夜の街灯が歩道の陰りを浮かべる。
人の気配は家の中へと潜み、闇を彷徨う異変のことを忘れようとしていた。人の手に余る世界だと、胸の奥底で感じ取ったのだから仕方ない。
妖怪は命を求めて彷徨い、明日に繋がる。日に日に犠牲者が増え、片や悪が生き延びる。少年の想いを踏みにじり、無実の少女は鉄の檻から空を眺める。
蔓延る蟲に、声を聞かせる。
果たして人であるのか、人の皮を被った別のものか。少年の依頼を叶えるために、今、妄執の館の門を開けた。
「お主の活躍は、途中まで見ておったぞ」
古い鉄の音と共に、館の主人、間桐 臓硯が扉の奥から現れる。
人が歳を重ねたようには見えない。
「キャスターのやつが現れてからは、ワシの蟲たちとの接続が切れてしまったが。慎二めが病院から一報入れてきた内容には、腰を抜かしたわ。新しくサーヴァントと契約したとはな」
誘われるまま中に入る。光が嫌いなのか、薄暗く、幽霊屋敷のようだ。
右手には年季の入った杖。
コツ、コツとその肉体を支える音と共に館の奥へと進んでいく。
「三度その命を繋ごうとは思いもしなかった」
臓硯の言葉に、返すものはない。独り言かは分からない。ただ聞かせているだけで、こちらの反応を伺っているのか。恐れを、執念で捻じ曲げてきた存在。
「慎二、お前の醜態は長年生きたワシですら見たことの無い曲芸じゃった」
一つの部屋に入る。幾多もの扉を通り過ぎて開いた場所は、書斎。奥の机の前に立ち、ソイツは嗤う。
「さて聞こう。セイバーよ、次回の聖杯戦争に参加する気はないか?」
「次回…?」
「そうだ。この聖杯戦争は既に、勝負が見えておる。中々厳しかろう、キャスターは、ランサーにアサシンを従えている。どちらも一筋縄ではいかん」
この身になって、寒気を感じた。
本気の言葉、実行するだけの執念を持っている。最早、人間が抱く執着心を越えた根性論とでもいうべきか。その魂を摩耗させながら、この臓硯という男は生きることを望んでいる。
「お前さん、だからあのマスターを捨て、慎二の狂言に耳を貸したのだろう。安心しろ、現界するだけの魔力は十分に用意できるし、望むものを可能な限り用意しよう。
第六次聖杯戦争までの休養は保証する。その力があれば、次は負けはしないぜ」
…ここまできてなぜ、分かってやれなかったのか。
「返事は……そうさな、真名で返してくれ」
家族の、兄の声はもう届かないと知る。
欲望に忠実なのは結構、だが人として破綻してはただの化け物だ。
「セイバー、坂田 銀時ってんだ」
「…なに?」
坂田 銀時、その名前は世界には存在しない。
金時なら、呑込めるだろう。有名な昔話、金太郎その人。だが、彼は違う。銀時なのだから。
「万事屋として、依頼を受けて来た」
「坂田 銀時………万事屋?ホラを吹いても構わんが、そんな名前の人物も、職業も点で聞いたことがない。もちっとマシな事を言えば、茶を濁せるぞ?」
「はっ、別にジジィの話し相手に来たんじゃねえよ。言ったぜ?アンタに対する返事で、これは依頼だってよ。オタクの孫のな」
淀んだ空気に、亀裂が入る。
銀時の態度は、相手をおちょくるようにも、突き放すようにすら見える。
ではない、その男の顔は確かに。
「男の涙に興味なんざねぇが、そいつが女絡みってんなら話は別だと思って愚痴に付き合ってみりゃあなんて事はねぇ」
ここからは祭りだと言わんばかりに、不敵に笑っていた。
「アンタ、こう言ったんだってな。聖杯もってこい、それが駄目ならサーヴァントを連れてこいって」
「…いかにも。お主、慎二から何を吹き込まれてきた」
「いやなに、妖怪退治を頼まれてな。この目で見るまでは断ってやろうかと思ったが、まさか本当にいやがるとはなぁ。ションベンちびりそうになっちまったぜ」
それは宣戦布告。
無造作に振り撒く妖怪の声に、館が震える。
生きるものの魂を求める吸魂欲求のみに思考を任せ、それは動く。
地下から、天井から。蟲を守らんと蠢く闇を這う虫けら。四方から現れ、銀時を囲う。握り拳の大きさもあるそれら数百、数千が瞬く間に飛び掛かり銀時の姿を覆う。
「話が違う…慎二は、桜を捨て去ったというのか?」
臓硯は訝しんだ。
己に逆らえばどうなるか、慎二が分からないはずがない。アレは完璧に敵わないことを知っている。自身の、桜の身に即座に死の手が伸びることを分かっているはずと。
だから英雄王をここに連れてこない…そのはず。
じゃあ、別人と話をしていたのでもいうのか。
そんな例えを考えた所で。
「あん、話が違うだぁ?そりゃそうだ。ここに電話入れたのも、慎二の声で話してたのも」
あっという間に虫けらが散っていく。何百年と生きる身であれど、サーヴァントには勝てない。故に、交渉の材料さえあればいい。人質は、サーヴァントを止める手段だ。
「ウチんとこの鬼だ」
「なに…」
儚くも、
「銀時様、お連れしやした」
「ご苦労さん」
「な、なんじゃお前は……ッ!」
臓硯の考えは無に終わる。
扉の向こうから現れた少女は、桜を抱き抱えていた。意識はないが、息はある。
「あっしには薄らとしか感じ取れませんが、この娘の中はだいぶ穢れてますね。これを全て取り除くと言うのであれば、あっしよりも……」
「おいおい、何処まで乙女の純情弄んでんだよこの爺さんは」
「さぁ?少なくともその身体、百年や二百年生きただけじゃ出てこない臭いが漂ってますから。これはもう、怨念とか執念の類の悪霊と言ってもおかしくありやせん。
乙女のヴァージンの一つや二つ破った程度じゃ、こうはいきませんね。その歳で、そこいらの性悪よりハッスルしてる畜生ときたからタチが悪い」
臓硯が見ても身震いする程の、歪な存在だった。
鬼と呼ばれた者の瞳は酷く黒く、血の色を想像させる。底の深さでいえば、臓硯が浅く見えてしまうほどの業。
追い詰められた。臓硯には、なぜ他のマスターに仕えるサーヴァントが慎二の頼みを聞いているのか理解できなかった。万事屋など、わかるはずもない。
「どうやって延命してるかは分かりませんが、人の姿をしただけの別のモノによって生きる亡者。情けも命乞いも、アンタには与え願う資格すらない」
「ぃやぁ、若い娘さんと思いきやその身体、一体何年生きておる?その気配、落ち着きよう、普通じゃねえよ。こっちがチビりそうになる」
依頼されればドブ掃除から犬の散歩、果ては地球の危機すらも解決する。そんな、規格外のバカを、知る由も無い。
「桜を、儂の作品に何をするつもりだ?」
「…おう、そんじゃ始めるかぁ。その嬢ちゃんの護衛は任せるぜ、外道丸」
「了解、報酬はこの娘の肝で十分ですので。さっさと終わらせてください」
「いや、それじゃ助ける意味ねぇだろうがぁぁ!!」
「助ける…?桜を…?」
小さな声は、目の前の二人には届くことのないもので。
「妹の為に身体張ったバカな兄貴の依頼だ。捻くれて捩れて、最悪の環境の中で辿り着いた最底辺。ソイツはきっと、上を目指すことしか考えてなかった。天に向かって登れば、底から引き上げられるって信じて疑わなかった」
故に。
問題はないと、臓硯は己が肉体が滅ぶことを良しとした。
「そりゃそうだわ。一番底にこんなキッタねえジジイがいんだからな、せめて命に代えてでも掬い上げた奴には綺麗な陽の光を浴びせたいに決まってらぁ」
何故なら、この臓硯は臓硯の写し鏡のような存在。
「ドン底でまだ足掻いて、みっともなく涙流してガラでもなく叫んで。……やっとこさSOSは表に浮かんだ。
あの金髪ストパー野郎は知ってたんだろうな。知った上で、自力で妹を助けようとする兄貴の姿を見守ってたのさ」
″どちらか″が死のうとも、片方が生きていればいい。
「妹の為に涙流す奴をバカにすんな。無駄な足掻きなんかじゃねえよ。地べた這いつくばって、泥水浴びながら掴んだ最後の武器だぜ。
そりゃあ……邪が出てきちまってもおかしくねえ。
何故かって顔だな?簡単だ、鬼でも分かる。類は友を呼ぶってことわざ、知ってるだろ?」
心の中で、ほくそ笑んだ。
間桐 臓硯の身体とは別に、もう一つ。とっておきにして、およそ取り除くことの出来ない場所。間桐 桜の心臓にこそ、臓硯の魂と呼べる部分が隠されているのだ。
故に、問題はない。間桐 臓硯という身体が消された後で、また生まれ変わればいい。
「儂を殺して、慎二の気が済むなら好きにするがいい……」
「さて。どうなるかは、専門家に聞かねーとな」
館が静まり返る。
「…これは」
セイバーから発生する光。
虹色に輝きながらも、尚も目立つ銀色の存在。館中の蟲が怯え、一目散に外へと散っていく。聖なるもの、清らかな光に耐えられず、消えていく蟲もいる。
「宝具解放、
否。セイバーから発生するものではない。
セイバーはただ、呼んでいるだけ。誰かに向けて、声を掛けただけにすぎない。問題は、その人物が間桐 臓硯にとって最悪の存在であること。対極に位置し、生涯を賭したとしても届かない栄光。
「承った──」
これが、坂田 銀時がサーヴァントたる証。
「思い違うな、生きとし生ける者を喰らう存在よ。貴様は、兄の想いを軽く見すぎている」
臓硯の真横に突如として現れたサーヴァント。
神秘にして、臓硯の屋敷を覆う聖の光を放つ存在。横に立っただけで、臓硯の中身が浄化していく。生への執着心などたちまち忘れ、聖なる光にされるがまま。
晴明にとっては、たかが数百年の呪いなど、相手にもならない。
「ぐ…あぁっ!?」
「他ならぬ貴様の頼みだ。依頼の殆どを私に投げるのは納得が行かんが、これが最善であるのは間違いないからな。
さて、貴様には小一時間と言わず、魔力の許す限り妹の素晴らしさを身をもって教えてやりたいが。最早、聞きうるだけの表現は無意味だろう。せめて一刻も早く、楽にしてやる」
五芒星が間桐邸を照らす。
一瞬にして、間桐邸の闇が浄化される。
あっという間に、臓硯を残すだけとなった。
「お嬢さん、安心しなさい。兄のことで苦しみ思い悩む日は、今夜で終わりだ。結野 晴明がこの風情のない闇を祓ってみせよう」
「ば、かな…バカなバカな馬鹿な…お前のマスターにそのような魔力がある訳がない!笑わせるなよ、お主とて魂喰いをしたな」
「さて?確かに俺のマスターじゃあ無理だな、これがなかったらの話だけど」
銀時は懐から、本を取り出した。
「アーチャーの魔道書…おのれ、使い魔ごときが」
その魔道書には、膨大な魔力が備わっている。
英雄王の遺したものにして、慎二からの報酬。最後の賭けは、ついに勝ちを掴んだ。
「妹を大切に想う気持ち、しかとこの結野 晴明が受け止めた。……この世から発つ前に一つ教えてやろう。
妹の為に死地に赴く兄の執念は、歳を重ねるだけでは勝てん。誰かのために、妹のために戦う兄というのは、常に掻き消えぬ炎を宿している。妹萌えは、不滅だ」
慎二に対する、晴明の共感は最高なものだった。
ここまでして、妹を助けたい。無力なはずなのに、それでも難題に挑んだ精神。慎二の、長年にわたる屈辱と後悔を、痛いほど理解していた。
故に、彼が召喚を拒む理由など、どこにもなかった。
「そこの少女の中身も含めて、ここで外道なる連鎖は断ち切る」
「…ッ、貴様ァ!!」
結野 晴明が桜の身体に五芒星を刻み込み、詠唱する。
それだけで、臓硯の魂が簡単に浄化されていく。
「が、ぎ、ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「眠るがいい、妄執の妖怪。これ以上、人から離れる必要もなかろう」
夜の百鬼に、少年の執念が届いた。
家系を巡る、一つの呪いに終止符が打たれた夜。
間桐の闇は、もうどこにもない。
───
──
─
意識の覚醒と共に、白い天井が視界に映る。
窓から差し込む光が、昼かそこらだと教えてくれた。
全身が酷く痛い。しかし、今はそれどころじゃなかった。
「セ、セイバーッ!ゴホッ…」
依頼は、どうなったのか。
僕の最後の賭けは、結果は。
「ダメじゃないですか兄さん!病人なのに急に起き上がるなんて……今は、ゆっくりと休んでください」
「……桜……?」
落ち着かせるように肩に手を乗せて、ベットの横で立ち上がっている桜の姿を見て固まった。
ゆっくりと起き上がった身体を、再び横に寝かせてくれる人物に、ただ呆然としているだけ。
「はい、自慢の兄の妹、桜ですよ。おはようございます、兄さん」
「お、お、……あぁ、おはよう」
……これだけで、分かるはずがない。ただ、桜がいるだけ。……この表情を見ると、そうは思えない……けど、現状を飲み込めない。
こちらから聞くのは、無理だ。
「な、なんでお前ここにいんの……ほら色々とあるだアイダっ!?」
くぐもった、情けない声で対応しようとして、頭を何者かが殴ったような感覚に襲われる。
周囲を見渡しても、桜以外は誰も……
「あ…」
窓の外、正確にはベランダのところに何食わぬ顔でセイバー、銀時が立っていた。しかし何の偶然か、カーテンがバサリと揺れた次の瞬間には、その姿はもうなく。
「本当に……セイバーのやつ、マジで依頼を受けたっていうのかよ……ふ、はは」
漸く、桜は助かったのだと確信した。
そう分かると、一気に気が緩んでしまい…
「なぁ、身体の調子はどうだ」
「えぇ、もうバッチリですよ。まだ少しだけ疲れが取れないけど、兄さんが退院してくれたらそれも無くなっちゃいます」
「ふ……そうかよ。まだバッチリじゃないのか」
笑い泣きか。視界が歪んで声がうるんだせいで、泣いているのを分かって桜から見えないよう反対を向く。
そこに桜は、卑怯にもトドメをさしてきた。
「ありがとう、本当に、ありがとう兄さん」
それからしばらく、何もない時間が続く。
両者がただ涙を流す時間。
さらに時間が過ぎて。
互いに落ち着いたのを見計らい質問をしてきた。
「セイバーさんって、何者なんでしょう…?」
それは、とても簡単なものだった。
「……なんだ、知らなかったのか」
バカな僕の話を聞いて、ボロボロの癖に任せろだなんて言うのは、ある意味同類かもしれない。
だから迷わずに、こう答える。
「ただのバカな侍だよ」
皆さまの評価、お気に入り登録、感想、誤字報告のお陰様で無事に1/4章を書き上げることが叶いました。
小さく、短くはありますが、ここに最大の感謝を込めて今年最後の更新とさせていただきます。
次章、2/4章については悩む場面が多く、お恥ずかしいですが一部分についてはまだ構成途中となっています。できる限り早く、投稿を再開していけるよう努めてまいりますのでどうか、年が明けてからも衛宮 士郎、そしてセイバーが挑む第五次聖杯戦争の結末までお付き合いください。
締めの挨拶としては息が詰まるような後書きとなってしまいましたが、最後に2/4章のタイトルとプロローグ(仮)を発表して終わりとします。
ありがとうございました!
どうかよい年を!
2/4章
復讐の影が二つ薄れた
どう付き合うかなんて考えていない
そうやって人は生きてきたのだから
彼の側には正義の英雄が立つ
〜両方を掴み取ったのか〜
変わりゆく路の先に待ち構える扉は二つ
死と混沌
心に刻まれた魂と和解するか
はたまた大英雄の器に呑み込まれるのかは・・・
始まりの呪いとの付き合い方次第だ