夕陽を遮り枯れ並ぶ林。
不気味という言葉を置き去って、地面に根をはる林一本一本は墓標のよう。
武器は、机の脚に強化の魔術を施した棒だけ。
右腕は負傷していて、使えるのは左腕と、己の勘。
相手がサーヴァントなら、強化しか取り柄のない俺が此処にいるのは場違いにも程がある。
この事実を否定しようとも、先程から暴れる心臓は正直だ。どうも麻痺してしまった死の恐怖というものを、心臓は正確に、狂いなく脳に伝えてくれる。本当は受け入れるべきだ。サーヴァントに勝てない現実というのを。
「おい、コソコソしてないで出てこい!」
だが、心が言う事を聞かない。心に賛同する俺がいる。
誰であろうと、人を殺していい理由には足りない。遠坂や俺だけじゃない。この学校にいる、無関係の生徒にまで手を出す奴を野放しにするなんて、正気なら出来るわけないだろ。
数メートル先、何もない場所に淀みが発生した。魔力を帯びながらそれは実体を現す。
「驚きました。まさか、サーヴァントも連れずにマスター単身で来るとは。よっぽど、その腕に走る痛みで我を忘れているようですね」
静かに息を呑む。
両目を覆う紫色の眼帯。胸元から股下までという、大胆な黒服。両手に持つ短剣には長い鎖が付いていて、見たことのないタイプだ。何よりも印象的なのは、腱まで強く伸びる異様な髪。黒服を押し上げる豊満なスタイルよりも、あの威圧感が俺を覆って離れない。
それは、間違いなくサーヴァントだ。
妖しく、とても美しい怪物。そう呼ぶのが、初めて見た彼女の印象。
「……違う。不意打ちで遠坂を殺そうとした
「お前呼ばわりは、響きがよくない。ライダーと呼んでください」
ライダー…確か、騎兵とかいうクラスだ。
遠坂の説明通りなら、乗り物に関する逸話を持つ者に適正があるんだっけ。けど、こいつは乗り物らしい何かが見当たらない。どこかに隠しているのだろうか。
「私のマスターも、あなたのように果敢で、本当にトゲのある言葉を言えればよかったのですが……」
「…」
眼帯越しに伝わる殺意に左手が強張る。既にライダーは戦闘態勢で、あと五秒と過ぎれば死地の中心となる。
それが、どれだけ凍てつく域にあるのかが分かる。
サーヴァントでもない、ただのマスターという俺を、ライダーは今から全力で殺しに来る。ならば、挑むしかない。ランサーの時みたいに、立ち向かえ。心臓が暴れるなら、今以上に強くなれ。少なくとも、
……イメージが浮かぶ。脳のどこかで映像が蘇る。
身体的なものじゃなくていい。目標を思い出せ。
……グラウンドで見た、紅い兵士の″スタイル″か。
憧れる姿を追うなら、未来を描くだけだ。
……暴君を振り退ける、銀色の背中か。
俺の求める全力を、手探りで掴め。
「どうでもいいですね。では、死んでください」
ライダーが跳躍する。
一瞬で視界から消えた。その身体能力だけで、絶望を感じる。
しかし恐怖には支配されない。
暴れる心臓が示す。麻痺を溶かし正常な思考を加速させる。
どこかに置いて忘れてしまいそうな想いを、俺は留めている。
それが恐怖の束縛から逃れたというならば、絶対に捕まってたまるか!!!
「ハァァッ!!」
右足で踏み込んだのは、正体を探る真右。力の上限を振り切るつもりで、左手に持つ鉄の棒を振り下ろす。そこに何かが来るのを知っているかの如く。いや、そこにしか来ないからこそ可能にした行動は、一点の曇りなく。
「?!」
金属音と火花が散る。
蛇のようにしつこい鎖を弾くと、真上からライダーが仕掛けて来るのが分かる。既に離れそうな意識を、歯をギリリと鳴らして踏み止まり、振り払われる短剣を迎え撃つ。
士郎の足元が微かに揺れる。
ビリビリと左腕を伝わる衝撃。何度も耐えられるものではない。それに、今の一撃を防いだだけで喜んでいられない。これで終わりじゃないのは、ライダーのしなるような身体の動きですぐに理解した。
着地したライダーは、両手に持つ短剣を尖らせず、足蹴りで攻めに移る。当たれば即失神。ただの足蹴りが、サーヴァントというだけで人間の達人を凌駕する。この蹴りですら、肉を切らせて骨を断つなどと甘い考えを捨てなければならない。
頭上を通り、目先を過ぎて、足払いを受けるまいと跳ぶ。跳んだ隙は、左腕を振るってライダーの首を狙う。
「…ッ」
大きく飛び退いてライダーはこれをかわす。
ギシギシと軋む痛みを抑え込みながら、こちらを見るライダーに武器を向ける。
「貴方、本当に人間なんですか?」
「さあ?実はこれでも、体調は悪い方なんだけどな。ただ、ランサー程じゃないから、慣れたのかも?」
ライダーの実力はランサー程でなはい。もし、右腕が使えたらと考える。
「そういう意味ではないのですが、煽る余裕はあるみたいですね」
うっかり溢れた本音は、ライダーを刺激するには十分過ぎた。
地を蹴り、枯葉を捲き上げながら一直線に迫る。
あぁ、もう一本足りない。右手が使えないからだ。
どう集中しても届かない。敵の攻撃を防ぐだげで終わるだけじゃ死ぬ。出せ、攻めろ。足りないなら、動きまくってカバーするしかない!
「クッ……ァア!!!!」
耐えた。余りにも不意な攻撃に、体勢が崩れてしまう。
通り過ぎたライダーを目で追おうと後ろを向く。
「くそ、どこだ」
見失ってしまった。
聞こえるのは林を通り抜けるそよ風と、葉が擦れる摩擦音。
状況からして、ライダーは間違いなく奇襲をしてくる。そんな思考とは決別されたのか、自身の優位を捨て真正面にライダーは現れた。
「実は真っ向勝負が得意なのか?」
「いいえ、得意ではありません。しかし、マスターを相手に手こずるのはサーヴァントとして気分がよくありません。ですので」
不敵に上がる口元。
油断を突いてくる事は想像に難しくない。ライダーが正面に現れてニヤリと笑うまで、俺に向けられる全ての攻撃に警戒している。
だから、音もなく右腕に走る激痛が理解出来なかった。
「グァァァアッ!?」
嘲笑う鎖の音と共に、理解が追いつかないまま俺の身体は地面から遠のいていく。激痛が走る。筋肉が悲鳴をあげる。
宙に浮いた自身。いや、遠坂を庇ってできた右手首の第二関節部よりの穴。そこに、ライダーの武器である短剣が突き刺さっていた。更に短剣から伸びる鎖が右腕に巻きついている。
必死に逃げようと左手で金属の擦れる音を奏でるも、右腕に絡まった鎖は離れない。
机の脚で叩き割ろうとした。当たり前のようにビクともしない。
今思いつく限りの事をした。その全てがダメ……。
一際高く、速く鼓動が鳴る。
「終わりです」
木々を横切り、ライダーは俺の心臓に向けて飛び込んでくる。次の瞬間には刺さっているであろう彼女の短剣を、どう避けるかだけに思考を回す。ズギズギと容赦無く襲われる痛みで、一つくらいしか案は思い浮かばない。
一回勝負、力が入りにくいこの状況で、左手に握る武器をぶつける。
いや、本当にバカだと思う。どう考えても、アレを凌ぐのは今は無理だ。しかし、それ以外で方法はない。
ガシャリ。
「く…」
それも、一瞬でチリと化した。
用心深いのだろう。
俺の左手に、更に鎖が巻きついていた。完全に、吊るされて死ぬのを待つだけになってしまう。
「クソ!」
叫んだ。
そして、ライダーは短剣を無心で振りかざす。
「…!?」
耳に入ってきたのは、自分の身体が抉られる音ではなかった。
飛び散ったのは、火花だった。
視界に現れた紅い火花。バサリと舞う赤い風。
それが何であるかを確認した瞬間に、両手に絡まっている鎖が高い音を上げて砕け散る。
「このバカモノが!!!何をどう拗らせれば、今のお前ごときがサーヴァントを相手に戦闘するという考えになるのだ」
背中から落ちた姿を尻目に、双剣を構えるアーチャー。
「なんだと…」
こいつ、いたのか。
遠坂の側に元からいたのだろうか。
「そんなの、やってみなくちゃ分からないだろ!」
「結果はどうだ。危うく殺される所だったではないか?鍛錬も積まずに、無謀なやつめ。その歳で死に急ぐにはまだ早いと思うのだがね」
まるで、さっきまでの俺とライダーの戦闘を見ているような口振りだな。余計なお世話だと言いたい。
「側から見れば、貴様の攻撃など生ぬるいにも程があるわ!!」
「う……助けてくれたのはありがたいけど、あいつの挑発を買ったのは俺だ。俺がやる」
「その腕ではペンも握れまい。お前は人に命を預ける事を知らんのか?」
「ッ…、頼んだ訳じゃない」
「フン、これだから貴様は」
向き直ると、対面する二人。
「…」
「彼女のサーヴァントですか。いくら貴方のマスターを庇ったとはいえ、サーヴァントならば守る理由はないでしょうに」
「あぁ、このバカを守るのは不満ではある。
むしろ今すぐ引きずって行きどこか郊外の森で説教を食らわせたい。こんなバカが前に出るだけでどれだけ周囲に迷惑がかかるのか、一から教えてやりたい。一人先走って行った結末なぞ、私には手に取るように分かる。だから、今ここで守る理由なんて………二つくらいしか思いつかん」
アーチャーは吐き捨てるように言う。どういう考えなのか、俺の位置からは表情が見えないから読み取れない。ただ、双剣を手に飛び出す姿はかっこいい。
…どうしてだろう。
「こいつのサーヴァントとはちょっとした約束があってね。どういう内容かを口にする必要はないが、非常に待ち遠しいよ。ま、君のような蛇には理解出来ない話さ」
「……!そうですか。アナタ、非常に面白くありません。苦しみながら死んでください」
アーチャーとは、どうも気が合わない。
俺が前を指差せば、あいつは後ろを指差す。こっちへ行こうと言えば、あっちへ行こうと言う。それも、全く同じタイミングで。
そういう印象がある。そんな根拠なんて無いくせに、心の何処かでアーチャーという存在を良く思っていない。
「双剣……」
だというのに、吸い寄せられる。彼の握る双剣と、そのスタイル。あれはさっき、俺が求めていたモノに似ている。本能的に嫌いな奴なのに、戦闘から目が離せない。
例えは悪いけど、好きな娘から目が……いや、なんか違うな。
「す……げぇ……」
アーチャーの剣技は酷く綺麗だ。魅入っている自分が、嘘偽りを隠そうともしない。右腕の痛みが段々と強くなっているのに、今にでも拳を握ってしまいそうだ。
双剣を回し、振り、ただ正確に追い詰める為に繰り出す乱舞。
ライダーの逃げ道は確実に狭まっている。
然し、実力は両者譲らない。そう見える。
…いや、俺は分かる。俺は分かっている。
アーチャーの″悪意″を。
「フッ…!」
「ヌ………」
一際、糸の張るような厳しい振動が木々を揺らす。そして、釣られるようにアーチャーが止まる。……動けないと言うのが正しい。
それは蛇のよう。まるで生きた罠。アーチャーの周囲に突如現れた、鎖の数々は腕や足に巻きついている。
「フフ。アーチャー、その霊気を少し戴きましょう」
「…もう遅いがね、一つ言っておこう。君のマスター、大丈夫か?」
「悪足掻きですか………待ちませんよ」
アーチャーはほくそ笑むと、視線をごく僅かに右へと向ける。側から見れば、起死回生を狙う為の苦しまぐれに見える誘導だ。その場で、ライダーは完璧にその考えをしており、疑いもしない。
彼の崩れない余裕を、そう受け止めた。
「やはり、君は詰めが甘い」
彼女が悔いるなら、アーチャーに意識を囚われすぎた事。そして、接近戦で″拮抗″した実力だと判断した己の考え。それは、勝負を詰めた瞬間に訪れる、慢心を生むのだ。
一線は銀色。
「どゅぅぅぅあぁぁぁぁぁぁ!!!」
反応するより先に。
ライダーの身体は真横に吹き飛び、林をなぎ倒していく。
「オェ…!?」
アーチャーは何も驚く様子はない。この場で俺だけが、唖然としていた。何かあると、アーチャーの立ち回りから読んでいたけど、これは予想出来ないぞ!
入れ替わりで飛び込んで来たのは、ここに来るはずのない、セイバーだった。彼の登場に驚きつつ視線を下にずらすと、なんと彼は脇に間桐 慎二を抱えているではないか。
「あのヤバイ格好した奴がお前のサーヴァントか?」
「ひ、ひぃぃっ!ライダーァァァァ!なにやられちゃってんのぉぉぉ!?」
「結構攻めてんな……じゃなくて。あのサーヴァント、ライダー…か。へぇ、ヘェヘェ…」
「セイバー、少し弁えたまえ」
いや、なんていうか…
「ど、どういう状況…?」
こうも情けない声を腹の底から出せるのは、間違いない。間桐 慎二だ。
ん?ちょっと待て。どうしてライダーのクラス名を、慎二が知っている?それってつまり、慎二はマスターだというのか!?
「セ、セイバー!?」
「おう、士ろ………」
トーンがグッと下がる。
脇に抱えていた慎二はストンと地面に落ちる。慌てて彼は、ライダーの元へと走り出す。それを無視して、セイバーは真剣な表情で駆け寄ってきた。
「その腕…!見せてみろ」
「すまんセイバー、ライダーから食らっちまった」
真っ赤に染まる右手。穴の空いた部分からは、まだ血が垂れている。
次に、ライダーの武器。人の腕なら貫通に容易い短剣。その大きさを見て、合致がいったとばかりにセイバーは顔をライダーへ向けたまま話す。
「…良く生きててくれた。それだけで十分だ。後は…」
刹那、脳が揺れる程の光景が繰り広げられる。
セイバーの速さはすごい。
ランサーの必殺を防いだ速さを思い出す。
次に、バーサーカーを常に惑わした動きを振り返る。
どちらも、懐まで一瞬。雷すら及ばないのではないかと思える速さを、目の前で見た。
だから。
この時、鮮烈で、興奮を覚える。
余りにも速くて、瞳が震える。
何故なら、単純。″跡″が見えているから。
「速…」
走る慎二を抜き去った。
空気は、セイバーの怒りを代弁するように唸る。
慎二は抜かれた事をまだ分かっていない。
腹部を抑えていたライダーが、ここでセイバーの接近に気づき身構えた。
が、おそらく見失ったのではないだろうか。
見れば一発、ライダーの背後に木刀を振り下ろすセイバーが見えたからだ。
彼の表情が一瞬見えた。目元が薄暗く、きっと怒りに満ちているのだと知る。
「アァァッ!?」
地面が抉れ、砂埃が舞う。
セイバーとライダーの姿が見えなくなってしまう。まるで、自身の表情を見せたくないとばかりに。その中心地からは怒涛の打撃音と、セイバーの咆哮。
そこに、駆け寄ってきた遠坂。
「衛宮くん無事!?」
「遠坂!あの子は大丈夫そうか?」
「えぇ、安全な場所で寝かせてる。てかアンタ、人の心配する絵じゃないわよ。ほら、右手出して」
ポケットから取り出したハンカチで、慣れた手つきで止血を行ってくれる遠坂。
止血が終わると、視線を上げて戦いを見守る。
「どうなってるのよ、あれ」
こっちが聞きたい。
けど、セイバーが攻めている事実は変わりない。
ライダーが、あんなのをマトモに止められる筈がない。その考えを消すように、アーチャーが遮る。
「目を離すな、戦況が動くぞ」
「え…それってどういう意味だよ…」
すると、明らかに違う音が上がった。
余りにも鈍い、衝撃音。
それを皮切りに鳴り止む、攻撃の風。幕が開くように澄む視野。そこには、静止する両者。数瞬前から一転、向かい合って睨むだけ。
ただ違ったのは、セイバーは驚いて目尻を鋭くさせ、ライダーは口元を笑うように上げている。
「素手!?」
躊躇いもせず呟いた。
ライダーは掴み取った。士郎よりも、アーチャーよりも素早く、激しい嵐のような剣戟を、木刀を片手で捉えたのだ。
士郎を相手にしていたとは思えない。
「バーサーカーかぁオメェ?」
「…ちょこまかと!」
そう叫ぶと、セイバーの腕を掴んだライダー。そのままセイバーを軽々と持ち上げると、
「ハァ!」
「グッ…」
真後ろに放り投げた。
その理由はすぐに判明する。
「チッ、見抜かれたか」
空中でセイバーとぶつかるアーチャー。
遠坂が横で舌打ちしたのを見ると、奇襲を仕掛けるよう言ったようだ。
直後、ここだとばかりにライダーが跳躍する。着地した場所には、ポカンと口を開ける慎二。
「シンジ、生きてますか?私ではもう戦える自信がありません。逃げます」
「あ、あぁぁ………そそそ、そんなの当たり前だ!グズグズしてないで……ヒッ」
「逃がさねえ!」
セイバーの刺突を、間一髪で避ける。今度はライダーが慎二を脇に抱えて、セイバー達から距離を置く。何か、違和感を残して。
「待てセイバー!奴をよく見ろ!」
アーチャーが叫ぶ。
ライダーを見ろ、というアーチャーの警鐘でようやくりかいする。
「察しが良いですね」
「眼帯が、ない?」
刹那、全身が震える。
早くこの場から離れろと、ライダーから逃げろと。
「凛!」
「士郎!」
即座に本能に従ったのは、セイバーとアーチャー。
ライダーから踵を返し、己のマスターの身を確保して″逃げる″。
誰も責めはしない。咄嗟に起こした行動は、生きる為なのだ。マスターを死なせない為だ。それ程、サーヴァントがマスターの身を優先させるだけの危険がある。
「あれは…」
初めて、目が合った。
なんて冷たい視線だろう。
セイバーに抱えられながら、薄く開かれたライダーの目を見た。
自身から遠ざかる者へと向ける圧。
アレは、勝負を決められない、歯痒さだ。
あと一瞬、セイバーとアーチャーが遠ざかっていなければ、どうなっていたのかは想像出来そうにない。
あの場所で、慎二がなぜマスターになっているのか、どうしてライダーが女子生徒を襲っていたのかを知れないのは残念だ。当然、許される事ではない。彼の行動に不安を積もらせながら、学校を後にした。