凛サイド
目が覚めたのは、ベットの横に置いた目覚まし時計の音が余りにもしつこいからだった。白い毛布にどんどんシワを作りながら、のそりとうつ伏せのまま左手を出す。らしくはないが、少々力任せに目覚まし時計の息の根を止める。ジャスト一秒後、小さな悲鳴を上げるように目覚まし時計が鐘の音を震わせて床に落ちた。
「んもぉ〜、今何時よ〜」
大きな欠伸と共に身体を起こす。だらしないと思うも、気品さを残す太めの声で息を吐き出した。これが妥協点。
瞼が重い。そこを気合いで、半分まで持ち上げる。これ、結構頑張ってるんだけど…
そして、いつも目覚まし時計が置いてある場所に視線を向ける。
「あれ、ない」
おかしい。ここには確かに、目覚まし時計を置いてある。起きてすぐ目に入る場所だからだ。それが行方不明になっているなんて、一体何事だろうか……
「どこ行ったのよ」
「凛、それは本気でやっているのかね?」
ぼんやりとした中で思考を巡らせる中、アーチャーがため息を吐きながら見慣れた目覚まし時計を所定の位置に置いた。そして、思い出した。
「あ〜、思い出したわ。何言ってんだか私」
「締まりがないのは別にとやかく言わないが。朝食は少しくらい食べたまえ。朝のエネルギー無くして、人間は生きていけないからな」
「あんたを召喚してから毎朝そればっか……気遣いは嬉しいけど、朝は食べないの。これが生活スタイル」
「その生活スタイルに終止符を打つ良い機会だ。聖杯戦争はより疲れが溜まりやすい。朝の食事を欠いては、すぐに身がもたなくなるのは明白だ。その目覚めの悪さにはうってつけだと思うがね」
「ぐ……ぅう、もう分かったから。軽く何か食べるわよ…」
私が召喚したのはサーヴァントなのか。身の回りの世話や家の掃除を、外の警戒ついでに行うのだからよく分からなくなってきた。
さて、それはそうと。いつもよりも一時間早く起きた。理由は簡単だ。昨日は戦闘で多少のダメージを負ったアーチャーを、念を入れて休ませた。そのツケを少しでも払う為である。
「う〜っ起きるか!ボーッとしてられないわ。学校に生徒が集まる前に、仕掛けられた魔法陣を壊しましょう」
「私の方は回復している。君の思うように扱き使いたまえ。今なら、例え無数の腹ペコが集う何処かの観測所の食堂でさえ、一人で乗り越えてみせよう」
「…?あ、そう。万全ならそれに越したことはないわ」
朝食は、鳥ささみと三つ葉のサラダ、鮭の照り焼き、ほうれん草のおひたし、大根とにんじんの味噌汁だった。時間が惜しいというのにこのボリューム感。絶対に入らないと思いながらも箸を進めるうちに、いつの間にか完食していたから悔しかった。
この時、食材をどこから持ってきたのかというツッコミも忘れてしまった。…鮭とか、買った覚えないんだけど。
そして、いつもより一時間早く登校。
ここ最近、不審な事故や殺人事件が多発しているせいで朝の部活動は中止。当然、放課後は尚更だ。先生はいるようだが、生徒の気配は殆どない。多発している内容は全て、サーヴァントによるものだが現状、尻尾すら捕まえていないのが悔しいところ。慎二がしている線もなくはないが。
一般人に危害を及ぼさないように努めるのが、聖杯戦争中最低限の礼儀ではある。しかし、それを弁えないバカが、学園にもいたからこうして早く出ているのだ。しかし…
「何処にもない。あんなに毎日しつこく復活してた魔法陣が消えてる」
校舎を何度も周って確認した。見落としがないように、慎重に慎重を重ねて、学校に仕掛けられた最低最悪の魔法陣はもうないと判断する。
「確かにないな。私から見ても間違いはない。ライダーのマスターが仕掛けたのはいいが、なんらかの理由で解除しなければならない状況だったのだろう。然し解せんな。セイバーにやられた傷が原因だとすれば尚のこと、あの魔法陣は残すだろうに」
「…慎二とライダーにしてみれば、そう考えるでしょうね。内容は反吐が出るレベルのモノだけど」
見立てでは、陣の中にいる人間を魔力へと変換するものだ。
それも、容赦なく命を奪う。その発動までは時間を要するものと知ってからは、仕掛けられた魔法陣を探しては傷をつけている。恐らく宝具なのだろう魔法陣は、完全に消滅させるには至れない。だから、発動前になんとしてでも仕掛けたサーヴァント、あるいはマスターを倒す必要があった。
「その内容は兎も角、学校という人の集まる場所を敢えて諦めるくらいだ。向こうにしてみれば、餌場だろうに。こう考えると、他の場所に移したのかもしれん」
「冗談でしょう…?あんなものをホイホイと町にでも置かれたら、どれだけの時間を費やさなきゃならないと思ってるの。ただでさえ見つけにくいってのに」
アーチャーの上げた仮定に、思わず過敏に反応する。
自身でもそれが一番考えたくもない、かつ慎二がやりそうな手口だと頷けてしまうからだ。そして、例えばそれを本命だとして。この学園に設置した魔法陣と同じ日くらいに仕掛けられたら、残り日数は三日もない。
「落ち着け、仮定の一つという話だ。まぁライダーはともかく、慎二というマスターは相当捻くれてる。あっちにも、こっちにも仕掛けるような非合理的行動をしてもおかしくはないと言っているが……
正直なところ、まずいだろうな」
「くっ、やられた。まさか慎二に一杯食わされるなんて」
「さて、どうする」
「あぁもう、逃げちゃったのはもう仕方ない。ここからは悠長に探す暇はないし、出来れば今夜中に魔法陣は見つけたい。ここまできて町に仕掛けていないのも不自然だし。手っ取り早いのは慎二を見つければ良いんだけど」
と言う事で、即断、即決、即行動。
「そうだろうな。君の仮説通り、学校の魔法陣がフェイクだとすれば近隣や隣町辺りに足を伸ばしている可能性が高い。それを探すよりは、マスターを見つける方が早いかもしれない」
「そうね」
「そう決まってからの君の行動には驚いた。職員室で淑やかに早退を申し出た時の笑顔。あれが有無を言わせず…その見本だな。すごいぞ」
「何よ、今更じゃない」
「そう、だったなマスター」
歯切れ悪く返事をするアーチャー。何故か苦笑いをしているが、本当に切羽詰まっているので無視無視。
私は学校を早退し、商店街へと足を運んでいた。人が集まる場所、魔術の隠匿を無視するような性格を考えての場所がここだ。
「アーチャー、周囲の警戒をお願い」
「了解した」
アーチャーは頷くと建物の屋上へと跳んだ。
根気入れて探しますか〜と呟いて、路地を挟んで反対側の道をたまたま見ると、
「あれ、今の。まさかイリヤスフィール……?」
バーサーカーのマスター、イリヤスフィールの姿が見えた気がした。顔はハッキリ確認できず、後ろ髪が彼女に良く似ていたという理由だけではあるが。
だが、もし彼女だとすればどうする…
そこで念話がとんできた。アーチャーからだ
「凛、来てくれ。商店街を抜けた先に、何かを隠蔽した後をみつけた。あれは人の手で出来るものではない」
「え…えぇ、分かったわ」
アーチャーが気付かないと言うことは、きっと私の見間違いだろう。そう結論して、アーチャーと共に商店街から少し離れた場所。住宅街の壁を見ると、明らかに雰囲気の違う場所がある。
「魔力の残滓……これ、普通じゃないわね。並大抵の魔力消費じゃ、こんなに濃ゆいのは残らない」
「……臭いな」
「この壁の露骨に何かを隠しましたって感じの、埋め立て痕。よく見ると、横一直線に建物と建物の間にある。アーチャー、これ、何の痕か分かる?」
「ライダーの鎖だろうな。触れたから独特の雰囲気で分かる」
やっぱり。だとすれば、ライダーは他のサーヴァントと対決したと考えるのが普通だ。これは狩る時につける跡ではない。
「………アーチャー」
「恐らく、私も同じことを考えていた」
まず、ライダーは昨日、セイバーの猛攻によって負傷している。あの回復には一日は少なくとも必要だろう。
そこに、他のサーヴァントに襲われでもしたらどうなるか。慎二はまともな魔術は使えない。支援が見込めない状況下での戦闘。
生きている可能性は限りなく低い。
「それでも探すしかないじゃない。念には念を入れて。絶対は言えなくても、確実に魔法陣が無いと胸を張って言えるまでは終わらないから」
「あぁ、もちろんだ」
その後結局、彼を見つけることは出来なかった。同じく、魔法陣も仕掛けられてはいなかった。
☆
士郎サイド
朝の六時半。何時も起きる時間を覚えている身体は、眠っている意識を覚醒させてくれた。
遠坂の豪邸を出てからは真っ直ぐにウチに帰って、夕食を作った所まではハッキリと記憶がある。そこからはどうだったか。……困った、全く覚えてない。思い出そうにも、どうやら記憶がない可能性が高い。
「まるで酔っ払いだな」
まずは、事情を知るであろう人物に聞かないと。
ふと、自分の服を見ると昨日のままだった。寝間着じゃない…
薄々、予想できてきた。
居間に行くと、セイバーは立っていた。
「おぅ起きたか。調子はどうだ?顔色は悪かぁねえが、無理はすんなよ」
「おはようセイバー。えっと、その〜…」
どこって?
「腕の穴を塞ぐような治療したんだしよぉ、体力が無くなっててもおかしかねえよ。今日の朝飯は俺が作っといてやる。士郎はゆっくりしてな。ゆとりも大事だぜ、学校は休め休め」
そう、台所に。
その姿はさながらイチゴ牛乳。セイバーが着けているエプロンは甘く濃厚なイチゴを、牛乳の醸し出す優しい包容力で溶かしたソレ。胸の部分にあまおう程度の大きさのイチゴがデコってあるのはポイントが高い。いや何より、そのエプロン。色は違えど正に、メイドが着ている胸当てだ。
「な、なんだって!!」
「おいおい、昨日の今日だぜ?安静にしとけって」
「料理、出来るのか…!」
「あ、そっちね。その反応、結構効くんだけど」
とても失礼な言い方かもしれないが、思わず言ってしまった。
そして確信する。セイバー、出来る…!!!エプロン持参!
士郎は本来聞こうとしていた事を一旦保留して、セイバーの配慮に甘える。
そして十分後。
「すごい……予想軽く超えてきた、美味しいよセイバー!」
「すんげぇ複雑な気持ちなんだけど、まぁ喜んでくれて何よりだぜ」
食卓に並ぶご飯に青菜の味噌汁、チーズハムカツ、卵焼き。どれも美味しい。
セイバーの料理の腕に驚きつつ、昨日の記憶がない部分の話を聞いた。まあ要するに、家に帰るや俺は倒れたらしい。
「そっか…倒れちまったのか、情けないな」
「あぁ、妙に体温が上がってたぜ。士郎、アーチャーに何かされたのか?」
昨日のアーチャーとの話を思い出して、否定した。
「いや、本当に魔術回路を診てもらっただけだよ。それ以外は何も」
「そうか」
セイバーはそれ以上の追求はしてこようとはしなかった。何かあった事を薄々気づいてはいるけど、敢えて聞かないようにしている。そんな気配りが感じられる。
本当は話したい。けど、俺自身、アーチャーに診てもらっている間の記憶がない。断片的に思い出せそうな、喉まで出かかっているだけ。不確かなことで混乱させるのもよくないから、これでこの話は終わりだ。
気持ちを切り替えよう。まず、慎二だ。
イリヤスフィールも探して話をしたいけど、容易に叶うとは思わない。
次は、逃がさない。
平然と女子生徒をライダーに襲わせる辺りから、野放しにしていい訳がない。慎二は聖杯戦争が終わるまでは学校に来ないだろう。その間に、ライダーに人を襲わせる可能性が高い。
「セイバー、今日は学校は休むよ。一昨日に聖杯戦争を理由に休まないって言ったけど、撤回する。俺、慎二をあのまま野放しにできない。早くみつけて、バカな真似をやめさせる」
あんな事は辞めさせる。止まらないなら止める。聞かないなら説得する。それでもし、強行手段を取るなら、手加減はしない。
「そうか、そりゃ良かったぜ。士郎が学校行くんなら、一人で散策するつもりだったが。土地勘がねーから、いてくれりゃ百人力だしよ」
「慎二を止めたい。セイバー、力を貸してくれ」
「おぅ、任せな〜」
学校を休めば休むだけ、藤ねえに心配をかける。出来るだけ早く、解決したい。
朝食を終えて食器を片付けた。
服も新しいのに着替えて、道場の竹刀を一つ持っていく。護身用だ。土蔵に前々からある黒一色のバットケースに入れて、家を後にした。
門の前で待つセイバーと通りへ向かって歩き始める。他愛ない話をしていると、
「士郎、待ち伏せされてんぞ」
「ん…?」
セイバーが道の先を指差した。あまりにも呑気に言うものだから、待ち伏せという言葉を聞いても引き締まらない。
そこは新都や商店街に通じる交差点。そこから慎二がどこに行ったのかを考えながら、慎重に道を選ぼうと考えていたのだが。その脇の壁に注目すると、可愛らしい顔が半分、こちらを覗いていた。
「あれ、イリヤ!?」
「!?」
つい声を上げてしまった。向こうも気づいたのだろう、顔を引っ込めてしまった。多分…
「逃げたなありゃ」
「セイバーごめん、イリヤを追ってくる」
衝動に動かされていた。
一昨日の歯切れ悪い別れがそれを後押しする。彼女の行動、言葉が気になって仕方ない。自分の中の何かがくすぐられる。この感情に気付かないといけないのに、どうしても答えが見つけられない。
「くっそ、なんで逃げるんだよアイツ。…あーもー、こうなりゃヤケだ。探し出してやる!!」
「おいおい、鬼の形相でガキ追ってたら不審者扱いされるって。普通にやべーよ士郎、ちょ、おい待てって!」
慎二を探す目的はもちろん忘れていない。
今しかないのだ。こうして逃げているくらいだ、きっとバーサーカーは連れていない。そこを悪用するつもりはないけど、きっとこの次、二人で会える保証がない。
気づけば商店街に辿り着いていた。
ここには顔見知りが多い。よく買い物にくるから、お店の人や主婦から見れば学校をさぼっているようにしか見えないかもしれない。……世間体はこの際二の次だ。
小走りで商店街を移動していると、主婦達の立ち話に思わず立ち止まった。なんと、白髪の女の子がどーのーこーのーと、言っているのだ。
「あの!今の白髪の女の子って、どこに!?」
「あら、士郎ちゃん?学校はどうしたの?」
「えぇっと、あの〜、その女の子が俺の連れなんですよ。ハハハハ」
「それは大変!その先を行くとホラ、中華料理店があるじゃない?そこの前に、神父さんといるのを見たわよ」
「ありがとうございます!」
なんだって?いやな予感しかない!
いつの間にかセイバーがいないけど、このまま行こう。
少し商店街を進むと、それはいた。
「イリヤと、言峰…」
周囲に人はいない。この二人には近寄りがたいのか、余程面倒ごとに巻き込まれたくないのか。どちらでもいいけど、イリヤの顔を見れば分かる。
「イリヤ!」
「お兄ちゃん…」
困っている。
「おや、衛宮 士郎」
迷わずに割って入った。