―――大人のユメの跡を見た。
それは、どちらかと言えば、きっと聞いたと言った方が言葉的には正しい筈だと思うけれど。
話すその姿を見て、俺はハッキリと遂げることの出来なかった跡が、頭の中で見た。
まだ小学生の頃だったか、酷く月の綺麗な夜のこと。
立派な日本風屋敷の一角に在る縁側で、その綺麗な月を一人の男と見ていた時の話だ。
「僕はね、正義の味方に成りたかったんだ」
隣から、唐突に声がして顔を向けると、輝きを失ったその瞳で哀しそうに名月を見上げている男―衛宮切嗣がいた。
「なんだ、爺さんか」
穏やかな声に併せ表情も穏やかだ。
切嗣は、冬木の新都で起こった大火災の際に俺を助け出し、その上こんな血も繋がっていない、接点すらなかった俺の面倒を見てくれている、言うなれば父親のような人だ。
以前は何かと出張だと言って、各地へと赴いていたのだが、その出張とやらに最近行くところを俺は見ていない。
まるで身を退けるのように、細々としていき、そして今に至る。
仕事の内容を以前聞こうと試しても、仄めかすだけで、余り言えないものだろうかと疑っていたが、それはもう気になることではなかった。けれど、知りたくないのかと聞かれれば嘘になる。
言いたくないことがあるのだと、俺は聞くことをいつからかやめた。
けれど、仄めかすときの、切嗣の顔を見ると、仕方ないからという気持ちと、やりたいからという気持ちの両方が見えて、大人って難しいものだなと子供心にそう思っていた。
そんな今の状況を見ると、仕事の舞台から姿を消した切嗣が、まるで死期を悟って、姿を消す猫のように思え、耐え難い寒気がした。
それに加え、家でも基本的には何もせずぼうっとしてしていることが多くて、そこが老人のようにも見えて、より一層本当に死んでしまうのじゃないかと思えた。
「いきなりどうしたんだよ」
訝るような声を俺は投げかける。
そんな声に切嗣は、
「いや、なんとなくだよ」
と、穏やかな微笑みと一緒に返すのだ。
尚更、嫌な予感がした。
そんな嫌な思いを振り払いたくて、頭上に昇る月を見ると、やって来た朧雲にいつの間にか燐光と共にすっぽりと隠れてしまった。
そして、一つの疑問が頭に浮かぶ。
「成りたかったっていうのは、成れなかったのか?」
その疑問に切嗣は、
「そうだよ。成りたかったんだけどね、どうすることも出来なくなってね、諦めたんだ」
そう語る切嗣の横顔には、諦めたのかどうか疑いたくなる様な未練というか、そんなものが見えてしまった。
まるで、スポーツ選手になりたかったのだと過去の夢を話しつつ、そのスポーツを続ける人のような。
「僕はね、昔正義の味方っていうのは、沢山の人を救うために、少しの誰かを犠牲にするものだと考えていたんだ。だけど、それは違ったんだ」
「何が違ったんだ?」
「結局正義の味方なんてのは誰もなれないんだという事さ。犠牲を払って、助けるなんてのは正義の味方じゃないんだ。それは悪なんだよ。踏みにじった犠牲から目をそらして、救った結果だけを見ている。そんなものだと気付いた時には、もう諦めていたよ」
よく日曜になると特撮のヒーロー番組がやっているけど、切嗣の言っている事はそのヒーローと同じだ。
正義の味方はいつだって、誰も死なせない。みんな助けるのだ。敵だって助けるし、人だって助ける。
みんな助けるからこその正義の味方なんだ、と。
切嗣の言葉はなぜかすとんと胸に落ちるように納得できた。
けど、それを納得してしまうと、切嗣の事も否定してまうようで嫌だった。
だからなのか、それともその時の俺が幼さ故の反骨心からだろうか、あるいは。
憧れたからか。
「だったらその夢俺がじいさんの代わりに叶えてやるよ」
そう口走っていた。
その時を思い出すと、恥ずかしさと共になぜか安堵する。
ここで切嗣を否定してしまえば、もう切嗣は消えてしまうんじゃないか、と思って。
あと、語る切嗣の顔が羨ましいと思ったからだろうか。
何もない自分にとって、空虚な穴を埋める材料になると思ったから。
その時俺は恥ずかしくて月を見て言った。
月は未だ陰っていた。
消えない朧雲に苛立ちを覚え始めていると、
「そうかい。それは安心だ」
そう言って切嗣もまた月を見上げ始めた。
その声には安堵が含まれていて、どうしてだろう、俺は涙が出そうになった。
今にも目端から流れてしまいそうになる涙を月を見上げることで押し留める。
「任せろ!」
おれは、出来るだけ切嗣が安心できるように言って、切嗣へと思いっきり笑う。
切嗣もその笑顔に返すように静かに微笑んだ。
そしてまた空を見る。
あれほどあった朧雲はもう欠片しかなく、そこからひょっこりと淡い光を灯した月が顔を覗かせていた。
今日はとても月が綺麗だ。
キラリと光る切嗣の頬に伝う筋に俺はあえて何も言わずに、綺麗な月を見上げ続けた。
「それじゃ、僕は寝るよ。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
そう言って切嗣は、自室へと戻って行った。
その背中は今にも泣き出しそうなか弱さで、けれどどこか嬉しさを滲ませていた。
きっと俺の言葉は正しかったのだろうとその時は思う。
そしてあくる朝。
自室の布団で寝ていた切嗣が二度と目を覚ますことは無かった。
眠る切嗣の顔に悔恨は一切なく清々しく、穏やかな顔をしていた。
「投影、開始――」
俺はそのユメを投影する。
誓いを遂げるために。
今でもこの時誓った言葉は胸の中にある。
あの時の誓いに嘘偽りはなく、その場の雰囲気でも無くて、俺はそう在れるように生きている。
困っている誰かの助けになりたいと、助けたいと願いながら。
その誓いこそが俺と切嗣という特殊な親子を結ぶ絆と信じて。
そしてその誓いを果たすチャンスは意外にもすぐ側へと迫っていることに。
――――そして、一つの万能の願望機をかけた命懸けの闘いが今始まる。
お久し振りです!第二話となります。
次回からは多分、現在の話へとなるので……