「お前、絶対にそういうの言わない奴だと思ってたよ」
木で作られた一人用の椅子に腰掛けて、間桐 慎二は呟いた。純粋な驚きと、少しの嬉しさが混じっている。目の前には、この家の主人が使っていたと思われるウォーターベッドに腰掛け笑うアーチャー、英雄王の姿。
昼間、セイバーとの戦闘で胸に大穴が開く一撃を食らったとは思えない体調。起き上がるなり、英雄王の声は弾んでいて好調と歌っているようだった。
最も、大穴は開いたが。セイバーの突きを浴びる直前に、主張の激しい黄金の鎧を着たお陰で、鎧に大穴が出来ただけで済んだのだった。
「
あの時は油断していた。はっきり言おう、
「ジェンガにどんだけ集中したいんだよ。つーか今やるか普通!」
敢えてというやつだ、なんて言う英雄王をよそに慎二は不安を積もらせる。
まず、このアーチャーは普通じゃない。今回、第五次聖杯戦争には既に遠坂がアーチャーのクラスを召喚している。双剣を巧みに扱うので弓なんて本当に使うのかよ、と疑問を持ちたくなるが。では、目の前のアーチャー、英雄王は何なのか。
十年前に行われた第四次聖杯戦争に呼ばれたアーチャーのクラス、それが英雄王。この男は、前回の聖杯戦争を生き残り、あの神父のところに居座っていたという。
第四次聖杯戦争の結果がどうなったかは聞けなかった。神父の話が無駄だと判断した英雄王が一言、行くぞと声を出すだけで身体が動いてしまう。
つまりは、前回とはいえ最後の二騎になるまで勝ち残った強者であるアーチャーを、衛宮のところのセイバーが早々と退場寸前まで追いやったのだ。
次がない。諦めなければ云々の話以前、確実に慎二は殺される。間桐 臓硯は二度、慎二を見逃さないと本人が自覚している。英雄王が敗走したことは、自身の願いから遠くなるように感じるには充分だ。
顔を下げる慎二に、彼の置かれている状況を踏まえて英雄王は言う。
「気に食わんが、セイバーに一撃食らって目が覚めた。……おい、鈍いぞ貴様。いつまでこうべを垂れている」
「な、なんだよ。別に垂れてない。なにお前、心変わりすごくて戸惑うんだけど」
「明日からは
どこまで本気かは分からない。
慎二は声に出して指摘できるほどの豪胆さがないので、黙っていることにした。
窓の外は暗い。もうすぐ夜の十二時を回るから当たり前だが。
胃が締め付けられるような感覚は、英雄王がサーヴァントになってからも変わらない。セイバーにぶっ飛ばされた後なんかは特に、やっぱりダメなのかと思った。
「たわけめ」
セイバーの姿は、恐怖よりも憎悪が湧き上がった。英雄王を呑み込む勢いで広がった黒いなにかは、間桐邸を連想させるくらいに吐き気のするものだった。
「それ以上はやめておけ。無意味な先入観しか生まん、時間の浪費をする暇はないだろうが」
心からつまらなさそうに、こちらを見る英雄王。
「ッな、他人の考えまで覗けるのか…?」
「顔にくっきりと浮かんでいる。セイバーの闇を、お前の知る闇と重ねてもいいが、根本的に相容れぬ者同士だ。
「どう、違うってい…!なぁオイ、まさか相容れぬってのはさ」
生きるためか、死ぬためか。
「闇を見たお前なら分かろう。不確定、不安定、そしてこの世の悪を煮詰めた現世の釜の底だ。覗けばお前の妹はいる。その横には時代錯誤の醜悪な化け物が笑っている。
しかしな、セイバーは違う。どれだけ巨大な釜を用意しようとも、平然と釜の中身を満たすだけでは足りぬ程、溢れんばかりの呪いを自我で抑え込んでいる。……むしろ、あの呪いの手綱を握っている側だ」
例えが酷い。
底なし沼に顔から叩き落される気分だ。底か地上かも逆転した感覚の中、彷徨い続ける過去の自分と目が合った気がする。
「死ぬことも難しかろう。呪いを浄化できないからこそ、呪いを征する手段を選んだ。誰も辿り着けぬ深海を漂っている点だけなら、お前の妹と変わらん。似た者同士というやつだ」
「…ッ」
似た者同士、ならもう一度観察する必要がある。
「慎二、その中でお前は足掻いて
赦されている現状に満足するな、大切なものを守りたいというのなら、後悔を思い出してみろ。それがお前の背負う呪いだ。全力で振りほどけ、闇と向き合え。己の身は、責任を持って己で守れ。かような貧弱さで生きていけるほど世は潤ってはいまい」
何度も似たようなことをいう優しさは、誰のためなのか。
前までは、こうまでしないと聞く耳を持たなかった。
「当たり前だ。言われなくともなんとかする」
なんとかするつもりだ。
英雄王は今、少し先のことを警告してくれたのだから。手持ちに残る、最後の抵抗は本一冊。魔術を、桜の令呪を介して行使可能にするこれだけ。
情けない、とは考えない。アイツにでしゃばられるよりマシだ。どんなに無様でも僕がやる。これだけは…
「いでっ!?」
突如、脳天にドサリと重い何かが落ちてきた。
地面に落ちた何かに目を向けると、一冊の黒い装飾に包まれたやや厚めの本がある。
「おっとそこに偶々落としてしまった魔道書が目に入ったが今は華麗にスルーしよう。そのような品は幾万と
「……面倒くさすぎるけど誰も拾わないなら持っとこうかなぁ」
拾い上げる。中々の大きさで、動物図鑑とかそこら辺くらいはあるだろう。
中身を確認する為に表紙をめくった。
…見たことがない。知識だけは自信があったが、これは何と読むのか検討もつかない。
「もしや原点たる魔道書を易々と読めると思っていたか。それは知恵を好む。肌身離さず持っておけば、段々と理解できる。
運がよければサーヴァントの一撃程度なら守れるぞ。もっとも、全てを守りに割けば魔道書としての価値はゼロだ。調整を誤るなよと我一人口ずさむ」
「理解できる……?……いや分かんないんだけど」
そう言うと、英雄王は立ち上がり廊下の奥に歩いていった。
▼
英雄王が初日に選んだ場所は、意外というよりも自然の流れだった。
郊外の森の奥。魔術による工作により隠れた城の屋根に降り立つ英雄王と間桐 慎二。
「さて。一度だけ問おう、アインツベルンの従者よ。この城の主人は滞在しているか、否。肩の力をぬいて、滑舌よく答えるがいい」
イリヤスフィール・フォン・アインツベルン、バーサーカーのマスターの居城。
すぐ下が庭園のような仕様の場所は、冬にも関わらず花壇いっぱいに花が咲いている。素人目ですら手が込んでいると理解できる域。
「サーヴァント……空からくるとは…!」
「サプライズだ」
英雄王が話しかけたアインツベルンの使用人が、一歩下がる。全体的に白のメイド服、胸元辺りがグレーなところを見るとこれで色分けをしているのだろう。
「何してるんだよおまうわぁぁあ!?」
いきなり胸ぐらを掴んだかと思えば、そのまま英雄王は背後にポイと放り投げる。思わず叫ぶ中で聞こえたのは、耳元を横切る風圧だった。
「…ち」
会話の途中に割ってきたのは、両手に握る慎二とほぼ同じ長さの斧を抱える、庭園の使用人ほぼ容姿が似ている使用人2。
「サプライズ返しは冷めるな」
「な、斧!?」
「お前、危険」
屋根を一蹴り、異質な斧を振り上げた。
英雄王はその容姿を一通り確認する。
「細い身体の割に、身の丈以上のハルバートを扱えるのか。戦闘特化のホムンクルス」
英雄王は大して興味なさそうに呟くと、宝物庫から仄かに紅いオーラを纏う剣を取り出した。
使用人、ホムンクルスと呼ばれた彼女の無機質な赤い瞳には、感情のある殺意を感じる。
「出ていけ」
「主人を呼べと言ったのが聞こえなかったか」
ホムンクルスが歯を見せて、力を込めた瞬間、ブンと迫力あるハルバートの横薙ぎが英雄王の首を狙う。同じく歯を見せ、笑う英雄王は渾身の一撃であろうホムンクルスのハルバートを、片手に握る剣をぶつけた。
程なくして、鈍い亀裂音が響き、ホムンクルスのハルバートが砕け散っていく。結果は分かっていたのか、即座に屈むと英雄王の懐に飛び込んだ。相当出来がいいのか、それとも戦闘特化のホムンクルスは皆がこうなのかは慎二には分からない。しかし、
「グッ……ェハ……」
「刃を向けたのだ、覚悟の否応は問わんぞ」
英雄王の剣が下から抉ぐるだけで、赤い瞳のホムンクルスの身体は宙に舞う。やがて庭園の花壇へと落ちていき、辺りは血で染まった。
これが普通の光景。
サーヴァントを相手に、肉体改造を施されているホムンクルスを束で寄越したとしても、相手にならない。
「リーゼリット!!!」
血を流す戦闘特化のホムンクルス、リーゼリットへと駆け寄るもう一人のホムンクルス。英雄王は宝具を装填する。止めようと、慎二は考えない。
何故なら、この男が価値のないものと判断したからだ。英雄王がそうするなら、
「もう用はない」
英雄王の言葉の意味は、慎二にすら分かった。死の真横を駆けてきたせいであり、英雄王の意識を逸らす何かが大抵ロクでもないものだからだ。そう思った瞬間、慎二の襟を掴むと英雄王は真上にとんだ。
「うおわぁぁぁぁ!!」
「情けない声を出すな、舌噛むぞ」
瞬く間も無く、先ほどいた屋根に亀裂が入り、空気を揺らすほどの雄叫びと共に下の階と繋がった。
「▅▅▅▃▄▄▃▄▅▅▅‼︎‼︎」
それは遠くに聞いた、狂戦士の第一声。
怖くて敬遠し、避けていた存在。
「セラ、手当てをしてあげて。できるだけ素早く、遠い部屋でお願い」
「お嬢様……!ッ」
「はやく。あなたがいても邪魔よ」
「…どうかご無事で」
血を流すリーゼリットを抱え、セラが城の中に消えるまで英雄王は何も手をださなかった。
庭園に降り立つ両者。
「……。無作法ね、魔術師の血筋だけじゃなくて、家系の誇りもないのかしら。マキリ シンジ」
今の間がなかったら、危うく死んでいたかもしれない。
「マキリ?僕には関係のない響きだね、今はマトウに改名してるんだぜ?そのくらい知ってそうだけどね、イリヤスフィール」
英雄王が待機している。
だからバーサーカーを前にして、悲鳴一つあげないでいられる。
「なぁんだ、会話はできるじゃない。てっきり、殺意剥き出しで壊れたオモチャみたいに踊ると思ったけど。
それで、何の用?アナタみたいなのにこれっぽっちも興味なんかないんだけど、私の前に立つ意味、分かるでしょう?」
「分かるよ。僕はアーチャーを信じるだけだ、それ以外に何かあるとすれば。衛宮のやつを怒らせるのが面倒だな」
結果的には桜にも嫌われるだろう、そう思った。
今から英雄王が証明してくれる結果を、見て受け止める。
「勿体無い器だ、バーサーカー」
背後に現れる豪華絢爛の祭りが、最狂を覆いつくす。
バーサーカーの筋肉に熱が走り、魔力が負荷を与える。
「アーチャー…?ライダーの間違いでしょ。アーチャーは凛のサーヴァントじゃない」
「理解しろとはいわん、現実を受け止めればそれでいいのだ」
英雄王から渡された?魔道書を片手に、薄く目を細めた。