ツォーネ1984   作:夏眠パラドクサ

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【ドイチュの】アインザッツコマンドー 3【発明品じゃ】

 

「それじゃ、おれは超能力で暗示をかけられたり、位置を探られたってのか?」

 

 かすれた声でラヴゾンは尋ねた。怒鳴ったせいでか、胃酸に焼かれた咽喉がひどく不快だった。

 

「大雑把にはそうね」

 

 女は短く答え、一呼吸の間をあけて官僚的几帳面さで補足した。

 

「フォン・ユンツトは魔術を用いて、あなたの記憶や認識を捻じ曲げている。ESP発現機に、そこまで器用なことはできない。数百キロメーターの範囲で知っている人物を追える程度の、ずいぶんと不完全なものだから」

「ESPに、魔術ときたか」ラヴゾンは笑った。「ホロカオストの次は魔女狩りかね? この国も、いよいよ終わりだな」

「そうね……。歴史の闇に潜み、日の当たるところへは決して出てこなかった者どもが堂々と跳梁する状況にいたれば、そこはもう終わりでしょう」

 

 怒りが冷えて、ラヴゾンは自分と喋っている女が狂っていることに気づいた。

 仲間を待って時間稼ぎをしているかのようだが、そんなものはいない。たぶん何日か前に死ぬか逃げるかして、一人きりになったこの女は現実と妄想の区別がつかなくなったのだろう。

 アインザッツコマンドーには麻薬が特別給与されていると聞く。隊員の任務は、善良な人間が平然とこなせるようなものではないからだ。麻薬で頭が弱った人間が、この世の終わりを体現している放棄地区の廃墟を一人でうろつけば、速やかに発狂してもおかしくなかった。

 

「なあ、あんた――」

 

 「任務を断念したほうがいい」と提案しようとして、ラヴゾンは言葉を詰まらせた。

 男のうめき声が、自分の名を呼んでいる。

 それは「アハトゥンク、ラヴゾン。アハトゥンク」とくりかえしていた。

 連祷はヴァーゲンの荷台からだった。徐々に大きく明瞭になる苦しげな声は、ヴァーゲンの荷台から発されている。

 荷台の前に立つ女が微笑を消し、地面のヴィルヘルミーネだったはずのものを見やった。

 ラヴゾンはヴァーゲンの後部へ走った。はっきりとした警告になった大声は、顔が脹れあがるまで格闘訓練をさせられた新言(ノイシュプラーヘ)世代のような喋りかたではあるが、それでも聞き分けられる古馴染みのものだった。

 左手でクリンゲを抜き、ラヴゾンは幌を開いた。

 

「フォルシュトリヒ!」

 

 荷台には水槽と、連結された濾過槽と発電機が置かれていた。濾過槽と配線でつながる発電機は、ラヴゾンが専門とするTSFの部品だった。

 水槽に上掛けされた粗雑な機械に、熱で溶けかけた蝋人形のようなものが固定されている。その一つが、動く口から蝋を噴きこぼして喋った。

 

「ラヴゾン、逃げろ。すぐに、もうすぐ。開く。もうすぐ開く。おまえは死ぬ。開く、開くと死ぬ」

 

 発電機に限らず、驚異的に高性能なTSFの中枢部品群は、いまだにアメリカでしか製造できない。前線となる諸国には(共産主義陣営であっても)無償供与されるが、これらはTSFにのみ使ってよい、という乱用を防止する不合理なまでに厳しい条件がアメリカ政府からつく。

 もっとも、目の当たりにしている事例が示しているとおり横流しはそこら中でおこなわれており、それもあってかTSF用の発電機や制御機器はラヴゾンが軍に転職させられてから一〇年間、常に不足している笑えない状況だったのだ。

 旧政権時代から、横流し犯はときおり逮捕され西側にも伝わるようナハリヒトで公表されていた。

 最大の盗っ人は、政府内の犯罪者を探る側だったシュタージだ。

 正体を暴かれた彼らの犯罪は、政府も知らない自分たちだけの秘密部隊を作るというチンケなコソ泥とは格が違う壮大なもので、アメリカとの協定も一応は破っていないといえなくもないものだったが、当然ながら許されることはなかった。

 濾過槽には、そのシュタージの、『全ドイツ民族の敵ども』とされた犯罪組織の紋章が、でかでかと剥がされもせずくっついている。

 

「蓋、蓋に、ラヴゾン、逃げろ、すぐに。おまえは蓋に、穴の、された。開けられた穴を、もうすぐ開く、ふさぐ、隠す、蓋に」

 

 目が見ることを拒否していた喋る蝋人形が急きたてた。

 ラヴゾンは恐怖に掻き乱され、なにか別のことを考えようとする頭で、それが六六六中隊での同僚だったフォルシュトリヒであることをどうにか認識した。

 

「おまえのほうが死にそうじゃないか……」

 

 フォルシュトリヒの胸から下は、赤黒い大きな腫瘍じみたものに変わってしまっている。脚はなく、腫瘍にかぶさっている皮膚はなかば融け、膿がしたたっていた。正常な身体を病変部がここまで犯せば、とても生きてはいられないはずだとは素人のラヴゾンにも理解できた。

 濾過槽に比べていかにも急ごしらえな人間籠には、他にも数個の生首がうごめいている。

 彼らも死んではおらず、無言で、しかし見紛いようもない意思をあらわにして、目と口を狂おしく動かしていた。横隔膜や肺を失っていては、声など出せはしない。

 そして蕩けた複数の腫瘍と下側でつながる、死んでいるはずの人間の残骸を生かしつづけている、もっとおぞましい水槽にたゆたうものから、ラヴゾンは耐えられず目をそむけて胃液を吐いた。

 

「手のこんだことをすると思えば、やはり罠だったか」

 

 女が言った。フォルシュトリヒは無理をしたせいなのか、崩れた顎と舌を垂れさげ痙攣をおこしていた。

 

「わざわざブリーデヴェル版をイェッケルンに送ったわけがわかった」

 

 ラヴゾンは口を袖でぬぐった。

 

「これは、なんなんだ」

 

 カマーツを奪うことを考えながら、ラヴゾンは意識せず疑問を漏らした。女の「人をつなげる」という言葉の意味が彼にもわかった気がした。

 

「それがESP発現機よ。……〈グローサー・ブルーダー〉と言ったほうが通じるかもね」

「兄だと? こいつが、この化け物が誰の兄だというんだ」

「かわいらしい幼子たちが、ちゃんとつながっているでしょう? ボリシェビキの祭司が主張するところでは、それは全人類の希望。あまねく人類を導く兄。あまりにも儚く弱々しく、不完全な人類を新たなる階梯へと進化させる救世主なのよ」

 

 

 


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