ツォーネ1984   作:夏眠パラドクサ

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【夢見る】アインザッツコマンドー 4【アンディさん】

 

 女にクリンゲを投げつけ、ラヴゾンは運転席へ走った。

 撃たれるより早くヴァーゲンに乗りこむ自信があったわけではない。女の狂った戯言が耐えがたく不快だったのだ。

 車体に跳びついて扉を開けようとするラヴゾンを、背後から灼熱の痛みが襲う。

 廃墟にこだまする銃声と、自分の悲鳴と、雪が積もった路上に打ちつけられる体の音をラヴゾンは聞いた。

 

「あなたは、もう逃げられない。お友達の忠告は手遅れよ」

 

 ヴァーゲンの後方をまわりこんだ女の足音が近づく。退屈しのぎに喋っているような口調は、他人の重大事を官僚主義的傲慢さで、どうでもよさげに決めつける卑しい下司どものそれと同じだった。

 起きあがろうとして、ラヴゾンは腹からあふれる体液の異常に気づいた。それは赤い血ではなかった。玉虫色に輝き、かすかな虹色に分かたれた光を放つ粘液だった。

 

「こ……これ、は……なにをしたんだ。おれの体に、なにをした?」

「物質的な、地球の生物と比べれば〈グローサー・ブルーダー〉は不死身に近い存在なの。夏のあいだも、あれは腐らなかったでしょう。あなたに食べられても死にはしない」

 

 女は説明を考えてか、少し言葉を切った。

 

「肉の衣をまとってはいるものの、本質はもっと霊的な存在である、といえばわかりやすいかしら? フォン・ユンツトは〈グローサー・ブルーダー〉の古くからの飼い主で、魔術的にあれらを飼い馴らし、使役してきた。ゾビエトの依頼で人間が受け入れられる生理組織を形成させたり、その形態から解放して――つまり〈グローサー・ブルーダー〉をやめさせて、別のものへと変えることもできる」

「ゾビエトは、もう滅びた。核爆弾を使い果たせば、いかれたボリシェビキどもも消えてなくなる」

「ところが、そうはならない。コミーに信仰心をよみがえらせたESP発現機には、確かに神として崇められるだけの力がある。アラスカ租借を知っているでしょう? アメリカのありえない譲歩は、ESP発現機……いえ、その人間の姿をした子供たちの仕業なのよ」

「妄想だ」

 

 ラヴゾンは身を丸めてうなった。

 

「ゾビエトの人体実験、おれだって聞いたことがある。BETAには利かなかったんだろ。くだらない計画は失敗したんだ。そんな出来損ないの肉塊が、救世主だ? それは、なんの役にも立たない、腐った標本だ。おまえらは、汚物を偶像にして妄想に耽る、いかれた負け犬だ」

「まあ、そうかもね。ハバロフスクのボリシェビキは見限られたようだし。アメリカで科学主義者と、方舟でも作る気になったのかもしれない」

「狂ってやがる……支離滅裂な戯言だ」

 

 ラヴゾンは力が入らなくなった体を、雪に横たえた。

 たまらない寒さが腹の奥から広がっていた。

 

「なんで……、そんな妄想に、おれをまきこむ」

「六六六中隊に復讐するためでしょう。〈夢見るアンディ〉はフォン・ユンツトにとっても、それなりに重要な駒だった。三月二八日の、あの革命騒ぎの夜に、六六六を操っていた聖人どもが混乱に乗じて〈夢見るアンディ〉を焼き滅ぼした。あなたを用いて手間をかけたことをしているのは、その報復をしたいから……おそらくイェッケルンでも誘き寄せて、もうすぐあらわれる怪物のおもちゃにするつもりだったんでしょうね。まったく、魔術師は残虐で執念深くていやだわ」

「夢……見る……?」

「ああ、〈夢見るアンディ〉はベルリンに設置されたESP発現機の群体名よ。BNDがつけた渾名だけどね。愚かなモスカウ派がつけた名は〈ドイチュ民族の真なる指導者〉。シュミットは、あれでなかなか……白いだけあって洒落が利いている」

「……」

「……来るか。さようなら、ラヴゾンさん」

 

 なにもかもが雪のように白く霞んだ視界に、ラヴゾンは虹色の爆発を見た。

 機械の脚が彼をまたぎ、雪を踏み散らして地響きをたてた。

 

「なっ――、なに?」

「……ハッハッハッハッハッハッ! 少佐、バラライカがお好き? 結構! ではますます気になりますよ!」

 

 

 


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