ツォーネ1984   作:夏眠パラドクサ

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【私とベアトと】夢のベアリン王国 1【ワンルーム】

 

 

 

 一〇分前から飛行燃料切れ警報を発しているアリゲートルを、ベアトリクスはアレクサンダー広場に設けられた補給所へ強引に着陸させた。

 アリゲートルの飛行推進機はバラライカより二五%高速で飛ぶために、二倍の燃料を消費する。ベルリンへ進路を変えたときには、燃料はつきる寸前になっていた。

 共和国宮殿、かつては聖堂だった原爆ドーム、再建されたフンボルト大学、回転するアスパラガスことベルリン・フェルンゼートゥルム、ブランデンブルク門などが集まるミッテは、反乱軍の容赦ない攻撃により、まだ黒煙を噴いている。

 広場の補給部隊員に機体をまかせ、ヴェアヴォルフ大隊司令部に着陸位置を伝えたベアトリクスは、物資や負傷者を運ぶ車輌をさけ、休憩所が無事に残っていると言われた共和国宮殿へ歩いた。

 大隊の幕僚は後方要員としては有能だ。実質的には大隊戦闘団の指揮官をやっているだけのベアトリクスがいなくとも支障はない。それに、どうせ次の出撃はないだろう。ヴェアヴォルフ大隊戦闘団は壊滅した。

 地上の混乱ぶりは、負け戦を予感させる光景だった。反乱軍は正確な情報を得て、武装警察軍の燃料倉庫や機銃座を狙い撃ちにしているように見えた。

 エーリヒ・シュミットのような例外を除いて、冷戦世代はBETAとの戦争では大して役に立たない。安全な時代に無駄に出世しただけの軍隊屋だった。

 しかし連中は、人間社会内での小細工には長けている。人民軍の少なからぬ部分が、いまだに反動的冷戦世代の、害悪でしかない影響下にあった。

 統一党につづけて国家保安省ベルリン派も血祭りにあげたが、まだ足りない。日和見主義の内通者どもが反乱軍へ情報を流している。

 知恵者のヴェアヴォルフ大隊副長は今頃、統制居留区の〝加工処理に配属〟される難民のような気分で逃げこむ先を探しているところだろうか? 彼は冷戦世代で、長く人民軍に勤めていた。

 戦闘に使えなくなった部隊の後方要員からは情報を吐き出させることができる。

 これまでに彼らを吐かせてわかったことは、冷戦世代には絡まりあった根のように錯綜して強固な人脈があるという患禍だった。

 人民軍も、武装警察軍も、ゲシュタポのくたばり損ないにより創設された国家保安省の古い部分である秘密警察も、ドイツ連邦やNATOの腐敗した特権階級も、地球戦争以前の支配体制を維持するためにどこかしらでつるんでいるのだ。

 フランツ・ハイムもそうだ。

 戦闘指揮官としてはカカシみたいな無能ぶりをさらしたが、彼の取り柄は良識ある穏健派として築いた人脈にあったのだ。

 連合軍占領地域(ヴェストベルリン)はあきらかに意図的に、反乱軍部隊の領空通過を許した。NATO軍にまでおよぶ驚くほどに広く深い人脈を、フランツは有していたということだった。

 NATOを消極的にでも応急的にでも味方にできた効果は大きい。国連の代行として、バルト海から共和国に合成食料を運んでいるのはNATOなのである。NATOを敵にすれば、暫定政権はベルリンで孤立状態に陥ってしまう。

 数個師団に相当する人民軍部隊が各地で蜂起し、武装警察軍の大部分は釘付けにされていた。この睨みあいが冷戦世代による、ある種の演出にすぎなくなっているのであれば、援軍は来ないだろう。

 統制がとれない反乱軍など蜂起する端から各個撃破できる。そう言った武装警察軍本部の参謀どもは、大口を叩いた責任を負うべきだった。

 反乱軍の第二波攻撃は、ベルリンの防衛部隊を粉砕する。

 人間相手の戦争でならば、冷戦世代に一日の長があることを認めざるをえなくなる。

 問題は、それをできる戦力が反乱軍に残っているかだ。

 心身の激しい疲労で、この問題を考える力はベアトリクスに残っていなかった。

 

「戦勝おめでとう、ベアト。反乱軍はかたづいたか?」

 

 よろめきながら共和国宮殿内を進み、ヤケクソじみた勝ち鬨をあげる兵士たちの喧騒が遠ざかった上層階の廊下で一室の扉を開けると、悪夢が待っていた。

 

「おや? お疲れのようだな」

 

 憂わし気に女の姿をしたそれが言った。

 ベアトリクスは無言でゾファに坐った。部屋の奥にいる存在は、幻覚だった。

 

「だがベアト、オーデル側も対処を急ぐ必要があるぞ。キュストリンで戦線が破れた」

 

 照明がついていない暗い会議室で、金髪を照らす光を放つフェルンゼーアーを女は示した。

 

「二時間前から、五〇〇超のメディウムが陣地を踏みつぶしている。BETA群hは小型種も機銃破砕線を突破、ゼーロウ要塞はルイターレおよびエクヴスの侵徹を受けている」

 

 いつもは過去の言葉を支離滅裂につぶやきつづける幻覚は、不気味な明瞭さでフェルンゼーアーに映されている地図を指さしながら喋った。

 

「ノイハルデンベルクから輸送一号道、リーツェンまでは通信途絶、フランクフルトの師団もカハマルカ・アラルムを出した。戦線の広範囲が白兵戦状態に陥りつつある」

 

 疲労感に圧倒され、ベアトリクスは重い上半身を支えていられなくなり、ゾファに横たわった。その胸は豊満であった。

 部屋の奥に立つアイリスディーナ・ベルンハルトは、幻覚だった。

 しかし幻覚が喋っていることは、根拠のない妄想ではないのだろう。この数時間に、似たような通信を傍受した記憶がある。

 これは幻覚に語らせるかたちで、酷使されたベアトリクスの脳が、得られた情報を考査しているのだ。そうであるはずだった。

 

「ウーゼドムの艦隊司令部によると、シュテティーン以南のBETA後段が進路をベルリン方向へ変えた。二〇〇〇超のグラヴィスが集結を始めている。応射している残余のルクスは一五〇〇だ」

 

 第二次世界大戦後、ポーランド領となっていたシュテティーンの難民統制居留区を誘引材としてBETAの大群を集中させ、陸海軍の全力砲撃で撃滅するという武装警察軍本部の作戦は、半分しか達成できなかったらしい。

 生きた都市はBETAを強く誘引する。ただしBETAを密集させた時点で、もろともに破壊せざるをえないため、これは捨て駒でもある。

 シュテティーンを使ってしまえば、二〇〇キロメートルの戦線に展開した共和国軍に二〇〇〇のグラヴィスと、一五〇〇のルクス、さらに三万と推測されるバルルス・ナリスを止める力はない。

 

「……BETA一個旅団ならミュンヒェベルクの戦力で対処できる」

「ミュンヒェベルクには輸送隊と、武装警察軍が二個大隊、残っているだけだ。予定されていた西方総軍による第二戦線の形成は、まったく進んでいない」

「……」

 

 幻のアイリスディーナは逆光に翳る横顔を、魔女の嘲笑で歪めた。

 

「つまり明日には、ベルリンは地獄と化す」

「そう……」

「白いのなみに無関心だな」

「反乱軍にベルリンを攻める意味がなくなったなら、我々はBETAと戦えばいい」

「戦う部隊はどうするのだ?」

「まだ、集めることはできる。ゼーロウ要塞には自爆機能がある。時間は稼げる」

「自爆か……。一〇〇〇かそこらの小型種を道連れに死ぬよりは、NATOに頼るのではないか?」

「ネルリンガーは最後まで戦う」

「あの陰気なアトモスフェーレを放つ御婦人には、もはやなにをどうすることもできない。おまえたちもだ」

「……」

「NATOは既にシュミット政権を見限っている。反乱軍の第二波攻撃があろうがなかろうが、オーデル戦線がどうなろうが、おまえたちは終わりだ」

 

 ベアトリクスは体を丸め、両手で耳を覆った。

 戦況が絶望的であることは、わかっている。今さら幻覚のそんな言葉は聞きたくなかった。

 

「おお、ベアト。前置きが長かったな。わたしはおまえを苦しめに来たのではない」

 

 冷たい手がベアトリクスを撫で、優しく抱き寄せた。その胸は豊満であった。

 

「わたしは、おまえを救いに来たのだ」

 

 

 

 


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