今回はダイヤちゃんとのお話になります。
『パパ…ママ…?』
少女は呟く。
『ここ…どこ?』
先ほどまで一緒にいたと思っていた両親とはぐれてしまった少女。
見知らぬ土地に見知らぬ人々。
『う…うう…』
その目には、徐々に涙が溜まっていき。
『う、うわあああああああああん』
やがて、それは溢れ出してしまった。
そんな少女に、声をかける少年が一人。
少女を見つけると、彼は迷いなく話しかけに行った。
『おやおや。そんなに泣いてどうしたんだい?』
『うぐっ、えぐっ、お、お兄さん、だあれ?』
顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら言う少女。
そんな少女の顔をハンカチで拭きつつ、少年は答えるのだった。
『俺かい?俺の名前はハルっていうんだよ』
『は、ハル?』
『そう、ハル。そちらの名前も教えてもらえるかい?』
『わ、私、く、黒澤ダイヤ…』
『ほうほう。見た目通り綺麗な名前だね』
『へ?』
『ああいや、今はそんなことはどうでもいいね。ダイヤちゃんは、どうして泣いてたのかな』
『パパたちとはぐれちゃって…ぐす』
『そっかそっか。それじゃあ俺と同じだね』
『…へ?』
『俺も君と同じ、迷子ってやつだよ』
少年は、笑顔でそう言った。
「…あれから、もう10年も経つんですのね」
机の整頓をしていたら、少し懐かしいものを発見してしまった。
もう使えない、古びた切符。
東京でそれを使ったのは、今から10年前。
初めて東京に行った時の事。
両親とともに訪れたその場所で、私は迷子になってしまった。
まだ幼かった自分にとって、右も左もわからない土地で迷子になるというのは、まるで一人宇宙にでも放り出されたかのように感じるほど怖かった。
誰とも知らず助けを求めた。
でも、誰もその手を掴もうとはしてくれなくて。
泣きじゃくるしかできなかった自分のその手を掴んだのは。
自分より三つ歳上の男の子だった。
「私を助けてくれたかと思ったら、自分も迷子の最中だというのですから」
『君の親御さんを探すのを手伝うから、俺のばあちゃんがいたら教えてくれ。頭から鬼の角が生えてそうなばあさんだよ』
そう言われ、二人で駅を歩き回ったのだ。
それを思い出し、私は思わず呆れを含んだ笑みを浮かべてしまう。
「あの頃からハルさんは、あんまり変わってませんわね」
色あせた切符と、変わらないあの人。
あの人も、まだその時の事を覚えているんでしょうか。
※
「遠足の下見?」
「ええ。同伴していただけないかと思いまして」
「それはもちろん構わないけど。またなんで」
「事情については説明しますわ」
「よろしく頼むよ」
ある日の夕方。
いつものように、浦の星女学院に注文されていた物品を届けに生徒会室へやってきた。
届けた物品の名簿を確認し、不備がない事を確かめたところで、ダイヤちゃんから先ほどのような話を持ちかけられたわけである。
「浦の星女学院に遠足があるのは知っていますわね」
「そりゃあね」
遠足と言っても、イメージは社会見学のようなもの。
美術館、博物館、科学館といったところに行くのだ。
行くのはその年の三年生。
受験勉強で疲れている生徒たちのリフレッシュと、進路に対して希望を持たせる事を目的にしているらしい。
「その遠足、実は毎年生徒会が事前見学に行っているんです」
「へえ」
「それで、今年も例に漏れず行くのですが…どうにも他の生徒会メンバーの都合が悪いみたいで」
「うむ」
「私は一人でもいいのですが、すでに行き帰りのチケットなどが用意されているみたいなんです」
「それは…使わないともったいないね」
「ええ。それで、せっかくならとハルさんを誘った次第ですわ」
「なるほどね。でも俺でいいのかい?Aqoursの他の子とか…」
「それも考えましたけど、正直さすがに生徒会以外の生徒を呼ぶのもどうかと思いまして」
「ああ、確かにね」
生徒のための遠足。
その事前見学で一般生徒を連れて行ってしまうのは、確かに気がひけるものがありそうだ。
「そういう事なら喜んでお供するよ」
「恩にきますわ」
そんなわけで、週末にダイヤちゃんと科学館デートのお約束となった。
なかなかどうして、役得なこともあるもんだ。
※
「おおー…これは大きいね」
「日本でも有数の科学館の一つですからね。特にあのプラネタリウムは世界でも最大級みたいですよ」
「それは…すごいね」
電車を乗り継ぎ、名古屋市の科学館へやってきた。
休日ということもあって人はなかなかに多く、はぐれないように気を使う必要がありそうだ。
「さて。それじゃあ参りましょう」
「そうだね」
ダイヤちゃんと二人で施設を見て歩く。
もちろんその過程で楽しめるものは楽しみつつ、必要な情報があればメモをしていく。
初めは事前見学など本当に必要かと疑問に思ったが、案外、行ってみるとその重要性が分かる。
「催し物については整理券が必要みたいですわね」
「そうだね」
「これはあらかじめ生徒に伝えておいて、並ぶ必要がある事を知らせておく必要がありますわ」
「たしかにね」
「ここは小さな子どもが多いですわ」
「体験型が多いみたいだからね」
「高校三年生と言えども、調子にのるとこういう子どもへの配慮が欠けてしまう恐れがありますわ」
「テンションが上がると、周りが見えなくなる事もあるからね」
「ですので、この場所へ来る時はちゃんと周りを見るように伝えておきましょう」
「なるほど」
「ここは休憩場所ですが…長居はしないように注意しておきましょう」
「他のお客さんも使うだろうしね」
「再入場は自由ですし、長く休憩したいならすぐ近くの公園を使っていただきましょう」
「あそこ、すごい広かったもんなあ」
といった感じで、パンフレットにメモをしていくダイヤちゃん。
普段遊ぶ時はハイテンションに暴れる彼女だが、さすがは黒澤家長女。
今の彼女は、才色兼備の生徒会長と呼ぶにふさわしい振る舞いをしている。
そんなことを思いながら彼女を眺めていたら、どうやら気づかれたらしい。
「…どうしましたか?私の顔に何か」
「いやすまないね。悪気はないんだよ」
「それは分かっていますわ。ただ、あまり人の顔をジロジロ見るのはいただけませんわ」
「悪かったよ。つい見とれてしまってね」
「なあっ!ま、またハルさんはそういうことをサラッと…」
「事実だからね」
「…はあ。もういいですわ。先に行きますわよ」
「うむ」
そんな会話も挟みつつ、二人でさらに施設見学を進める。
ひと段落ついたのは、午後三時くらい。
お腹も減ったし、一度外に出て先ほど話にもあがっていた公園へやってきた。
かなりの広さがあり、家族連れやカップルなどなど、色んなグループがいるようだった。
それを眺めつつ、ダイヤちゃんと共にコンビニで買ってきたおにぎりに手をつける。
「本当なら、私が作ってきてもよかったのですが…」
「持って歩くには不便だしね。そこまで気を使う必要はないよ」
「私の料理、振る舞いたかったんですけどね」
「君が料理上手なのは知ってるよ。それこそ、またいつでも作ってくれ」
「ええ。そうさせていただきますわ」
「それはそうと…今日はこんな感じでよかったのかな?」
「こんな感じとは?」
「俺、一応は君の付き添いで来たけど…普通に見て周っただけだったからね」
施設とかを見て率直な感想くらいは俺も言った。
けど、対処方を考えたりメモをとったりしたのは全部ダイヤちゃんだ。
俺がやったことといえば、本当に横を着いて歩いたり思いついたことを口にしたりしただけ。
正直、戦力になったとはとても言い難いだろう。
「構いません。もともとこうなるのは予想できていましたし」
「なんというか、自分が情けなくなるね」
「というより、急なお誘いで来てくれただけで十分なんです」
「十分…ねえ」
「ええ。それだけで私にとって…」
そこまで言ったところで、少し強い風が吹いた。
そのせいでダイヤちゃんの言葉が聞き取れなくなってしまう。
「強い風だったね」
「そうですわね」
「聞こえなかったから続きを言ってもらえるかい」
「…風に流されて忘れてしまいましたわ」
「それは困ったね。走ったら取りに行けるかな」
「ハルさんの体力では不可能でしょうね」
「それもそうだ」
「風っていうのは、回り回って地球を一周するみたいですよ」
「なるほど。じゃあそれまで待ってれば話の続きが聞けそうだね」
「ふふ。そうですわね」
風が地球を一周するのに、どれくらいの時間がかかるんだろうか。
というか、そもそも風が地球一周するというのは本当なのか。
何はともあれ、風がここに戻ってくるまでは俺がダイヤちゃんにとってどう力になれていたかは内緒みたいだ。
それからどれくらい経ったか。
おにぎりも食べ終わり、二人でテキトーな話をしつつ景色を眺めていた。
間にはゆったりとした空気が流れている。
「ハルさん」
「なんだい」
「退屈ではないですか?」
「横に美人さんがいるからね。丸一日でもこうしていられるよ」
「…そ、そういうことを聞いたのではありませんわ」
「違ったのかい」
「…科学館とか含めて、退屈ではなかったかと聞いているんです」
「ああ、なるほど。もちろん楽しかったよ」
「ほ、本当ですの?」
「俺が嘘つけないのは知ってるだろう」
「そ、そうですけど…まあ、楽しんでいただけたなら」
「というか、君といてつまらないわけないだろうに」
「…はあ…そういうセリフ、よくさらっと言えますわね」
「嘘はつけないからね」
「口を閉じるという選択肢はないのかと聞いているんですわ」
「表情に出るから同じだよ」
「呆れた開き直りですわ」
「遺憾ながら、よく言われるよ」
「はあ…」
ため息をつくダイヤちゃん。
赤くなったりため息をついたり、忙しいものだ。
「…ハルさんは、昔から本当に変わりませんわね」
「それもよく言われるよ」
「これ、覚えていますか?」
「切符…ああ、これかい。また懐かしいものを持ってきたね」
「昨日、掃除をしている時に見つけたんです」
見せられた切符。
東京都内の電車に自由に乗れる1日乗車券。
ダイヤちゃんと初めて会った日、俺が彼女に渡したものだ。
『これがあれば好きな駅に行けるからね。一応、君に渡しておくよ』
『え、でも…』
『さすがに、君の両親が娘を置いて他の駅に行くってことはないと思うけど…念のためね』
「結局そのあと、すぐご両親を見つけて意味はなかったね」
「しかも、ハルさんがその後すぐ行ってしまったから、これを返しそびれたんですよ」
「そうだったねえ」
「というか、よく覚えてましたわね」
「可愛い子との初対面を忘れたりしないさ」
「今ならともかく、あの時の私はまだ8歳ですわよ」
「美人になる素質が見えてたんだよ」
「場合によっては犯罪臭がしますわね」
「でも、今にして思えば俺の見立ては正しかったらしい」
「はあ…あの時やるべきは、両親探しではなくお巡りさんへの通報だったみたいですわね」
「はっは。タイムマシンができたら通告してきてあげておくれ」
ちなみに、その後うちのばあさんと黒澤家が仕事で関わっていることを知り、ダイヤちゃんと奇跡的に再開したのである。
これまた、今にして思えば珍しいことだと思う。
「…あの時、ハルさんが私の手をとってくれたこと、本当に嬉しかったんですよ」
「急に感謝されると、さすがに照れるよ」
「でも、嘘は言ってませんので」
「おっと、そうくるかい」
「いつものお返しですわ」
笑顔でそう言うダイヤちゃん。
その横顔は、思わず見惚れるほど綺麗だ。
初対面のとき、この子は将来美人になりそうだなあとか思ったわけだが。
勘は正しかったらしい。
そんなことを思った時だった。
『ビュオオオオ』
不意に、強い風が吹いた。
目にものが入らないようにしながらダイヤちゃんを見ると、髪を抑えながら口を動かすところが見えた。
「…今度は、私がその手を掴んで見せます…」
何を言ったかまでは、聞き取ることはできない。
また、風と共にダイヤちゃんの言葉が流されてしまった。
何を言ったのか聞き返そうかと思った。
けど。
この風が地球を一周するまで、待つのもいいだろう。
そう思い、俺は口を閉じるのだった。
ご視聴ありがとうございました。
今更ながら、投稿する際最新話がどこにあるの非常に分かりづらいことに気付きました。
一応投稿時間を見れば最新話はわかるんですが…
もう少し分かりやすくする方法を検討中です。
それでは何かありましたらお願いします。