「なんだか最近、誰かに後をつけられてる気がするのよねぇ……」
修行の合間の休み時間。
師匠ことそけっとが作ってきてくれたサンドイッチを頬張っていた俺は、らしくない彼女の物憂げな溜息に顔を上げた。
「え、師匠をストーカーする勇者なんて存在するんですか?」
「……あら。それってどういう意味かしらよろろんくん?」
「い、いたたたたっ! い、いひゃいでしゅ、ししょー!?」
暗黒微笑を浮かべた師匠に頬をつねられる。
ち、千切れる! 俺の頬が千切れてしまう!
身の危険を感じた俺は、頬を掴んでいる師匠の腕をタップする。
「だ、だって! 里でもトップクラスの実力の師匠の後をつけ回すとか、ただの自殺行為じゃないですか! バレたら確実に殺られますって! 確かに師匠は美人ですけど、だからって命を担保にする程のものじゃ」
「まあ。美人だなんて嬉しいわ。でも余計な言葉が多過ぎたわね」
「いだだだだだだだっ!? は、鼻はやめろぉ!!」
師匠の攻撃は止まらず、鼻を摘まれた俺は涙目で彼女の腕をタップし続ける。
も、もげるっ! 鼻がもげるっ!?
というか最近顔への攻撃多過ぎるだろ。俺が何したっていうんだ。
「……まあ、別に後をつけられてる以外に実害は無いから今の所放置しているんだけど。流石にちょっと気味が悪いのよねぇ……。真っ向から挑んでくるなら、いくらでも相手してあげるのに」
「そりゃ不意打ちしたくもなりますよ。木刀で熊をサイコロステーキですもん。そんな蛮族に正々堂々勝負しかける……、あ、ちょっ、やめっ!? くすぐるのはやめて! 弱いから! 脇腹はよわいかあひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ!!」
師匠の執拗な攻撃は止まらない。
俺はその残虐な行いの数々を、ただ黙って耐えている事しか出来なかった。
例え相手が女性であっても、大人が本気で魔力を使って強化した腕力からは逃れられなかった。
くそっ……。俺にもっと力があれば……!
力が欲しい。理不尽に抗えるだけの力が。
誰にも屈すること無く己を突き通す為の力が。
力無く地に臥す俺は、自分の無力が許せなくて涙を流した。
「か、かはっ……! は、はぁ、はぁ……! は、ごほっ、げほっ、がひょっ……!」
「あっ、ごめん。よろろんのリアクションが面白いから、ついついやり過ぎちゃった。ごめんね。大丈夫? ……はい、お茶。これ飲んで落ち着いて?」
「あ、あざます……」
師匠から受け取ったお茶を飲む。
喉を爽やかな紅茶の風味が通り抜けていく。
……うん、美味しい。こんな状況じゃなきゃもう少し素直にこの味を味わえたのに。残念だ。
受け取ったカップの中身を綺麗に飲み込んだ俺は大きく息を吐いた。
「さあ、休憩は終わりにして修行の続きをしましょうか。レベル上げはそこそここなせてるし、しばらくは白兵戦の経験を積むのも悪く無いわね。試しに私と木剣の打ち合いでもしてみる? そっちはその黒い剣使っていいわよ」
「……ふっ。いいでしょう。前世から受け継ぎし俺の剣冴え、とくとご覧あれ」
カップを師匠に返した俺は、立ち上がって背中に差していた『ダーク・ソウルブレイド』を引き抜く。
「それじゃいつでもどうぞ。どっからでもかかってーー」
「あ、『混沌より生まれし邪悪なる魔神』! 『混沌より生まれし邪悪なる魔神』だ! 凄え! 珍しい!」
「えっ? どこどこ?」
「隙ありぃぃぃぃぃぃっ!!」
師匠が余所見した隙に斬りかかる。
卑怯と思われるかも知れないが、これも勝利を得るために必要な行為なのだ。
勝利に貪欲であれ。師匠から学んだ事を今こそ実践するのだ。別に先ほど散々弄られた恨みを晴らそうとしている訳ではない。
「はい、十点。不意打ち仕掛けるのはいいけど隙ありって口に出しちゃ意味ないでしょうに」
「あてっ!?」
攻撃を師匠にかわされた挙句、頭を木刀で殴られた俺。
不意打ちしたのに軽くあしらわれてしまった。悔しさが込み上げてくる。
「ち、ちくしょう……! 次こそは一本取ってやる!」
「ふふっ、いいわよ。相手してあげる。全力でかかってきなさい!」
俺は師匠に向けて再び『ダーク・ソウルブレイド』を振り上げた。
♦︎
「「「………………」」」
かんかん、と硬い音が空き地の中に鳴り響く。
弟のよろろんが、見知らぬ綺麗な女性に向けて、どこからか拾って来た漆黒の剣を打ち込む様を、私達は近くの茂みの影から静かに見ていた。
「……ふ、ふふふふっ、ふふふふふふふふふ。何度も見てきた光景だけど、やっぱりおかしいよなぁ……。自分の恋敵が10以上も年下の男の子だなんて」
「落ち着いて下さい、ぶっころりー。ただでさえ犯罪に手を出してそうなその顔が、ただの犯罪者の顔になってますよ」
「あ、あんまり最初と変わってないような……」
暗い笑顔を浮かべて攻撃魔法の詠唱を始めるぶっころりーを止める。
どうして私達がこんなストーカー紛いの事をしているのか。それは今朝、ぶっころりーが私の家を訪ねて来た所から始まる。
日がな一日ごろごれ寝てばかりのニートが何の用かと聞いてみれば、ニートの分際で恋をしたと言う。
それでその恋に立ち塞がる怨敵を排除して欲しいと頼んで来たのだ。
自分よりも一回り年下の女の子に何頼んでるんだ、このニートは。私達だって暇じゃないんですよ。学生にとって休みの日は貴重なんです。
と、一蹴しても良かったのだが、ぶっころりーの恋敵の正体を聞いた私達は、二つ返事で彼の依頼を受け、こうして彼が恋しているという里一番の美人、そけっとの後を追ってここに来たと言う訳だ。
それで、その恋敵というのが……、
「……まさか私の弟だったとは。ねぇ、ぶっころりー。今どんな気持ちですか? 好きな人が年下の弟分に寝取られた気持ちは? あ、寝取られてはいませんか。だってぶっころりーはあの人の彼氏でもなんでもありませんもんね」
「ああああああああああああっ!!」
「ちょっ、ちょっと! 静かにして下さい! 大声出したら隠れてるのがバレちゃうじゃないですか!!」
ゆんゆんがキレ気味にぶっころりーに言う。
どうやら彼女も真剣に事の推移を見守っているようだ。
ぶっころりーを煽った私もキツめに睨まれてしまった。ちょっと怖かった。
「……あ、アレだよな? あの二人に別に恋愛感情的なものは無いよな? あくまで師匠と弟子として、姉と弟的な気持ちで接してるだけだよな?」
「さあ? わかりませんよ。よくある話じゃないですか。普段は意識してない間柄から恋仲に発展するなんて。師匠と弟子のラブロマンス、十分可能性はあると思いますし、少なくとも現時点の好感度なら、可愛い愛弟子とただのストーカーで完全に敗北してますしね。ぶっころりー」
「…………かふっ」
「ぶ、ぶっころりーさんが死んだ! この人でなし!」
白目をむいて倒れるぶっころりーを見下ろしながらゆんゆんが叫ぶ。
さっきからだいぶ騒いでしまっているが、あの二人には気づかれていないのだろうか?
ちらりと様子を盗み見ると、修行に打ち込む二人は外野の騒ぎなど気にせず、木剣と黒剣、手に握った得物同士をぶつけ合っていた。集中しているようで何よりである。
「……ね、ねぇ、めぐみん。ほ、本当によろろんと、そけっとさん、そういう関係じゃ無いわよね? だ、だって歳が離れ過ぎてるし、第一まだよろろんは学校を卒業していない子供だよ? そけっとさんみたいな大人の女性とは釣り合わないというか……」
「貴方も同じ事を聞くんですね。そんなに気になるんですか? 弟の恋路が」
「ち、ちがっ……! 別にそんな私は別によろろんの事なんて気になってないんだからねっ!!」
気になってるじゃないですか。
と、誤魔化しきれてない事を指摘して、ゆんゆんを涙目にしてやろうかとも思ったのだが、話が進まなさそうなのでやめておく。
「……まあ、真面目に答えるならあの弟の方にはそういう甘酸っぱい感情は無いと思いますよ。あの子に恋愛とか出来る精神性はまだ作られてないと思いますし。図体は多少大きくなってきてますが、中身はまだまだお子様ですよ」
私は所感を述べる。
おそらく、あの二人に私達が邪推しているような関係性は無いだろう。
普段の生活を見ればわかる様に私の弟は、女の子と仲良くするより剣術やら修行やらの方に興味を持っている。
それは先ほどまでの二人のやりとりを見ていれば、ある程度察する事が出来ると思うのだが……、
「よ、よろろんにその気は無くてもそけっとには……? 俺が知らないだけでそけっとには小さな男の子しか興奮出来ない性癖があったり……。……いやそれはそれで色々捗りそうだけどでも……」
「そ、そんなっ。いくらよろろんでもあんな美人なお姉さんに言い寄られたら絶対気持ちが傾いちゃう! ど、どうしようめぐみん! どうしようめぐみん!?」
ぶっころりーとゆんゆん、二人してオロオロし始める。
なんだこいつら。というかぶっころりーのリアクションはわかるけど、なんでゆんゆんまで慌てているのだろうか。
やっぱり弟の事が気になってきてるのだろうか。異性的な意味で。
まあ、確かに。よろろんは普段からゆんゆんには優しく接してるし、身長が私並みに小さい所に目を瞑れば、割と整った顔つきをしている。
それに加えてこの前の授業の時の様に、かっこよく助けられたらチョロいゆんゆんなら惚れてしまうのも無理ないだろう。
……仕方ない。メンドくさいがここは私が一肌脱ぐとしよう。
私は立ち上がって、隠れていた茂みから出て行った。
「ちょっ、めぐみんどこに行く気だい?」
「ここであれこれ言い合ってても埒があきませんし、確かめに行くんですよ。ーー本人達に直接聞きに行って」
私の言葉を聞いたぶっころりーとゆんゆんが、慌てて茂みから飛び出してきた。