぐために白い民族衣装のマフモフに身をくるみ、穏やかな日々を営んでいた。
それが今日まで繋げてこられたのは、やはり彼らの協力があったからこそであろう。
今日は彼らが彼らの村へ帰る日である。
「村を代表して言わせてもらう。本当にありがとう。そして、気を付けて帰ってくれ」
アルの父、ライガルの野太い声は大いに謝意が込められていた。ライガルの深々な一礼につられて、集まった村民たちが合わせて一礼する。
ハザンとアルはやり遂げた満足感を懐きながら、大げさな見送りに照れ臭そうに微笑んだ。
狩猟した証明となる雪獅子の牙や毛、フルフルの電気袋や柔皮が加工されて、後ろの積み荷に載せられている。またこの竜車の上で長い旅を過ごすのだ。
二人は暫く見ることの無いだろう雪景色を目一杯に眺め回していた。
出発までまだ少し時間がある。二人の周りは人で埋め尽くされていた。
「色々、教えてくれて有難うございます。おかげでもっと強くなれそうです」
「こちらこそ、面白い話が聞けて良かったよ」
ハザンはエリックから太刀の指導を、エリックはハザンから猟団の頃の出来事を受け取った。剛を基本とするハザンはエリックの得意とする柔を頂き、専属ハンターな為に雪山育ちのエリックは新鮮な外の世界に興味を持った。同じ太刀を握る者同士、随分と気が合った二人である。
気が合ったのは彼ら二人だけではない。アルの前に現れたのは駆け出しのあの少年少女。
「なぁ、アル兄。今度、俺に片手剣を教えてくれよ!」
「うん。僕で良ければ力になるよ」
「アルさん。私、弓を使うんですけど、遠いところから当てるのが苦手で……コツを教えてくれますか?」
「もちろんだよ。コツはね、敵の動きをよく見ること。あと、周りもよく見ることだね。風とか、自分の立ち位置とか……」
少女は真剣に耳を傾けながら箇条書きでメモをしていく。その様子を見た少年が頬を膨らませ、乱暴に二人の会話に割り込んだ。
「ずるいぞ。俺が先に教えてもらうんだぞ!」
「なっ。もう邪魔しないでよ」
あっという間に二人は自分たちの世界をつくって意見をぶつけ合っていく。雰囲気は刺々しいが、傍から見れば可愛い口喧嘩である。アルは邪魔するまい、と気を遣ってその場を離れた。
離れた先にいたのは待ち構えていたのか、元からそこにいたのか、カルラであった。
近くまで来てしまったからには無言で通り過ぎるのも気が引ける。かと言って何を話せばいいか分からず、アルは黙ったまま遠くの雪を眺めた。
「あ……あの時はありがとう、助かったわ。その一応、礼を言っていなかったから」
カルラは視線を泳がせながら曖昧に言葉を零す。
「……あの時? ああ、別に大したことしてないよ」
話が途切れる。奇妙な沈黙が流れて、気まずくなったのをカルラがもじもじしながら破った。
「ま、また来なさいよね。こっちに。その時はまた……一緒に仕事に行ってあげてもいいわよ」
「……うん。ありがとう。きっと帰ってくるよ」
「……そう。あっ、別に無理して帰って来なくてもいいのよ」
「帰ってくるよ。妹のお願いだからね」
「そ、そう? なら良いけど」
また話が途切れた。しかし、今度の沈黙は心地が良い。何せ、視線を明後日の方向に向けながら二人は体を寄せているからだ。
棘のような雰囲気はあるが、きっと大丈夫。薔薇には棘があるものだ。
「おう、アル。そろそろ出るぞ」
「あ、うん。分かった。用意するよ」
二人の会話を陰で盗み見ていたハザンがタイミングを見計らって声をかける。その声にハッとして二人は離れ、照れ臭そうに顔を赤らめた。無論、これを微笑ましく見るのはエリックとハザンである。
「あっ、ちょっと待って……!」
「……ん?」
思い出したかのように顔を上げ、勢い余って大声を出したカルラが俯いて黙り込む。ぎゅっと握られた手が少し震えている。呼ばれたハザンは何も言わず気長に言葉を待った。
顔を上気させながらカルラが言葉を一つ一つ選んで紡ぐ。
「貴方もまたこっちに顔を出しなさいよね。また、貴方の料理……食べたいから」
「ああ、また食わせてやるよ。ポポのステーキ」
「……うん」
そう言い残してハザンは竜車に飛び乗った。故に知らない。
ドキドキして頬を真っ赤に染めてきゅっと俯く乙女の姿を。いつか来るその日を予感して嘆く彼女の父を。
鞭で叩く音が鳴る。竜車が動く。沢山の人達がその顔に笑みを浮かべ大きく大きく手を振った。その後ろ姿が遠くなって見えなくなるその時まで。
竜車にはハザン、アル、そして――鬼謀の書士隊、ミラを乗せてポッケ村を出立した。
もう息子の姿が見えない頃、出来上がった人垣が崩れていく頃、立ち尽くしていたアルの母、アルシアがポツリと呟いた。
「あの子はうまくやっていけるでしょうか」
「やっていけるさ。俺たちの子だからな」
「……そうですね。次に会う時はもう少し背が伸びているかしら」
「どうだろうな」
「立派になりましたね」
「ああ……」
夫婦は息子が見えなくなってしまった辺りをずっと見つめて、またアルシアがポツリと呟いた。
「……寂しくなりますね」
「……ああ」
アルは遠ざかる雪の山々と嬉々とした表情で眺めていた。心地よく晴れ渡る空の下、雪景色が良く映える。
一面を雪で覆われたフラヒヤ山脈。これが二度目の別れとなる。だが、大切な仲間がいて明確な意志があって帰りたい場所がある今なら言える。
屹立するフラヒヤ山脈を眺め、故郷の人達を思い浮かべて。
「いってきます」
アル=ヴァイス――二度目の巣立ちである。
◆ ◆ ◆
地面を打ち付けるのは無数の雨粒。溜まった水に淀んだ空が映る。
次の瞬間、激しい足音が加速して刹那、水飛沫を飛び上げて鉄靴が一瞬で過ぎった。数秒後、鋭利な爪をもった脚が次々と通過していく。
ここは密林。気温、湿度共に高く、緑と水で溢れた生物たちの棲家である。
その最中に二つの駆ける者がいた。
流れる視界。横殴りの雨がもの凄い勢いで過ぎてゆく。叩きつけられる雨を掻き分け鬱蒼とする木々の合間を駆け抜ける。濡れて輝くランポスシリーズが忙しく音を立てる。
しかし、彼女の耳はそんな音を介さず、逃げる為の最優先の情報だけを取り込んでいた。後ろから聞こえる足音、鱗と草木が擦れ合う音、喧しい鳴き声。
雨の密林を駆け抜ける彼女を追うのは青い狩人と喩えられるランポスである。発達した脚力で距離を縮め、持ち前の連携で彼女を嫌らしく追い込む。
人とランポスの走る速度には歴然の差がある。元々の筋肉の質が違い過ぎるのだ。
距離を極限にまで縮めた一頭のランポスが狙いを定める。躍起に駆ける彼女は気配と殺気を感じて背後に目をやった。
「うッ」
一拍分遅かった。跳びはねたランポスが彼女の背中を蹴りつけて、彼女は勢いのままランポスと絡み合って泥土の地面を激しく転がる。
一跳びだけ退いた彼女が口の中に飛び込んだ泥を吐き捨て、腰に佩かれた双剣を抜き放つ。雨に濡れて一見分からないが既に剣は血と脂で塗れている。
振り乱れる綺麗な髪は泥で汚れ、目を惹くような金色の輝きは見る影もない。
飛び掛かってきたランポスは平然と立ち上がり、喧しい喚き声を上げる。雨音が被る。
雨に濡れた刃を一瞥する。刀身に映された自分の顔は酷く疲れていて泥で小汚い。
奴ら、ランポスの群れと遭遇してから数時間は経過している。減らした数は既に指折りで数えられるほどではない。二十頭か、もう三十頭に達したかもしれない。群れの規模が予想の範疇を上回り過ぎた。それ以上にその数を統制する秀逸な頭領が厄介だった。
遅れて奥から現れた一回り大きな頭領、ドスランポスに彼女は鋭い視線を送った。この雨の中、長期戦を強いられる元凶となった強者である。
「こんなに強かったっけ……」
彼女の常識を優に超える強者たちは着実に彼女を、彼女が弱音を吐くぐらいまでに追い詰めていた。
残された道具を手探りで確認しながら、しっかりと記憶する。雨で視界の悪い中、細心の注意も怠らない。
ジルバが突然の離脱となった今回の狩猟は彼女の予想を遥かに上回る難易度であった。
金髪の彼女、エレナは秀逸なドスランポスが指揮するランポスの群れを前に煮詰まっていた。
アルフレッド=ヴァイス
ヴァイスはWeissというドイツ語から取りました。意味は白色です。ポッケ村の雪から白を連想させました。アルフレッドは良き助言者を意味するらしいですが、彼の父であるライガルの、子どもには強そうな名を与えたいという方針がより関係しています。
今回の挿絵。
アルが伸ばす手と燃え上がる炎。
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