ツォーネ1984   作:夏眠パラドクサ

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【どいつさんのぷれいすは】超時空魔法少女グレーテル 0【とってもゆっくりできるね!】

 

 

 危険はせいぜい夜盗に襲われるほどのものだろうと思っていた『ちょっとした調査旅行』は、信じられない結末を迎えつつあった。

 ハンブルクの出版社を個人的に訪問してアメリカの驚くべき科学進歩について陰謀論混じりの話を聞く、というささやかな情報収集をするつもりが、なぜか魔術師の弟子にされ、なぜか人間世界を支配してきた超人の秘密結社に追われ、今は地球で最も新しいハイヴ(ホルト)にいる。

 おまえが進む先に人類を救うすばらしい真実などない。引きかえせ。

 引きかえさずに破滅した先人が残した、その警告は正しいものだったのかもしれない。

 目の前には、自らが求めた〝世界の秘密〟の常軌を逸した解答が広がっている。

 ベルリンの地下深くに隠された広い〈最高指令室〉で、前を〈冥土成聖騎士団〉に、後ろをBETAに塞がれ、グレーテルは進退窮まっていた。

 

「本来の計画では、フランクフルトあたりに作らせるつもりだったのですが」水族館規模の破壊された水槽を背にして一人で立つ、騎士が言った。「なかなか思うとおりには進行させられぬようです」

 

 旧体制の人間に放棄された後の〈最高指令室〉には、壁の一面を崩して溶岩洞窟のような横穴がつながっていた。ブンカー最深部のさらに下へと斜めにつづく横穴は、直径が少なくとも一五〇メートル、おそらく二〇〇メートル近い非人間的な大きさの、BETAによる構造体だった。

 黒々と開いた穴の底、床が水平になっている数キロメートル先の踊り場か、または別の階層にはチェレンコフ放射めいた光を放つ、なにかがある。

 

「作らせる……? 〈最高指令室〉のことか?」

 

 中世の屠殺屋を思わせる黒革のシュルツェをまとう騎士に、グレーテルは疑問を返した。

 ここはドイツ民主共和国の、打倒した旧体制の、真の権力中枢だった。尊大なその名は、ごく限られた関係者だけが知る。

 焼き払われた痕跡がある水槽には、圧倒的に強力なESPで政府の構成員を支配した、人造超能力者が浮かんでいたはずだ。

 ハンブルクにあったフェアグニューグングス・ゲヒルン社が、地球戦争が始まる二ヵ月前に出版した怪しげな書籍(表紙絵など確信的に怪しげだ)には、ESP発現機とも呼ばれるそれは『化学合成された有機コンピューターに、古代の冒涜的な秘術を入力した、輝かしい宇宙開発期の陰に隠れた狂気の産物なのである!』と説明されている。

 狂気を複写転送して人間の精神を変質させてしまうESP能力がどこまで届くのかは、書籍では不明とされ定かではない。収容所でまだ生きている旧体制派を調査するといった手間どることは、している余裕がグレーテルにはなかった。

 とはいえ仮にESP能力がBETAの〝超知覚〟なみに広大な有効範囲だったとしても、ナチス政権以後も変わらず政府があった地上のベルリンから、六〇キロメートルは離れているオーデル・フランクフルトに〈最高指令室〉を築こうとするとは考えづらい。

 

「まさか、BETAに、このホルトを?」

「ええ、そうですよ……ベルリン・ホルトを観光に来たと思ったのですが?」

 

 日本刀を杖にしてたたずむ騎士は、髪を揺らして小首をかしげた。この女もグレーテルの師と同じく、BETAの本拠地を、一泊二日で異星旅行気分が味わえる遊園地だと思っているらしかった。

 

「フランクフルトを、なぜBETAに――ベルリンを死守させたいはずではなかったのか?」

「それはシュタージにやらせるつもりでしたが、予定が狂ったのです……シュミットさんにも困ったものですね。飼い犬に噛みつかれて死んでしまうとは なさけない」

「シュミットは……」

 

 暗く遠い穴底へグレーテルは目を向けた。

 巨大な穴の壁もかすかに発光し、奥にいる異星の者どもの輪郭を照らしている。グレーテルが持つ電灯の明かりは、BETAが開けた穴の半分に満たない直径であろう〈最高指令室〉の端までも届いていない。

 エーリヒ・シュミットの死から七日で、東西ドイツ政府の協同会議は国土を放棄する『総退却』の決定をなし、その四〇日後にはブランデンブルク州が無人化されたと革命政権は宣言した。

 動かせない設備を捨てて東西ドイツ軍がエルベ川まで撤退し、この地域を監視できなくなってからわずか五ヵ月のあいだに、ミンスクを拠点とするBETA群は最低でも一億トンの岩石を掘削してのけたということになる。

 

「ここには、エーリヒ・シュミットが〈ドイチュ民族の真なる指導者〉と名づけた存在がいたはずだ」

 

 絶望的な力の差から、グレーテルは注意を騎士へ戻した。

 

「その人造生物がどうなったのか、教えてほしい。わたしはそれを確かめるために来た」

「彼らは破壊されました」

 

 通りすがりのベルリン・ホルト・ニュービー(ノイリング)に閉園時間でも尋ねられたような気軽さで、相手は答えた。

 エアフルトの収容所では、そんなものは実在しないと言い張るシュタージの幹部から、解剖室と電撃針を用いて聞き出さねばならなかった情報だった。

 

「破壊とは、誰によって?」

「あなたたちが好む言いまわしをすれば、アメリカの手先によって、となるでしょうか」

「ここを襲撃した特殊部隊が〈宇宙旅行協会〉なら、それは……、彼らは手先ではなく、むしろアメリカの恵み深き君主なのでは?」

 

 解答を述べることをためらい、核心から言葉を反らしたグレーテルに、騎士は物憂い頬笑みを見せた。

 

「そうかもしれませんね。科学を神と信じる者にとっては」

「宇宙の真理が神であるならば、科学はそれに近づく確かな手段だ。彼らが与えた科学技術によって、人類はBETAに抗しえてきた。あと一〇〇年分、技術を進歩させれば、人類は地球での戦いに勝てるようになる」

「それは楽観的にすぎる希望だというべきでしょう。現実には、地球人の社会は食料の不足により崩壊し始めています。進歩への正解を教えてもらったところで、物質文明の向上は一朝一夕になせることではないのです」

「人間をESPで洗脳すれば社会の崩壊を止めて、時間や叡智を与えられると? シュミットの怪物は共和国を狂った地獄に変えてしまった。物質文明の不足を補うどころか、我々を破滅へ向けて突き進ませていた」

「善良な若者に心苦しい指摘をせねばなりませんが」

 

 宗教画めいた微笑を保ったまま騎士は息を吐いた。

 

「まず難民統制居留区という地獄が、統一党によってツォーネに作られたのです。地獄の穴を掘り、そこへ一五〇〇万の難民を突き落とし共喰いをさせていたのは、あなたたちです」

「……なだれこんできた難民は厖大で、盗賊的でもあり、食料を供給することは不可能だった。統一党には共和国市民を優先する義務があったし、戦争への準備を強いられてもいた」

「そのとおりですね。彼らの対策は、妥当なものといえるでしょう。〈ドイチュ民族の真なる指導者〉に意志の統率を助けられ、限られた食料を正しく分配し、社会の崩壊を防いだのです」

「……」

「数年前から、難民の脳を用いて粗雑に改造された〈真なる指導者〉がアーネンエルベの手に負えぬ不良品となっていたことは事実です。しかし問題は、このようにして解決されました。もう心配はいりません」

 

 騎士の目的は、自分を殺すことではない。グレーテルはそれを察した。

 たやすく消せる自分をここで待ち、わざわざ話しかけている理由は、殺す以外の用件があるからだ。

 

「三月二八日、シュミットの怪物を〈宇宙旅行協会〉はバラバラにして持ち去った」

 

 ハンブルクで取材して得た情報をグレーテルは告げた。別大陸移住予定者の仮設待機所へ逃げこんでいた、BNDの工作員から聞き出したことだった。

 寝泊まりできる簡易施設にされた倉庫街で見つけたとき、彼は悪夢と麻薬で、ほとんど廃人になっていた。支援物資を横領してブラジルへ行けるだけの財を蓄えていた敏腕工作員だったようだが、〈夢見るアンディ〉と西側のBNDは名づけた〈真なる指導者〉にESP能力で攻撃され、精神を砕かれてしまっていたのだ。

 地球戦争の最前線にいたグレーテルは、人間の悲惨な最期を見慣れている。

 しかし、あれほどまでにすさまじく人間性を破壊された喋る肉塊は、解剖拷問台につながれ剥き出しにされた神経に電撃針を刺しこまれた囚人の他には、見たことがなかった。

 彼が支離滅裂なつぶやきのあいだに語ったことが事実であるならば、ベルリンから悪夢じみた秩序が消え失せたあの日、ベルリンの人々が超集合意識に強いられた譫妄から目覚めて、自由な意思を回復したと愚かにも信じたあの夜、この場所でもう一つの決戦がおこなわれた。

 攻撃者は『アメリカの奇妙な特殊作戦部隊』だったらしい。武装警察軍が暴れるベルリンへやってきた一団は、内戦にまぎれて〈最高指令室〉を襲い、そこにあるものを略奪していった。

 部隊の案内が任務だった哀れな工作員は、〈最高指令室〉上層の核ブンカーまでつきあわされ、そこで放射線にも似た狂気の投射を浴びたという。

 

「ボリシェビキを支配する〝新人類〟に対抗できるものを国家安全保障会議(NSC)は、ここから略奪したもので作ろうとしているのかもしれない……他人の失敗に学ばない、愚かな試みだ。自信過剰なアメリカは新たなツォーネになってしまい、冷酷にも〈宇宙旅行協会〉はそのような統治体制を望んでいるのかもしれない。だが、それでも……〈宇宙旅行協会〉は、共和国の救世主だ。ベルリンをBETAのテラリウムにしようなどという忌まわしい計画を、叩き潰してくれたのだからな」

 

 


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