土方の腹部から発生する赤い滴りは地面に溜まっていく。
見た者の血の気をも抜いてしまう腹部の穴のせいで、立香は次の行動に迷いが生じてしまっていた。
土方を助ける────助けたいの間違いだ。
吉原に撤退する───土方を連れていく余裕はない。
敵を撃破する────数的不利が過ぎる。
応援を呼ぶ─────敵が許すはずがない。
江戸に来てからというもの、相手の強さには度肝を抜かれるばかりだった。
魔王と化した堀田 正鬼の破壊痕は、魔術王ソロモンに次ぐ被害規模と言える。女神ロンゴミニアドの宝具に匹敵する一撃を軽々と出すさまは、生きた心地がしなかった。
死徒として志村 新八の身体を乗っ取った村田 仁鉄。誰も歩けない灼熱の世界を闊歩し、人智を越えた存在として立ちはだかってきた。
どっちもサーヴァントじゃないのに、サーヴァント単騎を呆気なく倒す実力がある。最序盤から相手にするには相応しくない強さだ、どんなクソゲーだと叫びたい。
あの2人で難題は出尽くしたと思ったのに、1つの場面で視界を覆い尽くすような敵の数々。どう足掻いても退路を確保する前に、こちらの体力が尽きるだろう。こんなデタラメな場面は人理焼却だけで十分だ。
いい加減にしろ、と言いたくなる。
(……ダメだ、痛くて気が立つ)
勢巌に斬られた痛みが、マシュとの
内出血すら起きない症状には恐怖心を抱く。精神がささくれていくのを感じる。
先々のことを考えて状況を整理できない。
…忘れちゃダメなことが1つある。
これまでの旅に背かないように生きるんだ。
やることは1つだろ。僕は何も捨てたくない。
「マシュ。土方さんまで道を拓こう」
動かない土方を見て指示を出す。
神楽も伍丸も異論は挟まない。
挟む余地もないほどに包囲網は完璧で最悪なんだ。
「……先輩。ですが、それだと先輩が‼︎」
土方を助けに行く選択にマシュは敢えて意見を挟もうとしてくれる。僕の意見は逃走の成功率を下げることになる。戦力差を覆す方法がない以上、敢えて生かされている土方に背を向けるべきだと、マシュは冷徹になって意見してくれた。
「僕が土方さんを抱える。そのあと吉原まで逃げるよ」
決して
似蔵が源外庵に襲撃する直前、ブラウン管テレビに接続中の文字が表示されていた。あのブラウン管テレビからはマシュのラウンドシールドと似た雰囲気を感じた。予想でしかないが、ある種の確信めいたものがある。
(誰かが召喚される…!)
何秒先かは分からないけど、賭けることにした。源外の言葉を信じるんだ。
源外が未来を救ってくれと言ったのだ。ならば、この場を乗り切るために仲間を見捨てるわけにはいかない。
「行こう、皆んな」
「───────」
無言で応える。
全てが燃え盛る始発点を乗り越えた男だ。敗北を立香が選ぶはずがないことは、立香の過去を知る者たちが理解していた。
無数の似蔵が逃げ場を塞ぎ、互いに忙しなく左右に移動して尾美や沖田の隠れ蓑となる。己の本性が人斬りでありながら、同志にその役目を渡してでも相手を仕留めにいく気概が窺える。
岡田 似蔵は狡猾な人斬りだ。
物見遊山をしているような笑みが、似蔵たちを一々相手にすることの馬鹿馬鹿しさを伝えてくれる。きっと似蔵には本体があるんだ。自分たちを軽々と犠牲に出来るのは、それが理由で間違いない。
「………どれだ」
本体を探す方法は……あぁダメだ、見分け方が大剣の刃こぼれくらいしかない。全部場所が違うなら、こいつは量産型だ。…迷うくらいなら、自分が的になる。命を晒して、敵の動きを少しでも自分に集めて、皆んなの背中を無理やりに押し────
僕より更に前に、伍丸が飛び出した。そして振り向くと、右腕を伸ばして叫ぶ。
「立香!私に打て‼︎」
「分かった‼︎」
条件反射だった。打て、という言葉と、伍丸が現れた場面から最初のことを思い出したから、返事した時には左指を向けて魔術礼装を起動した。
マシュはガンドが放たれた瞬間に駆け出した。ガンドを味方に打つことに意味があると立香を信じて、土方を取り囲む似蔵に盾を構える。
「何をしようが無駄さぁ‼︎」
未来に進む風を斬り裂きに走るのは、無数の歪な似蔵だ。彼は容姿が統一されているようでいて、獲物に対する動きはバラバラだった。
全員が僕を殺そうと腕に張り付いた大剣を振りかざそうとする。だが、この大所帯で殺意のままに振れば周りの似蔵は斬るのが普通だ。周りの似蔵も手練れということだろう、振り回した大剣を大剣で弾く。その動作で揉める数が視界の2割ほど。諍いを避ける似蔵、学びを捨てて我先に大剣を振る似蔵と多様な動きを見せつつ、視界に入る似蔵は僕を殺すことに執着している。
混乱と言えるはずなのに、似蔵は逃がす隙を作らずに地面を駆け、上空から跳んで殺しにくる姿は恐ろしいほど人斬りだ。
伍丸は迫る障壁を前にして、眉一つ動かさずに立香の放ったガンドを右手で握りしめた。次の瞬間、ガンドはゴムボールのように反発し、全方位に扇状となって弾き出された。
「なにィ!?」
一晩のうちにカルデア戦闘服を改造した挙句、ガンドの解析をしていたんだ。そうじゃなきゃ、女神ロンゴミニアドにも通じたガンドを受けるなんて出来ない!
「なぜ────」
「
1人の似蔵が口から漏らした疑問。それは、自身の身体を硬直させる呪いをマシュも浴びておきながら、マシュだけは平然と駆け抜けつつ似蔵を薙ぎ倒している姿に向けたもの。
その絡繰りは分からないけれど、先ずは伍丸が作ってくれたチャンスを活かすんだ。
(待て、沖田はどこ────)
視界の隅にいたはずの沖田が消えていた。
これは縮「終わりだ」地────
「集中しろ‼︎
「っ────はい」
真後ろから聞こえた音は、沖田の不意とソレを止めた伍丸の怒号。
沖田の縮地は何度か見たことがある。音を置き去りにする踏み込みを止めることは困難で、事前の対策や情報なしで防ぐことはサーヴァントですら厳しい。それを止めた伍丸、カラクリの機能に驚きたい気持ちを抑えて前を向く。
ガンドで無力化したのは大多数の似蔵、そして尾美だ。だが一時的なものに過ぎない。
彼らに対魔力はないと見たが、夜右衛門と勢巌は健在。メイドが全て斬られたら終わる、時間との勝負だ。
もう1つ気になるのは…。
「逃げるならば討つ。前を見続けるうちは、夜右衛門たちが死のうと知ったことではない」
警戒の目を向けると、逃げ場を断つとアーサー王は宣言した。
聖剣の色は色褪せていない。それが騎士王であることの証明なのに、未だに彼女を騎士王だとは信じられない。
「動かないなら都合がいい…」
戦いの矜持だけは失っていないのか。
それとも気まぐれの発言なのか区別はつかない。内側が狂人になっていたら、次の瞬間には宣言を破棄するだろう。
そうならないことを願いつつ、マシュと共に前進していく。
「はぁああああ!!!」
大盾を旋回させて、硬直する似蔵の群れを薙ぎ払う。
少しでも数を減らして、夜右衛門と勢巌を迎え撃つ。そのための準備を整えつつ土方に詰め寄る。
そして、息が詰まるほどにいた似蔵の影を大幅に減らして土方の元に辿り着いた。
「土方さん!!」
顔を覗くと、白目を剥いたまま気絶していた。
傷口に目を向けると、傷の表面が少しだけ塞がっている気がする。事実、足腰が震えてしまうくらいの出血はもうない。
これ、気絶することで無理やり現界してるんだ…!
「もう少し踏ん張って…」
魔術礼装を起動しておく。
いま使えるものは2つ。
強化の魔術。
いま使えば、漏れなく似蔵と尾美にも強化が付与されてしまう。起動したのは、彼らへの効果が切れた直後に使うためだ。
オーダーチェンジ。
似蔵と尾美、それから味方で入れ替えが出来る。でも、いま使っても逃げるのは困難だ。
アーサー王をどうにかしないと…。
「それ、囮に決まってるじゃないですか」
斬首の刻が迫る。
嘲笑うように夜右衛門の言葉が土方を指す。
さっきまでメイド相手にせめぎ合っていた夜右衛門は、
「私たちがあのメイドに苦戦していると、そう本気で思いましたか?」
その包囲網をあっさりと斬り抜けてから、正史への罪人に刑を執行する。
「させないっ!」
執行する直前に夜右衛門を見つけたマシュは、閃く断頭へと大盾を振りかざした。これで刑に待ったをかけた。
たったの、一瞬だけ。
「
私の剣を止めたところで、反対側には勢巌殿がいる。君の盾は届かず、仲間は処刑される」
キャメロットを解放して吹き飛ばそうとしたが、夜右衛門の業か何かがそれを阻止する。
「そんなっ!?」
マシュの大盾を、どういう理屈か刀一本で押さえつけている。夜右衛門を吹き飛ばすことも出来ず、然し手を離すことも出来ない。
まるで歯が立たない。
「くっ、立香君…!」
沖田と対峙する伍丸が腕を伸ばし、勢巌に向けて射出した。
見えない位置からの不意だ、これなら…。
「大人しくしていろ。お前は後で殺してやる」
「そっ、たれめ────!!」
神速の脚を前にしては、伍丸のカラクリ仕掛けの不意も、呆気なく剣の切っ先で捉えられてしまった。
もう、打つ手は…。
「人理を焼却された貴方たちにはお似合いの死だ」
「マスター逃げて‼︎」
マシュに手を伸ばして、土方に手を伸ばして、魔術礼装を行使し───
富田 勢巌は僕の背後で、剣を解放した。
「────は?」
そのまま斬り返した勢巌の刀は、呆気なく首を通り抜けていた。
それで、終わり。
狙い通り、
「────……………は?」
「この勢巌の太刀を読んだか…!
いや、貴様、初めからそのつもりだったな?」
驚愕の展開に狼狽える2人を他所に、尾美の位置と入れ替わったマシュは、同じ位置で土方を抱える立香を背に奮戦を開始する。
「なにをした、カルデアのマスター‼︎‼︎」
夜右衛門の怒号に答える義理はない。
胸の内で答えよう。オーダーチェンジを尾美に使い、無理やり尾美をマシュと入れ替えた。マシュの判定に、一緒に手を取った僕と、僕が掴んだ土方も入ってくれたから助かったんだ。
正直なところ安堵している。
魔術礼装・カルデア戦闘服に登録済みのサーヴァントのみに有効な魔術、オーダーチェンジ。登録出来るのは了承を得た相手…つまり味方のみの使用になるものだが、ガンド使用の直後から無数の似蔵と尾美も選択肢に入っていた。
(クールタイムは変わらない。相手はこのことを知らない。次はハッタリで凌ぐしかないぞ)
この情報も皆んなには周知済みだ。
すぐに状況を把握した神楽が、夜右衛門と勢巌に向けて次々と似蔵を放り投げていく。似蔵が雪崩れるように2人に押し寄せる姿を横目に、持てる手を頭に浮かべる。
(次は、夜右衛門)
勝機を見出せるのは彼しかいない。
勢巌はずっと様子見しているような立ち回りをしている。正直、令呪を消失させた彼の剣が怖い。
「言ったでしょう、こんなメイドを何体寄越そうと足止めもならない!」
「………っ」
思案を終わらせる隙を夜右衛門は与えない。
立香が視線を勢巌に向けた時には、メイドを斬り伏せて立香へと詰め寄っていた。
直ぐに行動しないと死ぬ、もう死ぬ。
頭に血が昇ってる夜右衛門に、オーダーチェンジのハッタリが通じるか?
いや、これは無理だ……マズイ、本当に死、
「殿を務めるのは、俺だ」
「ぁ、、」
目の前に迫る刃が止まる。
いや、止められた。土方の刀によって。
更に続けざま、立香の背後から突き出された沖田の剣を右手で受け止めた。
人類最後の手綱を前にして、誠の旗を背負った土方が、死にかけた精神を掻き集めて意識を取り戻したんだ。
「バカなっ、その身体で動けるのか!?」
沖田が驚愕した“その身体”とは、土手っ腹に風穴が空いた状態を指す。生身の肉体ではないサーヴァントだとしても、土方は幕末を生きた神秘を知らぬ人間だ。致命傷から逃れる神秘を知るはずがない。
ましてや、相手は志しを供にする沖田だ。
「俺を仕留め損ねるなんざ、お前は沖田じゃねぇよ」
「貴様────」
夜右衛門へ繰り出した左蹴りが躱された。然し、右脚を軸に回る左蹴りは沖田に直撃する。刀で引き寄せたところに一撃、そして遥か彼方へともう一度蹴り飛ばし、飛距離を稼ぐ。
「内輪揉めですか。組織でやることはいつの時代も変わりませんね」
「土方後ろ‼︎」
似蔵の進軍を傘一本で止めていた神楽が思わず叫ぶほど、夜右衛門の位置取りは最悪だった。
沖田を相手にした隙はあまりにも大きい。
やろうと思えば僕を狙えるのに、夜右衛門は敢えて土方を先に処断しに行った。
「避けて!魂洗いがくる‼︎」
夜右衛門の宝具、魂洗いを呆気なく受けてしまった。
「痒いだろうがッ」
「何者ですか…!?」
耐えていた。必殺と思われる死神の刃を、蚊に刺された時に吐く感想で片付けていた。
夜右衛門は瞬時に理解してしまった。痛みを忘れるほど、誠の信念に没頭しているのだと。
然し、土方はあろうことか自分は斬られていないと勘違いを起こして、死んでいないと主張し続けてしまう。誠の旗への想いを断たない限り、公義処刑人の刃が土方を人に戻すことは不可能だった。
「お前じゃねェ」
一歩距離を詰めて、1番早く届く足蹴りで壁面へと夜右衛門を吹き飛ばす。
「と、とにかく撤退を…」
ようやく、土方が今際の際で踏みとどまっている理由が分かった。宝具だ、きっと治癒か無敵化の類だ。
「行け、カルデア。進め、人理。
その軌跡で、俺たちの
「土方、さん────────」
違う、と訴える瞳は同時に発狂していた。
退くことを許さない眼光をぶつけてきた。
首に一文字に刻まれた死は事実だ。
あれは死を一刻だけ斥けているにすぎない。大義名分があるから死ぬことを我慢しているだけ。直ぐに堪えは効かなくなって……。
「オオオオ、オオオオオオッ、オオオオオオオーー‼︎」
構わない、それが定めだと。
叱責の如き咆哮で僕たちを鼓舞して、源外庵の屋根上に鎮座する騎士王に接近した。
「夜右衛門たちから片付ければいいものを」
アーサー王と同じ屋根の隅に飛び乗った土方は、彼女の1点に視線を向けた。
それはアーサー王の武器だ。そこにあるはずなのに、聖剣の輪郭すら見えなくなっている。
いや、そもそも昨日見た黄金の剣とは別物なのか?
距離も分からない武器を相手にどう立ち回るのか。
「俺は逃げを許さねえ。いつでも逃げられる場所にいるお前から殺すのは道理だ」
「さっきまで逃げようとしていたヤツがよく言う」
言葉を交わした直後、一直線に飛びかかっていった。
刀を上段から振り下ろす土方に対して、アーサー王は身構えた。
アーサー王は自身が生成する魔力を燃料にして、バーサーカーにも劣らないパワーと剣術を生み出す。土方の…バーサーカーの力押しであろうと怯む相手じゃない。
「────」
アーサー王の武器が風を纏う。
破砕機のように大気を切り、彼女にバックアップを施したソレで土方の刀を受け止めて、外へといなした。土方の刀は本来の力をアーサー王の武器に伝達する様子もない。
技の前に呆気なく隙を晒した土方は、アーサー王の返しの一振りで胴から肩を斬られた。だが、死なないことをアーサー王は分かっている。今のは動きを止めるための反撃。
次の一撃で存在ごと消滅させようと魔力を武器に送る。
魔力放出…冬木での威力が本領でないことはキャメロットの時に嫌というほど理解した。思う存分に魔力を生成出来るのであれば、土方の宝具で耐えられるか分からない。
「目的を果たしたから次に行く。逃げじゃねェ‼︎」
だから、先に仕留めんと雷管銃を騎士王に向ける。
「無駄だ」
アーサー王の言葉通り、あれでは届かない。
例え銃口が額に迫ったとしても、持ち前の直感と動体視力で躱せるのがアーサー王だ。弾の1発、銃口程度の細い線ではゼロ距離でも当たらない。
全てを承知の上で、土方は一歩後ろに下がって引き金を引いた。当たることを確信して。
「なっ────!?」
僕たちの……アーサー王ですら予想もしなかった弾が放たれた。
流星のように太く、聖槍の如き熱量を迸らせる弾丸。いや、レーザー光線がアーサー王を直撃する。
「すごい!!」
「アーサー王への損傷を確認しました!
あんな隠し球があるとは…さすが日本の武士!」
「いや日本人を神格化し過ぎだよマシュ?」
あの太さ、大砲から出ないと説明がつかない大きさだが、一度きりの意表を突いた攻撃は確実にダメージを与えた。
そして、アーサー王を遥か遠くへと吹き飛ばすことに成功した。
「………サーヴァントになって良かったところだな」
現実では不可能なロマンを筒に見ながら呟く。
そのまま土方は振り向くことなく、致命傷を腹に抱えたまま最後の戦場へと駆けていった。