太平洋を一望できるIS学園の屋上。花壇には花々が咲き誇り、モダンチックなテーブルとイスが置かれている。もはや学校の屋上と言えず、テラスという表現が正しいだろう。
気になるあの子に告白するならここが最適なのだが、残念。この学園は女子しかいないため、そんなシチュエーションはない、はずだ。
ある時間になると人気のない校内のどこかに、彼は出現する。
今日は夏を意識させるような良く晴れた空の下。我らがIS学園の屋上にあるベンチにいた。首を垂れ、両腕は力なく粗末に投げ出されおり、いつものようにスース―と可愛らしい寝息を立てている。
「ふふ。早く見つかって良かった」
私は迷わず彼の隣に座る。そしてそーっと覗き込み、その安らかな表情を確認した私は、持参した小説の続きを読み始める。
(今日も大丈夫そうね)
若干頬が熱くなるのを感じながら、私は心の中で安堵する。
あとは少しの、そう、彼が目を覚ますまでのほんの少しの間だけ、私はこの静寂の時間に身をゆだねるのだ。
このように彼を探してはその傍に付き添う。それを習慣づけるようになったのは、生徒会長になって初めて授業をサボったときからだ。最初彼を見つけたときは本当に衝撃的だった。
今日と同じように屋上のベンチで横たわっていた彼の寝顔は今とは違い、冷や汗をかき、苦痛に耐えているかのようなそんな表情をしていたのだ。
普段の彼から想像も出来ないような表情を見て、私は反射的に彼を起こそうと試みたが、声をかけても、体をゆすっても目を覚まさなかった。
もうこのまま二度と目を覚まさないのではないか。
そう思った時、怖くなって咄嗟に彼の手を握った。他人から見たら誰か呼べよと言うかもしれない。というか私もそんなことくらい思い浮かんだ。だけど何故か、私がなんとかしてあげたいと心から思ったのだ。
結果的に一瞬か、それとも数十秒か、恐る恐る顔確認すると、今までの表情が嘘のように穏やかになっていた。
そして、目じりからスーッと一つの滴が零れ落ちていた。
『……雅先生?』
何故あのとき泣いていたのか、何故苦しそうな顔していたのか私には分からない。ただ、いつも多忙な生活を送っている彼の安息のときがこれならば、私はそれが安らかなものであってほしいと思う。
だからこうして彼の元へ駆けつけるのだ。
「……でも私は、もっと貴方のことが知りたい」
彼の過去は更識家の情報網を持ってしても、ほとんど入手出来ずにいる。故に彼の存在はかなり異常と言えるが、普段の彼からそんな異常性は感じられない。
しかし彼が悪夢に魘されるのは、私の知らない過去の出来事が原因なんだろうが、たぶん本人に聞いても答えてはくれないだろうし、それどころかそれがきっかけで関係が悪化するかもしれない。それは絶対にイヤだ。
とすると他の人物に聞くのが妥当だが、まぁ知っていたとしても幼馴染との噂の織斑先生だからこれも無理である。
「まぁいいわ。まだ何も答えなくて」
世界初の男性操縦者。学園最強のIS操縦者。そしてIS学園の先生。貴方は私たち生徒を第一考え、身を割き、毎日を私たちのために費やしてくれている。
「……でも。私たちが貴方のことをどうのように想っているか、考えたことはあるのかしらね」
隣で眠る彼は何も答えてはくれない。
「じゃあ、また後でね」
もう少しで彼は目を覚ます。その前に退散しなくてはならない。見つかってしまうとたぶん、二度と私にこの無防備な姿を晒してくれないと思うから。
「……」
最後に彼の寝顔を見る。来た時と変わらず、とても気持ちよさそうに眠っている。いまなら何をしてもバレはしない。例えば頬にキスをしたとしても。
「……」
いや、やめておこう。
たぶん今私の顔は真っ赤になっているに違いない。胸の高鳴りも収まっていない。この状態でするなんてなんか負けた感じする。
「でも、いつか貴方を……」
結局私は何もせずに屋上を後にした。
因みに私は彼が好きというわけではない。いや人としては好きだが、まだ異性としては見ていない、と思う。
お気に入り、という表現のほうがなんかしっくりくる。
「……なんで私、彼をこんなに気にするようになっちゃったかなぁ」
私だけにこんな気持ちにさせておいて、自分は寝ているだけなんて本当――
****
放課後、一夏と箒、そして雅は第三アリーナに来ていた。クラス対抗戦まで来週にまで迫っているので、その特訓だ。
現在一夏は、第三アリーナの至る所に表示される、複数の動く三次元ターゲットを雪片で叩き斬っている。現在表示されている標的の把握、どのように動けば最速に到達するか等、ありとあらゆるISからの情報を処理し、そして素早く雪片を振るう二本の腕へと伝達させなくてはならない。一夏の場合、扱える武装が刀一本しかないためそれが人以上に出来なくては、試合ではお話にならないのだ。
しかしその動作を繰り返す一夏を、観客席から見守る雅は思った。流石姉弟だなと。
「――以上がここまで私が一夏に教えたことについてです」
セシリア戦前からISの操作の仕方や仕組み等、本当に基礎的なことを重点的に教えていた箒。その今までの経過を横にいる雅に伝える。
「わかった。ありがとう箒ちゃん」
「え?」
「ん? ああ、いやね。もう放課後だしいいかなーと思って。というか高校生だからちゃん付けは失礼かな」
「あ、ああいえ、大丈夫です」
「そう? 分かった」
さん付けは他人行儀な感じがするし、呼び捨ては抵抗があったため、呼び方に困っていた雅だったが、まんざらでもない箒の顔を見て少し安堵する。
「それでどう? 学園生活は?」
「どうと言われましてもまだなんとも」
「そう。でも何かあれば言いなよ? 力になるからさ」
「ふふ、ありがとうございます」
久々に会った雅が、前と変わらない頼れるお兄さんであることに安心しつつ、そして若干だが自分に飽きれていた。結局前と変わっていないではないか、と。
「雅さんは――」
「ん?」
「――何か変わりましたか?」
「さぁ……どうだろうね。僕に聞くより、箒ちゃんが見た方が変わったかどうかわかるんじゃないかな。どう? 僕は変わったと思う?」
「……」
「アハハ、いやごめんね。答えに困るよね」
「い、いえそんなことは」
「変わったとすれば、やっぱり環境のせいかな?」
どうやら雅は、箒の沈黙を変わったと捉えたようだった。
「驚きましたよ。まさかIS学園で教員をされていたなんて」
「ね。昔の僕が見たら驚くだろうね」
「……聞いてもいいでしょうか?」
箒は恐る恐る隣に座る雅の方へと振り向く。IS学園で雅と再開してからどうしても聞きたかったこと。この二人っきりの状況、そして話の流れから今聞くのが最適だと箒は思った。
「どうぞ」
「何故雅さんはIS学園に?」
「……ホント、昔の僕が見たら想像もしなかっただろうね」
アリーナで舞う一夏を眺めながら、微笑を崩さない雅。故に箒は不安だった。踏み込みすぎだったろうかと。
「まぁきっかけは束さんの紹介だよ」
「姉さんが?」
「うん。でも束さんを怒らないでね。これは自分が決めた道だからさ。それに感謝もしているんだ」
「――?」
「と、そういえば束さんで思い出したけど、先日連絡があったよ」
「……別に、興味ないです」
明らかに不機嫌な表情になった箒を見て、内心ため息をつく雅。
「そんなこと言わないで。箒ちゃんのこと、心配してたよ。近々様子を見に来るってさ」
篠ノ乃束。ISの開発者であることを理由に国際指名手配されている、箒の姉。
昔は仲良かった姉妹だが、ISがきっかけで姉は失踪し、一家離散状態。そして残された箒は執拗な監視と聴取を繰り返されており、心身共に負担を受け続けてきた。
故に今ではISを開発した偉大で誇れる姉ではなく、それどころか自分の人生を引っ掻き回す障害だと思っている。そのことに雅は胸を痛めていた。
「そんなことより姉は、その、雅さんには何か言っていきましたか?」
「僕かい? 僕は――……特に何も言われなかったな」
「……」
箒はジーっと訝しむように雅を見つめる。
人は嘘をつくとき視線が右上に向くと言われるが、雅もまさにそれだった。しばらく観察すれば誰でも分かりようなことを、幼馴染である箒が知らない筈がなかった。
「ほ、本当だってば。おっと、一夏君が終わったから降りようか」
一夏が最後のターゲットを切り裂いたこといいことに、会話を中断させる雅。
(まったく。嘘が下手なのも昔と変わりませんね、兄さん)
隠し事、ましては嘘自体つくことは滅多にない。故に先日に束から言われたことを隠したことに、箒は一抹の不安を覚えるのだった。
◇
「こんな感じだけど。どうかな? ああ、お世辞とかいい。正直に言ってくれーーださい」
場所が変わって、現在雅と箒は一夏がいるAピット内に来ていた。一夏は話が終わったら再度練習を再開するのか、白式は身に纏った状態のままでいる。
「相変わらず自分に厳しいね一夏君。勉学もこれぐらいの姿勢で臨んでくれたら僕は嬉しいんだけど」
「それは無――ん? せんせ――いや雅兄?」
校内ではなく、プライベート時の話し方と呼ばれ方をした一夏は少し困惑した。が、雅はそのまま続ける。
「でも世辞抜きで、正直僕は驚いているよ。あ、もちろんいい意味でね」
「え、あ。ま、マジ?」
「マジです。まさかこんな短期間でここまで操縦できるとは思わなかったよ」
雅の言う通り一夏の機体操作は常人のさらに先へと到達していた。が、さすがに専用機持ちに勝つにはまだまだ時間も経験も足りない。さらに言うならいくら機体操作が良くても、武装が刀一振りのため、実践ではどの相手にも苦戦は免れないだろう。
故に一夏のこれからの課題はいかに自分の間合いへと飛び込めるかどうかだ。つまり相手の中遠距離武装の特徴を操縦者よりも深く理解し、それを扱う操縦者の癖を見つける洞察力が必要となってくる。それが勝利への鍵となるのだ。
「そ、そうか。じゃあなんとかなるか」
「それは――」
「――それは無理ね!!」
まだなんとかならないことを言おうと思った矢先、一夏よりも一回り小さい影によってそれは遮られた。
「うわ、いきなり後ろから出てくるなよ!! 危ないだろ!!」
「うっさいわね! 細かいこと気にしてるとこれあげないわよ!!」
「それとこれは別だろ。サンキューな!!」
常温のスポーツドリンクと、タオルを持って現れたのは、ツインテールと可愛い八重歯が魅力的な凰鈴音だった。
「まだあげるとは言ってないでしょ!」
「なんだよそれ!?」
突如わー、ぎゃーと口論を勃発させる二人を茫然と見ている雅は、若干困惑している。
「えっと、箒ちゃんこれはどういう状況?」
「いや私に聞かれましても」
「それになんか彼女、怒ってない?」
まだそれほど話していないのにも関わらず、明らかに不機嫌な鈴を見て疑問に思った。だが対して箒は何故か納得したかのようにため息をつく。
「ああ、それはたぶん今朝の件でしょうね」
「今朝の件?」
「ええ、実は――」
それは一年一組のSHR前の出来事。内容は一夏が中学生のときである。
当時から一夏へ好意を抱いていた鈴は、祖国である中国へと帰郷する際に一夏へ鈴なりのプロポーズの言葉を贈った。がしかし今と変わらず鈍感だった一夏に、その想いは伝わってはいなかった。そのことを知った鈴は再度あのときみたいな言葉を言う勇気もなく、というかちゃんと意味理解してよこの唐変木!! 死んじゃえ!! とこうして行き場のない想いを一夏にぶつけているというわけだ。
「はあ、そんなことが。で、その贈った言葉とは?」
「私もちゃんと聞いていたわけではないですが、一夏曰く”毎日酢豚を奢ってくれる”とかなんとか」
「……すぶた?」
「酢豚」
「酢豚……」
「酢豚です。何回言うんですか」
ウーンと幼馴染である雅は目の前で言い合いしている二人をそっちのけて、一夏が鈴が送ったであろうプロポーズの言葉を考える。
「毎日、酢豚、……奢る?」
「あの雅さん、それはどうでもいいのでとりあえず二人を」
このままでは雅が思考の海に旅立ってしまうと思った箒は、まだ陸で準備中のところで呼び止める。
「そうだね、えーと凰さん? どうしてここへ?」
強引に二人の間に入り込む雅。
「……」
会話を遮られた鈴は、明らかに敵意に満ちた眼差しで雅の顔を見る。それに少し驚き、そして疑問に思う雅であったが、怯む様子は全く見せなかった。
「いえ、ちょっとこいつに話があって。……今朝の件で」
「今朝の件」
「悪いな。今影山先生に稽古つけてもらってるんだ。あとにしてもらっていいか?」
「へぇ。じゃあなんで私が怒ってる理由とかどうでもいいんだ?」
「そうは言ってないだろ。ただ、時間を割いてもらってくれてるから」
「……
肩を小刻みに震わせ、瞳には薄っすらと涙が浮かぶ。自分でそれが分かったのか、それを見えまいと鈴は俯く。しかし雅をそれを横目でしっかりと確認していた。
「……まぁ、一夏君の実力は一通り見れましたし、今日はこれぐらいにしておきましょうか」
「え!? ちょっ! 雅兄!?」
これには一夏だけでなく、鈴もピクッと肩が震わす。誰にも見えない俯いた顔には、驚きの表情が浮かんでいた。
「明日も付き合うから、凰さんのお話を聞いてあげなさい。わざわざ探して来るあたり、大事なことなんでしょう」
「そ、そうなのか?」
「ね。凰さん?」
ふられた鈴は、コクンと一回だけ頷く。
「でもいい。終わったらで。待ってるから。あと影山先生」
「はい?」
「ありがと。
「へ?」
お礼を言われたことよりも、そのあとの言葉に気を取られてしまった雅。しかし何のことか聞こうにも、鈴は早々と更衣室へと戻っていってしまった。
「――?? ……ほら、後を追いかけなさい」
やや疑問点は残るがそんなことよりも、どうしてこうなったと自分より困惑している一夏の背中を押す。
「大切な友達なんでしょ?」
「――! ごめん、雅兄!!」
一夏も白式から降りて鈴のいる更衣室へと足早に向かい、Aピッドには雅と箒だけが残された。
「泣いてましたね。あいつ」
「そうですね。よほど一夏君が好きなんですね。……それよりごめんね」
「何故謝るのです?」
「いや、敵?に塩を送るようなことしちゃったからさ」
「いえ。それにあのちっこい奴には私も少なからず同情してますからね。別にいいです」
「そ、そう。というか箒ちゃん」
「なんです?」
――大人になったね。と一夏たちを達観していた箒を見て言おうと思った雅であったが、寸前のところでそれは止めることにした。
「……いいや。やっぱり何でもない」
「ふふ。変な
すでに夕日は沈みかけており、少し薄暗いAピッドには一瞬だけ静寂な時が流れる。
「……時間、余っちゃったね」
「では兄さん」
「何?」
「代わりに私に稽古をつけてくださいませんか?」
「もちろん!」
「――!! ありがとうございます! ではすぐ終わらせますね!」
そう言って、システムに保存されている一夏の戦闘データのを記録媒体へ移したりと、あきらかにアリーナの後片づけを始める箒。
「あ、あの箒ちゃん? 稽古は?」
「え? ここには竹刀も防具もないですよね?」
「あ。稽古ってそっち……」
ISではなく、剣道のこと言っているのだと理解した雅は、箒の手伝いを始めるのだった。
前回投稿から長い時間をとってしまい、申し訳ありませんでした!! 元気にしてます!! そしてネロ祭お疲れ様でした!!