傀儡兵を破壊した後、クロノはリンディに報告、少年は周囲の警戒を行っていた。
少年の筋肉が生み出した衝撃波で破壊された通路は、現在は区画ごと電力、魔力の供給が止められているため暗い。クロノが浮遊させている魔力弾を照明の代わりすることによって視界を確保しているが、それでも視界は良好とは言えず、頼りない視界と少年の研ぎ澄ました筋肉が空気の振動等を感知することによって動体反応を感知していた。
「――さて、それじゃあ参考人を移動させましょう」
「そうだな」
狙われた者を再び狙われることのないように移送する。
当然ともいえる行為だが、完璧な侵入を果たした傀儡兵とその術者を相手に如何ほどの効果があるかは、怪しい所である。
「……ん?」
それは、どちらの声だっただろうか。
ほの暗く生活感の無い聴取室には、居るはずの少女が居らずもぬけの殻。魔力の残滓すら感知できないその部屋は、最初からそこに何も居なかったのではと錯覚する程だ。
周到に計画を立てたのか、それともアースラごときのセキュリティでは探知すら不可能なほどの技量だったのかは、さて置いて。
「脱走……?」
参考人兼容疑者、フェイト・テスタロッサは見事なまでに脱走を成功させていた。
「執務官から連絡です! 聴取室がもぬけの殻だそうです!」
「向こうもですか……!」
各ディスプレイが鮮明に見えるように少しだけ薄暗くされたブリッジで、リンディは冷や汗をかいていた。リンディが命令を出し向かわせた魔導師数名も、同じように使い魔アルフの脱走を報告したのだ。
傀儡兵の襲来を予期して示し合わせた脱走か、火事場に至って図った逃走か、どちらにせよまんまと手中から情報が失せたことには変わりない。
「土壇場でジュエルシードが奪われてないか確認急いで。それとクロノ執務官と民間協力者二名をここに呼んでください」
とにかく、冷静に。こういう時に取り乱すのは最も効率が悪く、悪手を取りやすい無能の典型である。
「クロノ執務官、ユーノ・スクライア、民間協力者二名、ただいま戻りました」
「はい、では四名とも座ってください。それでは、ブリーフィングを始めます」
リンディは手元のコンソールを叩き、各々の目前に透過ディスプレイを出現させる。
発光するディスプレイには逃亡した二名の簡単なプロフィールと、少年達が対峙した傀儡兵のデータが示されていた。
フェイトとアルフの脱走、傀儡兵の襲撃、それらに伴うお役所特有の面倒ごとは全てリンディ達が請け負い、少年となのはは、一時帰宅を言い渡されていた。
ユーノは、もともと魔法関係者であり、魔法文化が根付いた世界で生まれ育ったため、今回の一件が落ち着くまでは慣れ親しんだ魔法文明の色が濃いアースラでの預かりとなった。
「……」
夕暮れの空の下で、大男と少女は連れ立って歩く。
なのはの足取りは依然重く、なのはの歩幅に合わせることに慣れた少年でも、気を抜けば置いて行ってしまいそうだった。
夕暮れ時の少しだけ湿った風が頬を撫で、なのはの髪を攫う。歩調に合わせぴょこぴょこ揺れる栗色のツインテールは、今は柔い風に攫われて力なく揺れるだけ。
「まぁ、気を落とすな。いずれまた会う時が来るさ」
「……そうかな」
「そうだとも」
少年は疑っていない。
フェイトとアルフが逃げたのなら、それはジュエルシードを集めるためだ。こちらもジュエルシードを集めている限り、いずれ交わる道である。
「何はともあれ、祝杯だ。フェイトに勝ってから話がテンポよく進みすぎて、祝いの席を用意する暇がなかったからな。日を改めてもいいから士郎さん達に聞いておいてくれ」
「え、でも……」
「落ち込んだときは、飯食って筋トレして寝る。これでひとまず気分は晴れるさ。人間なんて単純なものだ」
「筋トレ」
「筋トレだ。なんなら筋肉が精神面にどうプラスに働くかの授業をしてやるぞ」
「それは、また今度」
「そうか」
少年はなのはがフェイトに勝利したことに、己の事でもないのに内心舞い上がっていた。
時の庭園。
時空の狭間に位置する巨大建造物。元はミッドに存在していた物だが、現在では次元の狭間を揺蕩うばかりである。
華美な装飾はなく、ただ淡々と温もりの欠けた風景が連なる時の庭園の玉座に、一人の女が腰かけていた。
「フェイト」
「……はい」
「ジュエルシードを」
バルディッシュのコアから水色の結晶が露出する。
ふわふわと周囲を漂うジュエルシードの数は、五つ。
「――」
プレシアの持つ鞭がフェイトの体に裂傷を刻む。
苦悶の表情を浮かべて耐えるフェイトにプレシアは苛立って、一つ、一つと裂傷を刻み込む。
裂けた皮から血が流れ、フェイトは崩れる様に地に伏した。
「お前――――ッ!!」
気を失ったフェイトには最早興味が失せたのか、プレシアはジュエルシードを持って玉座へと戻ろうとする。
その瞬間、庭園の玉座に至る門が轟音と共に吹き飛び、プレシアの横を飛び抜けた。
風圧に揺れる髪を歯牙にもかけず、猛る声の主を睨みつけるプレシアと、砂煙の中で歯が砕ける程に食いしばるアルフ。
「なってない番犬ね。いえ、番犬以下の犬畜生」
「どうとでも言いやがれ、クソババア。フェイトはアンタのことを大事って言ってるけど、もうアタシには関係ない」
問答を続ける必要は無く、アルフの健脚は地を蹴って瞬きより短い時間で数十メートル離れたプレシアの懐に潜り込む。
「地獄に墜ちろ」
剛腕から繰り出される一撃必倒の拳。
空を穿てば天を貫き地に突き立てれば星をも揺らすほどのその拳を、プレシアは身じろぎ一つせず魔力を固めた初歩的な防御魔法で防ぐ。
数舜遅れて大気が揺れ、庭園が揺れて、それでもプレシアには届かない。
「フェイトも道具の作成が下手ね」
プレシアは魔力弾を一つ生成し、アルフの四肢をバインドで縛り上げる。
力任せに振り解こうとするも、そもバインドとは錠である。簡単に外れるわけはない。
「ぐ、くぅッ!」
空中に釣り上げられ、十字架に張り付けられるように体を広げられるアルフの腹に、プレシアは魔力弾を撃ち込む。
「がッ――」
その一撃で意識が飛びそうになるが、唇を噛み千切ってどうにか意識を繋ぎとめた。
「愛玩動物ならいざ知らず、ただの道具に感情を付随させるなど愚の愚。愚か以外の何物でもない」
一発、一発と魔力弾を撃ち込んでアルフの意識を刈り取ろうとするプレシアと、それに抗い続けるアルフの静かな攻防は続く。
非殺傷設定は解除されており、重い打撃を何発も貰ったかのような腹は青く内出血し、生まれながらの頑丈さと鍛えられた腹筋が無ければアルフの腹には既に穴が開いていただろうことは容易に想像できた。
「クソ、ババア……」
「呆れた頑丈さね。感情が無かったらそこそこ優秀な道具だったでしょうに」
六発目。
魔力節約の為に小出しにしていた魔力弾を、もう少し少ない魔力で生成し、撃ち抜く。
完全にアルフの意識は刈り取られ、首は力なく下を向いた。
「この出来損ないも、一つの戦力。感情を廃して使い勝手のいいものに――」
アルフの使い魔としての在り方を変えようと、プレシアは手を伸ばす。
しかしそれは叶わずに、アルフは気を失う前に発動させていた転移魔法で時の庭園から消え失せた。
「まぁ、どの道すぐに果てる玩具。捨て置いても問題はないわ」
プレシアはそのまま玉座の裏に座り込んでいる男に向けて言う。
「やることは分ってるわね」
「あぁ」
「最大限の譲歩、折衷案よ」
「わーってるっつの」
「しくじったら身を百に分けて虚数空間に捨てる。肝に銘じて起きなさい」
「わーってる。上手くやる。ただの足止めだろ」
「殺しても良いわ」
「そりゃダメだ」
巨漢。そういって差し支えない男は不敵に、大胆に嗤う。
「殺してしまっては、面白くない」
筋肉