全身の重圧が安定する。
器が承認され、燃料がそれを満たし、狂いなく変動する身体は、カルデアの莫大な実証のもとにようやく魂を受け入れる。
両足の裏に確かな踏み場を確認し、密閉空間にはない荒んだ風を肌で感じる。十を越すレイシフトには未だ慣れない。きっとこれからも慣れないだろうと思いながら、ゆっくりとまぶたを上げ───。
「─────なっ!?」
万全の瞳は、鮮血に染まる空を捉えた。
これまでの天候に一切当てはまらない色に、脳がズギリと悲鳴をあげる。
足から力が抜けそうになって、グラついた拍子に意識を確かにした。とにかく移動するべきだ、ここはまずい。
「マシュ、ドクター。空が──うそ、だろ?」
周囲を見渡して、言葉を失う。
一緒にレイシフトしたマシュがどこにも見当たらない。それに、沖田やスカサハ、ニコラを呼んでも姿を現すことはなく。普段は繋がりを感じるパスも、いまは暖かさのカケラも感じない。
いや、カルデアとの通信さえできる状況ではなかった。声に反応して映し出されるモニターにはErrorの文字。
ここには、誰も居ない。
視野に映る世界全てが、激しいノイズとともに赤黒く点滅する。これは見間違いでも、
「違う、あの空は……僕を、見つけたんだ」
▶︎銀時の言葉を信じろ、僕の居場所を報せるんだ。
▷まずは隠れよう。カルデアとの通信を優先だ。
ぐっ、とケツの奥に力を込める。いま孤独に足を掬われてはいけない。そう信じ込んでしまえば、これまでの教訓が台無しだ。
孤独だと錯覚したことを振り払うと、銀時の言葉が浮かび上がってきた。
″現地に着いたら必ず俺の仲間が駆けつける。
どこに居ようとな。ま、それでも誰もいなかったら、居場所を伝えてくれ。
ものの数秒、どんな状況だろうが無事を保証してくれる″
言っても仕方ないが、カルデアとの通信が途絶えたのはこれが初めてのことじゃない。いま、ドクターたちは必死に僕を探してくれているはずだ。マシュのことが気になるが、なら尚更のことアクションを起こそう。
「頼む、誰か気付いてくれ!」
腕を上空に掲げ、魔術礼装を起動する。
カチりと音を立てて指先から青黒い球体が発射された。
そもそも、このカルデア戦闘服の魔術礼装に頼るしか脳がない。
行動がグンと制限されてしまうのは不服だが、僕にできるアクションはガンドくらいだ。僕単体で使うことは殆どなかった。温存して敵サーヴァントと出くわしたところで、命中など出来るはずがない。
そうしてものの数秒、空を押し退ける移動音を耳が拾った。
上空のそれを目視する間もなく、ドンと砂埃を舞いながら十数メートル先に人影が現れる。
(どっちだ……敵か、味方か!?)
身構える。
勘は働いてくれない。
というのも、まるで殺気を感じないのだ。
判別に困っていると、漸く砂埃が霧散する。
「カルデアのマスターですね?」
そこに立っている存在は、美しい騎士だった。
金の髪、黄金の剣。
少女と言える身長が嘘かのように威風を纏う姿。
凛と瞬く瞳、冷たい顔立ちには見覚えがある。
特異点冬木を守護する王。
そしてキャメロットで遭遇した女神。
「ア、アーサー王……?」
異世界の江戸と思われる建物街に似つかわしくない、最優の騎士がそこには立っていた。
特異点で遭遇したどの姿とも違い、聖剣エクスカリバーを手に数々の伝説を打ち立てた、本当のアーサー王の姿。以前、ベディヴィエールから聞いた容姿と重なる姿に、協力が見込めるのではと期待し。
「恨み言は、貴方を1人にしたカルデアの不手際にしなさい」
よく見れば気付いたであろう闇に染まる瞳。
たった1度の跳躍で縮まった距離で、漸く事態の最悪さを知る。
この刹那に理解したことは、騎士王が殺しに来ているというとこ。加えて、次の一秒でそれは達成されている。
「そ、んな─────!?」
金色の風が真横に吹き抜ける。
立香がどう足掻いても躱す手段のない一撃。
血を撒き散らす誉れなき風は、視界の奥で光を放つ閃光によって風向きを急上昇させられていた。
なにが起きたのか訳も分からず、立香の身体は気付けばアーサー王から10メートルの距離を空けていた。
「騎士王よ、目を覚ますどころか、己が護るべきものすら最早見失ったか?いや、原点を聞こう。お前は、自身の出自を知っているか?」
「…………何者だ」
立香を抱えていたのは男。
金髪ストレート、恐ろしく整った凜然とする顔立ち、しきりに身体から鳴る機械音。地面に立たされながら全身を見ると、戦う者の格好とは思えない、赤い白衣。
騎士王と呼びながらも、アーサー王からの問いに答えることはなく。
「あ、あの…貴方は?」
立香が同じことを問うと、ゆっくりと翠眼を合わせて確かな言葉を返す。
「私はサーヴァント、キャスター。
江戸一の
事情は大方把握している、カルデアのマスターよ。委細を差し置いて、一先ずは騎士王を退けるぞ」
レイシフトして間も無く、異質に過ぎる英霊たちの戦いが幕を上げる。
▼
藤丸 立香が何度めかの急死に一生を得た頃。
マシュ・キリエライトはレイシフトに成功した。
「先輩、どこですか!?先輩!!」
とは言えない状況下にあった。
カルデアとの通信は断たれ、マスターである藤丸 立香とは別の場所でレイシフトを果たす。
「ダメです、周囲にそれらしき人物が見当たりません。同行したはずの沖田さん達も行方知れずです。それに、ここは……」
立香の身を案じるとともに、寒気が全神経を駆け巡る。
周辺の地理を簡単に言うならば、地下街だ。
一目で分かったのは、マシュがその光景を見渡せる位置にいるからだ。
ずらりと並ぶ大小様々な木建の家屋、提灯が織りなす妖艶な街路、天井に張り巡らされた配管。マシュはこの天井に張り巡る配管の1つを足場として、目下の街を見下ろしていた。
資料に違うところはあるものの、立香の住む日本の地下街に似たようなものがある。
そこで違和感に思うこと。これだけ多くの建物が並んでいるのに、人が出歩いていないことに疑問を抱かないほうが難しい。
就寝の刻なら、こんなに灯りがあるはずがないのだ。
違和感に思考が巡ろうとしたとき、息が引き締まる。
「ッ……この感覚は、サーヴァント」
配管の奥から、悠然と歩いて来る年老いた大男。
ひと目見て、その強さ……畏怖とも言うべき重圧に盾を握る手が震える。直近、女神ロンゴミニアドと対峙した刻にも劣らない、特異点の王と変わりない格。
大男専用に造られた傘は、骨組みの力強さから雨除けだけではないと想像ができてしまう。あの傘は武器だと判断し、次に大男の風貌を見る。
と、その瞬間。
「この
一息も無く、大男は眼前で笑っていた。
怪物の言葉を聞くだけで座り込みそうになる。
ひと目見て勝利が欠け、声音を知って自信に亀裂が入る。
試すなど、冗談にもほどがある。試そうと企てようものなら、一息のうちに塵芥にされる。ギリシャの大英雄、ヘラクレスにも劣らない緊迫感が空気を汚染した。
その最中で振り下ろされる、絶命の一撃。
それを、盾を振り上げて己の意思を示した。
「が、あぁーーーー!!」
生存が絶望的なものとなり、生命が失われる感覚を手に感じた。最期を迎えるという、これまでの旅で知った感情があったからこそ。マシュはこのとき、怯えを振り払い、盾を握りしめることが出来たのだ。
藤丸 立香と人理修復を果たすために。
「ふ、この夜王が一合で仕留めきれぬ女がまだいるか。
小娘、此処に立つ理由を存分に語れ。せいぜい生きろ」
盾の向こう側で大男、夜王と名乗る怪物が笑う。
いっそう強まる圧を押し返しながら歯を食いしばる。
「マシュ・キリエライト、行きます‼︎」
自分を求めてくれる