衛宮邸の居間には六人もいるというのに、会話一つない時間が続いていた。そこに家主の姿はなく、一同は彼の帰りを黙々と待っている。
気の利く桜でさえ、衛宮のことが心配でたまらないようだ。隣で下ばかり見られていると、僕も落ち着かない。この状況がかれこれ一時間。
時折、アインツベルンのホムンクルス達が温かめのお茶を淹れているのが、せめてもの紛らわしになっている。
「………………」
話すことを考えて、言葉をのみ込んだのは何度めか。
話すことがない。いや、話せることがない。
銀時や外道丸が負けるのは想像しにくい。こっちの勝手な期待値も含まれているが、それでも衛宮は帰ってくる。
外で万が一に備えて待ち構えているアーチャーは、キャスターに遅れをとる奴じゃない。あの忌々しい遠坂がマスターだ、相討ちになれという期待は無駄だろう。
「……」
既に遠坂は敵と認識している。こいつに肩入れする気はないし、あっちだってそのつもりだろうな。こいつは信じてるんだ、アーチャーが選んだ決戦の相手を。あらゆるサーヴァントへの対策を練ったうえで、総合的な結論がセイバーしか来ないと…。
あの二人は似ているところがある。最終的に向かい合っていなけばならない因縁があって、アーチャーはとくに拘りをもっているのだ。何故そう思えるのか。
───そのとき、居間に鐘が鳴り響いた。
衛宮があんなヤツとはいえ、魔術使いだ。見知らぬ者が侵入すれば警鐘が鳴るくらいの用心さはあるらしい。
このタイミング、キャスターがすぐそこに現れたのだ。あの顔を思い出すと、どうしようもなく悔しさが湧き上がる。
「ッ、、、チッ」
小さな地響きが伝わると、居間の壁にもたれかかる遠坂が静かに玄関へと向かって行く。外で戦闘が始まったのだ。立ち上がろうとした僕を牽制でもしたつもりだろうか。
イリヤは、何も言わずに視線のみで彼女を見送る。
「あ〜あ、いま行っちゃったか。キャスターが死んだ瞬間に殺そうと思ってたのに」
あぁ、マジだこのガキ。他人の家を事故物件にするつもりだ。
ほくそ笑みが恐ろしい。
「だから空気が張り詰めてたんだよ。ほんとさ、僕が盾にでもされたらどうするつもりだったんだ」
「あっはは、おっかし〜。シンジだってリンのことを味方と思ってないくせに。それに、シンジは自分が交渉材料として役に立てると思ってたの?」
あからさまな嫌味だが、僕に比べれば数段劣る。
こうも本気で言われると寒気ばかりが増して、言われた相手は苦笑いも浮かばないだろう。
「あの、遠坂先輩は大丈夫でしょうか」
「安心しろよ桜、仮にもライダーを
けどそうだな、万が一ってのはあるんだ。身構える意味でもさ、障子の隙間から覗くくらい許されるさ」
対面に座るイリヤから逃げるわけではない。戦闘しているアーチャーの出典でも分かれば、衛宮に助言の一つでもくれてやれると思っただけさ。
膝で立ち、障子まで這うように行きそっと障子を開ける。
そして、
「…ッ!?」
思わず息が止まる。僕は、今の一瞬なにを見た。
どうして息を呑んだ、アーチャーの顔になんで驚いている。
「どう、ですか兄さん。キャスターは…」
「……あ、あぁ、終わった。呆気なくな」
障子を開けたとき、アーチャーは仰け反り、葛木の一撃を受けたのだと分かった。葛木の意味不明な動きに翻弄されたのだろう、だが近接が出来るだけあった。すぐに立て直して、葛木を見据えたのだが…。
そのときのアーチャーの顔に、とてつもない親近感を抱いたのだ。
「ふーん、確かに入ってきた。けど、これって…」
イリヤが後ろでなにかを呟くが、目の前でキャスターと葛木が斬り伏せられたのを見てから立ち上がる。
冬木、深山、新都はこれで落ち着く。魔女が消え、残りは三騎士のうち二騎。その事実があるのだ、もういい。いい加減、もう疲れた。
「どこへ行くんですか」
「帰る。用はなくなった。お前は衛宮のことが気になるだろ、特別に許可する。泊まるなりしてろよ」
僕だけはこの家に居てはいけない気がして、だけど桜は安全圏に居てほしいからそう促す。
今は一人で考えたかった。
「いえ、私も帰ります。先輩はきっと無事です。それに、兄さんの方が目を離したら危ない患者さんなんですよ?」
「…そうかよ」
だけど、桜がこう言うなら仕方ない。
銀時とアーチャー。二人は他のマスターたちに危害を加えることはしないだろう。確かな安心感があるから、桜と帰ることにする。
「あいつ、本当に弓兵なのかよ…」
いくつかの引っ掛かりはあるが、これでようやく夜を安心して過ごせる。
それに、僕にだってもう時間がない。
一つ、可能性を潰しておくか。
「なぁアインツベルン、一つ聞きたいんだけど。お前ら、郊外の森に結界を張ってるよな。あれってさ、ここでも人の通りとか感知できるわけ?」
「部外者に教える必要はないわ。その質問、なんのために聞きたいのかさっぱりよ」
「話は最後まで聞けよ、可愛くないヤツだなほんと」
イリヤの後ろで控えるリーゼリットが、どこからともなくハルバートを取り出した。
「ひぁっ!待て待て、人みたいなのが紛れ込んでないか知りたかったんだよ。変なもの被ってなけりゃ、女の外見してるやつだ!」
「…意図は分からないけど、そんなふわっとした情報の人どころか、一般人は誰も入ってきてない。言っとくけど、泥棒しようだなんて思わないことね、シンジごとき玄関開けた瞬間に粉微塵になって宇宙空間に放り出されるのがオチよ」
「んな魔術あってたまるか、だいたいあんな物騒な森に誰が行くかよ!」
これ以上居ては殺されてしまうかもしれない。桜の手をとり、居間から離れる。
「ごめんなさいイリヤさん、兄さんはあれでも悪気があるわけじゃないと思うんです。どうしても言葉が悪口に変換されるっていうか、発作というか…癖なんですよね」
「余計なこというんじゃねぇ!」
「…そ」
あの場に残り続けるのは愚かだ。
ここから先は、聖杯戦争の決戦に相応しい奴らだけで盛り上がっていればいい。元々、アインツベルンと馴れ合う気はなかった。こっちに必要以上のちょっかいを出さないなら、せめて役目を果たすまでの時間は穏やかなほうがいいだろう。
「兄さん、お家に帰ったらどうします?」
「ははっ、決まってる。……新都病院に底の厚い菓子箱を包む準備さ」
玄関の戸を閉めて、桜と並んで夜道を歩く。
いまは、この幸福が続くことを祈ろう。ライダーと英雄王、そしてセイバーがいたからこそ、僕たちは勝つことができたのだから。いつかこの幸福を言葉にして、あいつらに伝えられる日がくればいい。
聖杯戦争とは無縁で会えるなどあり得ないが、それでも思うことくらいは構わないさ。
▼
焦げた臭いが充満し、砂埃の向こうで一筋の流れ星が夜空へと消えていく。どうしても譲れない意地を胸にして、ようやく宿敵の輝きを負かしたのだ。
すでに仄暗さを取り戻した景色をよそに、柳洞寺の真ん中で確信めいた勝利に思わず右手を握りしめていた。
「ランサーは…?」
声に出さずとも分かっている結果を、隣に立つセイバーに聞く。
「宝具ぶっ放したら消えた。まさかテメェの格がぶっ壊れる威力にまで上げやがるなんて、最後の最後でいいご身分なこって」
「そ、うか。よかった───」
不満げに言うセイバーは、しかし気を緩めて笑っていた。つられてこっちも頬が緩む。そうして次に視界に映ったのは、満天の星。
「──────?」
身体が言うことを聞かない。もう外に溢れている魔力もないから、バーサーカーの心臓に縛られることもないっていうのに。どうして俺の内側は痛いんだ…。
背中から倒れていく途中で、落下が止まる。だが、あくまでも物理的なもの。そのまま意識を繋げておくことはできなかった。
───
──
─
振り返る記憶には見たばかりの光景。
傘を差しながら立つ彼の後ろは、とても大きな信頼に支えられていた。その代表として二人の少年少女が彼の隣に現れて、もう一踏ん張りしろよ、なんて笑いかけていて。
「分かってっから急かすな。大人の事情ってもんがここにもあんだよ。きっちり片付けて土産持って帰るから、家の掃除くらいやっとけよ?」
『ここまで待たされたんです、だから最後まで筋を通してこないと本当にぶっ飛ばしますからね』
『呆れた男ネ。どこに行ってもタダじゃいられないアルな。こっちも暇じゃないヨ、私と話す暇があったらさっさと働いてこいダメ人間!』
それは魂と呼ぶべきか、あるいは絆と言うものかは分からなかった。ただ、セイバーが背負うものを目で見えていることに感動して、全てが終わっている錯覚さえしてしまう。
本当は、あと一つ残っているのに。
セイバーの背中を蹴り飛ばす二つの影。
痛がりながら、しかし楽しそうに地面を転がる彼をよそに影がこちらへと向く。
『厨二病拗らせて英雄なんてもんになっちゃってるけど、最後の最後までこのバカをよろしくネ』
『この人、一人だとロクなことをしませんから。消える間際まで、傍で見守ってやってください。どうか────』
そんな、当たり前のことを言う二人。
彼らの願ったことはすぐに理解してしまった。
叶わなかったことだから口に出している。叶えてほしいからこうして、無念が形にまでなってしまったらしい。
「──────」
声を上げることはできなかった。見ているだけの存在が今の自分。なら手足を意識することもできず、喉など贅沢品に等しい。
そこでようやく、自分は彼らと生きている場所が違うのだということを知る。じゃあ、なぜ見えているのか。もし視覚だけが繋げられているとすれば、とても効果的な虐めというものだ。なんせ、ここまで来たのに傍観していろ、と他人事のように言い放たれているのだから。
『頼もしいお迎えも来たようですし、僕らはゆっくりとお茶でも飲んで待ちますか』
『ふふっ、そうアルな』
向こうが笑いかけてくれるのに、現実世界にいる俺は何もできない。こんなの、無表情で突っ立っていることと変わらないじゃないか。手を伸ばしても前に進まなないばかりか、彼らと差を詰めることができない。
…ならば、と。そこで俺は諦めた。この先を行くには早すぎるのだ。簡単な話だった、俺はセイバーと聖杯戦争を勝ち残っていない。新八、神楽というまだ知らないセイバーの家族が、こんなところにまで来て言った頼みごとを成し遂げる。
それをもって返事とすれば、きっと許してもらえる。
「あんな不器用な奴らでも、居なきゃ居ないで寂しくなっちまうんだ。俺の夢の残滓だろうが、笑っていりゃどこまでも変わらないもんだな」
消えていった二人の背をまだ見つめるセイバーは、名残惜しさの残る言葉を、名残惜しさの欠片も感じない抑揚で言った。
それを見て一息つく。安心した理由は簡単だ。
「ありがとよ、士郎」
「なんだそれ、気が早いぞセイバー。まだ戦いは終わってすらないだろ?」
呟いたセイバーの横顔はとても充実感に満ちていて、つい余計な口を挟んでしまった。
「ふ、あぁそうだな。まだまだこっからだ」
そこで気づいたのは、セイバーはこっちにに来ていたこと。あのままセイバーが先にズカズカと行ってしまえば、俺は本当に一人取り残されていた。
ちょっとだけ不安だった。一方的に言いたいことを残して泡沫から消えてしまったら、次に目を覚ましたときセイバーに料理を振る舞うこともできないのだから。
背中を押されて少しだけバランスを崩す。不意のことなのに心地よくて、つい笑っていた。
押し出してくれた一歩の意味を本当は分かっている。
「分かってる、俺は行くよ。あとで会おう」
ようやく全身の神経が繋がった。理想郷を遠目に眺め、大英雄に見送られた。
残された意地だけで神経を作らなければ、と考えていたから。
ここに居ると、二度と目を開けられない。
俺には勿体なくて、きっと甘受する資格もない。
誰かの正義の味方で在ろうとしたのだ、もう立ち止まることはない。
最後の戦いに向かうため、夕暮れの道を一人歩く。
そんな俺の背中を、俺は見送っていた。
「あ、れ…?」
▼
サーヴァントとは思えないほど重い両足を引きずり、一時間はかかったと心の中で思いながら士郎の家の戸を開ける。主人の帰りを待ち望んでいたように、灯り続けていた玄関の光が二人を受け入れた。
意識を失いながらも、安らかな寝息をたてる士郎を見てまた安心し、肩から降ろして一息つく。
「お疲れ様です、衛宮様は……これは、そうですか。相変わらずタフですね」
奥から出てきたセラは、士郎を見るなり事の成り行きを察したらしい素振りを見せた。驚くほどでもない、なんせ俺がよく知っている。
「こいつの我慢強さは俺でも勝てねーや。全身の筋肉がこわってるだけで済むなんざ、アヴァロンすげーよ」
″彼女たち″は話を聞かされている。
誰に?それは──────。
「…ん?イリヤが真っ先に来ると思ってたが、もう寝たのか?」
無意識のうちに聞こえていた声を、ふとした気づきが邪魔をしてくれる。
「はい、お嬢様はもうお休みになられています。ただ、どうしても衛宮様のお部屋で寝ると聞かず、今は衛宮様のお布団で寝ています。よければ別室にお布団をご用意しますが」
次の言葉を考える頃には、なにが邪魔していたのかを忘れてしまった。
「取り敢えず居間で治療して、イリヤの横に寝かせときゃオタクのワガママお嬢様も喜ぶだろ。バーサーカーは、士郎のために逝っちまったしよ」
「それは、お嬢様が一番に察しておられました。その場面は想像したくもないですね、仮にもバーサーカーの心臓を殺すほどの一撃を受けているのですから」
居間に連れていき、セラによる手当てが行われた。
だが、外も中も傷はないに等しく、形だけの包帯を胸部に巻いておくくらいしか必要なかった。最も、心臓は人間が持つそれに変わりはないと言う。
このとき聞いた話に、バーサーカーの宝具の特徴として、一度死んだ攻撃に対して強力な耐性を得るらしい。それは、バーサーカーがいない今、適用外だろうとセラは呟いていた。
そして、言葉を続ける。
サーヴァントの一部が消えたことによる反動は肉体に大きく影響し、しばらくは目を覚ませないほどに疲労している。
アーチャーとの決着に間に合うことはない、残念そうにセラは言った。
───
──
─
家の中にいると落ち着かず、うろちょろとして訪れていたのは士郎の工房。
月明かりが差し込む場所にはシートがひかれていて、そこにはスパナやスケールが中央を避けるように置かれていた。人一人が座れるだけのスペースが空いていて、ここにいないはずの士郎が鉄の棒を持ち、鍛錬をしている風景が浮かび上がる。
そんな魔術師見習いは、ランサーに殺される刹那で俺を召喚して。
ときには秘剣から救ってくれた。あのとき駆けつけてくれなかったら、五体満足で生還できなかった。
他のマスターを庇って腕に穴を開けたかと思えば、アーチャーの治療を受けて完治したこともある。思えばあれが…。
「…」
いや、あのときの士郎はすでに
鞘だという宝具には、必然的に剣が存在する。アーサー王の所有する剣、エクスカリバーが起動のきっかけならば、間違いなくアーチャーが持っていた剣がソレだ。俺は二度見た。ならアーチャーの真名は、アーサー王か…?
違う。あんなに王に似合わないヤツもそういない。
そもそもあいつは、誰かを従えたことがない。そう確信して言えるほど、微塵たりとも栄光や名誉…もっと言えば国を背負うことを知ろうとしていない。
″だから、目の前に迫る現実を受け入れなければならない″。
大きく深呼吸する。
もう思い出にふける時間もないのは分かっている。
限りある一分一秒、誰も無駄にしようとはしない。だから最後まで、一瞬ですら意識を落とすことは許されない。
「ここまできて、まさか眠っちゃうの?」
思考を遮るのは、ほくそ笑む表情が浮かんでしまうほど悪戯に満ちた声。言葉の意味を一つ一つ噛み砕いて、すぐにその意味は相手を
振り向くと、土蔵の扉を静かに開け、顔を覗かせるイリヤがいた。
「なわけねーよ。それよか狸寝入り、多分セラ達も分かってるぞ」
「いいのよ。だってこれは聖杯の持ち主を決める上で大切なことなんだもの」
できることなら、その質問は明日まで待ってほしかった。
あまり口にしたくはないし、ちょっとした弾みで俺は潰れてしまうかもしれない。
「色々と聞きたいことはあるわ。どうしてセイバーは″知れない″存在なのか、とか。どうして此処にいれるのかも。
あと、中にいる″ソレ″の正体…は、桜を見たときの様子で大体分かるからいいや」
満面の笑みでイリヤは、まるで生死の境界線が見えているとばかりに話を止めていた。
「その顔、セイバーも知らないって訳じゃなさそうね。それに、私のこともお見通し?」
「ようやく気づいた。なんかあるだろうとは思ってたよ。ただの人間がそんな魔力持ってる方がおかしいだろ」
「ふふ、ここでは聞かないから感謝してね。ただ、明日は私も行く。私が見届けないと、聖杯戦争は終わらないもの」
イリヤが来るということ。
それは、士郎が明日起きないという確信を持っての言葉だった。
───
──
─
そして。
士郎は起きることなく朝を迎え、昼を過ぎたころからは土蔵で寝転がり、表情は動くことなく夕暮れを迎えた。
外でカラスが鳴いている。
ありきたりな時刻の報せのあとに、土蔵へと近づく足音が一つ。
「晩ご飯ができたよ、セイバー」
「そうか。もうちょっとしたら行くわ」
何時間も一人でいたくせに、誰かに呼ばれるとあと数分だけ、今の空間にいたいと思ってしまう。
「ふ〜ん、ゆっくりしてて冷めてもしらないよ。作ったのはシロウなのにな〜」
「なにィ!?」
ただ、その言葉を聞くと身体が勝手に飛び起きていた。
土蔵の扉を開け、イリヤの横を駆け抜けて一直線に居間を目指す。
目を覚ましてくれるならそれでいい。ここまでの道程を話し合い、笑って飯を食べよう。そうすりゃ、また陽が地上を照らしてくれる。何事もなかったかのように、明日を迎えてくれ。
「士郎、起きたか!」
居間の食卓を囲む影は二つ、セラとリーゼリット。まるで人形のように佇み、その様子は俺と士郎を待っているのだと分かった。
食卓には肉料理、サラダ、和え物、そして味噌汁と茶碗が5つずつ。これまで見てきた光景は、暖かみを増して輪を作る。これは士郎が作ったものだ。見ただけで頬が緩んでしまう手料理の数々は、作った本人が欠けていても変わることはない。
「シロウに意識はなかったの。不意に起きてきたかと思えば、ただ黙々と料理を始めたわ。驚いて、嬉しくた飛びついちゃったけど、受け止めた私を人形のように優しく降ろしちゃうんだもん」
ぷぅ、と頬を膨らますイリヤの目は残念そうに士郎の部屋の方を見る。どうやら士郎は、料理を作っておいてまた眠りに自室に戻ったらしい。
「セイバーが出て行っちゃうのがよっぽど寂しかったんじゃないかな。じゃないと、あんなに優しい表情で調理するなんて無理よ」
「そうか…」
じゃあ、俺にできることは一つ。
食卓にあぐらをかいて座る。それに倣いイリヤも座る。
箸を手に取って両手を合わせると、今度はセラとリーゼリットも倣い両手を合わせる。
「せーの」
イリヤが元気よくタイミングを合わせ、号令する。
「「「「いただきます」」」」
食卓に並ぶ全ての思いに恥じぬよう完食すること。
───
──
─
料理は完食した。
食器は片付けた。
歯も磨いた。
ハナクソはついてない。
鼻毛は飛び出ていない。
体調は万全。
最後に、笑顔で戸を開ける。
「ちょいとケリ着けてくらぁ」
さよならは言わない。
共に、名前で呼び合えるように。
俺は、士郎が隣に来るのを待つ。
最後の戦いに向けた小休止となりました。
これからのために、一話からいくつもの伏線を書いています。次回、或いはその次の話で活かしていきたいです。