ツォーネ1984   作:夏眠パラドクサ

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【カーネル】〈宇宙旅行協会〉 1【キンタ】

 

 

 ジェット推進の大音響で目を覚ましたラ・キンタは、なかば無意識にベッドから転がり出て、愛用のガンベルトをつかんでいた。

 素足で触れた床は、三月も末だというのに氷のように冷たい。ここ東ドイツは、戦局や政治情勢だけでなく、気候まで劣悪な国だった。

 暴風でガタガタと仮眠室の二重窓が大きく鳴り、カーテンまで揺れている。五〇AE弾を連射できるグレートイーグル(バルルス・ナリスを止められる携帯武器として、アメリカ合衆国で一〇年前に製作された最新の拳銃だ)を抜くと、ふらつく寝起きの体をラ・キンタは頑丈な外壁柱に預けた。カーテンをあげて外を覗く。

 まだ夜の空を、ずんぐりした巨体なりの全速で飛びすぎてゆくTSFの群が見えた。ミグらしき機群の、東西条約を無視した低空飛行だった。

 市街の五〇ヤードたらず上で水平に散開した数十機は、オーデル戦線への増援ではない。西ベルリンの領空を通過するや否や、東ベルリン市街に機関砲弾をバラ撒いていた。

 ミグはベルリンに到達したBETAを迎撃しているようすでもなく、おそらく撃っているのはシュタージ武装警察軍が大型ビルディングに設置したミッテ区の機銃陣地だ。これは内戦だった。

 

「やれやれ、またかよ……。正気か?」

 

 つい先日、武装警察軍は東ドイツ政府の『西側への売国的逃亡を企てていた戦闘忌避者ども』を公然と、兵器を用いて粛清した。

 統一党が支配していた議会は沈黙し、そして外国人にはなにがどうなっているのか理解できないうちに、シュタージの長官が東ドイツの新しい最高指導者になってしまった。形式だけであっても民主主義に基づく政権が自国の軍隊に倒され、まったく非合法な軍事政権が承認されたクーデターがおこなわれたのだった。

 

「ヘぇぁ……ヘイ、ボス。どうなってんだ?」

 

 反対側のベッドで体を起こしたチョッパーが寝ボケた声で尋ねた。

 

「こっちが聞きたいぜ……今、西から来たのは人民軍だな。ウェスト・ベルリンを楯にして突っこみやがった」

「あれは、イースト・ジャーマニーの正規軍なのか? 街を撃ってんだけど」

「ああ、シュタージの陣地を撃ってる。だるい宣伝放送をしていた、西方総軍とかいう奴らだろう」

「『おい、シュタージ。話し合いに応じるなら許してやる』キリッ! とか言ってたな。だが、西方総軍にTSFはないぞ。人間相手の兵力だかんね」

 

 ラ・キンタはブーツを履きながら言った。

 

「そこは賛同者を集めたんだ。タマなしクソ野郎どもかと思ったが、放送はただの時間稼ぎだったようだな」

「『残念でした、時間切れだ!』ってか。オーダー戦線よりもベルリンでゲヴァルトが先とは、フーリンカザンしてんね。なんたる歪みねぇ民主主義!」

「シュタージは、この国の全員を敵にまわした。これまで他の正規軍がおとなしくしていたのが不思議なくらいだ」

 

 ガンベルトを巻いて三階の廊下へ出ると、向かい一面の貨物集積所は騒然としていた。

 現在の西ベルリンに一般市民は残っていない。〈核の冬〉発生と同時に本国への避難が始められ、入れ替わりにドイツ連邦共和国軍が進駐した。この貨物集積所は、西ドイツ軍基地の一部なのだった。

 

「核爆弾の威光ってやつじゃないか? 弾圧体制を維持できたのは」

 

 ビンゴ・ベガス社のトレーラーへ急ぐラ・キンタに追いついたチョッパーが言った。

 

「こんな落ち目の国に、ソビエトが今さら核爆弾をくれてやるわけがない。あいつらは、もう核燃料を生産できないんだぞ」

「まあ、そうだな……。そのへん、白いのはハッタリでなんとかするつもりだったのかねえ」

 

 ラ・キンタは集積所の外へ出ながら肩を竦めた。

 エーリヒ・シュミットに独裁者の立場を与えている力の正体を、ラ・キンタは知っている。これは厳重に管理されるべき知識で、相手がビンゴ・ベガスの社員といえども考えなしに伝えてよいことではなかった。

 増強一個師団に日用品を供給する集積所は、滑走路と基幹車輌道路に挟まれて物資を出し入れしやすい場所にある、大きな建物だった。トレーラーの格納庫は、ここから広大な滑走路の対岸に位置している。

 緊急着陸にそなえて滑走路には立ち入り禁止の信号が灯っており、ラ・キンタとチョッパーは遠まわりで一五〇〇ヤードばかりを、自転車を借りておかなかったことを後悔しながら走らねばならなかった。

 格納庫は西ドイツ軍の設備を一時貸与されているわけではなく、彼ら専用の、ほぼ治外法権の区画に社費で建設されたものだ。アメリカ合衆国のいくつかの巨大企業は資本主義陣営のあらゆる重要地に、このような拠点を規模の大小はあれ設け、社員だけではなく現地の情勢によっては傘下の傭兵をも配していた。

 西ベルリンのここはドイツ人が食料輸送の仕事をしていただけの事務所だったのだが、何ヵ月か前から重要度が急激にあがり、戦力が派遣された。

 民間軍事業務請負 ビンゴ・ベガス社への依頼は四週間前。カナダ崩壊の余波により、荒廃の一途を辿るメイン州 ウィスカセット近郊の自宅でくつろいでいたラ・キンタに「穴埋めの待機部隊として西ベルリン基地へ急ぎで行ってほしい」という注文が入った。一七日前には五〇トンを引ける五輌のフル・トレーラーで、三〇機のMBAを依頼主の強襲揚陸艦からハンブルク経由で運びこんでいる。

 思わぬ不都合が二つかさなり、依頼主は西ベルリン基地へ追加戦力を急送する必要を生じていた。

 陥落が迫っている東ベルリンから脱出させたいVIP、すなわちエーリヒが力の源泉とする人造超能力者がとんでもないデブになってしまっていて、搬出するには数十人の作業班がいると判明したことが一つ。先に送った特殊なシステムを組みこんだTSFが、特殊すぎて起動不能状態になってしまっていることがもう一つだ。

 そのTSF特別機が『お蔵入り状態』になっている格納庫では、陰気臭い修道服を華麗に着こなしたシスター=スティージュが待っていた。

 ビンゴ・ベガスへの依頼主であり、二五億の飢えたる子羊に食料を与えている超巨大な多国籍企業 ミドリ=ヒシオズ製薬が擁する慈善事業財団の役員、ということになっている謎めいた僧形の女だった。

 

「シスター、攻撃しているのはイースト・ジャーマニーの西方総軍なのか?」

「そうです」

 

 格納庫内の通信室から出てきたシスター=スティージュは、いつもどおりの機械のように無感情な声で、問いかけたラ・キンタに答えた。

 

「先ほど、アルデバランの航空管制室から報告を――」

 

 シスター=スティージュはつづけようとした言葉を切り、新たな通信が入ったのか、ウィンプルの代わりに着用しているヘッドセットに手を当てた。

 ドイツ語はラ・キンタにはさっぱりわからない。ドイツ語での短いやりとりを終えたシスター=スティージュは英語に戻して彼らに告げた。

 

「シュタージ政権を制圧する目途が立ちました。一時間後に、ここへTAS機の操縦士が到着します。ビンゴ・ベガスの皆さんも出撃準備をしてください。〈アンディ〉救出作戦を実行します」

 

 


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