からりと晴れた冬の午後、衛宮邸の道場からは竹刀が打ち付ける音が響いていた。連続的なものではなく、小さく空振る音のあとに一度のみ。はたから聞いて分かることは、それが一本を取ったことくらいだろう。
「脇が甘いぞ。そんな振りでは、こちらは武器がなくとも相手をできる。それでよくランサーを相手に、数秒持ちこたえたな」
「くそ、言いたい放題言いやがって…分かってるよ!」
アーチャーの言葉が軽い挑発だと頭で分かっていても、手も足も出ない現状からか簡単にのせられてしまう。藤ねえとやった時は、その実力に舌を巻くばかりだった。しかし、コイツが相手だとどうにも調子が狂ってしまう。
あぁ、そうこう考えている暇はなかった。
「真正面から叩いてばかりと思うな」
左手のみというハンデの上から、アーチャーは竹刀で隙を的確に突いてくる。
速い…。反応したときには、肩に、脇腹に、手首と竹刀が叩きつけられていた。この手から武器を落とすためだけの目的で踏み込んでくる。
この速さで手を抜いているというのだから、アーチャーの剣に対する技量はもはや疑うまでもない。
「ぐっ…ぇッ!」
体重が前のめりになった一瞬に合わせ、アーチャーの竹刀が鋭利に吐き気を突いてきた。
重心が崩れていく。よろめいた一歩の最中、呼吸を忘れる。
「もうへばったのか」
「じゃねぇよアーチャー、バカヤロウ。かれこれ二時間ぶっ通しで打ち合ってんだ。いくら冬だろうが脱水症状なるっつーの」
「いや、大丈夫だ」
「いいやダメだ。倒れて集中が切れてんだろうが、ほら水だ飲め」
セイバーに肩を支えられて、自分の足腰が思ったように動かないことに気づいた。なんてこった、バーサーカーのおかげで体力は無限にあるように思ってた。やっぱり、俺の身体じゃそんなうまい話にはならないらしい。
セイバーから受け取ったペットボトルの水を飲むと、新鮮な冷たさが身体の中に浸透するようだった。
「そんなに経っていたか。よし、今日はここまで」
息が全く乱れていない。ここに、サーヴァントと人間云々は関係ない。アーチャーの剣の腕は藤ねえを上回る。もちろん、その中には俺の欲しくてたまらない目標を兼ね備えている。まるで、俺の目標点そのもの。
悠然と終わりを告げて道場の出入り口へ向かうアーチャーの背中を見ながら、気づけば…言葉が漏れていた。
「…あぁ、ありがと」
憧れじゃなく、悔しさが言葉の大半を占めていたと思う。この意味を理解しているだろうに、こう返事してきた。
「日課を忘れるなよ」
道場の戸を開けながらそう言い、俺と目を合わせてきた。
そして道場から立ち去っていくアーチャーの背中を見ながら、昼間の会話を思い出していた。
───
──
─
「衛宮 士郎、イリヤスフィールと寝ろ」
アーチャーの言葉に最初に反応したのはセラだった。
「アーチャー、どういうお考えでそのようなことを口にするのですか。いいえ、理由がどうであれ論外!」
「落ち着けアインツベルンの従者」
「戯言であれど、侮辱とも受け取れる内容を聞き流すはずがないでしょう」
なだめるアーチャーの言葉は意味を持たない。恐らく結論から言ったのだろう。これまでの経験からなんとなくそう思ったが、セラやイリヤが知ることはできない。
だが、理由さえ分かれば話は転がるだろう、と助け舟を出そうとしたところで。
「セラ、事によっては私も拒否するわ。けどね、内容を聞いてみましょう。貴女たちの考えを無下にはしないもの」
「…イリヤ」
意外にもイリヤがそう言ったのだ。
内容に嫌な顔の一つせずに、真剣にそうなだめる姿にセラは何かを感じたのだろう。分かりました、と居間の隅にさがった。
当たっていた。イリヤの期待に応えるように、アーチャーは淡々と。盲点と言える角度の返事を持ってきた。
「結論から言おう。エクスカリバーを投影できるかどうか、という意味だ」
静まり返る居間、ただ一人。俺だけが真っ先にアーチャーの言葉の意味を噛み砕いて理解した。
「投影って投影魔術のことよね。強化の魔術しかできない衛宮くんに、今から投影魔術を教えようってわけ?」
「それはこいつに聞いた方が早い。土蔵を見たよ、あそこに置かれているガラクタの中に贋作物がいくつもあった。それも、魔力で作られたものだ」
不思議と違和感がなかった。
あぁ、こいつなら分かってる。だから着眼点をここに落としたんだろう、と脳が考えるより先に納得していた。
「確かに投影魔術はできる。ていうか、一番最初にできたのがソレだよ。けどさ、完成度は最低も最低。せいぜい外見をトレースするだけで、中身はすっからかんだけどな」
「そりゃあ、投影魔術で作ったものは本物から一段劣るものよ。なにより、投影と強化なら効率云々を踏まえて強化の道を選ばせる」
「あぁ、オヤジもそうしろって。強化なら少しは役に立つからこっちを勧められた」
「そこに関しては同意ね。魔術の儀式に使う道具を、使い捨てできるようにあるもんだし。それに、投影したものっていわば小粒の氷なの。冷凍庫から出して大気に晒せば溶けるように、投影したものって時間とともに魔力が散っていくから……」
遠坂の声が段々と小さくなる。
とても嫌な雰囲気だ。なにも起きていないはずの居間が、チリと焼け焦げたような音を立てる…そんな気がした。
「ねぇシロウ、土蔵に置いてあったってことは、投影して時間が経ったものなの?」
「あぁ、長くて2.3年はあるぞ。それ以前のやつは、邪魔だから壊したりして片付けた」
あぁ、馬鹿正直に答える自分が憎い!
「ヒッ…」
この場で、嘘を吐いた瞬間、この身がボロ雑巾のごとく豹変する。そう錯覚させるほど、遠坂がこちらに射殺す微笑みを向けていたのだ。
「ねぇ衛宮くん、その投影したもの見せて」
「いや、えっと…」
「悪いな士郎、勝手に持ってきちまった」
「ぁぁぁ…!」
遠坂の要求にセイバーは間髪入れずに、土蔵でこの手で投影したツボの一つを提供した。
それを見て、触れて、二度頷くや声を上げる。
「うそ……!確かにこれ、投影魔術で作ったもの……?魔力でできてる。なのに、数年も土蔵に置きっ放しだっていうの?」
「…なんだよ、そんなに驚いて。当たり前じゃないか、まず基本骨子から想定して構造ていくんだぞ。いくら偽物でも、そう簡単に壊れてたまるか」
「こ、構造………!?」
だけどおかしい。
それだと、遠坂の説明と噛み合わない。
「衛宮くん、ちょっと見せて」
「えっと、なにを」
「話の流れから察しろ!投影よ投影、ちょっとここでやってみせて」
うっ…。
▶︎いつもの調子がでない。今はやるべきじゃない…。
▷やってやろうじゃねぇか!!
…ダメだ、こんな大人数の前で投影した試しがないせいか集中できない。せめて土蔵でやりたい。
「できるけど、すまん。今はちょっと集中できそうにないから、後で一人で確かめさせてくれ」
「ダメ」
と、音速で返答される。
「一度解散してからでもいいだろう。この状況、衛宮 士郎に多少の同情はする。つまるところ」
「…」
「フ、これ以上は言うまい」
あ、こいつはぐらかした。
「それでぇ、アーチャァァ…。話が長くなったけど、まさか…」
「そのまさかだ。サーヴァントは夢を見ない。だが、マスターは別だろう?」
「……そうね。ってそうじゃない!なに言ってんのアンタ…まさかバーサーカーの心臓を介してイリヤの記憶を覗けって?仮にそう考えるなら、士郎はサーヴァント枠じゃない。夢なんて無理な話よ」
「凛こそなにを言ってるんだ、この男はセイバーのマスターだ。ついでにバーサーカーも身体の中にいるというのだ、ものは試しさ」
「メチャクチャな理論だって分かってる?」
俺の分からない場所で話がどんどん進んでいく。
「おい夫婦漫才なら他所でやってくれよ、俺ぁカップルのイチャイチャ見たくてここにいるんじゃねてんだぞ」
「誰が夫婦か!!」
「ふーん、なるほどね」
イリヤも納得がいったらしい。
セイバーは、はなから理解を諦めているっぽいが。
「一度、アヴァロンなるものを見てみないことにはどうにもならない」
「都合が良すぎる。いいえ、この域の投影なんて聞いたことない」
「可能性の話だよ。ここに転がっているなら、寝てる間でも利用するべきだ」
「おい、待ってくれ。勝手に話を進めてるけど、なにがなんやら。分かるように教えてくれ」
無理やり中断させると、手短にとアーチャーが答えてくれた。
「サーヴァントを従えるマスターは、寝たときにサーヴァントの記憶を観ることがある。どこの風景かは、サーヴァントとの繋がり次第だろうが、そう珍しいものではないと聞く。今の状態なら、似たような現象が起こりうるかもしれない」
「…夢?」
「あぁ。パスが繋がっているセイバーの夢なら、意図せず見てしまうことはある。だが見たいのはイリヤスフィールが見たというアーサー王の剣ときた」
「ややこしいな……」
つまり、要約すると。
「衛宮 士郎、お前はバーサーカーを介してイリヤスフィールからアーサー王を見るんだ」
こうなるわけか。
「いいわ、やりましょう。一緒に寝るついでだもの、ちようどいいじゃない!」
「ハァ…」
セラのため息は最後の抵抗だったが、はしゃぐイリヤを前には意味を成さなかった。
─
──
───
「宝具…。エクスカリバー…」
何かがつっかえていることを感じる。
一体、なんだろう。
───このとき見落としていたことは、多分…
アーサー王から連想していた前提だ───
▼
夜、土蔵の門を開ける。
「昨日はサボっちまったから日課はやらないとな」
中に入りいつもの定位置に座る。
別に、アーチャーに言われたからではない。日課の鍛錬は、毎日欠かさずやってきた。
魔術回路の生成をする必要がない今、強化することは容易いはずだ。バーサーカーの心臓は、体内を多少掻き乱してはいるものの、長年繰り返してきた死と隣り合わせの鍛錬からすれば痒い程度だ。
やるべきことが今は違った。
目を閉じる。
思い描くのは…アーチャーが扱う刀。
どうしてだろう、真っ先に思い浮かんだのがそれだった。他に理由はない。
「っ…なんか違うぞ」
目を開ける。手に握っていた刀は、確かにあの夜、あいつがランサーと戦っていたときに持っていたものだ。
おそらくは、二、三度振ってしまえば折れてしまう。本物には遠く及ばない贋作物。持てば分かる、なんて脆弱な刀身だろう。
「宝具の投影は難なくできるか」
「…いたのか」
「分かっていただろう」
霊体化していたアーチャーが側に立つ。
セラの作った夕飯を食べた後、遠坂とアーチャーは帰ったはず。
「おい、遠坂は大丈夫なのか」
「凛なら外で待っている。先ほどまでこの周辺を散歩していてね。帰りすがら、ここに立ち寄ったまでだ」
「変なやつめ」
「言われずとも、すぐに帰るさ。凛にもそう言ってここにいるからな」
遠坂も相当苦労してることだろう。
こいつの単独行動っぷりに、そろそろ令呪の一つでも使うんじゃないだろうか。
「ただ投影するだけでどうする。フン、荒さが目立つな」
「この使い手のアンタには申し訳ない出来だ…。試しにと思ったけど」
「いや違う。想定が甘い、余分が多すぎる」
「………あ………!」
それは、意外だった。てっきり、罵倒の一つでもしてくると思ったが…。的確に、納得のいくアドバイスを貰えるとは。
「本来、宝具の投影、しいては持続させることなんて全土探し回ってもいない。ゆえに、魔術回路を見たときから薄々勘付いてはいた」
少ない言葉でも、多くの意味を知れた。一を聞いて十を知る、とにたものだろう。
「お前の魔力は、剣との相性がいいらしい。宝具を含めてね。ならば、せめてお前にできることだけを考えろ。戦う相手を間違えるな」
「俺に、できること…」
「誰と戦っているかは考えるまでもない。それは───」
言いたいことを終えたのか、アーチャーは土蔵を出ていった。
「俺のイメージ、か」
最後に残した言葉を、しばらく土蔵に寝転がりながら考えた。
作品で、士郎は投影魔術を使いました。少しだけ予定を繰り上げています。現段階は下準備、あと数話は夢についても触れていきたいと思います。
ちなみに、これまでセイバーの夢を見た回数は1回です。