街灯の光が窓から見える。
日が暮れる頃、遠坂に手当てをしてもらう為遠坂邸へと招かれて、傷の手当て中だ。その間、終始無言で何とも言えない気まずさを感じていたけど黙っておく。
膝くらいの高さまであるテーブルを前に、やや豪華そうなソファに腰を下ろす俺と遠坂。セイバーは反対側のソファで寝転んでいる。アーチャーは台所で何かしている。
どうも、全体的に様子がおかしい。雰囲気が重い。話しかける言葉に迷っていると、手当てが終わったらしい。遠坂が立ち上がる。
「ありがとう遠坂」
右腕、ライダーの短剣によって開けられた穴の部分は包帯でグルグルに巻かれている。
手当てをした本人は訝しむ表情で、質問をしてきた。
「衛宮くん、あなたって強化の魔術以外は出来ないのよね?」
割と当たり前な事だけど、その意味は理解している。
「あぁ」
俺、遠坂、セイバー。アーチャーを除くこの場にいる全員が、俺の右腕に出来ていた傷の跡について不思議に思っている。正確にはまだ完治しておらず、今もなお塞がりつつある傷口。全治何ヶ月という歳月を要するのに、もう治りかけだ。その勢いたるや、時間を無理やり進めているのではないかと勘違いするくらいだぞ。
その塞がりかけている傷口は、結構かゆい。かなり生々しい感覚を脳が拾ってるんだけど、敢えて無視を決め込む事にしている。正直、怖い。
「え、士郎お前の回復力どんだけ?もしかして亜人とかか?」
「亜人が何かは知らないけど、不死身でも何でもないぞ」
「無駄話はそこまで。
傷口が塞がりかけてるの。どういう理屈かは知らないけど、人間の自然治癒の域は遥かに超えているわ。明らかに何らかの魔術、或いはサーヴァントの助けがあって然るべきね」
そう言うと、どうせあなたでしょ?という視線をセイバーへと向ける遠坂。
「いや、流石にねぇわ。俺の宝具で魔力のパスやらなんやらは繋げてっけど、回復系なんざ使った覚えはねえよ」
「揃いも揃ってバカね。サーヴァントだってのに、少しは口を重くする努力くらいすれば?って無理か」
やけに諦めがいい。早々と自分が口に出した言葉を否定すると、アーチャーはテーブルに紅茶を一つ置いた。その紅茶を口に運ぶ遠坂。
「ありがとアーチャー。私だけ飲むのもアレだし、衛宮くんとセイバーの分も用意してあげてくれない?」
「すまないな凛、コイツは今から個人的に用事がある。来い、衛宮 士郎。話がある」
そう言うや遠坂の戸惑いを無視してアーチャーは、視線を俺に向けて行動を促す。
「…」
どういうつもりか分からない。
行きたくはないのに、どうも引っかかる。
「大丈夫、セイバーはここで待っててくれ」
無言で見つめるセイバーへそう言った。
こんな事は滅多にない。アーチャーと二人きりで、話をしよう。
「そうかい、士郎がそう言うならゴロゴロさせてもらうわ」
二階に上がる二人を見送って、ソファでゴロゴロしているセイバーに視線を向ける。
こんなソファの使い方をされるのは初めてだ。
ショウジキナイワー。
(あいつ、おっさんと二人きりにさせるってどーゆうことよ。つかあり得ないわよ。なんで初めて上がった家でここまでグータラ出来るのコイツ)
アーチャーに後で腹癒せに買い物にいかせようと思った瞬間である。
▼
遠坂邸の一室。古めかしく大きい本棚が一台、ドアの側に風景のように溶け込んでいる。何段もある仕切りにはこれまた、薄く埃をかぶる古い本が列ごとにズラリと並ぶ。
それを興味深そうに眺めて、次に視野を向けたのは窓の手前。
窓を背に置かれている、今は座る者のいない手入れの届いた大きな机。これが、何か特別だというのは理解できる。差し込む月明かりに照らされた机の存在が、この部屋で一番だと伝えてくれる。
部屋の中央付近で立ち止まったまま。コミュニケーションというモノを知らないのか、そう呟きたくなる程にはお互いが無愛想。しかし、しびれを切らしたのはアーチャーだった。
「そう無口だと、居心地が悪くなるのだがね」
「こっちは早くこの空気から解放されたいよ」
低いトーンで返す。
どうにもアーチャーの行動が読めない。最初の出会い方、奇襲という名目で射た矢先が俺に向いていたのを、どこかで引きずっている訳でもない。ただ、″本能的″に気が合わないとだけ理解するせいだろう。
むしゃくしゃと晴れない気持ちが記憶の底から舞い上がる。だが、それに浸る時間はない。
「そうか。衛宮 士郎、手短に言おう。上着を脱げ」
淡々と述べた。奇行を促す言葉に、若干引き気味に叫ぶ。
「なんでさ!?」
「…何を勘違いしているかは知らないが、ちょいと魔術回路を診てやると言ったのだ。その傷の治り、先程も騒いでいたように普通ではない。だから、貴様の身体が今、正常なのかを判断する必要がある」
乙女ぶって両手で身体を隠そうとするモーションを、ついやってしまった。するとアーチャーの額の血管がピキピキと浮き上がる。流石にやり過ぎたと反省して、一歩下がる。
「明らかに異常だろう、その治癒能力」
「誰がそこまで気を許すかっ!お前じゃなくても、遠坂でいいだろう遠坂で!」
魔術回路を診るならそれでいい。なにも、こいつにしてもらう義理はないから。
しかし、今回は訳が違うと言わんばかりにアーチャーは姿勢を譲らない。
「ダメだ。男同士の方が気が許せると思ったのだが。……ふむ、まさかお前、凛に裸を見せて興奮したい変態なのか?」
「そこまで妄想を膨らませるお前が怖いよ。そもそも、気を許す許さない以前に、落ち着かないんだ。なんとなく」
こいつに背中を向けたくない。恐怖がそう囁く。
「……ったく、こうも捻れたヤツだったとは。あぁもう面倒だ、分かった。じゃあ間をとって掌だ、片手でいいから出せ」
じゃあなぜ、こいつは俺の助けになるような事をするのか。
どうしても理解出来ないその行動に、俺は恐怖を抱いている。
「確信できるが、その魔術回路の診断は私が一番得意だ。凛はあれで優秀だが、それでもお前のナカまでは理解出来ない」
「俺に気を遣わなくていいって言っても、アンタが遠坂の前でやりたがらない風に見れるけど」
そう返すと、鼻でフンと笑いやがった。
「まぁそんな所だ。なに、誰かに見られていると気が散るのでね、こうしたまで。……さあ、診せてみろ」
「まだ質問は終わってない。この腕の治りが早い理由が魔術回路にあったとして、どうするつもりだ」
「ハァ、言っただろ。正常かどうかを確認すると。もし、ナカが傷ついていれば治してやる」
「それだけか?」
「それだけだ」
抗えない。アーチャーの瞳に、俺は押し負けてしまう。その熱意がどうして湧くのかはまだ疑問だけど、……この時点で、返事は大体決まった。
だけど、最後に聞いてみたい。さっきの、ライダーの問いと似ている。
「そりゃ嬉しいけど、さっきのライダーが言ってたみたいに、俺にそこまでする義理も何もないだろ。ましてや敵同士で、休戦協定なんてのも口にしたことはないぞ!」
「くどいな……私にも心はある」
穏やかにアーチャーは答えた。
「長年疲弊していたソレを、滾らせるものが出来た。考え違うな、衛宮 士郎。私の″人生経験″から生まれた恐怖で、お前の身体の異常を知っている。それを放置しておくと酷い目を見るのを、私は分かっている。貴様がこの聖杯戦争で生きるか死ぬかは別だ。ただ、目の前で病気かもしれない奴を放っておくのは、こと今においては出来そうもない」
つまりは、お礼ってこと?
ポッと出てきた言葉をのむ。多分、言ってはいけない。そんな気がした。
「生前、お前と似た症状の男の心身が滅んでいく様を見ているからこそ、私は黙って見過ごせんのだ」
だから、重く受け止めるしかなかった。
▼
人を護る刀
「片腕を前に出せ」
言われた通りに、左腕を出した。右腕はまだ治っていないので、消去法で左腕だ。
アーチャーは右腕を上げて、俺の左手に右手を重ねる。
そして、口元を上げるとアーチャーは目を瞑る。
「
流暢に詠唱を唱える。
「……ッ!?」
すると、左手の先から何かが内側に流れるような感覚に飲み込まれる。細い線が一つ、二つとその数を増やしていき、線は左手から左腕へと伸びていく。それを黙って受け入れる。
やがて左肩に到達したのを感じる。暖かいソレは、次に心臓へと直進。そこから、一気に全身を駆け巡っていく。血管を辿っているのか、あっという間にそれは全身を一周した。
「イ…ッ…!?テェ!!」
微力な痺れが右腕の内側を駆けた。
丁度、傷口辺りでそれは集中している。そこそこ痛くて思わず声を上げてしまう。けど、一瞬でそれは四散。どうしてか軽く息が上がっていた。
「よし、終わりだ。ちょっと右腕の傷を見せてみろ」
「はぁ?せっかく遠坂が手当てしてくれたのに何言ってるんだ」
「そう言うな、百聞は一見にしかずだ」
イタズラでも仕掛けたような表情で、アーチャーは促す。まさか、とは思いながらも恐る恐る右腕の包帯を外してみる。
「……うそだろ」
ない、ない、どこにもない!
ライダーにやられた傷が、きれいになくなっている。傷跡すら残っていない。
言葉が出ない。感想なんて求められても困る。本当に、頭が現実に追いついていないんだから、そんなもの無言でファイナルアンスァだ。
「理想郷はあるな」
「お、おい何だよこれ…」
「その腕では何かと不憫だろう?魔術回路をイジるついでだ、ありがたく思え」
言葉が出そうにない。何か言ってやりたいけど、コイツもそうだけど俺の身体が本当に大丈夫なのか心配になってきた。
「あ、あぁ…ありがとう」
「フッ…」
笑いやがった。コノヤロウ。
「では、次だ」
「はい?次?」
トントンと、当たり前のように話を進めるアーチャー。
止める間も無く、また詠唱を唱える。
「
衛宮 士郎の上に光が生じると、鞘に収められている刀が出現した。
一見して目を見張る。それだけ強烈な印象がこの刀にはある。
「刀………?………これ、あの夜の……?」
刀の鍔の部分は、金色の龍がとぐろを巻いている。それは″第五次聖杯戦争の始まり″に目撃した刀。俺が、セイバーを呼ぶ前に穂村原学園のグランドでアーチャーとランサーの戦いで、アーチャーが使っていた刀だった。
こんなにも特徴的な刀だ。激しく動いていても、脳裏に焼け付いている。
「それを持ってみろ。それだけでいい」
「…」
不思議と宙に浮いたまま落ちない刀に向けて、恐る恐ると手を伸ばす。ここまできた手前、断れない。いや違う、なんとなく、これこそが本命なのだと読み取っている。
刀の目録を覆うように、小刻みに震える手で握った。
その瞬間、大きく目を見開いた。
「あ、あぁぁぁ!!??」
テレビの電源を切るように、視界が真っ暗になる。
意識が沈む。
視界は真っ暗。手を伸ばしても、何も感じない。
そして、意味の分からない言葉が頭の中に入ってくる。
受け入れようとすると、一瞬にして泡となって消えてしまう。それが悔しくて、それでいて堪らなく欲しい。
俺の知らない
雑音に掻き消される。
誰かの泣声だ。あぁ、とてもうるさい。この泣声の主は周囲を見渡しても見当たらない。そもそも、何もない場所に誰かいるのだろうか。
それにしても、とてもムカムカする。こうも情けないと思う事なんて、自分がランサーやライダーに敵わない時くらいじゃないだろうか…
お前のせいで、俺の求めている声が聞こえない。
おい、と声を張ってみる。
ダメだ、返事をする余裕もなく泣いている。
嬉し泣きじゃない。
喉を潰す勢いで、ただ悔しさを訴えるように泣いている。雄叫びのようでその芯、己の弱さを曝け出す。自暴自棄の嗤い。
俺の胸も焼けるように痛みだした。
視界に薄く光が張る。まだ何も見えないに等しいけど、何も変化がないよりかはましだ。
これまで泣声だけだったが、遂に途切れ途切れに言葉を発し出した。
まだ何を言っているのかは分からない。怒りに任せて声帯を酷使している、その事実だけを心身に伝えてくる時間は続く。
「セィ.......バッァア.........」
聞こえた。嗚咽気味に、呻きながら細々と。セイバーと呼んだ。
瞬間、視界が晴れる。
暗く黒いモノ全ては、一瞬で四散。
「ぢぎじょ…ぅ…ぅ…」
明けようとする夜空を背景に、一人の男が地面に這いつくばっている。
「オ゛レ゛の ……」
地面を搔きむしりながら、涙を落とす。
「せ い だ……」
泥塗れの両手からは血が出ている。皮膚が悲鳴を上げているのに、男は気付いていない。ストレスを噛み締めるように、自分を痛めつけている。俺には、そうにしか見えない。
今すぐ駆けて行って、話を聞いてあげたい。善意とか、哀れだとか、そういった感情ではなく。聞かなければならないという使命感が、そうさせようとする。
分かってる、さっきからそうしようとしてるんだ。
けど、俺の足は前に進まない。
時間の経過を忘れた。
男の正体を知ってしまったせいだ。
俺だ。泣いて、叫んで、一人のサーヴァントの名前を呼ぶ。
まるで意味が分からない。状況がこれっぽっちも把握出来ない。
だからだろうか、身体が震える。絶望に支配されてしまう。心当たりがないくせに、もう一人の俺の姿を重ねている。拭えないソレに対して、叫んだ。
──セイバーがどうしたんだ!
返事はない。明確に、俺の叫びは初めから聞こえないらしい。
しかし、あいつはふらりと立ち上がると空を見上げ、激しく咳込みながら呟いた。
「必ず……俺はァ…!
この過ちを、自分、の手で正す!
これは………俺の、勝手な戯言だから………返事は返さなくていい。
勝手に、約束して、一方的に、アンタを……ブン殴ってやる!」
「
弱々しく、しかし迫力のある声が響く。豪という音の次に、あいつの右手には一本の刀が現れた。
「この刀に、誓う……!
また、会おう……銀時……!」
鍔の部分が金色の龍。偶然ではない、これはまるで。
この場面を見せる為に、アーチャーがあの刀を渡したようにさえ思えるくらいの偶然。
状況を噛み砕いていくうちに、アーチャーの真名に俺は辿り着こうとしていた。その正体は…
膨大な声が脳に雪崩れ込む。
同時に、行き過ぎた。その全てを、丸々覚えていない。
「──ぐ……んだよ、これ!?」
右膝を床につけ、項垂れる。
今見たもの全てを覚えていない。代わりに、全身が痛い。内側がピリピリする。全身に痺れがある。
「必要な荒療治だ。今の大部分の記憶は飛ぶだろうが、さして支障はないから安心しろ。恐らく、都合良くこの事は忘れるさ。今夜は訓練などせずに眠るのをオススメしよう」
よく聞き取れない。思い出せない。
俺は今、何を見ていたんだ?
誰かの叫びを聞いたのは覚えている。誰かは忘れた、誰かが意図的に奪っていったのは分かる。
「お前が出来る事は、私が言うまでもないだろう。既に答えを見つけている。同時に、とてつもない壁にぶち当たっているはずだ」
…そうだ。どうして、お前が知っている。
…そして、たった今知った答えを、忘れたんだ。
「いいか。この世全ての壁は、必ず壊せる。その方法を人間は、人類は知らないだけで本当は、解があって然るべきものなのだ。答えがあるモノしか、この世界にはない」
なに、訳わかんねぇ事言ってる。
いや、違う。
また俺に、見つけろと言っているんだアーチャーは。
「不可能という文字を辞書に載せるには、まだ早い。貴様の魔術回路はじきに、土台が固まるだろう。その刀は、お前の背中を後押しする優れものだ。まぁ、すぐに魔力の粒子と化すだろうが、それを持てただけで及第点だ」
どういう意味だ。
こいつの言葉は、ムカムカして。
なのに、他人事だと聞き流せない。むしろ、聞き逃してはいけない。
早く知りすぎたんだ。
アーチャーは結果ではなく、過程を重要視しているんだ。
そして、別の答えを求めている…?
…ダメだ、思考回路がごちゃごちゃしてて、自分でも何考えてるか分かんなくなってきた。
「悪い、少しゆっくりさせてくれ」
握っていた刀は、既に消えていた。
▼
「最後に聞きたい。お前、アサシンとは会ったか?」
私の問いに、小さく「あぁ」と返事をしてくる。
「その真名、或いは絶技を知っているか?」
「知らない」と答えた。
少し詰め過ぎたかもしれない。
「そうか。私は外で待っている、落ち着いたら出てこい」
今の士郎は、身の丈に合わない程の情報を読んでしまった事でオーバーヒートしている。時間を経てば大丈夫なので、暫くは灯りのない廊下で一人待つとしよう。
窓際へと移動した。
静かな月夜を見上げながら、アサシンの事を考える。
───一歩音越え・・・
視界を過ぎったのは、日が昇り明るくなる丘。
───じゃあな、・・・
此方に暖かい目を向ける誰か。
ふと、生前の頃を思い出していた。
「いかん、過去を思い返すなんてやはりロクでもないな」
それは、自分自身についても言える。あんなバカをまた見るとは。覚悟していたが、苦笑いが込み上げる。
アサシンについて何も知らないという事は、セイバーが話そうと思っていないんだろう。多分、お互いに真名でも明かしたんだろうがな。天才の門番たるか、直で見なければならないようだ。
「やれやれ、これは一番の山場とみた」
セイバーとアサシンが激突する直前に目視した時、アサシンの容姿を確認した。間違いなく男だ。女ではない。つまり、彼女ではない可能性が高い。が、安心など出来はしない。
「″沖田 総司″。もしあらゆる世界線の一つに男として、偽善なく世に出回った名前ならば今回がそうかもしれない。あの刀は、本人のモノではない。然し、この世を知っている側としては全否定が出来なくてね。
柳洞寺の門番、アサシンよ。その真名、偽りなく暴き屠ってやる」
独り、呟く。
「キリツグ、大丈夫だよ。″俺″はアンタのお陰で進めてる。後は″オレ″が夢を叶えさせてやるよ」