引き続き、落ち穂を拾うようなそんな時期。
晴れ渡る青空の下、紅の絨毯が山一面に広がり、日本の美を象徴するような妖怪の山。
その中でも、雲に届きそうな御威光の象徴であられます、この山の頂、守矢神社にお邪魔させて頂いております。
殆ど何も出来ずに誘拐されただけ?
何を仰っておられるのかは分かりかねますが、気がついたら境内に辿り着いておりました。
きっと、巫女様の熱心な勧誘の末、信仰心に目覚めてしまったのでしょう。そうに違いありません。……そう言うことにしました。
そんなこんなで前回のお話の続き、今回は閑古鳥の鳴く店内からでは無く、霊験あらたかな守矢神社の境内から始まります。
私、韮塚 袖引 参拝中でございます。
山頂のありがたい鳥居を抜けると、そこは境内だった。
当たり前の事ですね。
しかし、私は参拝しようなどと予定を立てていた訳では無く、お茶を買い足しに出掛けた筈なのですが。
そもそも、空中からお邪魔します。をやってしまったので鳥居すら潜っておりません。
というか、気絶しておりましたので、それすら確かではございません。
目覚めたら、お山の上でした。
文に起こすとあら不思議、たった二言で終わってしまいます。
状況説明を緑の巫女様に問い掛けようにも、ここで待っていて下さいね。と本殿まで走り去ってしまう始末。
一人で下山しようにも、これがなかなか困難極める作業でして、ここ、妖怪の山と呼ばれる幻想郷に名高い霊峰は、高尾山などで有名な空を駆け、地を駆ける天狗と呼ばれる妖怪さん達がいらっしゃいます。
その組織力は堅固で絶大。統率された集団が様々な神や妖怪が入り乱れる妖怪の山を自治しております。
もし、のほほんと下山しようものなら、たちまち発見され捕縛されてしまうでしょう。
いえ、例外があることにはあるのですが、その例外に出会える確率は少ないと言っても過言ではなく、虜囚にされてしまうのがオチでしょう。
虜囚にされてしまったらなんて考えたくもありませんが……まぁ、恐らく五体満足では帰宅出来ないでしょうね。
故に、この境内が一番安全というか、危険が少ないので消去法で此方に残ります。
強大な力をお持ちの皆様なら、こうはならない辺り、弱小妖怪社会は、かなり容赦が無い仕様となっております。
さて、本殿を前にして、所在無さげに砂利の上に突っ立っておりますと、
「妖怪風情がこの神社に何の用だい?」
と、後ろから声を掛けられます。
その声と共に、此方が押し潰されそうな威圧感が後ろから掛かります。
その声や威圧感に驚き、跳ね回る心臓をどうにか抑えつつ、ギギギと振り向きました所、神様の通り道である参道の上におわしますは、私と同じ位の背丈に、蛙を模した被り物の御方。
東風谷 早苗様と同じ様に宴会でお目に掛かった、奥の院に御鎮座なさいます土着神の頂点、洩矢諏訪子様が威厳増し増しでいらっしゃいました。
えぇ、もう、とんでもなく怖いです。思わず失禁しそうになってしまう程には。
第一、背丈が同じ位と言えどその格は天と地程の差がございます。かたや土着神の頂点でいらっしゃった御方。
もう一方は埼玉の片隅で確認されたとかされてないとかされる弱小妖怪。違いは明確です。
そんな、二回りも、三回りも格が違う御方に睨まれた此方は、蛇に睨まれた蛙ならぬ、
あ、もう食べられちゃってますね。終わりですかそうですか。
妙に冷えきった頭でそんなことを考えます。
長くも短かった、人生ならぬ妖生ではございましたが、大変楽しゅうございました。長らくの韮袖呉服、ご愛顧ありがとうございました。
皆々様方に別れをつげたかったなー、などなどの事をぐるぐると考えておりましたら。段々と訳がわからなくなってしまいまして。
……えーと、今何をしていたんでしたっけ?
一周回って、緊張感も過ぎ去り、兎に角目の前の御方に挨拶をしなくては、という考えで頭が支配されました。
故に、こんな平々凡々な挨拶になってしまったのは当然の流れの筈です。
「あ、お初にお目に掛かります、
韮袖呉服店という店を営んでおります。今後とも
「え? あぁ、これはご丁寧に……いや、ちょっと待って」
我に返ると、既に事後だったという事って良くありますよね。……卑猥な事は考えないで下さいね。
というか、
本来、靴を舐める勢いでご機嫌取りをしないとならないのですが、この始末。
こんな普通に挨拶してしまっては、折角の威厳も無駄になってしまうもの。
その証左に向こうのご本尊様も、ちょっと待ってと右手を上げて、数秒間固まった後、何なんだこいつ、といった視線を浴びせてきます。
我に返ってしまったからには、再び御身への恐怖心で心が支配されます。
体がカタカタと震えだし、歯も噛み合わずカチカチと鳴り出しました。
土着神の頂点様が此方をいぶかしむ表情で見られております。そして、二の句をつぐために再び口を開こうとしました。
次の返答は絶対に失敗出来ません。次こそは靴を舐める勢いで己を卑下しつつ、あちら様を出来るだけ褒め讃えなければなりません。
洩矢 諏訪子様の口が御開帳なされます。
一言一言を全身全霊を掛けて聞き取り靴を舐める勢いで返答しなければなりません。
一言でも失敗してしまったら、その時点で私の命は無いでしょう。
口を開き始めてから発声するまで、おそらく一秒間にも満たない筈。
しかし、私にはその瞬間は今までのどの時間よりも長いように感じました。
永劫とも思える時が流れ、やっと時間に声が追い付きます。
既に私の頭の中では、靴を舐める勢いで、という言葉が周回を繰り返しておりました。
「あのさ、私が怖くないの?」
「はい! 靴を舐めます!」
「……は?」
……ん?……あわわわわわわわ
とんでもない失言をしてしまった事に気付きました。
遂に終わりました、終焉を迎えてしまいました。
まさか最後の言葉が靴を舐めます! なんて誰が予想出来たでしょうか。
皆様には落ち着いているように見えているかもしれませんが、当の本人としては大惨事です。
冷や汗が滝のように流れ、何か弁明しようにも言葉が浮かばず口許をヒクヒクとさせ、更には、出会ってから現在まで緊張のあまり、気を付けの姿勢で背筋をピンと伸ばし固まっております。
よくよく考えると、やたら正々堂々とした佇まいで靴を舐めます! と言っていますね。これ以上格好いい姿勢は無いんじゃないでしょうか。
いや、いやいやいや。そんな事を考える場合ではありません。と、とりあえず汚名挽回を。あ、あれ? 名誉返上でしたっけ?
とりあえず、何を挽回しても返上しても良いのです。
まずは、生き残る事が最優先。私は最終奥義 謝罪の頂点こと、土下座への予備動作に入ります。
私は能力を使いながら海老の様に、全力で後ろへ一歩飛びすさり、その後地面へと頭を擦りつける様に全力で頭を地面へと───
その時、私は
いえ、
ここが
ここは霊験あらたかな守矢神社であり、私が立っていた地面には砂利が敷き詰められています。
皆様は砂利の上で遊んだ事はございますか? 遊んだ事がおありでしたら心当たりがあるかと思われます。
──意外と砂利は滑るという事に……
全力で後ろへと一歩飛び退いた私の速度は、瞬間的に幻想郷最速な方に比類する位には速かったのでは無いのでしょうか。
ビュンと飛び退き、そのまま土下座へ移行するため前方へと重心を傾けます。
当然、重心を前に傾ける為には足下を踏ん張る必要がございます。砂利を思いきり踏む訳ですね。
しかし、砂利は私の足を支えて下さる事はございませんでした。
足下でザリ、と何かが擦れるような音がした後、私の視界は暗くなり、星が散ります。
「ふぎゃ!!」
どこかで、蛙が潰れたような声を己の耳で聞いたような気がします。
流石にあちら様も面食らったようで、今まで此方に向けていらした威圧感が薄れます。
更には、この弱小妖怪が危害を及ぼすことが無いと判断されたのか、近寄っていらして
「え、えーと。大丈夫?」
と、洩矢様が心配して下さいました。
あちら側から見た場合、妖怪が自分の家に入り込んでいたので威嚇し追い払おうとしたら、その妖怪が丁寧に良く分からない挨拶をし、靴を舐めます! と姿勢良く宣った後、全力で顔面から砂利に飛び込んだ。という事になるのでしょうか?
そんな人、不審過ぎます。
いえ、人では無く妖怪で、生き残りたいという理由から起こした行動なのですが。
ともかく、しばらく私は恥ずかしさのあまり、起き上がれませんでした。
今でしたら蛸よりも赤い顔をしている自信があります。顔から火が出るとしたら煙羅煙羅さんの如く、火事をあちこちに起こして回れるでしょう。
全て自身が起こした現象ゆえ、泣くわけにもいかず、堤防が決壊しないように押し留めつつ立ち上がります。
恐らく涙目であるであろう
「えーと、この神社に何をしに来たのかな?」
「よく……わかりません……」
「えぇ……」
本格的に頭を抱え始める諏訪子様。
私も良くわからない上に、この状況。もういっその事、泣いてしまったらすっきりするのでしょうか?
最近、悪事なんて働いておらず心当たりがございませんが、何かお天道様のお気に障る事をやってしまったのでしょうか?
そんな両者に困惑した空気が流れ始めた頃、救いの手が差し伸べられます。
「凄い音しましたけど大丈夫ですか?」
と、此方のお社の巫女様、東風谷 早苗様が此方に走りよってきます。
巫女とは神様と民草を繋げる中継役であります故、このがんじがらめになった状況も解きほぐし、何とかしてくれる事でしょう。
私はそんな状況になる原因を作った張本人だと言うことも忘れ、神か何かと見紛いつつ東風谷様の解説を待ちます。
「あ、諏訪子様! そちらの子をこの神社で保護しても宜しいでしょうか?
その子、身寄りが無いようで、その歳で一人で店を経営しているそうで。私、放って置けなくて」
──救いの手だと思った御手は、状況を撹拌するための
「え? えーと、この子を?」
と、洩矢 諏訪子様も激変する状況についていけておられない様で、完全に困惑しております。
「はい!神社の正式な巫女として看過出来ません!
……宜しいでしょうか?」
「でも、この子、妖怪だよ?」
「え?」
「力は然程じゃないけど、妖怪だよ」
「えぇぇぇ!?」
あぁ、やはり私が妖怪である事は気付かれておりませんでした。えぇ、どうせ、弱小妖怪ですよ。気にしてなどおりません。──本当ですからね!
気にしてなぞおりませんが、私の力うんぬんかんぬんに対し思いを馳せていると、おずおずと、東風谷様が此方に近寄ってきて、少し怯えつつこちらに質問を投げ掛けられました。
「あ、あの貴女は妖怪ですか?」
「あ、はい、私は妖怪です。名は韮塚 袖引と申します」
「あ、私は東風谷 早苗と申します。
──いや、良くも騙しましたね! 妖怪!
私を騙すなんて不届き千万! 守矢神社の名に掛けて退治して見せます!」
と、意気揚々に御札を構え始めました。
まさか、
理不尽は幻想郷に暮らしているので、ある程度は慣れているつもりでしたが、今回の出来事は正月とお盆がいっぺんに来るような、てんこ盛りの厄災です。
お陰で私はてんてこ舞い。二転三転と回転を繰り返す空気の中、ただ流され有罪判決を待つのみ。
あまりの理不尽さに、先程からどうにか塞き止めていた涙腺が崩壊する音が聞こえました。
私がポロポロと涙を流し始めるのを見て、東風谷様は大層驚いた様子でした。
「ちょっ、何で泣くんですか!?」
「あぁ、ヒック、お気になさらず。
この体の…ぐすっ、せいなので。
……ッスン、た、退治されるのでしたよね。──ぐすっ」
しゃくり上げながらも、どうにか伝えたい事を伝えようとします。
体の感情の抑制が利かずにボロボロと涙を流していますが、こちらとて妖怪の端くれ。簡単にやられる訳にも参りません。
「そっ、ッスン、そっ、ぐすっ、そっちが、その気でしたら──」
「ちょっ、ちょっと待って下さい、私が悪かったです! 私が悪かったので泣き止んで下さい!」
結局、全てを伝えきる前に、東風谷様が自身の罪を認め、矛を納めて頂けました。諏訪子様は此方の様子を見て、まるで話に着いていけないと言いたげな茫然とした表情を浮かべておりました。
──私としては戦っても良かったのですが……
流石に新人の巫女様の方は、泣いている童女を退治出来るほどの鬼では無いのでしょう。紅白の巫女様でしたら恐らくこのまま退治されていましたね。
何はともあれ、泣き止むまでどうにかしないといけません。
とりあえず、参拝のお客様もいらっしゃるでしょうから、邪魔にならぬように境内の隅の方に向かおうとします。
すると、東風谷様から静止の声がかかりました。
「泣いてるままで何処にいくんですか!? いいから、こっちまで来てください!」
と、社務所の方に引っ張られて行きます。
しゃくり上げながら、お気になさらずと言いましたが、伝わらなかったのか、無視されたのかズンズンと進んでいきました。
結局、私の体が泣き止んで普通に話が出来るようになるまで、結局そこそこの時間が必要になり、私は守矢神社の居住空間まで通される事になりました。
結局、神社で泣き出すという醜態を晒し、更には退治する側に心配されてしまうという、あべこべな事も発生いたしました。
空は晴れ渡り、お天道様もバッチリと今回の事を見守っていたことでしょう。
どうにかして忘れて頂きたいものです。
何はともあれ、私は守矢神社の居住空間へとご招待を預かり、そこで、もう一柱様に出会うのですが、それはまた別のお話と言うことで。
ではでは、次回も
初期案は日本刀を振り回す事も考えていたのに、どうしてこうなった……