まだ雪が多く残るポッケ村は今日も変わらず寒い。
ポッケ村。極寒の自然がもたらす恵みやギルドの出張所もあることからハンターの出入りが比較的多い。その為、施設が充実しており、温泉なども湧いていて観光客も多い。
事実、集会所は温泉の温かい空気が漂っていた。この集会所のすぐ近くに温泉街があるのだ。
ハザンは辺りを見回して集会所の様子を窺った。受付嬢を除くと数名の村人ばかりが卓を囲っているだけで狩人――机を挟んで向かいに座っている二人を除いて――は見当たらない。ここの優秀な狩人は半ば強引に引き取られて村を出ていく。その為に狩人の過疎化が進んでいるのだ。
続いてハザンは盗み見るようにちらと目の前のハンターを見た。
片方は長身の青年でその防具はギザミシリーズだが、世間に流通している物と比べると小ぶりに見える。防御力を落としてまで重量を軽減するのだから、回避に特化しているのだろう。若しくは得意とする役割に沿った為か。
しかし、ハザンが注目したのはそこではなかった。机に立てかけられた飛竜刀【青葉】、これがハザンの視線を止めた。同種の武器を持つ者として興味が湧いた。
その彼の隣の妹であろう少女は小柄でありながら、大きな槍と盾からなるランス使いのようだ。ランスへの知識は浅いが、使われている素材が一角竜のものであることぐらいは分かる。屈強な一角竜をハザンに想起させ、ハンターの力量を同時に思い知って感服する。
エリック=ヴァイスとカルラ=ヴァイス。彼らがアルの兄妹であることは苗字は勿論、アルと同じ茶髪の蒼眼からも十分に推測できる。
「二人は珈琲、飲む?」
「あっ、うん」
アルが答え、ハザンが頷く。
エリックは慣れた様子で珈琲を三つ注文すると再びこちらに向き直った。
「さて……本題に入りたいんだけど。ちょっと不測の事態が起きててね。まだ本格的な話は出来ないんだ。悪いんだけど……今夜、またここに集合で良いかな?」
「僕は構わないんだけど……兄さん、不測の事態って?」
「それは今夜、話すよ。長旅で疲れてるでしょ? 今はゆっくり休んで、それからでも良いと思うんだ」
「兄さんがそう言うなら……」
受付嬢がお盆から珈琲を三人の前に置く。そして、カルラの前には温かい苺ミルクを置いた。
各々がコップを手を包んで温め、温度に苦戦しながら少しずつ飲む。
落ち着いた頃合いを見計らってハザンが口を開いた。
「……一つ、質問良いか?」
届いた珈琲を少し口に含ませてからエリックが答える。
「どうぞ」
「俺たちはフルフル討伐の応援として来た訳だが……こっちだけでは対処し切れないほどなのか?」
「できるわよ。私とエリック兄の二人だけでも。ただ村長の許可が下りないだけ」
刺々しい返答が意外だったのかハザンが言葉に詰まる。一方で腕を組み、威圧的な態度のカルラはその目の色を一切揺るがさなかった。
カルラは刺々しい視線を移し、アルを刺す。
「だから、足を引っ張らないでよ。特にアル兄っ!」
「……ごめん」
アルは弱々しく声を落とし、視線も落とす。そんな男の面影がない弱々しいアルへとハザンが一瞬、鋭い視線を浴びせた。
一方で全く対照的に威圧的な態度のカルラは口を尖がらせたまま、急に態度を変えてエリックに穏やかな声をかけた。
「エリック兄。これから、村長に報告があるんでしょ? 早く行こ」
「うん。でも、まだちょっとだけ話が残ってるから先に行っていてくれる?」
「ん、わかった」
体の向きを変える間際、カルラは鋭い視線でアルを射抜き、嘲笑うように鼻を鳴らして歩き去っていった。何とも話し辛い空気が漂い、エリックが申し訳なさそうな表情を浮かべる。当の本人、アルは苦笑いを浮かべるばかりである。
ハザンは情けないアルに苛立ちを覚えながら、話を再び切り出した。
「……で、本当のとこはどうなんだ?」
「正直な話、無理だね。完全に力不足だよ」
「アンタらの装備を見る限りそうでもなさそうだが?」
「これはね、父がくれたモノなんだ」
「そういうことか……ん? じゃあ、アルは何で……」
ハザンは首を振り、アルの全身を舐める様に見る。白い装備一式、ギアノスシリーズにギアノスの素材を用いたショットボウガン・白。彼らが身に付ける代物とは歴然の差がある。
「僕は父さんの思いを裏切ってガンナーになったので、装備はもらえなかったんです。まぁ、自業自得ですね」
「……そうか。で、残った話とは?」
案外、素っ気なくアルの話を流し、ハザンは話題を変えた。珈琲を飲み干したエリックが話を続ける。
「カルラの事なんだけど……悪く思わないでやって欲しいんだ。本当は優しい子なんだけど、実は数日前、カルラの親友だったハンターが亡くなってしまってね。原因はフルフルの仕業なんだけど……どうやら、相当に落ち込んでいるようなんだ」
「そう……だったんだ」
「なるほど、な……」
「ごめんね。暗い気持ちにさせちゃって」
「いや、兄さんは悪くないよ」
「そうだ。アル。もう父さんと母さんのところへは行ったのかい? 二人とも……楽しみに待ってるよ」
「この後、行くよ」
「そうか。じゃ、僕はこれから村長に報告があるから……また今夜」
そう言ってエリックはすっと立ち上がり、颯爽と飲み物の勘定を済ませてしまうと集会所から出て行ってしまった。黙って奢ってしまうほどに見返りを求めない優しさは昔から相変わらずである。
残された二人の間にしばらく沈黙が続いた後、最初に口を開いたのはアルだった。
「ハザン君は……この後どうするんですか?」
「少し見回るぐらいだな」
「じゃあ、僕は父さんと母さんに会ってくるから……」
「ああ」
二人は随分と素っ気なく、手応えのない別れをした。そこに長旅で寝ても覚めても時を同じくした面影は微塵もない。
「よく帰って来たな。アル」
これは父、ライガルが発した第一声であった。野太い声だ。筋肉が強張るほどに緊張していたアルにとっては落ち着けるには十分な言葉であった。第一声で叱られることも覚悟していたのだから。
相変わらずの筋骨隆々とした威厳あるライガルは腕を組みながら、椅子に堂々と座り、しかし、その表情は無上な笑みであった。隣に立つ母、アルシアも穏やかな微笑みを浮かべていた。
「向こうでは順調か? アル」
「う、うん。皆、優しくしてくれてるよ」
「ハンターとしては? どうだ? うまく……」
「お父さん?」
突然、割って入ったアルシアの穏やかな声の裏に怒りが垣間見え、アルは首を傾げた。
ライガルの厳かな態度が一転、急に後ろめたい態度になっていく。まるで、母に弱みを握られているようなそんな弱々しく、そして珍しい光景だった。
「アル……すまなかった。家を追い出すのは流石にやり過ぎた」
率直な謝罪だった。いつもは高い頭を下げて父が許しを乞っている。父の謝罪を受けたのはこれが初めてである。
いつも父が正しかった。いつも自分が謝っていた。目の前の光景が不思議でおかしくて夢を見ているようで。
アルは予想外過ぎる展開に気が動転したが、取り敢えず。
「あっ、あああ、頭を上げてよ。僕だって家を出た事を良く思っているんだ。むしろ、感謝しているくらいに」
「……そうか。それは良かった」
「うん。だから、ありがとう。お父さん」
無意識に感謝していた。家を追い出された当時からは考えられなかった。
ライガルは照れを隠すように首を横に振り、謙遜しつつもその顔は嬉しそうであった。こんな父を見るとは思いもしなかった。最悪の場合、平手打ちさえ覚悟していたのだから。
その一連の会話を黙ってみていたアルシアがアルの傍へと歩み寄り、そっと両腕を広げる。その温かな包容力は昔と全く変わらない。
「おいで、アル」
「う、うん」
少し照れくさそうにアルはアルシアの腕の中へと飛び込んだ。
アルシアの腕がアルの体を包む。アルは顔をアルシアの胸へと寄せ、懐かしい思い出に浸りながらその抱擁に身を預けた。
言い表しようのない温かさ。安心感。癒し。
「ちゃんとご飯は食べてるの? 怪我はしてない? 向こうでも寂しくない?」
「大丈夫だよ。母さん……」
ずっとこうしていたい。家族の温かさに囲まれて、夜は母の手作り料理を食べて、それから――。
でも、自分はハンターだから。もう、帰るべき場所があるから。
だから――
――母から離れ、用事を伝え、玄関の扉を開けて。
「行ってきます。お父さん、お母さん」
「「いってらっしゃい」」
――ここに帰るのはまたいつか。
◆ ◆ ◆
真っ赤な太陽が沈もうとする頃。真っ白な雪は仄かに赤く染まり、幻想的な色付きで温泉を囲んでいた。
立ち昇る湯気を見上げると、その奥には橙色に染められた空が広がっていた。凍った様に動かない凍雲や橙の空を飛び回る野鳥も鮮やかな見映えである。
ハザンは赤く染まったお湯を軽く掬って、手から滑り落ちるように滴る湯を眺める。ゆったりとした気分だ。体の芯まで温もったのであろう。もうすっかりポッケ村の寒さを忘れていた。
「ふう……」
出立は明日か、それとも明後日か。あるいは、もっと先か。
間近に迫る命のやり取りが現実味を帯びない。それほどに心も体も温かな温泉で緩くなっていた。
温泉を囲む石の一つに頭を乗せ、橙の空を見上げる。
ジルバの指示でジャンボ村を離れ、フラヒヤ山脈の麓までやって来た。思えば、長い旅であった。クシャルダオラによる影響で遠回りを余儀なくされ、加えてモンスター達が密集しているときた。
一番の目的であるフルフル討伐戦を直前に割り込んできた障害物は、今夜話される不測の事態と悩みの種と成り得そうな高圧的なカルラ。そして、共に長い道のりを経てきた仲間は苛立ちを覚えるほどの怯者な男。
今夜に聞かされる不測の事態を想像しながら、夜が迫るのを感じて視線を落とした、その先に。
「……アル?」
「あはは……先ぶりですね」
悩みの種の一つ、怯者な男である。
表情を強張らせながら、アルがお湯の中へと足を入れる。対面した状態のまま、お互いに口を開くわけでもなく、妙な沈黙が流れていた。
しかし、色を変え始めた空を見上げたハザンが唐突に沈黙を破った。
「……やっぱり、故郷は良いものか?」
「……えっ。う、うん。ドンドルマみたいに大きな都市じゃないから、むしろ村が家みたいな感じだけど……」
「どのくらい大切だ? 故郷は」
「どのくらいって言われると良く分からないけど……命を捨てられる覚悟はあるかな」
ハザンは度肝を抜かれた。考えなしに言ったつもりが、予想以上に返答が重い。しかし、底知れぬ興味が湧く。
「命を? そんなに大切なのか」
「うん。故郷だけじゃない。ジャンボ村の皆……もちろん、ハザン君も」
「は? 俺も?」
「うん。ハザン君は僕のことをどう思ってるか分からないけど……僕にとっては仲間だから」
嘘ではないようだ。目を見れば分かる。思ってもみなかった。仲間だと認めていない訳ではなかった。
しかし、命を捨ててまで助けられる存在となると、その見方、考え方はひっくり返る。臆病者だと思っていた存在は自分を捨て身の覚悟で助けられると言うのだ。
――恥ずかしくてたまらなかった。
何が悩みの種だ。何が臆病者だ。立派な、偉大な、自分と同じ、いやそれ以上のハンターではないか。
「……優しいんだな」
「優しいだけじゃダメだ。僕は強くなりたい」
仲間に対する誤解が解かれた。彼に秘められた真が見られた。長旅の代価には十分だろう。
もしも、ジルバが今を予想していたならば。そう考えると、ハザンはしてやられた気分になって不思議と笑みが零れていた。
命を捨ててまで助けられる。そんな豪語をされてしまえば、自分も大言を返してやりたくてハザンは勢いのままに言い放っていた。
「俺たちは良いライバルだな」
「え、ええっ。ら、ライバル……?」
「ああ。俺はジルバさんみたいに強くなりたい。同じ目標なんだ。どちらが強くなるか、競争したくなるだろう?」
「……うん。そうだね。ライバルだ」
アルが「ライバル、ライバルかぁ……」と嬉しそうに呟く。
初めて確りと見たアルの眼差し。正面から受けると、その奥に秘められた志はやはり、本物だ。
日が沈み、夜が来る。狩猟会議だ。
若者二人の道が絡み合う。その先に待つは盲目の竜、フルフル。
まるまるです。
アルは仲間の危険には恐ろしいほど敏感です。それでいて仲間を守るためなら自分の命を惜しまないほどの行動力を発揮します。彼の多大な優しさが成し得る業だと解釈して頂ければ。