fate/SN GO   作:ひとりのリク

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四節 最難関の門番

 

 

空に月の光が満ちた頃、勢巌の目は閉ざされた。

月と踊る闇さえも差し込まない、(まこと)の黒。

瞑想に耽っても知ることのない、真の無。

涙を流しても濯ぐこと叶わない、真の闇。

 

「斯様な大地があるはずがない」

 

黒く染まった視界を受け入れない勢巌は、最初に首を振った。ゆっくりと黒を振り払おうとした。煤や埃、或いは炭や泥。何れかが視界を閉ざしたのだと、徐々に現実から目を逸らしていった。

時が過ぎるのも忘れて打ちひしがれた勢巌は、心寂しさに耐えかねて刀を探す。普段腰に差している脇差しと打刀は枕元に置いた。だが見つからない。

 

「なぜだ、何故、このような宿命を授けた…」

 

物が無い。いや、あるのに手に取れない。

理解した。いや、直感で理解して頭は未だ追いつかない。

ならば、と。

8畳の自室。床の間の壁には正方形に景観を描いた水墨画。その下に刀掛けがあり、飾り太刀が鎮座しているはずだった。

 

這いずり回り、無い。あるはずの場所に手を伸ばし、無い。無い、壁を伝い部屋の構造を確認しても、無い。

服で擦れるから有るのだ。脚では触れられるし、畳を踏みしめれば刀掛けが揺れる音も聞こえる。それでも無い。

手で触れられない、聞いていない、どこか別のものを触っている。

 

「………────」

 

その正体が掴めない。なにも触れていない指先には、畳の目のような触感がある。理解できなかった。

矛先の無い怒りをぶつけんと振り下ろした拳もまた、畳をすり抜けていった。

 

 

 

 

 

───

 

 

──

 

 

 

 

 

 

 

「ん〜、困ったね。物の怪の仕業ではなし、人為的な(まじな)いの痕跡もなく。アタシの陰陽術を駆使して分かるのは、その眼が放つ異質な気配だけ。

アタシや南蛮渡来、巳厘野の術でもお手上げよ」

 

三代目結野 晴明は最後の砦だった。

呆気なく白旗を揚げる姿に、両肩が外れん勢いで落ちるのも仕方のないこと。

目は仕方がない。不治の病だ、受け入れる準備は整えていた。然し、手は知らぬ。手でなにも触れなくなる病など、呪いでなくてなんだと言うのだ。

 

三代目が帰宅したあと、診察を見守っていた光々公が仰った。

 

「勢巌よ、気を悪くせずに聞いてくれ。吾には、その病いに一縷の輝きが見えている」

「おきかせねがいたい」

 

藁にも縋る想いで、光々公の言葉を求める。

出てきた声量があまりにも弱々しく無礼極まっていたが、謝罪する気力はない。

 

「『物を手に取れずにすり抜ける』

『茶碗を手にしたら湯呑みが持ち上がった』

『鏡に映る自分に押し返された』

聞けば聞くほど不思議で関連性のない出来事だが、思い当たる話がある。並列世界、という言葉だ。

吾が将軍となる現世とは別に、吾が農民として汗水流す世界がある。樹木の枝のように無数に天へと伸びる己の未来、これを並列世界(もしも)という」

「並列、世界………」

 

復唱する。並列世界、心の中でも復唱する。

知らなかった言葉が舌の上で転がり、心拍に合わせて表面が砕けていく。鰯の骨に似た言葉の固さが小さく琴線を揺らして、心に吸収される気がした。

 

「物に触れているのは並列に存在する自分やもしれん。正鬼が話していてな、もしやと思ったのだ。

ともすれば、なにか掴めるものがないか?」

 

光々公は概念に触れろ、と簡単に言う。

心当たりはあった。手で触れられないのは、何かがズレていることは感覚で分かっていた。どう触れれば良いのか、戻せばいいのかの検討がつかなかった感覚が、漸く所在を見つけられそうだ。

 

「意識出来たことだし、物は試しだ。ほれ」

 

光々公は茶器を放り投げる。

入れ立ての中身はそのまま。落とせば火傷するというのに、投げた本人はカラカラ笑っている。

火事を目撃した時の、誰かの安否を想う緊迫感に心が騒ぎながら、取るしかない選択に手を伸ばし────

 

「さわれた…指先で掴めた」

「よしよし、少しは視えるようになったか」

 

たった2日ぶりの、然して久遠の病いを背負う絶望感に光が差し込む。

 

「うむ。その眼、新しい道理があるに違いない。例えば、視えなければ掴めないとかな?」

「成る程…()()()()()()()か」

 

左様と頷いた光々。

最近、正鬼から常識かのように伝えられた非常識な事実がある。その真意は到底起こり得ないものだが、いま理解した。病いが人の身から簡単に別物へと蹴り落とすように、我らの道理は呆気なく裏返る。

 

「零には至れぬ。一より三へ、そして()へと続く。

どうじゃ、これを燕への第一歩目とするのは」

 

物を掴むことも儘ならないよう身体で。

いやだからこそ。行き詰まっていた佐々木の剣技に追いつけるやもしれん。

 

「────暫く、休養をいただきたく」

「応とも。待ってるぞ」

 

光々公は厚かましい願いにも快く頷いてくれた。

 

 

 

視力を失ってから山籠りすること六年、勢巌は病の克服を果たす。

そして更に六年の歳月を読む頃には、剣聖として剣の書に名を残すに至った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

清廉さを捨てた景観に佇む老侍。

異郷の絶壁を思わせる虚しい空間に、ただ1人で江戸城の城門を思い出させる風格がある。

 

「仁鉄のヤツが迷惑をかけたな……」

 

目視で30mの距離が空いているというのに、剣は声を掛けながら刀に手のひらを置いた。その後ろ姿からは壁の隙間を吹き抜ける軽快さは消え、刃を抜く機を探している。

 

「貴殿の知己か、志村 剣。

アレの尾籠(びろう)は閻魔も裁かぬ下手物。

勢巌にここまで言わせる鍛人が、貴殿らを警戒して憚らないのだ。ヤツの鼻っぱしが折れるやもと思へば、勝手に力が行き渡る」

「鍛治を生業とするゆえに一刻とは正反対の男だが、業物と剣士に拘る一国な人間だ。

あの心境を(ひもと)くのは勧めんぜ?」

 

源外庵の前で果たした時とは格が違う。

同一人物でありながら歳が違った。

より気勢が鋭くなっているのは、仁鉄が言うところの“鍛ち直し”を施したからだ。眼病を克服し、更に刻を経て剣聖に至ったと聞いた。

あの大バカ(じんてつ)が立ち去ってから2刻、勢巌は既に全盛期に迫る強さに到達している。

 

(士郎。隙を作る。勢巌を斬ってくれ)

 

剣と士郎が視線を交わす。言葉は要らなかった。勢巌を知る者になら最後の一刀を託せると、信じるほかにないから。

 

「…………!」

 

全盛期、多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)を開花した侍。

想像が及ばない剣には、先手を取る以上の最善手はない。勢巌の本当の実力を知らない士郎は、やるしかないと心の中で決意を固める。

 

「全員、ここで斬る」

「誰も斬らせねえよ」

 

勢巌が刀に手を置いた時には、剣は一直線に駆け抜けていた。

居合いの構えで確実に仕留めんとする勢巌。

 

(気勢が変わってる。強くなっているが、さて)

 

剣は勢巌の中身が大きく成長していることを、さきの戦闘との違いから見抜いた。話に聞いた多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)が行えることも分かった。その上で先に抜く。例え死のうとも、居合いで負ける気はないからだ。

 

勢巌の間合いに入る直前、右脚で踏み込んで身体を地面に食い止める。

停止する時の勢いを両腕に乗せて、剣の居合いは勢巌にも勝る速さで振り抜かれた。

 

「………⁉︎」

 

鉄に交差する銀。

剣の居合いを受け止めたのは2()()()()

然し、目の前の勢巌は()()()()()()()()

 

「ほう!変わった居合いをするな!」

囲う(こころ)構え在れば、如何なる速さも斥ける」

 

勢巌の居合いは剣士の心構え。即ち────

 

「我が居合いは独り也。故に()()()は誰ぞ構わん」

 

勢巌が柄を握ったとき、次こそ刀は振り抜かれた。剣はその様子から、千手観音が現れて腕の一本一本に握る刀を斬りつける姿を連想していた。

前後左右から其々無数の刀が剣を追い詰める。出所は一目見て分からない。虚空から、或いは別次元から現れた刃に対して、剣は縦に刀を振り下ろす。半弧を描く剣筋が全ての刃を弾き、剣に届かない位置を滑空していった。

 

秋も始まりである筈の気温が一気に低下していく。マシュや立香、伍丸でさえも、剣に向けられた刃と、その捌き方に理解が追いつかない。初手を凌いだ剣でさえも、全ての刃の卓越した抜刀速度に肝を冷やす。

 

(刃の槌を四方から落としてきやがった)

 

頭の中で答えに紐付けする暇もなく勢巌が仕掛ける。

 

(次は、上────)

 

刀を天に捧げる上段の構えから踏み込んで、振り下ろしてきた刀は2()()。剣に落とす剣筋、袈裟斬りにする剣筋の2種類は速度をずらして、一度で捌けないように趣向を凝らしてきた。

重心を後ろへと投げて、刃から距離を取った。そう確信した剣の眼前に、風のように全身を吹き抜ける突きが迫っていた。

 

(この奇天烈な技が多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)か…‼︎)

 

首を横に倒すことで皮一枚の負傷で済んだ。頬を斬った刀が戻る直前、剣の刀が勢巌の胴を両断する。

この場にいる誰もが見た光景は、勢巌が確実に腹を斬られて霊気が消滅したところ。その筈なのに、勢巌は元いた場所から一歩も動いていない。

 

「────……デタラメだ」

 

立香の戦いた感想に誰もが同意する。

1人で何人分の動きをしたのか。剣には3人の勢巌がいたと視認出来たが、立香たちには1人すら視認困難だ。

これを剣技だとか、魔剣と呼ぶのは烏滸がましい。本人がなんと言おうとも、後世でどう伝わろうとも、勢巌の技は一括りに魔眼とするのが正しい。そして、これを1人で抑え込んでいる剣もまた、特別な抜け道を使っている。

 

(あぁクソやべぇな。想像が実態を持ってる。

並列世界の自分たぁ都合の良い言葉遣うじゃねえの)

 

剣は視認出来たうえで鳥肌が立っていた。ちょっとでも時間を置いたら身体が冷えてしまう。全員で協力したところで、今の自分では守りながら戦う実力はない。

最悪で最強の戦力を、よりにもよって門番に配置したことを褒めずにはいられなかった。あの勢巌は剣のデータを分析して、仁鉄がふんだんに強化を施している。守るものを背負い、揚々とした剣術を駆使出来ない剣を仕留めるのに適した条件が整っていた。

 

立香たちが斬り合いに介入出来る余地は無いに等しい。

だが、後ろに控えているのは正鬼から逃げ延びてきた精鋭たち。そして別世界から座を経由して来たイチモツを内側に抱えるマスター。切り開く者たちという見方が仁鉄には欠けている。

 

「構えろ‼︎ 勢巌が来るぞ‼︎」

 

ソレが吉と出るか凶と出るか。出るまでは保たせてみせると意気込んで、次は自分から仕掛けようと構えたとき、士郎の怒号が響き渡る。

 

「────まさか」

「この勢巌の囲合いを侮ったな?」

 

後ろの方では斬撃の間高い音が鳴り響いていた。

盲目の剣聖、富田 勢巌の本領はここからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

敵を甘く見ていた訳ではない。

ただ、立香たちの話を聞いて、勢巌を剣聖にまで仕上げることは不可能に近い所業だと、俺は少し安堵していた。

座での修行、空想と正史の英霊ごちゃ混ぜ我が道押し付け座稽古が身を結び、多少は授かった心臓を扱えるようになり、英霊の足元に及ぶ実力を身につけた自覚がある。

中でも勢巌には随分と可愛がられたものだ。刀を握る所作から相手と向き合う肩の位置、相手の呼吸から思考を読めという難題、様々な稽古をつけられた。勢巌の型や重心移動まで、勢巌の恐ろしさを身をもって体感しているから、居合いの意味合いが違うことを理解した。

 

(いや、あれは────まずいっ)

 

囲合い。抜刀術である居合いに対して、囲合いは抜刀の心構え。思想を押し出した囲合いは、剣士の精神を(つるぎ)のように固く強くする。勢巌は囲合いを基礎として、自分の病に合わせて剣の道を歩み直し、剣聖へと至った。

 

────と、勢巌について詳しく語ってはいないが、剣の実力ならば読み解ける。

 

問題は、勢巌の剣圧に押された立香たち。

呼吸が止まる勢いで警戒心を忘れている。

ここで止まってしまっては1分と生きられない。

 

「構えろ‼︎ 勢巌が来るぞ‼︎」

 

干将・莫耶を投影しながら危険信号を発する。

これ以上の手助けは無理だ、時間がない。これから俺たちは、目の前に現れる勢巌の多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)を迎え撃たなければならない。

 

(来たっ……)

 

恐ろしい侍の魔眼は、恐ろしさを引き立てる最悪のタイミング、最序盤に投入された。

勢巌の影法師が2人、3人と現れて刃を構える。踏み込みから仕掛ける姿を、全員がハッキリと視認した。

 

「これはっ!?」

「受け止めろ‼︎」

 

火花が四方向から散る。

声に反応して身を守りにいったことが功を奏した。現れた勢巌が4人、受け止めたのは立香以外。

 

「…………は? どうして後ろから勢巌が!?」

 

立香の背後で刀を受け止めた。その刀を振った勢巌を見た立香は、驚愕の声を上げずにはいられない。何故なら、本物の勢巌は今も剣と仕合っている最中なのだから。

 

多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)だ」

 

本体が仕合ってる間はこっちにも来るぞ。俺たちに仕合いを挑んだ可能性(イフ)の勢巌が‼︎

…って警告したいけど、無理だ。初手の振り下ろし、返す刀を捌いた時点で余裕は消え去ってしまった。

 

「刀を弾けます‼︎」

「あぁ…しかし、これは…」

 

それは他の3人も同じようで。

勢巌の魔眼に対抗出来た喜びも束の間、多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)の猛攻に歯を食いしばることしか出来なくなる。

 

(刀を捌くのに手一杯で勢巌を斬るどころじゃない‼︎)

 

ただ、これでもマシなほうだ。

剣の腕前が想像の10倍も上をいってる。剣聖の勢巌から逃げ伸びるどころか、隙を生むために斬り込んでいた。

勢巌の多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)は剣聖となった時点でも不安定だと聞いている。本人の心が乱れれば多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)で現れる勢巌の技量も落ちていくらしい。話に聞いていただけだったが、並列世界の勢巌と対峙して理解した。

 

(剣のおかげで生き残れてる)

 

勢巌が駆使できる並列世界の自分自身は、きっと修行中の若かりし頃なのだ。剣がいる限り、こちらに剣聖…いや、盲目前後の馬鹿げた実力の勢巌は現れない。

 

「この魔眼に対応出来るとは。

()()()()()が其方の世話になっているようだな」

「────────」

 

真っ直ぐと士郎を捉えながら、真相を見透かさんと勢巌は言及代わりの刀を振り下ろす。

 

言葉を返す余裕はない。無理して捻り出したいのは山々だが、自分の声を聞いてしまったら情けなさで立てない気がする。

だから刀で返事をする。泥臭くて、汗まみれで、下手くそだった自分を追い越した証が答えを示してくれる。

 

「────はあっ‼︎」

「そうか。ならば斬る」

 

それでも、全盛期には程遠い勢巌であろうとも、敵を斬るだけの実力は十二分にある。

足踏みは厳禁だ。これ以上は体力が底を尽きる。剣と勢巌、俺たちと並列世界の勢巌、2つとも実力が拮抗している。先に打開策を打った者に勝利が傾くのは必然。

 

(彼らの擁護に回るならば、守りの禅は不要か‼︎)

 

剣もまた、並列世界の勢巌のカラクリに気づいた。

たった1人に囲まれている異常事態に、微かな活路が生み出せる。瞑想から放たれる勢巌を斬り伏せるのは、自らがあとひと押しを加えるだけでいい。

そうと分かった瞬間、人が立つべきではない目視困難な剣域に更に踏み込んでいった。

 

「おぉ、オオオ────!」

 

剣の全ての速度は勢巌に対抗するため、上限値いっぱいに到達した。並列世界の勢巌が四方向から刃を振り下ろす絶対回避不可能の絶技に対して、剣は僅かな差に狙いを絞って刀を合わせた。

 

「────────!?」

 

多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)の起こりから、剣に刀が到達するまでに僅か数十センチの隙間が発生する。

そこに自らの人体を超越した速度で刀を叩き込み、絶命の輪を切り崩して勢巌に一太刀を浴びせた。

全ての動作が紙一重。剣道に生き、侍を知り、死線をくぐり抜けてきた、刀を知り尽くした者同士に発生する軌跡。ここに剣独特の柔らかい剣筋が合わさって、盲目の剣聖に本来の実力を出させることなく生存を掴み取れていた。

 

「肩で刀の腹を叩くとは。恐ろしいことをする」

 

より速く、素早く勢巌を斬るために危険を厭わない。

激しく泣き叫ぶ心臓に気を囚われたら最期、全員の命が途切れる。

 

「貴公は燕を斬ったことはあるか」

「?」

 

だというのに、勢巌は涼しげなそよ風を浴びながら雑談を振る抑揚で全員に問いかけた。

 

「蝙蝠でも、守宮(ヤモリ)も面白い。心を理解しても斬れぬ奇怪な動きを、目で捉えて斬れるか?」

「で、出来ないよ…」

 

皆んなが懸命に勢巌の太刀を捌いてくれている。

僕が答えなくてどうすると思って声を上げたのに、僕は会話を進めることが恐ろしくて上擦ってしまった。

勢巌がこちらに顔を向けて、「それが普通だ。人というものだ。当たり前なのだ」と同意する。それがまた恐ろしさを増長させる。同意は自分のことを重ねている。勢巌自身が普通だったと認めて、そして過去のものだったと懐かしんでいるからだ。

 

「野性特有の闇雲にしか見えぬ動きを体現する侍がいた。この勢巌が剣聖に至ったのは、あの侍を越えるため」

 

誰もが身の危険を察知する。

誰もが立ち向かうことを躊躇した。

殺意が消え去った。代わりに、合切が翻弄された。

 

「“ツバメ”の絶技から生き抜いてみせろ。

動禅にひと息を。是がツバメの囲合(いあ)いなれば」

 

多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)によって現れた勢巌たちが一斉に地面を押し込んだ。

李書文の震脚を彷彿とする暴力。剣道の上段の構えから踏み込む挙動と同じソレ。

大地を人間への災害に転じさせるのは、空を飛ぶ術を持たない自分を戒める達人が辿り着いた1つの答え。

 

「てッ、メぇ────────」

 

剣さえもその場で立ち尽くすことで精一杯。

誰もが宙で転がり、翼がない自分の不甲斐なさを嘆くなかで、その侍だけは。たった1人、多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)も姿を保てずに消えたというのに平然としていた。

 

「絶技、返し燕巌(えんがん)

 

揺れ荒れる大地の上を、空を舞う燕の如く駆け抜ける。

たった1人による空中円舞。あっという間の終演は、1人の少年に一目散と訪れる。

燕が身を翻して地面を滑空するように、勢巌は僕たちの輪を駆け抜けていった。全員に刀を振りながら、本命である立香から遠ざけるようにして。獲物に最後の一刀で仕留めた燕は、再び元の位置に戻っていた。

 

「────────────ぁ」

 

早業と変速の組み合わせ。理想の侍を越えるために編み出した剣技は、マシュたち…否、人間には到底防ぎようのないものだ。当たり前だろ、僕たちが人間でいられるのは歩める大地あってこそ。味方であるはずの全体が崩されてしまったら、自分の身を守ることもままならない。それなのに。

 

「伍丸…………?」

 

自分の身の安全を度外視して、自分のパーツを分散させて全員の身代わりとなった伍丸。僕の前で太刀筋を逸らした伍丸の肩口から、致命的な崩壊が始まる。

 

「私が生命を……未来に繋ぐのは、当然のこと」

「なんで…傷が再生しないの? さっきまで自動でパーツを作り直してたじゃないか…‼︎」

「お前、なにしてんのよ…」

 

僕の心臓は収縮しか知らないと言いたげに事実から遠ざかろうとする。伍丸に刻まれた傷口から崩れ落ちる魔力の粒子が、魂の終わりを報せている。

カラクリを造った技術者らしくない。趣きもあったものじゃないパーツを受け止めようとして、何も手元には残ってくれなかった。僕の脳髄は凍った。

 

「伍丸さんっ‼︎ そんな……」

 

なんで。なんで?

どうしてここでマイクロチップが斬られる。アーサー王も斬れなかった1ミクロン以下の大きさを、どうして…‼︎

 

「慌てるな。君に出来ることはある。

この国は思っているほど酷くはない」

 

もう半分も残っていない身体を僕に預けながら、伍丸は夜眠れない子供を安心させる親のように微笑んできて。

 

「あとは、任せたぞ────」

 

手帳を仕舞った懐に人差し指を置いた直後、伍丸の霊気はこの場から消滅した。

 

「────────────────────────────────────────」

 

………見えている。勢巌には伍丸のマイクロチップが見えていたんだ。思い返せば、勢巌は魔力を見る魔眼がある。身体中を移動するマイクロチップの動きを捉えるのに、少しだけ目が慣れる必要があった…それだけの簡単な話だった。

答えが分かったところで意味はない。もう活用する術はないのだ。伍丸を死なせたのは、僕…

 

「早く……剣がやられる…‼︎」

「ぉ、……!」

 

自分の不甲斐なさを、目に溜まる悔しさを押し退けて神楽の声に膝を立てる。まだ立てない、揺れは収まったのに身体が言うことを聞かない。脳震盪だ、ならこのまま、剣に刀を振り上げる勢巌に噛み付く。

注意を引きつけるか迷って声を噛み殺して、左腕を上げる。魔術礼装を起動、音も無く呪いを選んだ。そして、あからさまに誘われていると知りながら、打つ手を限られた僕は背を向ける勢巌にガンドを発射した。

 

「厄介な妖術を1つ消費したな?」

 

呆気なかった。

並列世界の勢巌がガンドを斬り、勢巌が僕を蔑む。

剣をダシにして、不安要素を取り除きにきたんだ。窮鼠猫を噛むことも許さないと、勝利の地盤を固めやがった…。

 

「させないっ」

「っ────」

 

目の前に迫っていた並列世界の勢巌をマシュが応戦する。

投影魔術で刀を射出しようとする士郎にも勢巌が襲い掛かる。神楽も自分の身を守るので手一杯となっていた。

多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)に阻まれて、立ち上がるのもやっとになった剣の応援に行けない。頭を押さえているのは、あの震脚の震源地にいた影響だ。

 

「チク…ショウッ‼︎‼︎」

 

弾丸を発射する勢いにも劣らない怒号。

調子を無理やり上げた剣が刃を走らせる。

 

「如何なる剣豪も脚元が揺らげばこの有り様よ」

 

────が、それも三手で斬り返された。

 

右肩から袈裟斬りにされた剣は、全身の気勢を傷口から噴き溢して倒れ伏した。

 

「あ、あぁ………そんな」

 

全滅する…。

 

皆んなを守れない…

 

僕たちには、この状況を覆す実力がない。

 

あったのなら、2人を死なせることはなかった…

 

 

 

 

 

 

 

伍丸弐號が手帳に記した『裏切る者』は誰?(予想)

  • 鳳仙
  • 神楽
  • 日輪
  • 晴太
  • 坂田金時

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