「姉ちゃん姉ちゃん! 兄ちゃんがベッドの下にえろ本かくしてる!」
こめっこの口から、そんな衝撃的な言葉を私は聞いた。
きっかけは、私が帰ってきてからずっと沈黙していたこめっこに、その理由を問いただした時だ。
先に帰って来ていたらしいよろろんの姿はどこにも無い。ヤツなら何か知っているかもしれないが、居ない事には問いただせない。
仕方なくこめっこに理由を聞いても、ふるふると首を横に振るだけだ。
何も答えず、頬を膨らませるばかりのこめっこの頬を仕方なく、つんつん弄んでいた私に、『口が裂けちゃう!』と堪らず口を開いたこめっこの出した二の句がその秘密だった。
正直信じられなかった。
あの剣を振るって喜んでいるお子様に、そんな欲求が有るとは思えなかったからだ。
この前の占いの時だって、あんなに結果をもったいぶられたにも関わらず、あっさりと受け流すあたり、本当に色恋に関心がないのだと寧ろ関心してしまったというのに。
しかし純粋なこめっこが、えろ本なんて言葉を使って私を騙すとも考えられない。
と、言うか。妹の口からえろ本なんて言葉が出てきた自体、俄かには信じがたい。
誰だ、そんないかがわしい言葉をこめっこにインプットしたのは。見つけたらタダじゃ済まさんぞ。
……まあ、こうやってクロとじゃれ合うこめっこを眺めながら、あれこれ考えていても仕方ない。
百聞は一見にしかず。私は事実を確かめる為に、よろろんと共用している自室に向かった。
日がほぼ沈みかけ、部屋に差し込む陽光はかなり少なくなっているので、室内は非常に薄暗い。
が、まだギリギリ光源を使わなくても探索出来る位の明るさはある。窓際の弟のスペースなら、通路側の私のスペースよりも少しは明るいだろう。
私は足音をなるべく立てないように、恐る恐る部屋の中心を仕切るカーテンを潜る。
簡素なベッドとその枕元に立て掛けてある、使い込まれた木剣をちらりと横目で見た私は、早速ベッドの下を覗き込んだ。
「…………」
結論から言えば、何もなかった。
物も少なく、小まめに掃除しているからか、埃すらあまり無い。
恐らく私のベッドの下より小綺麗だろう。
こういう色々マメな所は、血を分けた姉弟として私も見習わなくてはな。と思う。
そう床板の埃を確かめる為に、床を撫でていた私の手の平に、少々の違和感を感じた。
こう……、僅かにだが出っ張りがあるような。今一度床を撫で、違和感を感じた部分を特定すると顔を近づけ観察する。
すると私の目に、床板に入った切れ込みのような隙見が見えた。
小さな隙間だが、爪を立てて隙間に引っ掛ければ上手く持ち上げられるかもしれない。
床下か。これは良い隠し場所だ。
好奇心が疼いた私は早速、隙間に指を入れて持ち上げる。
しかし、僅かに床板が動くだけで持ち上げることが出来ない。
理由はベッドの足が私が持ち上げようとしている床板の上に乗ってたからだ。
……なるほど。こうして私の探索を妨害する算段なのか。
なかなか味な真似をしてくれる。私は体に魔力を纏わせた。
「……ふぉぉぉぉぉぉぉっ……!」
思いの外、弟のベッドは重かった。
しかし私が全力を出したなら、破壊出来ない壁は無い。
肩で息をする程、体力を消耗させられたものの、どうにかベッドをどかす事は出来た。
あとはこの憎き床板を剥がして、こめっこの言葉の真偽を確かめるだけである。
私は再び床板に指をかける。
今度はすんなりと板が持ち上がり、その下にスペースが生まれた。
意を決して中を覗く。そこにはーー
「…………これは、スキルアップポーション、ですか?」
よろろんのベッドの下のスペースにあったのは、えろ本ではなく二本のスキルアップポーションだった。
……よろろんめ。スキルアップポーションなんて隠し持って何に使うつもりなんだ。
と、瓶を取り出して眺めていた私は気づいた。
片方の瓶の栓のコルクに、小さく私の名前が書いてあった事に。
それを見て、私は理解した。これは私の為に、よろろんが自分が貰って来た分を取っておいてくれたのだと。
本数的に見て、最近集め出したのだろう。
私が爆裂魔法の習得を彼に話したあの日から、大量のスキルポイントを使う私の為に取っておいてくれたのだろうか。
「……。……はぁ。全く。余計な事を……」
私は静かにポーションをしまって、ベッドを元の位置まで戻した。
自分で得て来た物なのだし、さっさと自分に使ってしまえばいいものを。
変な所で気を利かせてくるというか、優しいというか。
好奇心がすっかり萎えてしまった私は、探索を打ち切り居間へと戻る。
「あ、姉ちゃん。何してたの? えろ本探し?」
「いえ、ちょっと本を読んでいました。それより、こめっこ。えろ本なんて言葉、軽々しく口に出してはいけませんよ?」
「え、どうして?」
「『えろ本』とは呪われた魔術を記した魔道書の名前なのです。その効力とはとても凄まじく、名前を口に出しただけで呪われてしまうのです。幸い今回こめっこが口に出した分の呪いは私が解呪しておきましたが、次も上手くいく保証はありません。超強力な呪いなのでね、天才の私といえど一度の解呪が限界なのです。だからもう口に出してはいけませんよ。特に人前ではね」
「う、うんっ。わかった、もう言わないね」
少し怯えた様子で頷くこめっこの頭を撫でながら、私は台所へと向かう。
……今日のおかずは、よろろんが好きな物を作ってあげよう。
メニューを考えた私の口角が、自然と上がったのがわかった。
♦︎
ぶっころりーに制裁を加えた帰り道。
すっかり暗くなったあぜ道を一人、俺は歩いていた。
辺りに人気は無い。
ぶっころりー家から帰る途中、出会ったつむ達と一緒に『最終決戦。主人公のピンチに駆けつけるかつてのライバルや仲間たち』ごっこをしていたら、すっかり遅くなってしまった。
早く帰らないと姉さんとこめっこに夕飯を残らず食べられてしまう。
そう帰路を急いでいた俺の目に、見慣れない姿の一団がやってくるのが見えた。
見たことのない顔ぶれだ。杖やローブではなく鎧や刀剣を身につけている。
旅の途中、この里に立ち寄った冒険者達だろうか? こんな時期に里に来る冒険者とは珍しい。
向かい側からやって来る一団に目を向けていると、先頭を歩いていた鎧姿の男が声をかけてきた。
「やあ、こんばんは。君はこの里の子かな?」
「はい、そうです。貴方達は……」
「僕たちは冒険者でね。魔王軍と戦う為に、世界中を旅して周っている途中なんだ。少し道を尋ねてもいいかい?」
男は俺に笑いながら答える。
……魔王軍と戦う冒険者とな? それってつまり名うての冒険者という事ではないか。
確かに身につけている鎧はかなり良い物だ。腰に下げている剣からも、タダならぬ魔力を感じる。レベルも高そうだし、経歴を騙っている訳では無さそうだ。
……ふっ。成る程。
この邂逅、運命という名の神の導きか。はたまた悪魔に悪戯によって歪められた物語の始まりか。
どちらにせよ、強者との出会いを仕向けてくれた事には感謝せねばなるまい。
ならば良し。その経歴に負けぬ名乗りを上げるとしよう。
俺は意味深に笑うと、困惑した様子の鎧の男達を見据える。
「……ククク。成る程。まさかこのような場所に魔王を打倒せんとする勇士がやってくるとはな。歓迎しよう、盛大にな……」
「えっ? あ、ありがとう。で、その、道を聞いても……」
「……おっと、失礼。まだ名乗っていませんでしたね。ーーでは名乗りましょう。名乗らせていただきましょう!」
困惑する冒険者一行を放置して、俺は試行錯誤の末に辿り着いた至高の名乗りポーズをする。
足を半歩開き、右手で顔を覆って、左手を右手の交差するよう横に伸ばす。
羽織っていたローブ(一撃熊の一撃によってだいぶ短くなってしまっている)を風にはためかせ、驚愕のような呆れのような変な表情で俺を見つめる客人達に、声高らかに名乗った。
「我が名は『ダークネス・ナイトメア』。漆黒より生まれし混沌の寵児。紅魔族随一の剣の使い手にして、いずれ世界最強の剣士となるものなり……」
「…………バカにしてるのかい?」
「ち、ちがうわいっ!」
真顔で返されてしまった。
渾身の名乗りだったのに……。やっぱり紅魔族式の自己紹介は、里の外の人間の目には特異に映ってしまうものなのだろうか。
まあ、でもいいや。しっかり名乗れたし、それは満足した。
故に俺は改めて彼らに名前を名乗った。
「あ、すいません。これは一応紅魔族のしきたりの様なものでして。あまり気にしないでくれると助かります。どうも、よろろんです。ですがこれは紅魔族の中で生活していく中で付けられた名前ですので、『ダークネス・ナイトメア』と呼んでいただいても一向に構いませんよ」
「……そ、そうなのか。……いや、こっちこそあんな態度を取ってしまって悪かった。この里に来てから事ある毎にあんな感じの自己紹介をされてたから、つい……」
と、言いながら苦笑いを浮かべる男。
外の人達からしたら、一々長ったるしいカッコつけた挨拶に付き合わされるのは、あまり好ましい事ではない様だ。
「よろしく、よろろん。僕はミツルギ・キョウヤ。この娘達は僕たちのパーティーメンバーの……」
「私はフィオ! で、こっちが」
「クレメアよ。よろしくね、よろろんくん」
ミツルギさんに続いて、彼の後ろで一部始終を見守っていた女性達も俺に挨拶してきた。
……誰も『ダークネス・ナイトメア』と呼んでくれないな。やっぱり名前にしては長過ぎるのがいけないのか。家に帰ったら早速、新しい呼びやすい名前を考えよう。
旅先で出会う人にまでよろろんとかいう名前で呼ばれるのは恥ずかしい。
しかし、なんだろう。
ミツルギ・キョウヤか……。どこか懐かしさを感じる名前だ。
こんなかっこいい名前、今日初めて聞いたというのに。
……はっ。もしかして前世で、この男と何かしらの因縁が……?
……ククク。そうか。我が怨敵よ、再び今世で相見える事になるとはな……。
ならばこれ以上の言葉は不要。ここから先は剣で語る事にしよう……。
「……ふふっ。いいでしょう。道案内を頼みたいと仰っていましたね? ミツルギさん」
「ああ、頼まれてくれるかい?」
「ええ、いいでしょう。何処へなりとも案内しますよ。ーーただしっ!」
俺は背中から『ダーク・ソウルブレイド』を引き抜き、ミツルギさんにその切っ先を向ける。
「俺に勝てたら。ですけどね?」
♦︎
以下、ダイジェスト。
「うぉぉぉぉぉぉっ!! 唸れ俺の、『ダーク・ソウルブレイド』ォ!!」
「……え? あっ、その。……ごめん」
「あべしっ!?」
「やった! キョウヤの勝ち!」
「さっすが私達のリーダー! あんな禍々しい光を放つ魔剣使いを倒すなんて!」
「あっ……。う、うん。や、やったぜ?」
「くぅっ……! ま、まさか、この俺が……倒される、とは……。……く、クククっ。……流石だ、勇者よ。だが次もこう上手くいくと思うなよ……! 俺を倒したところで、まだまだ魔王様に付き随う強者はいる。そやつらも、今回のように倒せると思うなよ……!」
「え、あっ……。が、頑張ります」
♦︎
「えっと……。……大丈夫かい?」
「はい、そりゃもう! お付き合い頂きありがとうございました!」
地面に倒れていた俺に声をかけてくるミツルギさんに、俺は立ち上がりながら返事を返す。
俺が提案した茶番に付き合ってくれた上、俺の身を案じてくれるとは。
見かけの通りいい人だった。
「フィオさんとクレメアさんも、ありがとうございました」
「いえいえ、お気になさらず」
「私たちもちょっと楽しかったしね」
ミツルギさんのパーティーの二人も、気の良い人達で助かった。
立ち上がって寝転んだ時に付いた土汚れを払ってから、俺は彼らを先導する。
「さ、どうぞこちらです。宿屋への道ですよね。喜んでご案内させて貰います」
「あ、ありがとう。でも今のは……?」
「いやぁ、ちょっとやってみたかっただけなんで、お気になさらず」
これで勇者と壮絶な戦いを繰り広げたという既成事実は出来たな! 明日学校へ行ったら自慢しよう。
俺は夜道を揚々と歩き出した。