密林の空より眺められる小道に列を成して歩く一団の姿があった。
彼らは武装し、大量の荷物を荷車に積み込んで、ジャンボ村を目指していた。クシャルダオラの跡地を巡る為にだ。不思議な目的だと思われるかもしれないが、ハンターならば一度は興味を示すもの。彼らの団長が行動に移しただけに過ぎない。
そう、彼らは狩人が集った団体。世間でいう猟団だ。彼らは小規模で十数名ほどの団員しかいないが、活気づいていた。そして、仲が良い。主な要因は団長の指針だ。
そんな猟団の前にある生物が現れた。周りの緑に溶け込む毛皮をもつ小型の草食獣、ケルビである。ケルビの角は薬として多用されている。
しかし、それは生物というには最早、相応しくない姿だった。ぴくりともせず、木の幹で静かに横たわっているのだ。
「暴風雨にやられたのか……」
そう呟いた団員は悲しげな眼をして、歩み寄る。
クシャルダオラの跡地を巡る目的でいたために、出来事を暴風雨の所為にする傾向が彼らにはあった。これが、彼の生死を分けた欠陥になろうとも知らずに。
危険を察知した団長が咄嗟に警告を飛ばす。
「ダリルっ!」
「なんですか、団ッ――!」
団員がケルビの傍で屈み込んだその瞬間、黒い巨体が大木から飛来し、団員を潰した。血が飛び散り、肉片が宙を舞う。
波紋の様に猟団に広がる混沌。突如、現れた難敵は肉塊をその足元に留めたまま、吼える。
思いがけない開戦。そして、次の瞬間には黒い巨体、ナルガクルガが容赦なく飛びかかった。
飛び散る紅い液体。流れる景色の中で黒い巨体に団員の二人が巻き込まれた。三名。猟団は一瞬にして三名の仲間を失った。
速すぎる。先程まで隣に居た仲間は既に肉塊と化していた。もう二度と彼は動かない。この現実を受け止めきれず、団員のほとんどが呆然と立ち尽くした。
だが、事実が沸々と鮮明になり、気付いた時には得物を引き抜いて、団員たちが怒りの突貫をしていた。
「くそがあああぁぁ!」
実に安直な突貫をする狩人にいとも容易く噛み付き、鎧を噛み砕いて、放り投げる。無造作に転がってきた彼の顔にもう生気はない。ぞっと背筋が凍る。
絶望は続く。ナルガクルガが振り回した尻尾が荷車を倒し、その衝撃で爆薬が爆発。爆発の連鎖が巻き起こり、何名かの団員が爆炎に飲まれた。
「グルゥ……」
ナルガクルガは驚くべき生命力で先の爆撃が無かったかのように生き残った団員を睨み付ける。混乱の最中にいる団員たちは恐れ戦き、戦意が零れ落ちてゆく。唯一人を除いては。
「俺が時間を稼ぐ。ネイサン! お前が指揮を取って逃げろ!」
「しかし、団長っ……!」
「命令だ。最期くらい……言うこと聞け」
「……っ」
死期を覚悟した団長は振り返ることなく、ハンマーを抜き放つ。その眼は怒りに燃え上がり、柄を握るその拳には無意識に不要な力が入っていた。
その怒りを感じ取ったのか、ナルガクルガが団長へと向き直る。燃え盛る爆炎と死んだ仲間を背景にして。
「ふざけるなッ!」
若々しい声が木霊する。その声に聞き覚えがあった団長は視線をそのままに野太い声を発す。
「ハザン! 従えッ!」
「断る! 俺は……!」
「ちっ、ネイサン……ハザンを頼んだ」
「……っ、任せろ!」
「エーランドッ、エーランドォッ! クソッ、放せよおおおおぉぉ!」
泣き叫ぶハザンという青年は背負われた太刀の柄に手を伸ばしたが、二人の団員によって強引に押さえ付けられた。そして、抵抗も虚しく乱暴に引き摺られる。
――遠退いてゆく憧れの背中。――命の恩人の大きな背中。――既視感がある。――そうだ、彼の背中を追い駆けた日々だ。
いつまで経っても追い付かなかった。しかし、あの日々はもう帰って来ない。
――赦さない。復讐してやる。
――必ず、この手で。
◆ ◆ ◆
一行は密林を駆け抜けていた。急を要する為である。日没が近いので尚更だ。
日が沈んでしまえば、捜索はより困難になる。そうなれば、存命の可能性が低くなってしまう。
全滅などという不愉快な言葉が頭を何度も過ぎったが、その度にエレナは首を横に振った。目の前の事に集中しよう、と言い聞かせ、先行するジルバを追う。
嫌な予感ばかりが頭を掻き回すので、思考を切り替える。思考の方向は無意識にナルガクルガへと向けられた。
前回の交戦をふまえるともう初見ではない。しかし、その速度について行けるとは思えない。正直なところ、不安ばかりである。ジルバが出発前に戦闘は避けると言っていたが、そう簡単にはいかないだろうと確信していた。
既に遠くを見るのは難しい暗さだ。この中であの黒い巨体に素早く動かれれば、見失うのは想像に難くない。これはきっと、猟団の人達もきっと同じこと。そう考えれば、命の危険は高まって。ここで思考を断った。また思考が嫌な方向へと向いている。
(きっと、大丈夫……!)
何とかざわつく心を落ち着かせ、辺りに視線を巡らす。もう日は見えない。完全に地平線の向こうへと落ちてしまった。これからは長い捜索が始まる。迅竜にとって有利となる闇の根城で。
と、思っていたが、眼前に手が突き出された。危うく転びそうになるが、踏み止まる。ジルバによる制止の命令だ。命令の理由は直ぐに理解できた。
火炎の薫香。それを嗅ぎ、察したのだ。
「ワシが様子を見てくる……二人は待機してくれんか?」
「はい」
「分かりました」
ジルバは体勢を低く保ったまま、火炎の薫香が濃くなる方へと足を進めた。時折、後ろを振り返りながら二人との距離の確認も欠かさない。
鼻腔に侵入してくる薫香に嫌な臭いが混じり始めた。この臭い、予想通りだ。鉄臭い。
少し開けた小道に出る。そこで、目に飛び込んできた光景に一瞬、視界が揺らめいたようにすら感じた。
「……冗談じゃないぞ」
無造作に転がる死体。それは焼かれていたり、引き裂かれていたり、潰れていたり。どちらにせよ、生気は見られず、原型もほぼない。真っ赤に染まった小道は焦げと血液の匂いで満ち溢れ、不快極まりない地獄と化していた。
鼻を塞ぎながら、燃え切った荷車、転がる肉塊と無機物、血溜まりを見回す。間違いない、奴の仕業だ。そして、奴はまだ生きている。この酷い残滓を後にして。
「エーランド……」
ジルバは無造作に転がる死体の中から猟団の団長、エーランドを見つけ、顔を歪ませた。あの時の、ジルバを目標だと言い放ってきた時の熱のこもった顔が脳裏に浮かび上がる。
彼が誇りだ、と言い散らしていたハンマーは粉々に砕け散っているのがジルバの目には悲しく映った。
が、悲しみに暮れる訳にはいかない。自分は狩人だ――彼の死を哀悼する暇がない、同時に、彼が守り抜いた仲間を守り通してやれる存在だ。
大人しく待機する二人のもとへと急いだ。これは早急に手を打たねばなるまい。
「どうでしたっ?」
期待と不安の声が声量低めに寄越される。答えは濁すように首を振った。がくり、と項垂れる二人に本当の真実を隠したままジルバは思考を巡らせた。
やはり、あの光景を二人には見せられまい。しかし、まだ生存者は期待できる。不幸中の幸いにも団員数と死体の数が合わない。この事実には期待が持てる。
ジルバはあの惨劇を避けて通る進路を二人に示した。そして、ここからは歩いて行くと伝えた。
「……浅はかだったか。時間が惜しいな」
二人には聞こえぬ様、心の中で言うつもりが不安な状況への焦りのせいか、つい口から出てしまう。
だが、ジルバの弱音に似た呟きよりも二人は夜の恐怖が堪らなかった。もう周りを見渡すのも難しい。近場の物音さえ恐ろしい。
夜の恐怖に怯え震えながら、しばらく歩くと、再びジルバの手が突き出された。びくっと体を震わせ驚きながら二人が立ち止まる。
ジルバは双眼鏡を取り出し、しばらくの間、覗き続ける。その姿を二人は期待を胸に待ち続けた。
真っ黒に塗り潰された視界。確かに垣間見た自分の記憶を頼りにそこに何かがあると信じて待ち望む。
一抹の光。これを見逃さなかったジルバはこれを火花だと確信し、断言する。
「奴だ。生存者もいる」
「行かないと!」
「待て。急いではならん。ここで慎重になるんじゃ。ワシがナルガクルガの注意を惹く。その隙に二人は生存者を安全な場所へ移動させるんじゃ。場所はそうさな……右手に洞穴がある、そこへ運び込むんじゃ」
二人が同時に首肯する。ジルバは二人の落ち着いた表情を確認し、合図を出した。
刹那、狩人達が夜の密林を一斉に駆け抜ける。
朦朧とする意識の最中、温かい感触を感じて、ハザンは目を開けた。
時間は夜。場所は密林。確か自分はナルガクルガに襲われていた。記憶がもの凄い速さで巡り、今に追いつく。そして、完全に意識が回復した時、全てを悟った。
目の前で倒れ込むのは猟団の副団長のネイサン。血に塗れ、鎧は砕け、息はもうない。辺りを見渡せば、無造作に血塗れの死体が転がっていた。皆、自分が知っている仲間。確かに昨日、語り合った仲間。
でも、今はもう語ることはない死体。
彼らだけじゃない。ハザンにはもう知る術はないが、ナルガクルガがここに現れたということは他の皆もつまりはそういうことだろう――
「――くそ野郎」
ハザンもまた同じく数か所に痛々しい打撲、傷がある。だが、倒れる訳にはいかない。
死んでいった仲間の為に戦わなければならない。奴をこの手で殺すまで、絶対。
太刀を拾い上げ、構え、全身を駆け巡る痛みを押し退け、立ち塞がる絶望の元凶を睥睨する。
ただならぬ殺気を孕み、獣のような雄叫びを上げて、地を蹴る。次の手を考慮しない無策の斬撃が容易く、躱された。
黒い右脚が上がる。踏み潰されまい、とその場を素早い身のこなしで移動し、反撃の一閃を繰り出す。斬った感触は明瞭だ。敵の体は他の飛竜と違って柔らかい。
退くことなく、迅竜に執拗に密着し、でたらめに斬り付ける。その振るう速度が無ければ、空っぽな剣技に過ぎない。
無論、冷静を欠いた無謀な猛攻は迅竜の一撃の前には儚く散った。振るわれる尻尾が腹部を捉える。
「がっ」
ハザンの体が地面を四回転した上で大きな幹にぶつかる。肺に残った全ての空気が絞り出され、遂には喀血した。だが、彼の目に宿った殺意は消えず、迅竜を睨んだ。
けれども、迅竜は容赦なくその間合いを一瞬にして詰め、ハザンが頭を上げた転瞬、その小さく儚い身体を宙へと舞わせた。信じられぬ衝撃が体を襲い、気付いた時には俯けに倒れている。
全身に引き千切れるような痛みが奔る。血溜まりに死相が浮かび上がったようだ。それでも、彼は地面に両手を付き、殺意の視線でナルガクルガを射抜く。
「まだ、動ける。俺は……殺すまで――ッ」
ハザンがその言葉は言い切ること無く、途中で全身の筋肉が機能しなくなり、その場に倒れ込んだ。
止まらない出血がやがて、ハザンを囲む血の池と化す。視界がぼやけ、徐々に意識が拡散していく。
腐葉土を掻いて匍匐前進をし続けるが、目の前の死体すら越えられない。目の前の死体は昨日、共に酒を飲んだ男で、自分の死に様を見ているようだった。
このまま死ぬのか? 仇を殺せずに。
脳裏を楽しかった思い出が映像となって流れ始めた。これは、亡くなった父母だろうか。これは、猟団での日々だ。
追い駆けた団長の背中はもう霧の奥に行ってしまって見えない。待ってくれ、と叫んでも振り返ってはくれない。猟団の皆が霧の奥へと消えてゆく。置いていかれる。走っても、走っても、彼らはどんどんと遠くへ行ってしまう。
嗚呼、ダメだ。追いつけない。
もう死ぬ。
視界が真っ黒に染まる直前、赤く燃える炎を垣間見た。
まるまるです。突然の後書きです。
最近、他の作者さんの作品を読みに旅に出てます。とても参考にさせてもらってます。
感想にも出没するかもしれませんので適当に相手してやってください。
今回は執筆けっこう進んだので二話投稿になります。