ツォーネ1984   作:夏眠パラドクサ

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これはユートピア・ロマンを重点した二次創作である。


【ぼくらの子が】アインザッツコマンドー 1【いましたよ】

 

 

「おーい! ちょっと、待ってくれ!」

 

 ラヴゾンは走りだしながら、暖機しているラストクラフトヴァーゲンに叫んだ。

 

「乗せてくれ! おーい!」

 

 ヴァーゲンのわきに立つ人物は外套の裾をひるがえして腰の拳銃を抜き、廃墟の闇からよろめき出たラヴゾンに向けた。拡張師団のカカシとは思えない、あざやかな動きだった。

 外套の下に人民軍の新式制服をはっきりと認めたラヴゾンは、上着の奥から自分の身分証を出して振った。

 窓の灯も消え果てて街路は暗く、その人物が脛丈の外套を着ているせいもあって、荷台の明るさが順光になる位置へ獣のように忍び寄るまで、ラヴゾンには制服が見えなかったのだ。

 

「乗せてくれ、人民軍だ!」

 

 ラヴゾンは立ち止まって身分証を掲げ、咳きこみながら言った。

 恐ろしい裏切りが横行する状態になる廃滅段階の国家において、誰だかよくわからない相手に身分証を出すことは危険な博打だった。下手をすれば地獄行きの切符を見せていることになる。

 噂によると、エアフルトの新政権は数ヶ月前に、統一党体制に組していた『全ドイツ民族の敵ども』を皆殺しにすると決めたらしい。

 旧政権が打倒された晩冬の戦いでラヴゾンは目立つ仕事をシュタージに強いられ、協力者であることが露見した。彼は今では狩りたてられる側の人間だった。

 この放棄された街には食料も燃料もなくラヴゾンは飢えて凍えていたが、見かけた輸送車が大砲でも運んでいれば近づかなかっただろう。司令部を新政権によって挿げ替えられた主力部隊には、人間狩りの指令が伝わっていることは確実だからだ。

 古いカマーツらしきヴァーゲンはボロボロで、あきらかに主力部隊のものではない。荷台にかけられた幌には、この地域に常駐していた拡張師団の略号が書かれていた。シベリアへ逃げ去ったソビエトに代わって、一九七〇年代末に急造された二〇個師団の一つだ。

 物資をあさりに来ている新政権に見捨てられた敗残部隊なら話を聞くだろうし、こんなところを一輌だけでうろついている歩兵隊となればラヴゾンと同じ、逃亡者の類かもしれない。

 自動車と遭遇するなど二週間ぶりで、これを逃せば車に乗る機会はもうないだろうという予感もあった。これは、そう分の悪い賭けではないはずだった。

 

「置いて行かれるかと思ったよ」

 

 拳銃をおろした相手に、ラヴゾンはホッとしてへつらった笑いを浮かべた。

 青褪めた唇で微笑を返して、黒い外套の女が言った。

 

「とんでもない。……待ってたんだから」

 

 全身の毛が逆立ち、考えるより早く、ラヴゾンは女に殴りかかっていた。不吉な言葉が引金となってラヴゾンの本能を爆発させ、弾丸のように彼の拳を打ち出したのだ。

 空手の中段突きを女の柔らかい胸にめりこませながら、早まったかもしれない、という思いがラヴゾンの頭をよぎった。

 女の言葉は、他意のない社交辞令だったのだろうか? 待ち伏せていた追手ならば、三人がかりで獲物に銃を突きつけるまで、わざわざこんな台詞は吐かないのではないだろうか?

 そうだったとしても、もう遅い。攻撃してしまったからには殺すしかなかった。

 痛みに怯んだ相手の腕を極め、拳銃を奪う。

 地面に倒して喉を押さえ、叫べないようにしてから頭が割れるまで銃把で殴る。

 仲間が何人いるかわからないが、車内にいる者は殺してヴァーゲンを奪って逃げる。

 女を静かに殺し、不意打ちで車内を銃撃できれば、やってやれなくはない。彼だって元・精鋭部隊に潜入していた工作員だ。女一人に手こずる不安はなかった。

 女の左手が鞭のごとき速さで動き、ラヴゾンの右手首を捉えた。ラヴゾンの正拳に、女はまったく怯まなかった。

 ラヴゾンは左手で拳銃をもぎとろうとしたが、女は微笑をそのままに右腕をあげて発砲した。発砲炎を顔に浴びて、ラヴゾンは顔をそむけ仰け反ってしまった。

 組みつき状態から離れるために強く腕を引く。奇襲は失敗だった。逃げねばならない。

 しかしラヴゾンは、女を振り払うことができなかった。逆に右手首を骨が砕けるような力で握り締められ、激痛とともに転倒させられていた。

 

「ち、違う、誤解だ。誤解なんだ」

 

 氷になりかけた雪を口から吐き出してラヴゾンは言った。

 

「襲うつもりじゃなかった。あんたがまぎらわしいことを言うから、つい、癖で体が、勝手に動いたんだ。殺そうとしたわけじゃない」

「まぎらわしかったかしら? それは失礼」

 

 女は殴られたことを気にとめていない、ラヴゾンを慄然とさせる悪魔のように蠱惑的な声で応じた。

 

「自己紹介しないとね。初めまして、ラヴゾンさん。アインザッツコマンドーです」

 

 雪より冷たいものを腹の奥に感じて、ラヴゾンは震えた。

 アインザッツコマンドー。

 その名は、革命の短い熱狂が冷め始めた初秋頃から、難民や逃亡者がささやくようになった。まともな人間ならば口にすることも憚る名をあえてつけられた、公式には存在すらしていない殺戮組織だ。

 それはエアフルトの革命臨時政府が、西側から注文された四五〇万の間引きを実行させるために、旧政権派とみなした軍と警察の諸部隊を再編制したものだという。しばらくのあいだ逃避行をともにした統一党員の科学者は、そう教えてくれた。

 懲罰部隊的なこの集団がさせられている間引きの対象は、もちろん歩兵より圧倒的に強い宇宙怪獣の大群などではなく、難民となる予定の人間だ。ソビエトと違って正気な西ドイツやアメリカの政府はできもしないことを、戦争でいそがしい前線国家に要求したりはしない。

 ボンから来た英語を喋る『DDR問題担当委員』は「国家的総退却の過程で、四五〇万人の難民を最終解決することは東ドイツならば可能である」と言っていたらしい。四〇年前に二正面戦争の片手間でおこなえていたのだから、同じ仕事を今回は少し急ぎでやっつけてくれというわけらしかった。

 臨時政府では下っ端あつかいだったものの、専門家として西側との交渉にかかわった統一党員の科学者は、七月にいくつかの都市で精肉工場が改造され『加工所』と呼ばれるようになったことを知っていた。

 難民統制居留区から移送されたスロバキア人、ポーランド人、ウクライナ人などが入っていったきり出てこない『加工所』から加工肉が出荷され始めると、最終解決されたくなかった彼女はエアフルトを逃げ出した。

 革命政権は親ソビエト的、親ユダヤ的なドイツ人も残らず殺すとボンの高官たちに約束していたからだそうだ。

 以後の中央情勢を彼女は知らなかったが、保安省や国防省の腐敗した残骸から、もっと卑猥で醜悪な寄生虫じみたおぞましい組織があらわれたことは間違いない。

 ラヴゾンも一度ならず、加工肉を口にしている。職に就けない逃亡者でも手に入れられる、正体不明の安価な獣肉が出回った時期は、アインザッツコマンドーや『加工所』の出現と一致していた。

 淡白な豚肉に似た加工肉の味がよみがえり、口に残る雪を喉に詰まらせてラヴゾンは嘔吐した。

 雪をにじませる反吐に、かわいそうな痩せっぽちの女学者の顔がかさなった。彼女はどうしても加工肉を食べることができず、ソビエトの核爆弾がもたらしているとされる異常に早く厳しい冬に耐えられなかった。

 ラヴゾンの胃液に混ざり形を崩した肉片とちょうど同じ大きさの胎児とともに、彼女は凍えて死んだのだ。

 

 

 

 




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