我は張遼! 作:賽の目
「張遼一番乗り!」
「あいつどうしたの?」
「偶にああなる。気にするな」
あれから翌日、俺たち三人は朝早くから鄴を発ち、のんびりと馬車に乗りながら陳留へと赴いていた。理由はもちろん依頼者である
ちなみにだが、先程の俺の言葉は単純に三人の中で最初に陳留に着いたという事を表しているだけだ。まあ、着いたというか門をくぐっただけなのだが。入る際、鉄鎖を持ち合わせていなかったので、仕方なくそこらへんに落ちてた木の棒を鉄鎖に見立ててブンブン振り回していた。所謂リスペクトという奴である。
……いや、よく考えるとマジで鉄鎖でやってたら俺捕まってたわ。どっからどう見ても街に単身で乗り込んだ馬鹿な盗賊じゃん。俺はバカか。バカか俺は。
どうやら割とどうでも良いところで危ない橋を渡ってしまった。
陳留の感想としては、本当に良く治められていると感じた。ここに来るまでもちょいちょい色んな町を見てきたが、ここまで治安が良い土地は初めてだった。
活気があり、物価も手頃、そして何より浮浪者が殆どいない。何処の土地でもやはり、職が無くて貧しい者が出るのを防ぐ事はとても困難な事だろう、と思う。知らんけど。
えんしょーさまが治める鄴も物は豊かだが物価は少し高めで浮浪者は結構な頻度で見かけた。まあ、見かけたとは言ったがそういう輩は大概裏道とかに潜んでいるので表通りで見かける事は殆どない。
ともかく俺が言いたいのは、この町の笑顔と物価が曹孟徳という人物が如何に敏腕太守様であるかをよく示している、という事である。
「……なんでこいつしたり顔で頷いてるの?」
「偶にああなる。気にするな」
「お前らええ加減にせぇよ!」
人が折角穏便に流してやったというのに。俺にも堪忍袋というものがあるのだ。次やったら星には全力の耳ピンを喰らわせてやる所存だ。しかも完全なる不意打ちで、唐突にだ。今にも星の泣き顔が眼に浮かぶわ! けけけけ!
「──はっ! 殺気!?」
「そのまま氏ね」
桂花には何をしてやろうか。……まあ、桂花は可哀想だからほっぺたむにむに半刻(一時間)コースで許してやろう。むしろやらせて欲しい。
「──はっ! 急に寒気が……」
「桂花、大丈夫か? ぽんぽん痛いんか? うちが背負ったろか?」
「……あんた、本当に私が歳上って理解してるの?」
「桂花はうちより5歳下やろ?」
「2歳上よ!」
「……またまた〜、そんな分かりやすい冗談はええって」
「張っ倒すわよあんた!?」
「それよりも扱いの差に苦言を呈したいのだが」
桂花は「これだから巨乳は……!」と鼻息荒く捲し立てた。関係なくない?
「そう言えば、あんた達はこれからどうするの?」
「どう、といえば?」
「そのまんまよ。ここでさよならなのか、街に滞在するか……それとも曹操様の元へ士官しに行くか」
そう、問題はそこだ。俺は主人を探しているとは言ったが絶対に誰かの下につきたいという訳ではない。人生なんて楽しんだもん勝ちなのだから。成るように成る。星はなんて言うだろう。
「星はどないする気?」
「私は霞について行こう。学ぶ事もある故」
「そーかい」
放り投げやがった。考えたくないだけじゃないのかこいつ。
しかし、ふーむ、どうしようか……俺としては曹操を一目でいいからチラッと見てみたい。
乱世の姦雄、はたまた世が世であったなら治世の能臣とも言われたあの曹操。噂でしか聞いた事が無いからどんな人物なのか分からないが、町を見る限り凄い有能だと思う。だとしても士官はまだお預けかな。
俺には色んな英雄達をこの目で見てみたいという夢がある。あの時活躍した武将が、実はこんな人物だった、本当に記実通りの人物だったなど、ファンの俺からすればすごく胸熱だ。直接関わるのは怖いから嫌だけどちらっと目にするくらいなら大丈夫だよね?
俺は色々吟味しながら星に返答を返す。星が町をキョロキョロと興味深そうに見渡す様子を見ていると、もしかしたら曹操に興味が湧いてきたのかもしれない。
「仕官はせぇへんよ。その曹操サマがどエライ輩やったら嫌やし、凄い奴やったとしてももうちょうい他の所も見て回りたい」
「ふむ、一理あるな」
二人でうんつんと頷き合うと桂花がクワッと目を吊り上げ、俺達の方を睨む。
「はぁ? もしかしてあんた達曹操様を侮辱してるの? 曹操様をそんじょそこらの有象無象な諸侯共なんかと一緒にしないで欲しいわ!」
「侮辱するつもりはあらへんけど……桂花は曹操サマ見たことあるん?」
「前に一度洛陽で見掛けたことがあるわ。まだ曹操様が北部尉の頃ね」
「おっ、あれやろ! 宦官の叔父を叩き殺したやつやろ! 生で見たかったわ〜」
曹操は洛陽北部尉に着任すると、厳粛に誰一人として例外なく、決まり事を破る違反者へ刑罰を行ったと聞く。
それは例え豪族や皇族の類であっても。
その中で特に有名なのが先程口に出した霊帝に寵愛されている宦官である“十常侍”蹇碩の叔父を打ち殺した話だろう。これによって曹操を疎んじた権力に物を言わせて甘い蜜を吸う濁流派の宦官などは曹操の処刑を画策した。
しかし、曹操は全くと言っていいほど悪事を働いておらず、霊帝を傀儡にして洛陽を牛耳っている高位につく宦官の十常侍ですらろくに手を出せずに逆に推挙して栄転させ、洛陽から遠ざけるくらいの処置しか出来なかったとの事だ。まんま蒼天航路である。
「へぇ、よく知ってるわね。言うなれば蹇碩の叔父は他の者達への見せしめね。恐らくここまでやってのける事ができる人物は浅慮なド低脳な害虫を除けば大陸中でも曹操様だけだわ!」
言い切った桂花はとても晴れやかな顔をしていた。それほど曹操の事を敬愛しているのだろう。
「ほう、桂花にそこまで言わす曹操殿に私も興味が向いてきたな」
「あら?
「ふっ、残念ながら私は先程
星はいつもの不敵な笑みを桂花に向ける。胡散臭いとも言える。
「そういえば星はうちと出会わんやったらどこに行くつもりやったん? やっぱり歩いてた方角的に公孫賛か?」
正直公孫賛については劉備の学友という情報しか知らない。影が薄い人物なのだろう。
「然り、公孫瓚殿が治めている土地へ客将として仕官していただろう。丁度その辺りで路銀が尽きる予定だったしな。だがあそこはいい政治をしているというより、極々普通の、なんの特徴もない平々凡々な政治を行っていると聞いている」
「……嫌らしい言い方やな。普通の政治っちゅうことはいい政治って事やないんか?」
「さあ? けれど普通という事は進展も衰退もない、つまらない政しか出来ないという事じゃないかしら? あ、でもあそこは白馬義従という騎馬隊が有名っていうのは聞いたことがあるわ」
ふむふむ……聞いた事すら無いな。感じからして白馬の騎馬隊の様だが、他にも何か特徴とかあるのだろうか。
「ふむ、それは私も聞いた事があるな。あそこは烏桓と隣り合わせの土地だからよく小競り合いが続いている。その為平和な内陸の諸侯達と違い、経験豊富で屈強な兵に仕上がっているらしいな。それによって他方からは北方の勇将と名高いと聞いている」
「へー、凄いやん。じゃあ白馬で統一しとる理由はなんなん?」
「さてな、こればっかりは私にも分かりかねるな。大方馬が好きとかカッコいいとかそんな理由だと思うが」
見栄っ張りなのだろうか。まあ、確かにカッコいいとは思うけどね。
「はー、結構しょうもない理由やな。あ、でも白馬やったら確かに印象に残りやすいし影が薄そうな公孫賛の場合それはそれでええんかもな」
「ふむ、確かに」
「ほら、無駄口叩かないでさっさと行くわよ」
桂花は呆れ顔でそう言うとそそくさと曹操が居る城へと歩いて行く。お前も話していただろうと思わないでも無いが、追求する必要もないので俺たちは桂花について行く事とした。
☆☆☆
「……はぁ!? なんですって!?」
桂花は激怒した。先程まで軍師として頑張ると意気込んでいたのだが、仕官する前に出鼻を挫かれてしまったのだ。その理由としては、どういう訳か曹操は現在軍師を募集していないという対応の者からの言葉だった。
「まあまあ荀彧、落ち着こーや、な? 怒鳴ったってしゃーないやん。それで、なんで曹操サマは軍師要らん言うとるん?」
「軍師が要らない、というより軍師に考えさせるより御自分でお考えになる方が効率が良いのだ。臣下としては悔しい事にな。せめて己に追随する程の実力を持たない事には仕官は認めないと仰られた」
「疲労で倒れるんちゃうんか?」
曹操は軍師に恵まれてないんだな。でも軍師が考えるより自分で考えた方が良いのが出来るっていうのも凄いな。武の腕前も相当なものと聞いているし、出来れば手合わせ願いたいものだ。
なんて事を考えながら俺と星は桂花の耳元へ口を持っていき、目の前の曹操軍の人に聞こえないようにコッソリと話す。
「なあ、桂花……提案なんやけどやっぱり文官として入った方がええんやないか? そこでアッと驚く凄いことを曹操の目の前でやって大出世、ってのはどや? 桂花やったら余裕やろ」
「私も霞と同じ事を思っていた。曹操殿が目を見張るような素晴らしい策を披露すればいい」
「まあ、単純だけどそれが一番良さそうね。軍師が要らないというのなら軍師を必要な存在と認識させればいいだけだわ!」
「その意気や!」
どうやら気を持ち直してくれたようだ。桂花が機嫌を損ねると結構面倒なんだよな。本当に俺より年上なのだろうか。
「おーい、秋蘭ー」
「……察しろ北郷。今は仕官希望者の対応中だ」
「あ、そうだったのか、悪い」
建物から一人の男がやって来た。艶のある黒髪の爽やかなイケメン君だ。見た感じ人受けも良さそうだし、何というか……非常に敗北感を感じる。さぞやおモテになるのだろうな死ね。氏ねじゃなく死ね。
「……えーと、何でそんなに俺を睨んでいるのかな」
「おおっと、すまんすまん」
「あ、いや、君じゃなくて……」
「え?」
俺のことかと思ったが、どうやら違うらしい。北郷とやらの視線の先を追ってみると、確かに凄まじい形相で北郷を睨む小さい女の子がいた。勿体ぶらず言うと桂花の事だ。それにしても凄い顔だ……。表情筋どうなってるんだろ。
「荀彧、どないしたん? あいつがなんかやったんか?」
「何かやった……っていうなら最初からやってるわね」
「マジで? まさかこいつ……うちの荀彧をイヤラシイ目で!?」
「見てねーよ! 君何言っちゃってんの!?」
北郷なる人物は驚きのあまり鋭いツッコミをいれる。
「うるさいわね! この有罪人!」
「なっ! 俺が一体何をしたっていうんだ!」
「あんたが男ってだけで有罪なのよ!!」
「思った以上に理不尽極まりなかった!」
「なんや、この子と知り合いや無かったんか」
「こんな男なんか知らないわよ! 後喋るなって言ったでしょ! 孕んだりしたらどうするのよ! 後霞! 私はあんたのものじゃないわ! 曹操様の物よ!」
「は、孕むって……」
北郷がどうすればいいという顔でこちらを見てくる。俺も知らん。色々ツッコミどころがあるが、どうにも桂花は冗談で言っているわけではなさそうだ。星も突然の桂花の剣幕にとても驚いている。
この険悪な雰囲気に、流石に看過出来なくなった俺は心を鬼にして桂花を咎める。
「──なあ、荀彧や」
「……なによ」
真剣な面持ちで俺たちは向かい合う。しかし、これだけは言わねばならない。
「──人前でうちの真名呼ぶのやめてや。あんまり晒しとうないねん」
「それ今この段階で言うべきことか!?」
途端桂花はバツが悪そうに顔を俯かせる。
「……それは悪かったわね、気をつけるわ」
「いや、うちも最初に言やぁよかったわ。すまん」
「ふむ、そうだったのか。一言言ってくれればやめたものを」
「自分も嫌やから人にするのもやめよう思うてな。それにあん時はええ気分やったから」
「……あれ? 俺もしかしてスルーされた?」
「……するー?」
星にも最初に言っておけばよかったな。ともあれ、分かってくれたならばそれでいいのだ。特に真名に対して特別な感情を抱いているわけでもないのだが、あまり呼ばれ慣れていないので人前だと少々気恥ずかしく感じるのだ。これまでは幼馴染や家族にしか呼ばれてなかったからな。
「……秋蘭、俺も人前で真名呼ぶのやめたがいいかな?」
「いや、気にしなくて良い。ところで北郷、お前はこれからやることがあるんじゃないのか?」
「あっ、そうだ。華琳の所へと行かなきゃいけないんだ。それじゃあ」
「ああ」
そして北郷なる人物は桂花に睨まれながら城の中へと戻っていった。結局あいつは何者だったのだろうか。……まあいい。どうせ士官する気もないし、会う事も殆どないだろう。
「……そういえば自己紹介がまだだったな。我が性は夏侯、名を淵、字を妙才という」
「えっ?あんたが夏侯淵やったん!?」
さらっと出てきた重要人物。まさか着いて早々こんな重鎮に会えるとは思ってもいなかった。確かによく考えてみれば陳留の見回りをしていた兵とは服装が全く違う。それに明らかにモブではない雰囲気を醸し出しいるのも感じる。そろそろ 美人&可愛い子=有名人 という定義を作っても良いんじゃなかろうか。
「私を知っているか。名はあまり売れてないと思っていたが」
「何言うとんのや。かの夏侯嬰の末裔やないか! まあそれはいいとして、うちもまだ名乗っとらんかったわ。うちは張遼、字を文遠や!」
「そして私は“常山の昇り竜”こと趙雲、字を子龍。気軽に趙雲とでも呼んでくだされ」
「……ほう、“武神”に“神槍”か」
「むむ! “神槍”とは私の事か!?」
「あ、ああ」
見るからに星が目を輝かせて夏侯淵へと迫る。その二つ名は初めて聞いた。というか俺も武神よりそんな感じの二つ名が良かったな。
「して、貴殿らは何故この地へ?」
「この子のお
ぽん、と桂花の頭に手を乗せるが光の速度で振り払われた。
「何がお守りよ! ただの護衛でしょうが!」
「そうとも言う」
「そうとしか言わないわよ!」
桂花が捲し立てるも、俺は気にせず夏侯淵と会話を続ける。
「んで、この子が軍師になるのがあかんのやったっけ?」
「ああ、幾ら名家の出といえども、我が主人の命だ」
「じゃあ、文官やったら?」
「試験に合格さえすれば歓迎するさ」
夏侯淵は桂花を見つめる。対する桂花も覚悟を決めた顔付きで夏侯淵と向き合い、そして口にした。
「──やるわ」
「……では私についてきてくれ」
「よっしゃ、頑張れや! その間うちらは適当にぶらぶらしよくわ」
「うむ、朗報期待しているぞ」
「当たり前よ」
桂花は受かるだろうか。少し心配だが、集中し始めている桂花の邪魔をしてはいけない。そう思い街へと戻ろうとした矢先、夏侯淵から再び声を掛けられた。
「いや、貴殿らも長旅で疲れただろう。ここでゆっくりとしていくがいい」
「あー、気持ちだけもろとくわ。そない疲れた訳やないし」
「疲れとは自覚の無いところで溜まっていくものだ。なに、街の観光を楽しみたいのなら明日でも良かろう。逃げはせんよ」
「……まあ、それもそやな」
「夏侯淵殿の言葉も一理ある」
「では案内しよう。一緒についてきてくれ」
そして俺たちは夏侯淵に連れられて城の中へと入っていった。