真昼の下、セイバーとの激突後。穏やかなそよ風が通り、枯れ葉が一枚、二枚と地面に引かれ落ちる山門の端にて。
こと満足そうに薄らかに笑みを見せる、門に寄りかかり小次郎の元に、紫色のローブに身を包む女性が姿を見せていた。
「アサシン、言い訳があるのなら聞いてあげてもよくてよ。私がちゃんと納得のいく内容で……ね」
静かにそう言った。
悪戯か。優しく吹く風が、顔を隠している部分の布をやや浮かせる。彼女はそれに気にする事なく、むしろ好都合だと言わんばかりに見えなくもない。
一瞬だけ、その女性の表情を小次郎は、片目を開けて見ていた。
「おや、キャスターか。眉間に年相応のシワを寄せて一体、何を怒っている」
そこには怒りに満ちた目と、殺意に狂ったかのように釣り上がる口。彼女は、サーヴァントである小次郎に、明確なまでの殺意を持って接してきている。
キャスター、そう呼ばれた女性は、小次郎の返してきた言葉に更に怒りを滾らせる。
佐々木 小次郎のマスターにして、第五次聖杯戦争で七つのクラスの一つ、キャスターに当てられた正真正銘のサーヴァント。
サーヴァントがサーヴァントを従えるという、型破りな方法で小次郎を、柳洞寺の門番として縛っている。
先程の戦いでセイバーに対して、女狐、ブラックマスターだのと愚痴をこぼしていたのは正に、彼女の事。ここに来た用事は他でもない、アサシン自身が一番理解し、そして最悪の行動を心の底で恐れていた。
「私は先ほどまで、与えられた門番という役割を申し分なく発揮していたところだが、何か不満があると見受ける」
手を組んで、彼女の言葉に返す。
素直なまでに、彼の性格らしく偽りもなく。事実だけを述べた。それが引き金か、次の瞬間。
「ゴ……ヴッ!?」
視界に飛び込んできたのは壁。避けようのない勢いで、灰色で古風に造られた壁に小次郎の全身は叩きつけられていた。
ぐらりと揺れる脳。
少しの刻を経て、己の身体は、山門の建つ地面に叩きつけられているのだと理解する。
「何をほざくかと思えば、その程度の事しか言えないの?
どうせ、私の監視用キューブの位置をセイバーに教えたのは貴方でしょう。破壊されたお陰で、セイバーの実力は見れずじまい。
あぁでも、あの木刀が途轍もなく恐ろしい代物だというのは解ったからいいのですけどね」
何か一つ、言い返してやるかと思ったが口が開かない。これも、彼女のせいであろう。
「セイバーの挑発にでも踊らされたのかしら?それとも貴方自身が楽しみたかった?
ふん、それは私のサーヴァントには不要。聖杯戦争を勝ち抜く為に、そのような思考は、今すぐに感情ごと引っこ抜いてやりたいのだけど。それで門番として機能しなくなるのは困ります」
冷酷に告げるその姿は、己の欲の為ならばどんな犠牲も厭わない。
裏切りを嫌い、故に裏切り者として扱われる。
────特にこやつは。
声には出せず、心の中で呟く。
何の意図があってか、キャスターの真名を小次郎は知っている。本人の口から直接聞いた訳ではなく、キャスター本人も名乗った覚えもないだろう。当然といえば、当然。門番として存外に扱っているのだ。
敵に負けた後、自分の真名を話される危険性がある以上、わざわざ口にする必要もない。小次郎は、例え嫌々聞かされていたとしても、話すつもりは毛頭ないのだが。
それでもキャスターの真名を知っているのは、憶測だが。サーヴァントがサーヴァントを召喚するという違法が行われたからだろう。
召喚時、とある一人の名前が頭の中を通ったのだ。ほぼ直感だけで理解した。そうか、こやつの真名なのだ、と。その真名と、どういう訳か調べもしていない、キャスターに関する知識を通して既に結論はでている。
そう、簡単かつ分かりやすく例えると、魔女そのもの。
「故に、令呪を持って命じます。───────」
「キ………サマ…………ッ」
それも飛びきりに、感情のブレーキが壊れたタイラント。
彼女は、ただ一人の男の為だけに聖杯を狙う。彼女はアサシンのマスターである上、自身もサーヴァント。ならば、キャスターにもマスターがいて然るもの。全て、あの男が燃料となっている。一人のマスターと共に居たい。
これが、キャスターの願いだとするなら。
キャスターの行動原理であり、魔女へと堕ちた理由。冬木の街で今、多発している不可解な事件の原因の発端。
欲望に走るその恐ろしさを物語っているのは、何より。
…
たった今、佐々木 小次郎を令呪で躊躇無く″縛った″事。
令呪とは、簡単に言えば。絶対命令権。
マスターとなった者には、自身のサーヴァントに対して三回、強制的に命令を実行させる事が出来る。それが例え、A地点から数キロも離れたB地点へ移動せよ、という命令だとしても令呪を持って命令すれば、実行可能となる。
それだけではない。
彼女の巣食う柳洞寺は、戦いに向けられた要塞。数多の英雄を迎え入れ、殺す為の手段を着々と備えつつある、キャスター専用の神殿とも言える。
中身は褒められたものではなく、不愉快にしか感じないナニかで形成されている。魔女の釜そのもの。ドロリと、グツグツと、今も静かに蠢いている。
小次郎は薄っすらと気づいている。この釜の中身が、素材の元を突き詰めれば人間の魂に当たるモノだと。
…
令呪による赤い光が、拒む事を否定して小次郎の全身へと駆け巡る。素直に受け入れず、全力で抗おうとした所為で、バチリと痺れるような痛感が身体に入った。その場で思わず、片膝をついてしまう。
「そこで反省なさい。門番としての役目、最後まで精々果たすことね」
低く、愉快そうに笑うキャスター。
小次郎は痛みに耐えながら、苦しそうに地面を見ている顔を上げると、自分ではどういう顔かも分からない程、キャスターに細く、鋭く睨んだ。そこには僅かに殺意が、怒りが紛れている事に気付いたキャスターだが、ただ唇を噛んで一言、とんだ狂犬ね、と溢して柳洞寺へと帰っていった。
後ろ姿を見送り、遂には尻を着ける。
「ぐ、ぅ………女狐め…………これは手厳しい。っぬ、、、私程度では、これには逆らえぬ………」
荒い息。抗えない身体。己の精神について来られないこの霊気に、ただ悔やむ事しかできない。
小次郎は、己の刀が急激に錆びていくような錯覚を感じて、同時にその通りだと自嘲する。たった一度だけ。心の底から楽しんで、侍という存在を謳歌した僅かな時間。既に理解はしていた。こうなるのではないだろうか、と。だから後悔しないように、彼。セイバーには己の全てを出し切っている。
勝てる自信はあった。けども、坂田 銀時と名乗った男にはとても良いマスターが後ろに着いていた。それが多分、自分との違いだ。
「キャスターよ………今はまだ良い。
お主は……人として、……捨てきれないモノを持っている……」
佐々木 小次郎は一人。彼の隣に立つ者も、後ろから助けに来る者もいない。
「だが、それ以上は間違えるな。人もとい………
英雄の身だろう。っ…、ならば」
マスターと、サーヴァント。
関係性が正しく在れば、こうもキャスターに歯を見せる事もなかった。彼が最後に望むのは、出来る限り正常に。坂田 銀時という侍と刀を交えるのみ。同時に。
「踏み外せば、斬る……ッ」
再戦を約束した好敵手とはもう、普通に言葉を交わすことも出来はしないかもしれない。だから、何処か錆びたこの身で、対峙したくないとも考える。
もしマスターが、人の道を外れ過ぎるのであれば。狂犬と言われたこの手で、令呪諸共断つのも、手段かもしれない。