モンスターハンター 老年の狼   作:まるまる

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其の参

 アルは洞窟を駆け抜け、折々に首を後ろに捻って、彼我の距離を確認した。頭に記憶した地図を広げながら景色と照らし合わせ、行くべき道を辿っていく。

 ずんぐりとした鈍重な体躯を揺らしながら、フルフルが必死に追い駆けてくる。フルフルが奴を執拗に追い駆けるには理由があった。アルが右手に握る物、角笛の効果だ。

 アルは息を荒く乱し、もう一度、後ろへと眼を向けた。徐々に距離が縮まっている。遭遇した場所からもう十分に離れた。

 そろそろ、潮時か。アルは踵で急停止、横に向かって身を投げた。衝撃を殺すため、身を転がすのも忘れない。

 

「ハァ……ハァッ……」

 

 激しく脈打つ頭にズキズキと痛みが走る。全身に酸素が行き渡らず、肺が酸素を激しく要求している。にも関わらずアルはこれからも酸素をより多く必要とする。

 目の前の脅威は首を捻ってこちらを向く。不気味な顔はやはり、見慣れない。

 遁走ばかりのアルに鬱憤が溜まったのか、フルフルは甲高い突如の咆哮を放った。奇声と声量に圧倒され、アルの足がよろける。だが、すぐに自分自身を一喝して平静を取り戻した。

 近くに頼れる仲間はいない。絶望で目の前が真っ暗になりそうだ。勝てるのか、積み重なる嫌な想像が死の不安を想起させる。

 

(……駄目だ! 考えるんだ)

 

 思考は人間にとって最強の矛であり、盾だ。これを放棄すれば、見る間に殺される。

 

(良い方に考えるんだ。これで、カルラを巻き込まないで済む……)

 

 そう。カルラが歩けないほどの怪我を負ったためにアルは巻き込むまいとこうして場所を移したのだ。

 しかし、その労力は想像以上にアルの体力を奪った。カルラを助ける為に駆け付けた距離を足し算すると尚更のことである。もう、どれほどの距離を走ったのか分からない。

 故に――アルの動きには不備が見え出していた。それは発端になり、やがて致命的に表面化する。

 

「しまッ――がぁっ」

 

 アルの膝がくずおれたところをまるで狙っていたかのように白い尾が薙いだ。馬鹿力をもってアルの腹部を打ち付け、更に身体を丸ごと浮かせた。

 岩床を二度バウンドして壁にぶつかり脱力。

 静寂が流れたと思われ、決着がついたのかとフルフルが歓喜し始めた頃合い――ガチャリ、と硬い物が填まる音。

 転瞬、アルが予告なしに軽銃を構え、発砲。しかし、高速の貫通弾はあわやというところでフルフルの真上を過ぎ、後ろの壁を抉った。

 

「っ、外れたッ」

 

 排出された空薬莢がむなしい音を立てて落ちる。

 この必中の間合いで外した事実はアルの精神面に重くのしかかった。しかし、気にしていられない。

 軽銃を折り畳み、金属音を鳴らしながらハンターナイフを抜き放つ。飾りっ気のなく飛竜を相手取るには心許ない得物である。

 フルフルが身を屈め、弾けるように跳躍する。一目散に横に跳んで避け、片時もフルフルを視界から外さぬよう即座に体の向きを変えた。

 尻尾がしなり、横薙ぎに払われた。伏せていたアルの頭上を高速で擦過する。まだ痛む腹を庇いながらアルは後じさる。骨の異常はないが、痛々しい打撲の痕くらいはできているだろう。

 彼我の距離は十分に保たれた。しかし、敢えて軽銃には手を伸ばさない。型通りに剣と盾を構え、接近戦を唆す。

 フルフルは再び体躯を小さく縮め、アルは跳躍を予期した。しかし、フルフルの力のベクトルの向きは鉛直であった。

 冷静な思考を驚愕が上回り、反応に遅れる。アルの真上の天井に張り付いたフルフルは強酸の唾液を垂らすと共に自ら落下した。

 ――熱い。肌が、いや鎧が融けた? それどころはない――潰されるッ。

 歯を食いしばり、跳び、身を丸めて前転。

 ほぼ無音の着地。しかし、確かにフルフルは殺意を孕んで自分の圧死を狙った。

 

「危な、かった……」

 

 切れ切れの息継ぎの合間にそう言葉を零す。

 体力の限界が近い。先の奇襲による悪寒がまだ残っている。

 アルは銃の扱いを得手とする狙撃手でありながら、尚も剣と盾を把持し続けた。しかも、駆け出し、勇敢にフルフルへの接近を望んだ。

 不気味に首を伸ばしてくる噛み付きを間一髪で避け、執拗にフルフルの周囲を疾駆した。数度の斬撃を与えてやって皮一枚の差で体当たりから逃れる。

 フルフルとて馬鹿ではない。接敵を得意とする者ならば、それに対して戦いの方向性を変えてくる。狙撃手に対して無意味だった攻撃が本領を発揮をするわけだ。

 身体を低めたフルフルが尻尾の吸盤を地面につけた。

 

 ――きた。

 

 アルは片手剣を収め、走り出す。腰にぶら下げたホルダーからペイントボールを外して掴み、フルフルに投げつけた。鼻腔に独特な臭いが入り込んでくる。

 次の瞬間、フルフルの体内から青白い光が放たれ、一瞬で電光が跳ねるように駆け巡る。しかし、アルは雷撃の範疇どころか、この広間から抜け出て、洞窟の出口へと駆け込んでいた。

 青白い電光が退き、影が貪るように四方から広がった。

 

(やっぱり、あの放電には大きな隙が出来るっ!)

 

 危険を冒してまで接近戦を主とし、フルフルの放電攻撃を促した。そうして、その大幅な動ける余裕をつくり距離を離す。しかし、フルフルはあっという間にアルの足音に感付いた。

 拡散弾を装填。銃口の向く先は天井。フルフルが現れた次の瞬間。

 

 ――銃声。直後に小規模の爆音が連続し、崩れ落ちる岩の轟音と被る。

 

 崩れ落ちた岩はまるで、グロテスクなアートのようにフルフルの皮膚に突き立ち、血が噴水の如く噴き出た。しかし、致命的に思われたフルフルは伸縮性の首をこれでもかと伸ばしてアルを喰らおうと試みた。

 ただならぬ殺意と怒気が肌身に刺されたアルは洞窟を抜け出した。

 まだだ。積み重なった岩が退かされる音が聞こえる。殺気を孕んだ奇声が聞こえる。フルフルは存命し、今も尚、獲物を追い込もうと頭を働かせている。

 

「大丈夫。大タル爆弾の音は聞こえてない」

 

 死闘はまだ続いている。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 エリックとハザンは息を切らしながら駆け付けたが、場の静けさに呆気に取られていた。

 間もなく、苦しそうに座っていたカルラから事情を知る。

 

「アルが、一人で……?」

「カルラ。足を見せて」

「まだ話は終わってないわよ。アル兄は一番のポイントへ行くって言っていたわ」

 

 足の防具を外しながら、カルラが淡々と説明する。露出した足の肌をエリックが布で覆い、患部を見て目を見開いた。

 

「酷い。……骨にはいってないだろうけど、歩くのも難しいよ」

 

 真っ白な肌と相まって赤く腫れ上がった足首が目立つ。それを見て、エリックがそう断言した。事実、何度も立ち上がろうと試みたカルラはその怪我の酷さを一番分かっていた。

 しかし、足手まといになった自分が、アルを独りで戦わせた自分が。悔しくて。情けなくて。嫌いで。

 数日前にアルに言っていた言葉が思い出される。

 

 ――足を引っ張らないでよ。特にアル兄っ。

 

 あの時の私が恥ずかしくて堪らない。この中で一番足を引っ張っているのは他でもない私なのだから。

 

「……悔やむ暇があるなら、今、出来ることを探せよ。アルを助ける策を必死で探せよ。まだ……まだ生きている可能性があるなら……何だって出来るだろうが」

「え……?」

 

 カルラと今までほとんど会話を交えなかったハザンが唐突に言葉を零した。兜の内で静かに涙を流すカルラにとっては赤の他人から説教をくらったようなもの。

 思わず感情的になってしまったハザンは自分が並べた恥ずかしい言葉の数々を脳裏に浮かべた。顔が赤らむ。背中を向けながら、尤もらしい顔をしてハザンは言い直した。

 

「だから……いつもみたく堂々と胸張って働け、って意味だ。二度も言わせんな」

「……うん。そうだね。ありがとう」

 

 カルラの堂々と虚勢を張っていたあの時の姿はもうない。素直に現実を受け止め、声も刺々しさがなくなり、柔らかになった気がする。ハザンはホッと胸を撫で下ろし、エリックは微笑ましそうに二人を見つめていた。

 素直に礼を言われると思っていなかったハザンはまた恥ずかしさを感じて、二人に背中を向けて警戒に集中した。エリックも話を聞いてない素振りをしながら、応急処置を続ける。

 そんな時。

 

「エリックさん。妹さんを……頼めますか」

 

 探知機のように感覚を敏感にさせていたハザンが突然、言葉を寄越す。

 何事か、と応急処置を終えたエリックが振り返り、ハザンの視線の先を追った。

 恐怖をそそる闇の向こうから最初に見えたのは黄色い嘴と牙。エリックがその敵を認識するのには僅か数秒足らずだった。

 群れて現れたそれは当初、白ランポスと呼ばれ、ランポスの亜種に属された。しかし、今や見識が広がり、その名はギアノスと称されている。全身の鱗と皮は雪と保護色の白で統一されるも、姿形はランポスと酷似している。白ランポスと言われる所以である。

 

「ハザン君は? どうするつもり?」

「ペイントボール。多分、アルからの合図です」

 

 一度、漂う臭いを確かめ、エリックが納得する。

 

「分かった。気を付けて」

「エリックさんこそ」

 

 後ろ髪引かれる思いでハザンが駆け出す。間もなくして、ギアノス達の喧しい鳴き声が響き渡り、同時にギアノスの悲鳴が被さった。

 背中で揺れる太刀。振り回される道具達。擦れ合う防具。一刻も早く向かわねばなるまい、というこの事態に身につけた物のほとんどが無駄に思えてくる。本当に捨てて行ってしまおうか、と思うくらいハザンは急いでいた。

 見え始める外界。夕刻を知らせる橙色の光が見えてきた。

 洞窟を走り抜けた途端、夕刻の太陽が、仄かに赤く色付く雪が、温泉での原風景を思い描かせる。その不意にアルの顔が想起された。

 ハッとして視線を巡らすと――いた。アルと、フルフルだ。

 銃で発砲したかと思えばすぐに片手剣へと切り替え、身を捻って躱すか、盾を器用に使ってフルフルの猛攻をやり過ごす。一方のフルフルは人間の業とは思えないほどの大きな傷を抱え、更に数か所に爆発の痕跡が見られる。死線はかなり近いらしい。

 駆け付けるか――否である。アルが命を張ってここまで誘い込んだのには訳がある。

 ハザンは死闘の展開を見届けたい気持ちが働いたが、無理矢理に視線を引き剥がし、すぐ近くの荷車を見た。正確にはそれに積まれた大タル爆弾である。

 

「死ぬなよ。アル!」

 

 

 

 息をするのが苦しい。アルは既に尽きた体力を体の奥底から無理くりに引っ張り上げ、死に物狂いで全身へ血を巡らせた。

 常時、酸素が足りない中、アルは一瞬だけ視線を移し、荷車の方を確認する。ハザンがいる。こちらの意図に気づいているのだろう、荷車の方へと駆け寄っていた。

 アルは一先ず安堵し、再びこちらへと気を巡らせる。

 フルフルが身を屈める。何度目かの既視感。跳躍の前兆だ。確かな余裕をもってアルは回避しよう、とする。しかし、膝が崩れ、視界がブラックアウトしかける。体が悲鳴を上げていた。

 

「っ」

 

 脳を酷使し、避け切れないと判断。盾を構え、来たる衝撃に備えた。

 後ろに跳んで、逃げる。が、フルフルの推進力が上回り、体重を活かした突進がアルの身体に捻じ込まれた。足が雪原から離れ、体が数メートルほど引っ張られる。

アルは雪に靴底を引きながら後退。慣性力を強引に殺して、踏み止まった。しかし、既に限界を経ていた足が膝から崩れ落ちる。

 歯を食いしばった時に切ったのか、血の味がする。口の端から血を構わず零しながら、顔を上げた。

 間合いが詰められている。顔を上げるまでに余程の時間を要したのか。

 フルフルは何を思ったのか、白い体躯の中から電光を奔らせ、電気が爆散するように広がった。帯電して跳躍するつもりだ。

 フルフルの放つ迅雷がアルの身を焼き、一瞬で圧死される映像が流れ、背筋が凍り付く。しかし、思考は甚く冷静だった。

 ――この距離を跳躍で? ――何故に?

 アルはハッとし、振り返る。フルフルの狙いがハザンにあることを見極め、絶叫した。

 

「ハザン君ッ、逃げてええええええぇぇぇぇッ!」

 

 雷撃から引火――目も眩む激しい爆光が瞬いた。


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