「戦い方?」
「うん。だめかな?」
「だめではないが……」
少年は、日課を通り越して呼吸にも似たものになりつつある筋トレを終え、なのはの両親が経営する喫茶店『翠屋』に来ていた。
中は全体的に温かみのあるイエローオーカーや海老茶で纏められており、カジュアルで親しみやすい印象を受ける喫茶店は、少年のお気に入りでもあり、子供のころから慣れ親しんだ空間でもある。高校の頃からのバイト先としても通っているため、半ば自宅のように少年は思っている。
「俺は戦い方らしい戦い方など知らんぞ。精々近づいて殴れぐらいしか……。それに、俺は荒事に慣れていない」
テーブルを挟んで少年の向かいに座るなのはが、疑わし気に目を細める。
「でも、あの時「やめておけ、接近戦では俺に勝てない」みたいなことをかっこよく言ってたけど?」
「子供が大人に殴り合いの喧嘩で勝てないのと同じ。自明の理、というやつだ」
「でも相手はその――」
なのはは、周囲を見回して近くに誰もいないことを確認すると、身を乗り出して少年の近くでささやいた。
「魔法を使うんだよ?」
「魔法? 気張れば弾ける。殴れば壊れる。何もしなくてもちょっと痒い程度の物など、最初から勘定に入れるだけ無駄だぞなのは。
士郎さんや恭也が使う御神流であれば、俺の筋肉を多少徹せるが……魔法ありきの戦闘が主なあの少女には無理だろう。」
「あ、そうなんだ……。うん、そんな気はしてた……」
「まぁ、特訓に付き合うのは嫌ではない。今日は大学に用事も無し、今からうちに来るか? お前のとこの道場でもいいが、魔法の訓練には向かぬだろう」
少年は、大学生だった。
海鳴大学という、なのはの兄も進学している大学の一回生として、推薦で入学しているという脳味噌筋肉野郎にあるまじき経歴を持つ。
本人曰く「そもそも高校のランクを落としていたから取れた推薦だ」とのことだが、大学内での成績は上から数えた方が早いため、普段の筋肉自慢とは対極的に謙遜であることが分かる。
「んー、お邪魔しようかな。流石にうちの道場じゃ魔法の訓練はできないし……筋トレする部屋使わせてくれるの?」
「いや、庭だ。ジムは色々物が置いてあって危ないからな。なのははよくあそこで転ぶだろう」
「散らかってるからでしょ! ダンベルも使い終わったらちゃんと元の場所に戻して! 私が戻そうとしても重くて持てないの!」
「いやそれはなのはが勝手にうちに来て勝手にジムで転ぶだけ――」
「片づけて!」
「……努力しよう」
事実は、少年の家に押しかけて少年の筋トレをしているところに来たなのはが勝手に転ぶという、正に少年の言ったとおりの事なのだが、悲しいかな子供というのは多かれ少なかれ自分が間違っているのを認めたくないのである。
少年はココアを飲み終え、伝票をもってレジへと向かう。
「さて、善は急げ、筋トレは確実にだ。行くぞ」
「あ、うん。筋トレは関係ないよね」
少年のアホみたいに広い背中に突っ込みを入れながら、なのはも席を立つ。
ててててと少年の後ろをついていく幼女は、最早この翠屋ではおなじみの光景になっていた。常連客が微笑ましそうに二人を見る。
「士郎さん」
「はい、どうも。出かけるのかい?」
「出かけるも何も、俺からしたら一応ここに来るのもお出かけですよ」
「あ、そうか。いやなのはが産まれる前から君はここに居たから、もうここも君の家みたいなものだなと思ってね」
「ありがとうございます。実は俺も家にいるとき並みに居心地良いんですよね」
手早く会計を済ませ、少年はなのはを連れて店を出た。
「いってらっしゃい、なのは。気を付けてね」
「うん、行ってきます!」
「と、いうわけで何が聞きたい?」
「どうやったら強くなれますか!」
「筋――」
「筋肉以外で教えてください!」
「……まぁまてなのは。なにも俺並みに鍛えろというわけではない」
「え、違うの?」
「違うぞ。子供のうちからあまりガチガチに筋トレをすると、軟骨が傷ついて成長を妨げるし、関節を痛める」
しゃがんでなのはと目線を合わせる。
「フェイトは俺に接近戦を仕掛けてきたな? ということはつまり、彼女は接近戦を戦闘に組み込めるタイプの魔導師、というやつなのだろう」
「うん」
「使用していた武器も斧のように鋭利な形状をしていたことからも、彼女が接近戦をよく用いることがわかる」
「うん」
「なのははユーノが言っていたように、遠距離型の魔導師。接近戦に持ち込まれればまず勝てない」
「……うん」
「そこで、とりあえず彼女に全力で打ち込まれた俺が、なのはの全力を受け止めて、フェイトと打ち合うのに必要な筋肉と、その筋肉を動かすために得ておきたい筋肉を重点的にバランスよく鍛えることにする」
「やっぱり筋肉なの……」
なのはも自分の人生を家族と、そして少年と過ごしてきたから大体察しはついていたようだ。
この少年は、結局最後に筋肉ですべてを解決しようとするし、実際解決できてしまう人間なのだと。
「勘違いしないでくれ。筋トレは魔法にも必ず役に立つ」
「そうなの?」
「あぁ。ユーノは居るか?」
少年は今日は一度も見かけていない小動物ユーノの姿を探す。
「今日はうちでお休み。魔力をこの間のジュエルシード回収でいっぱい使っちゃったんだって」
「そうか。なのは、結界は張れるか?」
「んー」
なのはが悩んで、首に下げているレイジングハートに可能かどうかを聞く。
レイジングハートは機械的に瞬いて可能だと告げた。
「できるみたい。この家ぐらいならすっぽりだって」
「よし、レイジングハート、とりあえずなのはが魔導師だってばれなければそれでいい。庭を結界で覆ってくれ」
「ok」
瞬間。世界の色が変わり、少年達の存在する世界と、今まで少年達が居た世界が『ズレる』。
結界が張られている間は、この空間は人々の意識から無意識の産物へと変わり、結果的にこの庭を誰も認識することはなくなった。
「さて、なのは。拳でも足でも杖でもいい。遠慮はいらん。打ってこい」
「う、うん……」
バリアジャケットを展開し、杖を構えるなのはと、全身を軽く力ませ筋肉を隆起させる半裸マッチョ。はたから見れば異常である。
「あの、毎回、それこそ何年か前から思ってるんだけど、なんで半裸になるの?」
「む、なのはが少し前から俺の筋肉をちらちら見ていたから、てっきり筋肉フ――」
「い、いいいいいつから気づいてたの?!」
顔をトマトのように赤くしてレイジングハートを取りこぼすなのはと、きょとん顔した半裸マッチョ。はたから見れば事案である。
「ふむ……夏休みに海に行った時だな。まぁ俺はマッチョだ。気にするな。慣れているし、自慢の筋肉を見られるのは心地いい」
「……」
なのはは男の半裸をちらちら見ていた自分に対して羞恥心に塗れているのであって、決して少年に罪悪感を抱いているわけではないのだが、どうも少年は勘違いをしているらしい。
結局その日の訓練はなのはの羞恥が収まらなかったこともあって、お開きと相成った。
少年はなのはの体調がすぐれないのだと思い、家まで送ろうとしたが、なのはが固辞したことと、未だ昼過ぎだったこともありなのはの意思を尊重した。
なのはは少年の、いつもは前腕ぐらいしか見えないデカいキレキレの筋肉を思い出しては、なんか破廉恥なことをしている気分になっていた。
高町なのは、筋肉フェチの扉を開く。
筋肉