モンスターハンター 老年の狼   作:まるまる

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其の弐

 物事に必ず順序があり、そして、節がある。節を越えることで物事は展開し、新天地へと歓迎される。

 ハンター達にも節がある。その第一の関所が登竜門とも呼ばれる。これを越えることでハンターは新人として扱われるのだ。

 登竜門、これをハンター達はイャンクックを狩ることで越えたと見なしている。これを突破できなければ、新人卒業は愚か、最下級から昇格できない。厳しい世界かもしれないが、これが命を懸ける者達の厳しさなのだ。

 

 

 

 それは密林の知られぬ土地に舞い降りた。

 静まり返った月下の密林が風に荒れ、騒めく。

 夜空から悠然と降りてきた赤みがかった体躯。しゃくれた強靭な嘴、目を引く扇状の大きな耳。細長い尻尾をひとたび、振れば大木が折れる。青い皮膜に覆われた翼を叩きつければ、暴風を巻き起こす。関節から見える筋肉は人と比にもならない。頑丈な甲殻はハンターの得物を弾き、口から吐き出す火炎液は痴れ者を焼き焦がしてきた。

 来たる駆け出しの者達を幾ともなく返り討ちにしてきた新米狩りの鳥竜、イャンクック。その風貌から怪鳥とも呼ばれていた。

 何処とも知れぬ地で、その勢威で厳しい自然を渡り歩いていた。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 ランポスの狩猟を終えた後日、再びエレナは次の目的地へ向けて竜車に揺られていた。

 エレナがこの三日間、退屈そうに過ごしていたのが、村人たちの間で可哀想に思えたのか、次から次へと依頼が舞い込んできた。しかし、少女一人のために無造作にモンスターを狩猟する訳にも行かず、舞い込む依頼はほとんどが採取か、調査だった。村人たちの温厚さを汲み取って、口には出さないものの、エレナ自身は不満足で一杯なのだ。

 だから、今日は愚痴を飲み込んで渋々、目的地を目指していた。口を尖がらせながらメモしておいた依頼の内容を確認する。

 本来なら規則によって多数の依頼の複数同時受諾は違反なのだが、依頼の急増と村長の配慮で複数の依頼を同時に請け負っている。そんな訳で今日はアオキノコと薬草とにが虫、ハチミツを採取し、密林調査も兼ねている。個人的に落陽草を取りたいと思っている。

 メモされた内容全てを確認し終え、改めて頭の中になぞり書きしてメモをしまう。いつの間にか、森を抜けて崖へと出ていた。通りで明るいと思った、と辺りを見回すエレナの目に巨大な湖が飛び込んできた。

 

「わぁ……あそこなら沢山、採れそう」

 

 勝手な解釈で水の近場には緑が生い茂っている。そうなれば、採れる物も多いと読んで第一の目的地はあの湖周辺に決めた。ほかに目ぼしい場所がないか身を乗り出して、見回すと幾つかあった。しかし、どれも新米の推測で確率は低いものだ。

 目的が狩りではないが、宏大なえもいわれぬ自然の景色に圧倒され、期待が止まらない。最初こそは口を尖らせていたが、そんな事はすっかり忘れている。やっぱり、ハンターになって良かったとつくづく思う。

 今から狩り場へと入る狩人とは思えないほど、嬉々とした表情で、いた。

 

「お嬢ちゃん、この崖を下れば降車場所だ。そろそろ準備しておくれ」

「はい! 分かりました」

 

 皮袋を付けた紐を腰に結び付け、その上から双剣を佩くためのベルトを身につけて、持参のパンを口の中に放り込む。兜を拾い上げ、背嚢を背負った。

 出発の準備は万端。湖の位置をもう一度、見直して緩んだ頬を引き締めた。

 

「よしっ」

 

 恒例の気合を小さく入れ、心の準備も終えた。

 

 

 

 季節はもう繁殖期中頃。場所は、かの密林。

 繁殖期といえばモンスター達が盛り時。狩人達にとっては狩猟の季節という代名にすら成り得た。そうともなれば、やはり、この密林には狩猟を、と思うところだが、今回は採取と調査のみである。繁殖期ということもあり、生物の全体的な動きや数などを調べる必要がある。

 先程、草食竜――アプトノスと青き鳥竜、ランポスとの生命のぶつかり合いを垣間見た。ランポスは食を得る為に、アプトノスはそれを防ぎ、生き残るために。互いが互いの目的で激戦が生じた。そして、エレナはそれを第三者として見届けていた。やはり、命が関われば自ずと手を貸したくなる衝動に駆られるが、自然の調和を図る者としてこれに手を加えず、そっと離れた。

 酷かもしれないが、これが自然の摂理だと言い聞かせ、かなり離れたところで今は採取に専念している。土を退かし、細木を持ち上げて、五つ目のアオキノコを発見、手に入れた。

 

「ふぅ……これで、良しっと」

 

 採ったアオキノコを皮袋に入れ、代わりにメモを取り出して、残りの採るべき物を確認する。

 

「やっぱり、昼間には見ないなぁ」

 

 湖周辺で散策したところ、期待通り集まる物は集まった。これで依頼の物は全て集めたのだが、個人的に欲しい落陽草だけが見つかっていなかった。

 落陽草は暗がりや日の当たりが悪い土地に生えている。強運が備わっていれば、日中にも見られることがあるが、基本は夜に見ることが多い。良い香りがする為、未だ殺風景な部屋に是非とも飾りたいと思っていたのだが。

 

「諦めるしかないかぁ」

 

 行きは馬車だったが、帰りは足だ。この時間から帰れば、夜までには着くだろう。それぐらいの距離でしかない。右手に見える湖を挟んだ向こうの山脈を越えれば、もっと深い密林へと入り、やがて、テロス密林と名付けられた地に入れる。きっとここ以上に獰猛なモンスターがいるのだろう。今の自分では飛竜など到底、相手取ることなど叶わないが、何時かまだ見ぬモンスターと遭遇することを夢見ている。これも、ハンターとしての当然の思考なのだろうか。少なくともエレナはそう考える者だ。

 自分の姿を見つめ直し、エレナは大きく意気込んだ。

 

「もっと、強くならないと!」

 

 そう意気込んでいると――その足音は聞こえた。

 

「……大きい足音。結構、近い」

 

 どんどん、近づいて来る足音に緊張感が高まる。近い、それもかなり。

 鬱蒼と生い茂る木の影の向こう。

 鮮明になり始める大きな影。

 木々が薙ぎ倒されて、足音が止まった。

 

「……止まった?」

 

 身構えたまま、音を立てずにゆっくりと木の影の向こうへと歩み寄る。そこで何が起きているのか、知りはしない。だが、好奇心が足を無意識に動かしていく。

 汗が止まらない。暑さだけでなく、これは恐怖に似た胸騒ぎの汗。

 草の影に隠れ、その様子を窺おうとして、光景に思わず声が漏れた。

 

「あっ……」

 

 巨大な扇状の耳がぴくん、と動く。目の前の獲物から視線を外して、ゆっくりと首が回る。

 強靭な嘴が特徴の顔が、こちらを向いた。

 

「……あ」

 

 視界の端に映った商人を確認する。

 逃げなければならない。本能がそう告げていた。いや、頭の中で必死に叫び上げている。

 それでも、逃げるという手段はエレナの選択肢にはなかった。立ち向かい、命を危険へと晒す。何故だろうか。

 ――言うまでもない。商人を助けたいから。

 

 そして、私が狩人だから。

 

 動かなくなった身体に電流が走ったかのように、動かなくなった血流が激流を起こしたかのように、彼女の身体は一瞬にして、考え、動く。

 本で読んだことがある。イャンクックは音に敏感だ。ならば、と双剣を引き抜き、打ち合わせて興味を誘う。いや、正確に言うなら挑発だ。

 そして、恐怖の最中にいて、動かない商人に檄を飛ばす。

 

「私が注意を惹きますから逃げて下さい! ここから西に村があります!」

 

 人間というものは窮地に立たされた時、不思議と行動が見違えるほど速くなるようだ。驚いたように顔を上げた商人はこくこく、と頷いて気付けば密林の影に姿を消していた。

 イャンクックはそれを見る事も無く、こちらに迫ってくる。どうやら、商人の逃走は成功らしく、更に音はかなり有効なようだ。有効すぎて興奮するのも皮肉だ。

 

「生きて帰れる……かな」

 

 弱気な独り言。エレナだって命が惜しいのだ。懇願するほど、泥を啜ってでも惜しいのだ。例え、狩人であっても命あっての物種だ。

 見上げれば曇天。あの快適な青空はこの憂慮な不明確な雨雲の向こうにある。

 奇しくも現状に似ている。この苛辣で無慈悲な現状を打開すれば、渇望の生還。

 

 狩るか、狩られるか。それはつまり、生きるか、死ぬか。

 雨が降る。最初の一滴。

 両者が動いた。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 明け方の朝。皆が目を覚ます少し前辺りの時間。

 周りの住宅より逸脱して良質で大きな家。設備が不十分なジャンボ村には似つかない家の窓が静かに開いた。

 囀りだけが響く。昨日の雨で外は水溜りが点在しているが、顔を見せたばかりの太陽が趣ある光景へと変えていた。空気は洗われたように清々しく、水溜りが綺麗に輝く。

 

「どうも、老いると朝が早くなるな」

 

 年齢を感じさせる白髪に前髪をかきあげていて、後ろに流している為か額の皺も目立っている。漆黒の双眸は少し釣りあがっており、少し強面な印象を持つ。更に特徴的な右眼を縦断する痛々しい古傷。これが強面な感じを助長していた。

 外の景色から視線を離し、炊事場へと歩いた。そして、朝食に、と保管してある果実を取ろうとした時だった。

 静寂に包まれた家内に扉が強引に開かれる音が響いた。

 

「こんな朝早くから、何じゃ?」

 

 取ろうとしていた果実を戻し、玄関の方を見やる。どたどた、と騒がしい足音が止まった。

 炊事場に飛び込んできたのは見間違える筈もない、竜人族の村長だった。

 

「入って来るならノックくらい……などと冗談が言える状況ではなさそうじゃな」

 

 一般の年寄とは思えない即座の反応に、息を切らしながら慌てた様子の村長は口早に言った。

 

「突然ですまない。大変なことが起きたんだ。一週間ほど前に専属ハンターの女の子が来ただろう? その子が昨日、来訪するはずだった商人を庇って、イャンクックの標的にされて、消息不明になってしまったんだ。昨日、帰って来なかったのをオイラが奇妙に思うべきだったんだ。オイラが楽観視したせいだ……」

 

 慌てた様子の村長は明らかに動揺し、現状の対処に困窮していた。無理もない。恐らく、こういった事態に巻き込まれるのは今回が初めてなのだろう。誰でも最初は恐れ、慌て、混乱するものだ。

 老人は村長を宥める様に落ち着いた口調で話を切り出した。

 

「それで……救出の要請をこの老いぼれに?」

「そうさ、『黒狼』の二つ名を持つ元凄腕のハンターの君にしか頼めないことなんだ。他の村や街に要請したら、時間がかかってしまう。君なら分かるだろう? お願いだ、もちろん、報酬金も出す」

 

 よいしょ、と言って腰に気を留めつつ、椅子に座り、少しの間、考える素振りを見せた。

 

「ワシは、穏やかな余生を過ごすつもりだった。六十過ぎの老いぼれはさっさと狩り場を去って、若い世代に繋ぐつもりでおった――しかし、これからを作る若い世代が今、危険に晒されておる……あってはならんことじゃ」

 

 穏やかだった目は閉じた次の瞬間には鋭い気迫を孕んだ双眸へと変わった。

 

「報酬はいらん。どうせ、短い命じゃ……最期の仕事、引き受けよう」


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