ストライク・ザ・ブラッド―真祖の守護者― 作:光と闇
夏休み最後の一日。古城が目を覚ましたのは、今日の追試にギリギリ間に合うかどうかという、太陽が既に高い時間帯だった。
「うー………
そう呟いて、古城はふと隣を確認すると、
「あ、おはようございます
昨日の朝と同じように、レイが古城の布団の中に潜り込んでいた。しかし今朝の彼女は青白く輝く焔のような瞳がパッチリと開かれている。
「あ、ああ………おはよう、レイ」
古城はそう挨拶を返すと、気怠げに起き上がり寝惚け目を擦る。
追試は残り四教科。手つかずの宿題とハーフマラソンもまだ残っていて気分は芳しくない。が、
「………もしかして、俺が起きるまで、起こさないでくれてたのか?」
「はいなのです。主様があまりにも気持ち良く寝てましたので、ギリギリまで起こさないでおきましたのですよ」
レイは笑顔でそう答えた。成る程、と古城は納得する。
凪沙が古城の安眠を邪魔してこなかったのは、レイのおかげだったのか。レイはまるで、古城の安眠を守護する天使のように思えた。
だがまあ、欲を言ってしまえば、せめてギリギリではなくもう少しだけ早めに起こしてほしいものだ。乱暴にではなく優しくの条件付きだが。
古城は相も変わらず優しすぎるレイに感謝しながらベッドから降りる。
レイは、あ、と思い出して握っていた五百円硬貨を、はいなのです、と古城に差し出しながら、
「凪沙は部活でもう家にはいませんのです。それと主様に伝言なのです。『朝食の用意が出来てないから、コレで何か買って食べて』―――だそうです。コレがそのお金なのですよ」
「ん、悪いな………たしかに受け取った」
レイからお金をありがたく受け取る古城。それを確認したレイはパタパタと古城に背を向けて部屋から出ていき、
「それでは僕は廊下で待っていますので、身支度を済ませてくださいなのです」
レイは振り返ってそう言うと、パタンとドアを閉めた。
古城は、レイが覗き見してないか良く観察したあと、身支度を始めた。
今は大人しくなっているが、暁家の一員に成り立てだった頃のレイは酷かった。
何が酷かったかというと、兎に角、古城の世話を一から………いや、全部やろうとしたことだ。
古城の身支度の手伝いをしようとしたり、食事を持ってくるだけでなく食べさせようとしてきたり、風呂に乱入してきては体を隅々まで洗われそうになったり、仕舞いには寝る時に古城の布団の中に潜り込んできて、『僕を抱き枕にして寝てほしいのです!』などとねだってきたりなど散々だった。
勿論、それらは全て凪沙が阻止してくれた。そしてレイは延々と凪沙に説教されて、泣きそうになっていたっけか。
それからレイは、凪沙を怒らせるとまずい、という事を学習し、凪沙の言うことには素直に従うようになった。古城優先事項なレイが大人しくなったのは、凪沙のおかげなのだ。
だから今度お礼に、凪沙のお気に入りの『るる家』に連れていって、凪沙に鱈腹アイスを食べさせてやらないとな、と古城は思った。財布の中身が残念な今は無理だからすぐには実行出来そうにないが。
………まあ、その話題はさておき。レイが凪沙を呼び捨てにしていたことには正直驚いた。
昨晩のことだ。図書館で雪菜に勉強を手伝ってもらった古城が自宅に帰ると、凪沙とレイは既に家に帰っていた。
そしてレイの口調こそ変化はなかったものの、凪沙のことは呼び捨てにしていた。話を聞くに凪沙自身のお願いだったようで、レイは躊躇したが、凪沙のお願いを無下に出来ず受け入れたんだと。
成る程、と古城は納得し、なら俺も呼び捨てで呼んでくれ、とレイにお願いしたが、『主様のお願いは却下なのです♪』とあっさり一蹴された。
レイ曰く、『主様は僕の主様なので、呼び捨てには出来ないのです。なので主様は主様なのですよ』―――うん。さっぱり意味が分からん。つか主様連呼すんな、うぜぇ………というのが昨晩の古城の心境である。
何にせよ、レイが古城を呼び捨てにしてくれる日は永遠に来ないのだろうと諦めている。呼び捨てにしてもらえてる凪沙がとても羨ましく思えた古城だった。
そんなことを思い出しながら身支度を済ませた古城は、パーカーを羽織りながら部屋を出た。
部屋を出ると直ぐ其処にはレイが待っていた。レイの服装は花柄の涼しそうなワンピースだ。凪沙に買ってもらった七着のうちの一着である。
「では行きましょうか、主様」
「ああ、そうだな」
古城は頷いてパーカーのフードを被る。レイも麦わら帽子を被って家を出た。それから冷房の効かないエレベーターで地上に降り、マンションの正面玄関へと向かう。
行くといっても、レイは彩海学園の生徒ではないので、古城を見送るくらいしか出来ないわけだが、
「………ん?」
ふと見覚えのある後ろ姿を発見した古城は目を細めた。
彼の見たその後ろ姿は、彩海学園の制服を着て、ギターケースを背負っている黒髪少女・雪菜だった。
「あ………先輩。それにレイさんも、こんにちは」
自動ドアの前に立ち尽くす古城と警戒心剥き出しのレイに気づいて、雪菜はゆっくりと振り返って挨拶した。
古城は雪菜に警戒するレイを横目に見ながら苦笑いを浮かべる。それから視線を雪菜に向けて、
「姫柊、ずっとここに立っていたのか?もしかして俺を見張るために………?」
古城は不安になりながら訊いてみる。雪菜は無表情に古城を見返して答えた。
「はい。監視役ですから」
「マジか、おい!?」
「冗談です」
そう言って雪菜はクスッと小さく笑った。冗談なのかよ、と古城は唇を歪めた。内心、ホッとしながら。
「引っ越しの荷物が来るのを待ってたんです。この時間に届くと言われていたので」
「………引っ越し?」
雪菜の予想外の言葉に古城は微かな戸惑いを覚えた。それにレイが雪菜に警戒したまま言った。
「主様が寝ている時に、僕達のおうちに其処の
「へ、へえ………そうなん―――ってはあ!?うちの隣だと!?」
雪菜が隣に引っ越してくる。それを知った古城は思わず絶叫した。
なんでそんな急に!?しかもうちの隣に!?
古城が困惑していると、一台の小型トラックが歩道を乗り越えてマンションの敷地に入ってきて、古城達がいる玄関前に停車する。
トラックから運送会社の制服を着た配達員二人が降りてきて、お荷物を届けに上がりました、と威勢良く叫んだ。
「すみません。こちらです」
そんな彼らに雪菜が、ついさっき古城とレイが乗ってきたエレベーターを指差して言う。
それを見て、マジか、と古城は頭を抱える。レイは、大丈夫なのですよ、と古城に微笑んで、
「僕がこのストーカー女から主様を護りますのです」
「レイ………!」
レイの言葉に古城は嬉しそうな笑みを浮かべる。が、雪菜がムッと眉を顰めてレイを睨み、
「誰がストーカー女ですか。わたしは彼の監視役です。そんなふうに言われる筋合いはありません」
「………?貴女は主様の監視役なのですよね?つまり、これからずっと主様に付き纏う者。悪く言えばストーカーと解釈できますので、貴女なんかストーカー女で十分なのですよ♪」
「なっ………!」
レイの容赦ない言葉に雪菜は頬を引き攣らせる。雪菜の口が悪ければ、このクソガキ、とでも言いたそうな表情である。
睨み合う雪菜とレイに、古城は、まあまあ、と止めに入る。
レイは、ふん、と鼻を鳴らして雪菜から視線を外しそっぽを向いた。
レイにとって雪菜は古城に害を為す者と認識しているようで、雪菜に対して様付けもしなければ平気で悪態をついている。
まあ、古城を監視するというストーカー紛いな雪菜を、古城自身も嫌そうにしているからというのもあったりするわけなのだが。
そもそも古城に、監視されて喜ぶマゾな性癖は持ち合わせていない。それが仮令、可愛い女の子でもだ。
一方、台車に乗って運ばれてきた荷物と共にエレベーターに乗り込む雪菜。そんな彼女に、本当にうちの隣に引っ越してくるのか気になって古城がついていく。と、やはりというかレイもついてきた。
雪菜はそんな二人を確認しながら、迷いなくエレベーターの七階のボタンを押すと、配達員の二人に向かって、
「七〇五号室です」
「マジかよ………」
古城は再度頭を抱える。七〇五号室とか、古城達が住む七〇四号室の隣ではないか。てっきりレイの冗談かとも思っていたが、どうやら本当だったらしい。
そう言えば、七〇五号室の山田さんがいきなり引っ越していったっけか。それがまさか雪菜と入れ替わる為だったとは、皆目見当がつかなかった。
一体どんな方法を使ったのか気になるし、かつての隣人一家が古城のせいで不幸な目に遭っていないといいが。
やがてエレベーターは七階に到着して、扉が開く。運ばれてきた荷物は、段ボール箱が三つ。配達員の二人は荷物の受領印を雪菜にもらい、挨拶し帰っていく。
「先輩、その段ボール箱、中に運んでもらえますか?」
雪菜が玄関の鍵を開けながら無遠慮に頼んできた。
「なんで俺が………」
古城はぶつぶつと文句を言いつつ、段ボール箱を一つ持ち上げようとして、
「主様は手伝わなくていいのですよ。代わりに僕が運びますから」
それをレイが阻止して、古城が持ち上げようとした段ボール箱の前にしゃがみ込む。
そんな彼女を心配そうに見下ろしながら古城が言う。
「重そうだが持てるのか?」
「平気なのですよ、主様。この程度の荷物、僕の手にかかれば―――!?」
などと威勢良く言ったレイだが、肝心の荷物は微動だにしなかった。
「………あれ?」
「レイ?どうした?」
「い、いえ!なんでもないのですよ」
訊いてくる古城にレイは、大丈夫なのです、と返してもう一度持ち上げ―――
「せーの!」
―――られなかった。掛け声も気合いも十分なはずが、さっきと変わらず荷物は一ミリ足りとも動いていない。
見兼ねた古城は、やっぱり俺が運ぶよ、と言いかけたその時。
「………え?」
レイの全身から漆黒の魔力が迸った。
古城と雪菜が瞳を見開いて驚くなか、レイは三つの段ボール箱を漆黒の魔力で包み込んで腕を振り上げた。
すると、まるで手品のように、漆黒の魔力に包まれた段ボール箱達がふわりと宙に浮き始めた。
「は………!?」
愕然とする古城と雪菜。あの黒い魔力は何なのか。物を浮かせる力でもあるのか。
そんな二人を余所目に、レイは浮遊させた段ボール箱達と共に雪菜の家に入っていく。
雪菜の七〇五号室も、古城達が住んでいる七〇四号室と同じ造りの3LDKだ。
浮遊させていた段ボール箱達を殺風景な部屋の床にゆっくりと下降させて置くと、レイは雪菜に向き直り、
「これでいいですか、ストーカー女?」
「はい、ありがとうございます。ストーカー女ではありませんけど」
レイの相変わらずな態度に溜め息を吐く雪菜。まあ、彼女の
一方、古城はレイの下へと歩み寄り、
「なあ、レイ。さっきのはなんだ?段ボール箱が宙に浮いていたが」
「ふふ、知りたいのですか、主様?」
「ああ、知りたい」
「内緒、内緒なのですよ♪」
「教えてくれないのかよ!?」
ガクリと項垂れる古城。そんな彼に、レイは申し訳なさそうな表情で、ごめんなさいなのです、と内心で謝罪した。
今はまだ、知られるわけにはいかないのだ。
教えてくれないレイに古城は、まあいいや、と諦めると、雪菜の荷物を眺めて、
「もしかして、姫柊の荷物ってこれだけか?」
「はい。そうですけど………」
雪菜は首を傾げて古城を見返して訊いた。
「学生寮に住んでいたので、あまり私物を持ってないんです。なにかまずいですか?」
「まずくないけど、いろいろ困るだろ。見た感じ、布団もなさそうだし」
「わたしなら、べつにどこでも寝られますけど。段ボールもありますし」
「頼むからやめてくれ、そういうのは」
そう言って古城はぐったりと壁に凭れた。そんな彼とは対照的に、レイはニコリと雪菜に微笑む。
「僕は貴女の私生活なんてどうでもいいので、貴女がどんな恰好で寝ようが知ったことないのです。むしろ主様の監視役には丁度いいと僕は思いますのですよ」
「レイ、おまえな………」
雪菜には容赦なしのレイに、はぁ、と溜め息を吐く古城。護ってくれるのはありがたいが、何も雪菜を目の敵にしなくてもいいじゃないか。
しかし、雪菜はレイの悪態に諦めがついているのか、表情を変えないでいる。そして、何も聞いてないかのようにレイを無視して、
「先輩。いちおう生活に必要なものは、あとで買いに行くつもりだったんですけど………」
古城の顔をちらりと見ながら呟く雪菜。それに古城はムッと眉を寄せ、
「もしかして俺を監視しなきゃいけないから、買いに行く時間がない、とか思ってる?」
「ええ、まあ。でも任務ですから………」
真顔で頷く雪菜。そんな彼女に古城は呆れたように息を吐いて、
「だったら、俺が姫柊の買い物に一緒に行けばいいのか?」
「………え?」
「先輩と一緒に………ですか?」
古城の言葉に瞳を見開いて驚くレイと、きょとんとした表情で古城を見返す雪菜。
「それなら監視任務もサボったことにならないだろ」
「そうですけど、でも先輩はいいんですか?」
「昼過ぎまでは追試があるけど、そのあとでよければつき合ってやるよ。試験勉強を手伝ってもらった借りがあるからな」
古城は時計を確認しながらそう言うと、雪菜は少し嬉しそうに微笑み、
「そうですか。そういうことでしたら、先輩の試験が終わるまで校内で待ってます」
雪菜は降ろしていたギターケースを背負い直しながらそう言う。
決まりだな、と古城は頷き、レイにそれを伝えようとして彼女の方へと振り返る。
「そういうことだから、留守番よろしくな、レイ」
「……………」
しかしレイの返事はない。代わりに古城のパーカーの裾を摘まんで、
「主様。そのストーカー女と一緒に行動するならば、僕も行きますのです」
「は?」
「主様とストーカー女を二人にするのは危険すぎますのです!なので僕が―――」
「いや、いいよ」
レイの言葉をばっさり切る古城。レイは、え?と目を瞬かせ、
「………主様?」
「姫柊の買い物につき合うだけだし、べつに危険でもなんでもねーよ」
「う………で、ですがね、主様」
「それにおまえは姫柊が嫌いなんだろ?なら、俺たちと一緒にいるのは嫌なんじゃねえのか?」
「………っ、そ、それは」
古城の尤もな発言に、言葉が詰まるレイ。だが古城の口は止まらず、
「あと、俺のことを想ってくれるのは嬉しいが、過保護すぎるのはマジ勘弁な。はっきりいって迷惑だから」
「………っ!?」
〝迷惑〟と言われてレイは瞳をいっぱいに見開いた状態で固まる。そんな彼女に古城は不思議そうな表情をして、
「どうした、レイ?」
「………いえ。なんでもないのですよ」
そう返すが、レイの声音は何処か弱々しかった。
そしてレイは、儚げな表情で古城に訊いた。
「主様。僕は―――いらないですか?」
「え?あ、うん。レイはいらないな。だって―――」
用事は買い物だけだし、と古城が言おうとしたが最後まで言えなかった。何故か泣きそうな表情をしているレイを見たことによって。
「………レイ?」
「―――分かりましたのですよ、主様。僕が不要だと言うのなら帰ります。………
「え?あ、おう。またな」
古城がそう返すと、レイは踵を返して雪菜の家から出ていった。
レイの背を見送った古城は、さて、と雪菜に振り返ると―――何故か雪菜に睨まれて、
「先輩。帰ったらちゃんとレイさんと仲直りしてください」
「え?」
「仲直りしてください。絶対ですよ?」
「お、おう」
真剣な表情で言ってくる雪菜に、古城は驚きながらも頷いた。
雪菜の言葉の意味は一体どういうことなのだろうか。たしかに迷惑は言いすぎたかもしれないが、レイにも古城の気持ちを分かって欲しかったのだ。少し過保護が過ぎるのだと。
レイもそれを理解してくれたからこそ、家に帰ってくれたのだろう。
でも、もしそれでレイを悲しませてしまったというなら、ちゃんと謝ろう、と古城は思った。
だがこの時の古城は知らなかった。レイが最後に言った別れの言葉は、家に帰ることではなく―――本当の意味でのお別れの言葉だということに。
予告
レイが家出?
古城と雪菜に立ちはだかるは―――
かつての最高の味方は、最悪の敵と化す………