キャスターからの魔術で、痛烈な感覚に襲われた光景が過ぎる。
かと思えば、一気に視界が反転し、気づけば。
「……は?」
以前、どこかで見たことのある景色があり、ふと見渡せば誰もいない廃墟同然の場所に立っていた。窓ガラスは欠落ち、外から舞い込む砂塵が乾いた雰囲気を際立たせる。
閑散としていて、人々の気配が建物の中に潜む世界。殺風景で、ガラクタのように放置された、砂埃の舞う町。陽が昇りきっているにも関わらず、ここは闇に怯えている気がした。
知らない土地だ。ここに来た覚えもない。ただ、離れようとはどうしても思わない。両手両足が動かせる。思い通りにいくが、空中を飛んだりといった人離れしたことはできない。
夢とも思えなかった。なのに、俺は確信している。ざっくばらんに意識がそうであると。現実ではないと、ここが独りの世界だと言っている。
「じゃあ、どこなんだ」
思わず呟いた。
直感だけで決めつけるのはどうだろう。手足が動かせる以上、移動する他ない。ここでやれることは、それ以外にない。
ここがどういった建物なのかは知らない。分かるはずがない。律儀に並べられた大量のデスクやPC、これでもかと見せつけるように壁に沿って並ぶ書類棚から、大手会社の事務所だと予想するくらいだ。
デスクの上などは埃まみれで、人が使っていた痕跡は数年前だと分かる。
天井は所々破れ、酷いところは電線が剥き出しになっていた。部屋の隅を見ると、ボルトの一部分が錆びてバカになってだろうか。鉄骨らしきものが天井を突き抜けて床を破壊している。
あまりの放置具合に言葉が出ない。外に出れば、一体どれだけ時が止まっているのだろう。
そんな酷い有り様に、床への配慮が疎かになっていた。
丸い何かを踏んでしまい、大きく視界が回る。
「うおぁ!?」
不意ではあったが、すぐ横のデスクに右手でもたれかかることで、派手に転ばなくて済んだ。カランという音から、ビンのようなものだと思い下を確認すると、想像を軽く超える量の空き瓶が床一面に転がっている。
「なんだ、このアルコール瓶の空の山。藤村組の若人集でもこんなに呑まないぞ…」
一段と異質な光景。
何十人もの酒豪が宴でもしたかのようだ。デスクの上にはない。乱雑に、投げ捨てるように酒柄がプリントされた数々のアルコール瓶が床だけに散乱、あるいは割れて捨てられている。
よく見れば、アルコール瓶も薄らと埃を被っている。一体、ここで何が起こったのか。まさか、廃墟でどんちゃん騒ぎというわけでもないだろう…否定はできないが。
困惑するも、ここでとどまる訳にもいかない。デスクを触ったためについてしまった埃を払うため、軽く服で拭おうとして、何かが違うと感じた。
なぜ気づかなかったのか。
ゴツゴツした感触。いつすり替えられたかすら分からない。思わず目を見開いて、二度確認してしまった。
手でもたれかかっていた物が、デスクから、コンクリートの瓦礫の山になっている。見間違うはずがない。数秒、思考が巡り自己完結する。ここが夢だと考えたときから、別にこういうことはあっても可笑しくはない……。
「……すごい。一瞬で場所が変わってる」
驚くようなことではなかった。いや、正確には…場所の移動を分かっていたかもしれない、という表現が正しい。
ここは、見たことがないのではなく、いつか見る景色。ふと、そんな感覚で掴んでいる自分がいるのに気がついた。理由はない、直感というものに近い。自然と、疑問にすら至れなくなっていた。
間もなく、視線を上げる。
このフロアは、全体的に薄暗い。だから、自然と注目する場所がある。
「誰かいる」
視線を、陽が差し込む方へと向けた。
誰かが立つ足元はボロボロで、一歩先に柵もなければガラス張りなはずもなく。ここが地上100mはあるだろうに、ボーッと外を眺めていた。
……眺めていた、というのは想像でしかない。なぜなら、その人物の全身はボロ布のマントと、肩幅よりも大きな菅笠によって何も読み取れないのだ。更に、あちこちに貼られている呪符のようなものが、まるでパンドラの箱のように触れてはいけない物と思わさせる。
怖くはないのか?
「あの、すみません」
返事はない。
「……?あの〜、そこ、危ないですよ」
驚かせる勢いで呼んでも、ピクリともしない。
それならば、と足下に注意を払いながら近寄る。禍々しい装飾ではあるが、不思議と警戒心は湧かない。
そもそも、この場所に誰かがいるというだけで、普通ではない。自分がそうなのだ、むしろ親しみを感じる。
「大丈夫、ですか?」
わざとらしく、ザッと音をたてて横に立つ。足下のコンクリートが崩れやしないかとヒヤリとしたが、案外丈夫らしい。軋む音一つ聞こえない。
それから何度も声をかけた。
しかし返事はない。ずっと外を眺め、たまに荒廃した町へと視線を落とす。
なにを見ているのか、あそこになにがあるのだろう。この人と同じように、砂塵が道を闊歩する町を見る。分かるはずもない。
…が。色合いを失ったあれらがかつて、賑わいを見せたのであろう痕を想像することはできる。
今はもう落ちそうな看板は、周囲の建物より頭一つ飛びぬけており、この町一番のショッピングモールだろうか。
俺の知る商店街より大きな通りには、都市を思わせる店が並ぶ。
コンクリートの建物もあれば、商店街から徒歩数分程度離れた場所には水墨画でみたことのある長屋が建ち並んでいる。
そして、これらを一望できるこの建物にこそ驚く。一体、何を目的にしたものなのか。
そんなもの、分かるはずもなかった。ただ今の現状言うなれば、何もない。ゆえに、平和だ。
「あぁ、今日も江戸の町は変わんねぇな」
「えっ」
その声は、疲れたようにも、昔を懐かしんでいるとも受けとれる男性の心だった。
包帯とボロボロのマントで身を包む男性は、菅笠を押し上げてただ空を見上げる。
失礼だというのは分かっている。それでも、男性の顔を覗かずにはいられなかった。なぜなら、パートナーの声なのだ。聞き間違うはずがない。
「セイバー…?」
伸びに伸びた銀色の天然パーマは、目元を覆う勢いだ。自分の知る彼とは少し違う。しかし、ボリュームのあるソレを抑えつける、顔全体に巻かれているボロく血生臭い包帯のお陰でハッキリと分かる。
普段の姿からは想像もできない、無気力な目。最期を待つような姿勢が、自分の思い違いではないことが嫌にも理解できる。
この目を知っている。
切嗣が息を引き取る前と同じだ。どちらか優劣はなく、この重さは底なし沼の如く。
もしそうなら、聖杯戦争に参加したセイバーの理由は。俺が思うほど、良い結末にはならないのではないか。一抹の不安を抱いた直後。
「あぁ…そろそろ、だな。◆◆の悪は、テメェで締めねぇとよ」
セイバーの声が遠くなる。
意識が、内と外から撹拌される。何事かと思えば、身体が熱い。これは、耐えきれない。とてもじゃないが、立つことすらままならない。
おかしい、夢の中である自覚があるのに、生身の人間と変わらないじゃないか。ここで、醒めるのは都合が良すぎる。頼む、俺の声を聞いてくれ。
「まっ……てく、れ」
徐々に広がるソレは、風邪に似ている。意識が朦朧とし始める。まるで熱のようだ。すぐに全身に張り巡り、視界が霧散した。
セイバーは、独りなのか…?
胸の内で呟いたことは、きっと覚えていないだろう。
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淡い灯りが、こちらのペースに合わせて意識を引き上げる。完全な覚醒とはいかないのか、身体の感覚が鈍く感じる。やけに暑い……いや、これは自分の体温が熱いのか。肌で感じる温度はひんやりと気持ちいいくらいだ。
どういうことだ、と目を開ける。すると、いかにも高級そうな天井が広がっていた。
「ここ、は……?」
あまりの特異点っぷりに、まだ夢の中にいるのかと疑ってしまう。
あとを引く眠気に負けじと、上半身を無理やり起こそうとして、身体に誰かが添うようにして寝息を立てているのに気がついた。
鈍い感覚でさえ分かるくらいの暖かさ。くーくー、と年相応の寝顔を見せるイリヤの顔を見て、ほっと一安心する。
「イリヤ……無事でよかった」
ここは、アインツベルン城。イリヤに食事に招かれて、郊外の森に入ったらセラっていうメイドにバイクで攫われて。それで……そう、慎二。イリヤは無事だ、けど慎二はあれからどうなった?
「身体の調子はどうだ。食指に感覚はあるか?痺れはないか?特に、腹部に違和感は?」
突然の声に、空気が固まった。浮かんだ疑問が吹き飛んだ、気がした。
声のする方向を見たくもない。そもそも、なぜ気づかなかったのか。それは、コイツが霊体化でもしていたからだろう。
「お、お前……なんでここにいるんだ、アーチャー」
「微笑ましいところ悪いが、絵面的にそれ以上はやめておけ?」
「何が!?答えになってない!」
「ならば貴様も返事をすればよかろう」
ペースが乱されるなんてものじゃない。こいつ、やり方がきたないぞ。
そういえぼ、イリヤのときもだった。とてもやりにくいし、なにか間違ってる。
「………体温が高い。とにかく普通じゃないのは分かるけど、熱みたいに身体の融通が利かないなんてことはない。むしろ、体力があり余ってる感じだ」
「そうか、まずは元気そうで何よりだ。その状態なら正常だから、安心して明日からに臨むがいい」
それくらい見れば分かるだろう、と言いたくなるような返事を聞いて少し間を置いて疑問符が浮かんだ。臨むってどういう意味だよ。
「明日から何だって?」
するとアーチャーは、両腕を組みサラリと告げた。
「ふむ、あと五日足らずでお前は死ぬ」
「そうか。……いや、そうかじゃない!おい待て、勝手に人を殺すな!」
「結から言ったのだ、結から!勿体ぶっても、話が長いだのホーム○ぶるなよ、と言うだろうが貴様は!」
カッと目を見開き、力説されてしまう。
どんな決めつけだ、だいたいアンタは段取りがおかしいんだよ。などと言ってやりたいが、頭がクラクラしてきたのでやめる。それに、まずは話を聞かないと。
なぜ死ぬのか、そして慎二はどうなったのか。セイバーは、どこだ。諸々の疑問を、さっさと片付けたい。無駄な言い合いはやめよう。
「分かった、分かったから。話を続けてくれ。どうして俺は、五日で死ぬことになってるんだ?」
「衛宮 士郎の身体の二割程度はバーサーカー、かの有名な大英雄ヘラクレスの心臓によって活動中だ」
ドクリ、心臓の鼓動が耳に届く。
途端に、胸の辺りから熱が発生していると脳が理解し始め、更に意識が揺れた。
「は?」
「アインツベルンの従者から聞いた話だが、その胸を見れば大方は分かる。その胸には、ヘラクレスの霊気が刻まれている」
そうだ、どうして忘れていた。俺は、キャスターの魔術によって胸に穴を空けられた。助かる余地がない、致命傷だと自分でも分かる。
忘れていた痛みを思い出したのか、身体が急に重くなる。起きたと思えば、また眠りに就こうとする。
「そのときの欠損は致命傷。しかし、大英雄へとイリヤスフィールは願った。衛宮 士郎を助けてくれ、とね」
予想を遥か越える事実に、胸が痛くなる。
こんな自分が、誰かの命を引き換えにしてまだ生きているのか?
「正直、信じがたいことだが奇跡と言うほかあるまい。ヘラクレスほどの核を、凡百以下の魔術師がキャパオーバーで死ぬどころか、絶命から生き長らえるまでに回復しているのだ」
「ヘラクレスの、心臓が…」
ようやく身体がハッキリしてきたのに、どうしても疲れが溢れ出る。俺の身体の所々が、しっくりこない。つまりこれが、ヘラクレスが施してくれた痕だっていうのか。
どうして…
「が、正規の霊気をいつまでも受け入れられるほどの器は、お前にはない。当然だ、本物に憧れて後を追うことしか能がない、所詮裏方の人間なのだからな」
起こしていた上半身が、自然と横たわる。
視界も掠れて、なにかも減っていく中。アーチャーが強く呼ぶものだから、せめてそれを聞き届けてから休もうと気を張る。なぜって、自分でも分からない。
ただ、真剣に声を届けようとしていたから…だ。
「よもや、誰かの命と引き換えに生きていて申し訳ない、などと考えているのではなかろうな。それは、贅沢すぎる。何より、お前の勘違いだ」
嫌みたらしく言う。視覚からの情報があれば、もっと理解を深められる気がするが、もう開けることもままならない。
「イリヤスフィールの願いは、結果、延命治療となった。今死ぬか、僅かな猶予を設けるかの違い。例え、その猶予の中でお前が死ぬことになろうとも、彼女は正義のヒーローを選んだ」
すぐ横で寝息を立てるイリヤの手が、俺の手を握る。無意識のうちにやっていることだろうけど、ドキリとした。
アーチャーの言葉は憶測に過ぎない。イリヤがこいつに話すとは思えない、いや、話さないと断言できる。けど、握られた手から、間違いじゃないと。肯定したように思えてしまう。
「ヘラクレスはそれを異論なく受け入れた。その真意は定かではない、なにせバーサーカーというクラスなのだ。いっときの情に任せたのか、令呪だから仕方なくかは知らん」
…お前になにが分かるっていうんだ…。
「ま、
あとは、お前次第だ」
だけど、不器用なりにコイツの言いたいことが全て分かってしまう。要するに、効いた…。
あぁ、
……絶対に、イリヤを……護る。
▼
「アホめ、興奮するから眠気に負けるんだ」
そう呟くも、返事はない。深く眠りについたと分かる。
「しかし、やってくれるじゃないかバーサーカー。まさか、手を抜いた分をコイツに渡してやるとはね」
聖杯戦争が始まった夜のことを月明かりに写しながら、眠る二人の布団を掛けなおして、アインツベルン城をあとにした。
「じきにセイバーも戻る。明日から、私とセイバーで訓練を行う。せいぜいイメージだけでもしておけ。この聖杯戦争を生き抜く自分のことを」