ツォーネ1984   作:夏眠パラドクサ

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【魔女が】超時空魔法少女グレーテル 1【いる世界】

 

 それなりに暖かくなった七月の上旬、退院を考えていたグレーテルのもとに連邦共和国――西ドイツから予期せぬ見舞い品が送りつけられた。

 差出人はヨアヒム・バルク。知り合いの西ドイツ軍人だった。

 市販の書籍と、医療業界の電磁媒体化された会報誌がいくつか、開閉器が厳重な密閉式になっている魔法瓶のような容器に入った膏薬が一つ、これらの内容物に「我が戦友、小さなグレーテルへ」のふざけた一文がそえられていた。

 長くつづく〈核の冬〉は、植物を貴重なものとし、人々の日常から紙を奪っている。人民共和国では一九七八年を最後に、紙製の書籍は大量生産が途絶えてしまった。

 病院へ送られてきた西ドイツの出版物も一〇年以上前に発行された古本ばかりで、ヨアヒムの意外に達筆な一文も、軍の支給品らしき媒体のクンストシュトフ部分に書かれていたものだ。

 小さな低品質動画で喋るヨアヒムは「効能がすごい最新の傷薬が手に入ったから送る、使いかたは塗るだけ、詳細は同梱した専門誌を参照」と郵送物の中身のことを簡単に説明した。

 数年前に作成されている医学誌には細胞を賦活する画期的新薬の記事があり、使用してよいものかグレーテルが意見を求めたエアフルトの医師も、そこを読みながら「噂を聞いたことはある」と言った。

 ヨアヒムの好意を疑うわけではなかったが、不信と裏切りが満ち満ちていた社会に育った者の習い性として、まずグレーテルは他の患者の注射傷にその膏薬を試した。

 油性なのか妖しい輝きをおびた膏薬には、医師が目を見張って驚く効果があった。痣になっていた注射傷はトウモロコシ粒ほどの粘液質な薬剤を乗せただけで、目に見える速さで治癒したのだ。新しい皮膚の下にまだ大きな凹みがあったグレーテルの銃弾傷も、三時間で跡形もなく消えてしまった。

 皮下注射の必要もなく本当に塗るだけで皮膚に吸いこまれてゆく薬を観察しつつ、ちょっとした暇潰しにとヨアヒムが薦めていた本を、グレーテルは手にとっていた。

 『タイムトラベラーズ ‐アメリカ合衆国における驚異的科学進歩の真実‐』。

 ハンブルクのフェアグニューグングス・ゲヒルン社が、一九六六年に発行した(原書はアメリカで、聞いたこともない会社により前年に出版されている。届けられた書籍は、それをドイツ語に翻訳出版したものだ)厚いタッシェンブーフだった。

 始めは鼻で笑いながら、最終章は傷痕が消えた腹に冷たいものを感じながら、アメリカ軍産複合体の技術が他国に五〇年は先進している理由を読んだグレーテルは、既に夕方になっていたが病室を引き払い、臨時政府エアフルト総合庁舎へ出向いた。

 ヨアヒムと直接に通信し、贈り物にはなんの意図があるのかを聞くためだ。

 四時間かかってつながった電話で、ヨアヒムは「イェッケルンて、六六六の小さい政治将校か!」と開口一番、同じネタをかました。

 

「イェッケルン大佐から電話って言うから、誰かと思ったぜ」

「大佐になったんだ」

「おいおい、出世しすぎだろ。すげーな革命」

「統一党の後始末――指導もあってな。まあ、無理な人事であることは承知している」

「末期ヴァイマル的インフラツィオンな人事ってか。それでも、出世するのはいいことだ。まず、給料があがる。ついでに権力の証明にもなる」

「まだ追認投票もされていない政権が、証明か……革命英雄の極端な昇格は、権力の誇示と言ったほうが正確だ」

「誇示で揉め事を抑止できるなら結構なことじゃないか? 投票より避難が先ってのも、正しい選択だろう。おれは革命政権を支持してる」

「それはどうも」

「発展的レーベンスラウム建設もな」

「それは意外だ。あの、まともな説明もない計画を?」

「エルベ川のあたりが仕事場だと、東の友達もたくさんできる。大衆向けの広告とは違う、本当の話がそれなりに聞こえてくるもんだ」

「大衆向けの綺麗事ではない話を聞いて、計画を支持するのか」

「そうとも。似たような難民向けの詐欺話は、西側にも以前からあった。だが、そっちは本気でやるつもりなんだろ」

「ああ……、エングラントの犯罪か。難民に暖かいアメリカへ移住し、新しい家と農場と工場を作ろうと夢物語を吹きこんでおいて、実際にはカナダへ送ったという」

「カナダ送りは陰謀論ってやつだよ」

 

 ヨアヒムの声に苦いものが混ざった。

 地球戦争が始まった頃には、彼は創設期のTSF乗りとして仕事場に出ていたはずだ。

 

「汚染されたカナダではほとんどが冬を越せず、一九七六年から毎年五月になると何百万人もが追加で輸送された、と聞いている」

「そこら中にあふれかえった難民がどこへ行ったのかは知らんがね、たぶん、あいつらは今でもよろしくやってるさ。こっちの政府は大それた悪だくみはしないことになってる。西側には言論や報道の自由があって、港に強制収容所を作ったりしたら、すぐにバレるからな」

 

 西ヨーロッパ諸国は〈核の冬〉が地球規模で、予測できない期間、環境を悪化させることに気づくと、駐留ソビエト軍がカザフスタンへ去り動揺する東ヨーロッパとの国境を封鎖した。NATOが一元的に管理した西ヨーロッパ諸国のTSF部隊にとって初陣となったのは、こうした東からの難民が押し寄せつづける新しい紛争地帯だった。

 少女だったグレーテルがあのとき見ていた圧倒的に巨大な黒雲の下で、どれほどの東方難民が、誰によって、どんな目にあわされたかは統治体制の破壊が同時進行していた東側では記録されていないし、調査されてもいない。

 

「読書家の大きなバルク少佐が言うなら、そうかもしれないな」

 

 グレーテルは溜め息をついて、世間話を終わりにした。

 

「とにかく、薬をありがとう」

「薬?」

「そちらから送ってもらった」

「おれは薬なんか、送ってないぞ。うちの隊員の誰かが送ったってことか?」

「本と一緒に傷薬を、わたしの入院先へ送ってくれたはずだが」

「本? おれが……、えーと、話がよくわからんのだが、あんたの入院先は警護の必要性から機密になってる。おれはあんたがどこにいるか知らんし、なにも送っていない」

「……『ハーイ♡ グレーテル。調子はどうだい? なに、傷が痛くて一人じゃ寝られない? それならこの薬がお勧めだ!』から始まるバルク隊長の宣伝動画もあったが」

「ハッハッハ! そいつは見てえ。いや、よせよ。おれは威厳ある大隊長さんだぜ? そんなもん、よくある偽造動画だろ」

 

 見舞い品を郵送したことを否定したヨアヒムに、グレーテルは念のため書籍や容器の写真を見てもらった。

 電話回線で画像を逐次に送ると、ヨアヒムは「こんな薬壜は見たこともない」「おれはマッチョだ。こんな女みたいな字は書かない」「おれはマッチョだ。筋肉とも武器とも戦争とも関係ない軟弱な本は読まない」と逐次に答えた。

 深夜に一時間ばかりも協力してくれたヨアヒムに礼を言って、グレーテルは通信を切った。

 エアフルト総合庁舎には待機室を兼ねている二四時間営業の食堂が、西側から電力や浄水器を供給されて設けられていた。ここだけではなくグレーテルがいた病院も、テューリンゲンからザクセン・アンハルトを守る人民軍も、同じく西側の力によって維持されている。

 あらゆる不動産、何世代もかけて築いてきた生産基盤のなにもかもを捨て去る『総退却』を選択した共和国は、もはや自力では存続できない。

 国家なる奇怪な崇拝対象がその魔術的求心力を失い瓦解してしまう前に、革命政権は残された軍事力を『正しい目的』に、すなわち新たな生存圏(レーベンスラウム)獲得というドイツ民族にとって有益な実現可能な目的に、そそぎこまねばならない。

 移民計画に関して西ドイツ政府は、口先ではあれこれと綺麗事を並べながら裏では完全に革命政権と手を組み、生存圏確保への支援を約束していた。

 EU諸国も似たようなもので、アフリカへの大規模なレコンキスタが決定的となりそうな情勢を、その汚れ役はイスラエルにつづいて東ドイツがやってくれそうな事態の進行を、密かに大喜びしているらしい。

 無知化教育以前の世代に、ヨーロッパ人の大群は移住先で現地社会と仲良く相互発展できる、などという夢物語を信じている者はいない。資源は有限であり、人類は地球にBETAが到来する何千年も前から、これらを奪いあってきた。環境が悪化するほど、自分たちの勢力圏が狭まるほど、人類はBETAとよりも自分たち同士で熾烈に争わねばならなくなるのだ。

 ドイツ民族の生存圏をユーラシア大陸の外に、軍事力を用いて確保する。

 ヨアヒムならずとも、ダンケルク作戦とNATOが称する脅迫的移民計画や、それを独自に修正したさらに胡乱な革命政権案の真実に、まともな教養があるヨーロッパ人は薄々は感づいている。

 身分証を見せるだけで皿に大盛りのヴルストをもらえた食堂で、グレーテルは席をとって二冊目の本を開いた。

 一九七三年刊『騎士団の城 ‐魔女が世界を支配する日‐』(原著者は『タイムトラベラーズ』と同じチャーリー・ライアンなる謎めいたアメリカ人だ)。読まずにはいられない題名だった。

 革命の夜に恐るべき才覚を発揮したウルスラ・シュトラハヴィッツは、熱狂を従えて共和国を掌握し、今や西ヨーロッパをも意のままに動かそうとしている。

 この三ヵ月、グレーテルは多忙なウルスラと会っていない。旧体制に与していた人間への情け容赦ない処置、カメルーンでおこなおうとしている恥知らずな裏切りから始まる予定の征服戦争は、六六六中隊に居着いてしまった無邪気な西側の少女とは別人が指導しているかのようだった。あるいは、悪魔との契約によって力を得て、性格まで変わってしまった魔女であるかのようだった。

 革命英雄に握手を求めた料理人が持ってきてくれた秘蔵の葡萄酒(ヴァイン)を賞味したグレーテルは、空腹に気づいてヴルストにも口をつけた。

 三ヵ月も病院食ばかりだったせいか、素朴な塩味の豚肉は驚くほど美味に感じられた。

 


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