夕餉では土方が鳳仙の箸を沢庵に替えるといった、手に汗握る心理戦で大いに盛り上がった。
箸風沢庵で土方を掴んで投げ飛ばすシーンは圧巻だった。
「あっつ……………」
白熱の宴も終わり、しっかりと身体が回復した深夜手前。
毎夜開かれる狂乱、魔王正鬼の襲撃を迎え撃つため、マシュと一緒に吉原の入り口で待機していた。
普段は鳳仙を主軸にして、交代制で1人が見張り役兼補助を務めていると聞いた。残りは休んでいるそうだが、夜通しの激闘を横に休める自信が全くない。
今日は土方、金時の2人が休んでいる。伍丸はデータ収集のため、神楽は当番でここに来ていた。
「夜の江戸は炎に包まれる。解析を試みたが全て跡形も無く消え去った。あれを観測することは不可能だろう。
だが、私には分かる。あれは人理焼却の一端だ」
「人理焼却を鳳仙さんは防げる、ということですか?」
「逆説的にはね。だが、そんなことはあり得ない。正鬼で不可能なんだ、昼間に外を出歩けない者が防げる道理が見当たらん」
(ご本人の前でズバッと言っちゃうんですね)
後ろで鳳仙が睨んでいるのに完全スルーだよ。
僕はさっきから震えが止まらないっていうのに…!
「真相は正鬼に聞かなければ分からない」
「あの暴力が振るわれないことを祈りま…すよ……?」
吉原の正門に違和感を感じた。
何処かがおかしい。温度的には30度を超えているのに寒気すら覚える。視覚情報から得られる違和感は無い………だとすれば、残る場所は正門の向こう側ということではなかろうか。
誰かが灼熱の世界に立っている、戦慄する事実に生唾を飲む。身体に走る緊張感をそうして受け止めたとき、あとから追いついてくる臭いに気づいた。
「ヴ……この焼けた臭い……は?」
「なんだと?」
これまでの旅でジャンヌ・ダルク・オルタや清姫、カルナといった炎を扱うサーヴァントを見てきた。どれも特徴的で想いを燃やした匂いをしていたが、これはまるで反対。炎に負けているように思えるこれは…。
「下がれ、向こうにいるのは正鬼じゃない!」
大気のデータから算出した結論を告げて、伍丸が号令を張った。
本気だ。カラクリに吹き込んだ魂が、本気で警報を鳴らしている。よく身体に馴染む波長のお陰で、下手な電子警報音よりも早く備えに移行できた。
「先輩、私の後ろに!」
「マシュ、正門から目を離さないで!」
直ぐにマシュの後ろへ。
周りは…伍丸さんがメイドを戦闘態勢に、神楽さんは傘を構え、そして鳳仙は相変わらず仁王立ちを貫いている。
それぞれの判断だ、このまま迎え撃つ。
伍丸の号令から一秒で準備が整う。
二秒後、空気を横切る髪の毛幅の圧力が心臓に届いた。
「っ────ヅゥ………!?」
正門が横一文字に斬り落とされ、金属音が吉原に踏み込んだ。待っていたとばかりに正門の隅から駆けずり回る人類絶滅の蒼炎。
青空が押し寄せるが如く、吉原の壁面を大気と見做した炎がこちらを飲み干さんと迫ってきた────‼︎
「無駄だ」
だが、ここは地下。夜王の住む国なれば。差し込む陽光の一片と吉原の入り口に達することなく、新しい正門が壁面より現れて侵入者を拒絶する。1つ正門が破られれば2つ目を作り、青空が近づけば通路ごと外の世界を遠ざける。
人理を焼き尽くす炎が青空だとするなら、夜を飲み込む地下の王こそ相応しい対抗者と言えるだろう。
しかし。
「なんだ、あれ…」
「謎の敵性反応、止まりません。追い返すどころか歩いて一歩ずつ近づいてきます!」
盾の横から顔を覗かせて、異常事態を直視する。
脚で金属音を鳴らす侵入者の姿はまだ捉えられない。吉原の拒絶反応、それを切り崩す砂煙、なによりも魂ごと身を焦がす蒼炎が侵入者の影以外に見ることを許さない。
「魔術無効に魔力除外。
精神汚染から不死化剥奪までして耐えるのか……!?」
隣で伍丸が驚愕に身を震わせる。
本当にふざけている。これほど力任せの侵入を仕掛けてくるなんて。吉原の守り……正門を含めて鳳仙の宝具なんだ。土方みたいにお遊び半分の入場拒否じゃない。江戸最後の砦が全力で拒絶してなお歩みを止められない。
「これまでもこんな攻防をしてきたんですか!?」
「全く別だ。正鬼は正門を最小限破壊して侵入してきた。そのまま吉原の拒絶反応も間に合わず、鳳仙と戦闘開始が毎晩の流れだ。
これは、どちらも初めて見る光景で戸惑っている」
いま分かることは、確実に侵入者は吉原へ近づいていること。そして、正鬼級がもう1人いる、最悪の事実だ。
誰も動けない。鳳仙ですら宝具の迎撃に任せるほど、あの存在は正鬼に似て違うんだ。
「やっと顔を出したな」
「────え?」
耳元で囁かれる。右耳を抑えて振り向いたが、後ろには鳳仙と伍丸がいるだけ。聞き覚えのない声は何処から聞こえたのか。所在を探して視界を回そうと思って気づく。
見られている。いま、侵入者にしっかりと捉えられた。
振り向いて、マシュに伝えるよりも早く。侵入者はその身だけを吉原に踏み込むことに成功していた。
「
そして、侵入者は挨拶のひと振りを始める。
侵入者との距離、約50メートル。手元で
幾つもの修羅場を潜り抜けたとはいえ、反射神経と経験則でどうにかなる話ではない。
一閃の弾丸が立香の額を捉え────。
「させないっ」
一瞬の神業を、反射神経と経験則で防いでみせるのがマシュ・キリエライト。人理を守る、カルデア最強の盾だ。
感謝を伝えたいが、意識が盾に張り付いたそれに注視して言葉が出てこない。
弾丸と思ったそれの正体を見て、とんだ勘違いをしたと後悔する。かっ飛んできたものは得物だ。50メートルの距離を一息で漸進する、見覚えがある紅色の刀。
マシュの盾に乗っかるようにして止まった。信じられない光景だ、こんなにも長いのに曲がることなく形を保っている。
「これ……」
刀に呆気に捉われる一瞬を見透かされ、信じられないものを再び目にする。
「なっ!?」
伸びた刀をあろうことか振り上げたのだ。
とんだ怪力だと手を叩くべきか、刀の耐久性に目を剥くのが正解か……。なんて考えている場合ではない。
「マシュ、避け──」
「受け止めます!」
立香の声を押し退けて、マシュは盾を握る。
紅色の刀を受け止めて、盾に食い入るソレが生きているように見えた。吉原の地面に触れたとき、大切なものを荒らされる気がしたから。
「なら、仕方ない!」
マシュの力強い返答を信じる。
後ろに向きかけた身体を気合いで戻し、振り下ろされた刀を受け止めるマシュの背中を押して。少しでも魔力を回そうとした意識に、
「あ────グ」
焼けるのは…身体ではなく、魂。
これは、夜の江戸か?
「せ、ん………は、ッ───」
マシュも同じだ。
刀を通して、外の世界を思いきり身体に捩じ込まれている。
このままじゃ、まずい。
焼かれる…なら、こちらも同じもので鎮火するしか…。で、も、方法が分かっても、手段が………。
「鉄屑が」
意識を引きずり戻す突風。
捻じ曲がった視界で分かったのは、桜舞う弾丸の横っ腹を叩き折る大傘だった。
「大丈夫か2人とも!?ゆっくりだ、深呼吸をしろ」
「あ……、ぁ。……はい、大丈夫です。
それよりも、先輩は────」
「っ、、は、、、ぅ………はぁ。大丈夫だよ」
無我夢中で酸素を取り込む。
あと一秒遅ければ肺の存在を忘れて狂っていた。マシュも膝をついているところを見るに、ただの物理攻撃ではない。
伍丸の触診が素早く終わったとき、僕たちを庇うように鳳仙と神楽が侵入者との間に入ってくれていると気づく。
「あはれ!この刀を折れるのか!我が生涯の傑作だと自負していたが、自惚れだった。
遅れて、神楽たちの視線の先に目を向ける。
まだ万全じゃない意識でも、先ほど耳元に届いた声と一致するから。早くその正体、この呪いを持つ人物を確かめなければ。
「
「────そんな、どうして」
正門は閉じ、侵入者を取り巻く蒼炎もない。
はっきりと見える容姿は、黒い装いに腰刀、そして木刀を携えた男性。目元で反射する景色を人差し指で上げて、少しだけ紅く変質した髪を揺らす。彼の、名は。
「どういうつもり、新八」
神楽が殺意を込めて問う相手。
「皆々様、お初お目にかかる」
志村 新八は右手の刀を地面に突き立てて応える。
「私は
作品は数多あるが……世に知れ渡ったのはやはり」
目の前で突拍子のない名乗りを上げて、
「この”紅桜”だろう」
自らを鍛人……刀匠と名乗る魂、村田 仁鉄は他人の身体で笑っていた。