見上げれば、星空。真っ暗な空に点々と光る星々。
見下ろせば、無数の死体が無造作に転がっている。誰がどれなのかも分からない。
真っ黒な顔。それは不気味に黒く塗り潰され、こちらを見ている。
ノイズ。助けを求める声が、怒り狂う声が、泣き叫ぶ声が、頭の中で激しく鳴り響く。
――もう、止めてくれ。
◆ ◆ ◆
そこで、目が覚めた。
黒髪黒目の少年は体を起こし、辺りを見回す。
穏やかな寝顔で眠る二人には微かに見覚えがある。意識が分解される最中で見た記憶が仄かに残っている。
立ち上がろう、とした時、初めて現状に気が付いた。
「!?」
手首が縛られ、腕が固定されている。それもかなり強固に。後ろで組まれた腕は体を不自由にさせ、傷だらけの体では立ち上がる事など叶わなかった。
手首と腕を縛る縄は丈夫そうで簡単に切れそうにない。
暴れ回り、縄が解けるのを試みるが結局は傷口が開くだけで顔をしかめた。
「目を覚ましたみたいじゃの」
見上げると、そこには白髪の老人が立っていた。格好から察するに狩人で在ることは間違いないのだが、かなり年を重ねているせいか、狩人と判断するには若さが足らない。
しかし、その堂々たる雰囲気は幾多もの死地を潜り抜けた歴戦の猛者に近い。温和そうな雰囲気を取り除けばの話だが。
「何が目的だ?」
「勝手に行かれて、死なれては困るからの。一応、訊くが、お主はこれからどうするつもりじゃ?」
視線は鋭く、まるで、今から殺人という罪を犯すような目で宣言する。
「復讐する。迅竜を殺してな。だから、この縄を解け」
その固い決意の篭った言葉にどこか悲しげな眼をしたジルバは一拍と置いてから物申す。
「……そうか。エーランドから話を聞いておるじゃろう。黒狼の名を。分かっておると思うが、それはワシじゃ」
「だから、どうした」
「これも聞いていると思うが、エーランドはかつて、ワシの弟子じゃった男だ。そのまた弟子のお主が、ワシが苦戦する相手に勝てるのか?」
「……そんなものは!」
「心持ちでどうにかなるとでも言うのか? お主も立派な狩人じゃろう。そんなもので力の大差は埋められない」
「それでもッ! 俺はアイツを殺さなきゃならない、絶対に」
その確固たる様子に溜息をつき、彼を説得するには骨が折れると判断した。
復讐を決意した人間を説得するのは極めて困難だと、経験から知っていたが、ここまでとは。ジルバは一瞬だけ顔を顰めると、瞬きせずに鋭い眼光を絶やさないハザンを一瞥する。
彼が死地へ赴くのは何としてでも止めねばならない。例え、それが彼を傷つけることになろうとも。
「お主に一つ、話をしよう。ワシの過去の話をな」
きつく縛られた縄を乱暴に解こうと体を捻ったが、解ける気配がないと断念し、舌打ちする。観念した様子で落ち着いたのを確認すると、ジルバは過去を鮮明に思い浮かべながら話し始めた。
「もう二十年前になるな。ワシにも家族がいた。妻と子供と三人で暮らしておった。その時はワシもまだ現役じゃったな。固定で隊も組んでいたんだが、ある時、リオレウスに仲間を全員殺された。……復讐を誓ったさ、今のお主と同じようにな」
興味なさそうな表情をしながらもその耳はしっかりと傾いていた。そして、彼は復讐という言葉にぴくりと体を反応させた。
ジルバは彼の志向が変わりつつあることを確信し、話を続けた。
「ワシは心を奪われたように腕を磨き、死に物狂いで力を求めた。結果として、ワシはリオレウスを一人で狩った。けどな、ワシは何も得られておらん。むなしいだけじゃった」
「俺は違うぞ。俺は……」
「殺して、どうする? その後は?」
「……っ」
悩ましい答え難い質問に苦悶の表情を浮かべるハザンはそのまま、俯いて黙り込む。
復讐をしたその後には何が待っているのか。想像してもいなかった。奴に大切な仲間を殺されたために感情が暴走していた。今の自分は冷静でない。分かっているが、理性ではこの感情を抑えられない。
「自己満足か? 気が狂っていたのか? そもそも、復讐とは何だったのか。ワシは今でも分かっていない。ここで終われば、それだけの話じゃったろう」
「どういう意味だ?」
慎重に探るように問うたハザンに悲しげな目でジルバは告げた。
「復讐に専心するあまりワシは……妻の重い病に気づけなかった。ワシがリオレウスを狩ったその日、妻は死んだ。そして、十歳だった子どもも行方不明になった。ワシを探しに街を一人で出たらしい。結局、ワシは復讐に囚われたせいで家族を失ったんじゃ」
「……俺には失うものは、もう何もない」
「いや、ある。自分の命がな。自分の価値を見失うな。大勢の仲間を犠牲にしたその命を、な」
「……俺の命か。ならば、俺はこの命を復讐のために使う」
「……そうか、気持ちは変わらぬか。ふむ、ワシには復讐を否定する資格がない。ただし、お主の命をそう易々を見捨てる訳にもいかん。そこでじゃ、提案がある」
「提案?」
「ワシと手を組まんか? ナルガクルガを狩り終えるまでの間じゃ」
しばらく、考えた後、ハザンはその鋭い眼光を緩めた。
「……復讐の為ならば。その申し出、受けさせてもらう」
その返答にパッと明るい表情になったジルバはハザンの縄を解くと同時に名を訊いた。
「ハザンだ」
「よろしく頼むぞ、ハザン」
二人は笑みを浮かべると、その手を取り合った。
◆ ◆ ◆
洞穴で夜を明かし、朝方に出発した。その際にハザンとの境遇を説明し、アルとエレナには納得してもらった。
ジャンボ村へ向かう道中、何度かランポスやファンゴ達を武力で退けた。明らかに敵数が多かった。安寧の地へと向かっていたにも関わらずだ。
やはり、北のクシャルダオラと南のナルガクルガに追われて逃げ込んだ地帯が丁度、この辺りということになるのだろう。つまり、今のジャンボ村はモンスターに包囲された状況にある。
本来ならば、逸早くジャンボ村に着き、安全を確保するべきなのだが、現在は古龍観測隊が滞在している。その為に何人かのハンターもしばらくの間、移住することになっていた。
だから、心配はせずとも危険は少ない。よって、安全かつ穏やかな進路を選んだ一行はようやく、ジャンボ村が見える辺りに到達する。
ジャンボ村の奥、北部を眺めれば、古龍観測隊の気球が幾つも浮かんでいる。クシャルダオラは遠ざかりつつあるのだが、異例な為に入念な捜査が続けられているようだ。
一行はナルガクルガとの一戦を無事に終え、ジャンボ村へと辿り着いた訳だが。生存者は一名と悲惨な結果だった。しかし、悔やんでも時間の無駄である。悔やみ、泣き、失ったその先で何をするかが最も大切とするべきことなのだ。
「あれが、ジャンボ村か」
「ここから見ると分かるけど……まだ、小さいね」
「けど、いずれは大きくなるぞ。ワシ達の力でな」
高台から見下ろせるジャンボ村をまじまじと凝視するハザンはその小ささに驚きながらも、それを思わせない活気に感心していた。
ハザンと二人の会話を盗み聞く限り、その親近さに安心しつつ若さの適応力と人付き合いの良さに感慨されながら、ひそかにジルバは若さを羨んだ。
そして、思考を事務的に切り替え、三人の装いを眺め回した。背負う得物も、纏う防具も、飛竜と戦うには乏しいもので、やはり、装備に関して劣るものがある。技術や知識もまだ荒削りで飛竜と戦うには事足りないが、年齢を考慮すれば、上々であるとジルバは考えている。
だとすると、彼らに足りないのは環境と経験。そして、装備だ。
もっと、精進させる為にはやはり、良い環境へと連れて行かねばなるまい。そう考えると、向かうべき先は街か。そんなことを一人で考えていると、ジャンボ村と外地を繋ぐ門が見え始めた。
そろそろ、整備された道に踏み入る。やがて、異邦人をも歓迎してしまいそうな質素な門が見えてきた。
門のすぐ傍で立ち尽くしていた村長の顔が明るくなるとほぼ同時に被害状況の大部分を悟って表情を暗ませた。しかし、その表情はまた一転。強引な作り笑いで四人を出迎える。
「おかえり、そして、お疲れ様」
「久しぶりです。村長さんっ!」
「そうだね。それで……奥のお方は?」
「ハザン。唯一の生存者じゃ。借家がなければ、ワシの家で預かるつもりじゃ。問題ないじゃろう?」
「ああ。むしろ、キミがハンターであるなら、大歓迎さ。ようこそ、我が村へ」
「……感謝、します」
◆ ◆ ◆
悲惨であった猟団の被害を村長に報告し終えたジルバは夜道を一人で帰っていた。
揺らめく炎を多少の灯りに疲れ切った老体を一歩ずつゆっくりと着実に進めていく。足場に気を付けるべくしたばかりを見て歩いていれば、あっという間に自宅に辿り着いた。
ふと、自宅を見上げる。背景が暗い夜空のせいか少しばかり大きく見える。盛んに戦った若き日々の財産で建てたが、邸であるが、独り身には寂しい広さだ。
切ない表情を浮かべ、戸に手をかけ、ようやく家の中から明かりが漏れ出しているのに気が付いた。暫く考えた後、すとん、と何かが落ちたように合点がいく。
こんなことを忘れていようとは。自分の年齢を改めて感じ、密かに心の中で自嘲した。
「この年でハンターをやることになろうとはのう。若い者に振り回されるのも悪くはないな」
一頻り笑ってしまえば、疲れ切った体も落ち着いたようだ。かけたままの手で戸を開いて。
「ただいま」
と、少し大きめに一声。
「あ、台所使わせてもらってます」
若々しい張った声が返って来た。
仄かに香る夕食の匂い。この感じ、何年振りだろうと口元を緩め、ジルバは台所へと向かった。
「見かけによらず、料理が得意みたいじゃな。ハザン」
「猟団で料理担当でしたから……お口に合うか分かりませんが、どうぞ」
振り返ったハザンの掌からゆっくりと滑り落ちた皿には豪快に湯気を上らせる肉が乗っかっていた。玄関で香った匂いの正体はこんがり焼き上がった肉にかかったソースであった。
隙をついて傍に置かれた器には具がたくさん入った野菜スープ。サッパリとした香りがする。
「ほぉ。これは予想以上じゃな」
ソースのかかった肉を豪快に口に押し込み、目を見開くとジルバは感心の声を上げた。
ジルバの頬が緩むのを微笑んで見ていたハザンだったが、ハッとした表情になるや否や机の紙を手にとってジルバに手渡した。
「そういえば、ジルバさん宛に手紙が届いていましたよ」
「……んむ、そうか」
手紙を受け取ったジルバは目を遠ざけたり、近づけたり、また目を細めた後に、徐に並べられた文字を黙読し始めた。
ハザンは徐々に変わる顔色を窺いながら、ジルバが読み終えるのを夕食に手をかけながら待った。
「ふむ……」
読み終えたらしく、手紙の同じ部分を見つめながら、ジルバは顎を擦った。
「内容を聞いても……?」
肉を飲み込んだハザンが口を拭いながら、問いかける。
「昔の友人に古龍観測隊の人間がいてのう。もう引退した身だがな。ヤツの知識にはいつもお世話になっておったんじゃ」
「……クシャルダオラですか」
「察しが良いの。その通り」
「ジルバさんもやっぱり、引っ掛かる点が?」
「うむ……」
古龍種が未知数で謎多き存在であるが故に決定的な確信をもって言える情報がなく、ジルバは敢えてこの場では口外しなかった。
ハザンも内容については詮索してこなかった。それよりももっと大きな懸念がハザンにはあった。
「エーランドの、団長の昔の話をしてくれませんか」
「エーランドの、か? 何故に?」
「……俺はエーランドに助けられて、この命を今までに継いできました。俺はエーランドみたいに強くなりたい。憧れだった。そんなエーランドの口から何度も聞いた名がジルバさん、貴方なんです。ずっと、言ってました。彼以上に強い奴を見たことがない、俺が凄いと思ったやつはアイツしかいないって……」
「はっはっは。今となっては六十を過ぎたジジイだがな」
一度、笑ってみせたジルバはハザンの真剣な眼差しを受けながら、すっと神妙な面持ちになった。
「そうじゃなー。長くなるぞ?」
「構いません」
後にジルバが話す、祖父が語るような昔話をハザンは目を光らせながら聞いていた。
時にハザンの光る目は潤い、きゅっと結ばれた口が震えていた。
死んでいった団員たちの語りは一晩中、絶えず続くこととなった。
前話で言えばよかったのですが、忘れていたので少し説明を。
アルがジルバを助けて、エレナはジルバを助けられなかったという事実が後々でほんの少し関係してくるので頭の片隅にでも覚えていただければ幸いです。