──外には梅が咲き始め、冬も明け始め、だんだんと春の足跡が聞こえてくるそんな頃。
世間様は桃の節句が近づく頃になり、人里も可愛い娘さんが走り回り、親御さんもまた、あーでもない、こーでもない、と晴れ着の着せ替えを楽しんでおられる姿がちらほらと見える頃でございます。
また、紅白のおめでたい巫女が管理する博麗神社は、雛祭りの前祝いと、宴会を始めているとか何とか。
そんな無事に冬を越え、さぁ春を満喫するぞ、と目出度い空気が流れる中。
この私、
「袖ちゃん、次はこれを着てくれないかしら?」
「わかった、わかったから、そう急かすな!」
袖ちゃんというのは私の愛称でございまして。
え? 違う? 聞きたいことはそうじゃない?
それは失礼。
では、まず現状から。
私、真に勝手ながら呉服屋を営んでおりまして、商売をやっている以上、どんなに零細であろうとも、お客様がいらっしゃり、そこに縁が結ばれる物にございます。
普段から口が綺麗な方ではなく、人間相手には口汚く罵ってしまうこともしばしば。
そんな糞餓鬼の様な私に根気強く付き合って下さる、人のいいというか、変わっているというか、まぁ、気の長い人も稀にいらっしゃいます。
そんな気の長い相手にはついついサービスも盛ってしまうというもの。
あれよあれよと仲良くなり、いつの間にかお得意先になっていらっしゃった御客様の一人が、今度、家に来て商売してくれんかね。と、頼んだとあれば、これは居ても立っても居られない。すっかり舞い上がり、なにやら子供用の服が欲しいとの事で、事情等、深く考えずに一も二も無く返事をし、また後日とお別れ致しました。
やがて当日となり、無い胸を膨らませつつ、小さく不便な体に、大きな大きな籠をよいしょと背負い込み駆けつけ参上した次第にございます。
道中、えっちらおっちらと籠を運んでいる間、暖かい目線を向けられたような気も致しますが、それはきっと春の陽気。小さい子を見守る様な気分では断じて無いと断言出来ます。えぇ、きっと。
さてさて、奥方様の住居にたどり着き、玄関先で自身の分身とも言える商売道具を広げよう、と思って居たところ、ちょっとこっちへおいでと呼ばれ、奥へ入っていきました所、現れたのは若いお女中様。ぐいっと中に引っ張り込まれ、すぽーんと服を脱がされました。
実際の所、悪代官様が良くやっていらっしゃるような、帯をクルクル、連動して目もクルクル回しつつ、グイグイとあられもない姿にされた次第にございます。
私、妖怪でありますゆえ、少女の様なこんな姿でも、人間様より遥かに力持ち。
下手に抵抗できずになすがまま。このまま貞操を奪われてしまうのかと、ぼんやりと考えておりましたが、奥方さまがいらっしゃり、悪代官様の所業を止めてくださいました。
何やら、伝達が中途半端であったらしく、いきなりひん剥いた。という状態になってしまったそうです。
しかし、後ほどお女中様に聞いた所、小さい子の来客があったら脱がせておいて。なんて言われていたそうで、普段からひしひしと感じていた事ではありますが、清楚な見かけによらずなかなか豪胆なお方だな、と毎度の事ながら思ってしまいます。
しかしながら、よくよく考えてみれば幻想郷に住まう方達はこれぐらいに収まらない程、豪胆な方も多くいらっしゃるのもまた事実。深く考えるのも無駄だと気づき諦めました。
何はともあれ、私を裸一貫にした後の動作はいかがわしいものでは無く、私の商品を取り出したかと思うと、んーこれかしら? いや、これもいいな。なんて言いつつもちょっと着てくれないかしらと、すっかり奥方さまの調子に乗せられてしまいます。どうして、と問う間も無く、次はあれを着ろなんて仰られ、いそいそと着替えを繰り返す始末。
あぁ、奥方様が欲しがっていらっしゃったのは、私の服では無く着せ替え人形の方だった、と気づくのにさほど時間はかかりませんでした。
結局、脱いではこれ、脱いではこれ、と着替えを繰り返し、籠の中に入っていた商品を殆ど着てしまう羽目になりました。
「お、奥さん、その辺にしてくれ……私の体がもげてしまいそうだ」
そんな弱々しい抗議の声も上げてみましたが、奥方様は実に楽しそうな表情を維持。
「ダメよぉ、まだ満足して無いもの」
と、肝っ玉の座った奥方様らしく、必死の懇願にも関わらず、妖怪の要求を突っぱねます。
え? いかがわしく聞こえた? 私、言いたかありませんが、なりは童女ですぜ、そして相手は見た目は麗しいがれっきとした旦那のいらっしゃる奥方様。なかなか想像するのがしんどいんじゃあ無いかと。
まぁ、そんな話はどうでもいい重要なことじゃありません。
要は危機なのです。助けを求めているのです。
誰か、助けてくれないと……
「いい加減に、しろ!!」
あぁ、ほら悪癖が出てしまった。
私、いつぞやからこの身体に成ってからというもの、子供の様に癇癪を起こすというか、言いたくはありませんが、要するに短気なのでございます。
魂は器に引っ張られると言いますが、綱引きに負けてしまった方の様にズルズルズルと、魂が物凄い勢いで引っ張れて行き、魂まで、ちんちくりんの短気な餓鬼になってしまいました。
いつか脱却してやると思いつつも早数十年、慣れとは恐ろしい物でございまして、朝起きて自分の姿を確認しても何とも思わなくなってしまいました。
冬に布団から抜け出せなくなるのと同じで、ダラダラとしている内に、春が過ぎ、夏が過ぎ、秋も過ぎ、そして冬も過ぎ、また春も来て、といつの間にか時間が経っており、抜け出せる日もまた遠い様に感じます。
そんな些末な事より、悪癖の話に戻ります。
怒り出したが、さぁ大変。私、そのまま外へ飛び出そうとしています。
「袖ちゃん、待って!」
そんな制止の声を聞いたら、また人形にされちまうと、無視して往来に飛び出しました。
今、思いますと何たる失態かと、人とまともに話が出来ないのなら、せめて話だけでもちゃんと聞こうと、普段からの心掛けを破ってしまった事をお天道様は見逃すはずもありません。
奥さんの言葉が続きます。
「せめて、服を着て!!」
その言葉を聞いたのは、往来に出るのが早いか遅いかの曖昧なタイミングではありますが、自分の体の勢いそのままに外にポーンと、飛び出しました。
それから、カラクリの様にギギギと、自分の身体を見下ろします。
魅力も何にもないつるぺったんな、幼い身体が目に入りました。
先程は自分の身体を見ても何も思わなくなった、などと抜かしましたが、ここは往来。何事かと人々が視線を向ける中飛び出して来たのは裸の少女。
声を上げるより早かったかどうかは定かではありませんでしたが、この時ばかりは能力を使い、全力で
それから一声
「きゃぁぁぁぁぁぁ!!??」
と叫びました。
……恥ずかしがり屋にこの仕打ちはあんまりです。
顔から火が出る程恥ずかしく、また奥さんへの怒りもまだ燻り続け、もうどうしたら良いのか分からずに泣けてきました。
歳を忘れる程には生きて参りましたが、この様な辱しめ受けたことがございませぬ。
幸い、人は多く無く、女性が殆どでしたので色々大丈夫だったかとは思われますが、それでも恥ずかしい物は恥ずかしい。
きっ、と涙目で奥さんを睨みつけますと、これには奥方も反省したようで、ごめんごめんと謝って頂けました。
もと着て来た服も返して頂け、こんな事になってしまった詫びに、と茶と茶菓子を振る舞って頂けました。
当然、私も商売者、最初は遠慮させて頂きましたが、奥方様は笑顔でいいからいいからと、強引に勧めて来ました。
さすがにこれを断るのはまずいぞ、と感じた私めは、笑顔の圧力に屈し。床にぺたんと腰を落ち着ける流れと相成りました。
そこで出して頂いた、餡ころ餅の旨いこと旨いこと、餡は程よく上品な甘さが出ており、お茶との相性もまた格別。自然と頬が緩むのを感じられました。
不意にちらと、奥方様の方を見遣ると、何やら慈母の様な顔でこちらを眺めてらっしゃいました。
何となく気恥ずかしさを覚え、弛んだ顔を張り直し、何か気をそらす話題が無いかと探しました所、こんな言葉が口から飛び出しました。
「そういえば、今回は何で子供用の服を?」
確かこの家に子供は居なかったはず。と
ここで私、とんでもない失敗を仕出かした事に気付きます。
このお家では、早くに子供を病気で亡くしている、なんて事を何処ぞで耳に挟んでいたのをすっかりと忘れ、こんな質問をしてしまいました。
けれど弁明はさせて頂きたい。何しろ私、人間と話してしまうと自然と舞い上がってしまい、口調がおかしくなり、感情のコントロールが何処ぞへと行ってしまいます。
更に先程あった、裸での露出ぷれい? の様な事を仕出かしたのが、未だに頭の中をグルグルと周回しておりまして。
要するに私、いっぱいいっぱいなのです。
そんな未熟者な私の言葉を意に介さず、あるいはおくびに出さずに、あれ? 言っていなかったかしら? と言いつつも奥方様は今回の顛末を仰って頂けます。
「今年ね姪が七つなのよ」
「それで、お祝いに此方の服を?」
いっぱいいっぱいながらも、どうにか話を繋いだ事にふぅ、と安堵していると、奥方様は言葉を続けました。
「そうそう、それでね、似合うのはどんなのか分からなくなってしまってね」
そんな言葉と共に奥方様の表情が陰りました。しかし、それ以上は語らず、けれど、こんな事になってしまってごめんなさいねと、ふざけ過ぎた事を謝って下さいます。
しかし、そんな陰った表情を見てしまった私は謝罪なぞ気にするような心など、既にここにはありませんでした。
半ば勝手に喋る様に口が動きます。
「そうか、そうなら仕方ない」
突然の私の言葉に、え? と奥方様は短い言葉を溢すばかり。
私は、豪胆でありつつも、素敵なお得意様にそんな表情は似合わないとばかりに言葉を続けました。
「再び着せ替え人形をやってやる」
再び人形になることを決意します。
それを聞いた奥方様は少しびっくりしたような表情を見せた後、少しだけ光が戻った様に見えました。
寂しい表情は完全に消せないながらも、お客様は穏やかに微笑み、言葉を返します。
「袖ちゃん……ありがとうね」
ふふ、と微笑みつつ、すっと、頭に手を伸ばし頭を撫でようとしてきますが、体が勝手に撫でようとした手を払いのけ、フン、と鼻息で返答しました。
……この小憎たらしい態度を返す、この身体どうにかなりませんかね? なりませんかそうですか。
こんなに人形になっていたら、いつの間にか森に住む、青い方の魔法使いさんの、
もう、往来で人肌どころか諸肌見せていますので、もう怖いものなんてございませぬ。あとは身を任せるだけ。
そんなこんなで、時刻は夕暮れ、最終的に何点かお買上頂き商談としては上々、その代わり色々な物を失った気がしますが、未熟者の商人にとっての勉強料と致しましょう。
戸口に立つと、夕日が差し込んできます。赤く、優しく、此方を照らす夕日は影を伸ばし、玄関に立つ奥方様に繋がります。
夕闇も近く、陰ったそのお顔は少し寂しそうにも見えまして。つい、言葉を発してしまいます。
「また……」
「え?」
「また、御用の有るときは、何時でも韮袖呉服にいらして下さい」
「……はい、商人さん」
気の聞いた言葉も言えず、口を出たのはセールス文句。こんなときに素直になれたらどんなにいいか、時々この口が恨めしくあります。
しかし、そんな拙い文句でも納得して下さるのがこの奥方様。
寂しそうに笑いながらも見送って下さいます。
──もう、伸びた影は重ならず。きっと誰の影も重ならない。
けれど元より私と誰かさんは違うもの、それを理解しているからこそ、奥方様も笑って頂けたのでしょう。
後ろ髪を引かれる様ではありますが、帰路を急ぎます。
燃えるような夕日が平屋造りの町並みに濃い影を落としていきます。
ぼーっとした赤い空にカラスが黒い飾りとなって飛んでおりました。
ふと、前を見ると、親子が歩いて行きます。
──子が親の袖を掴みながら。
そんな光景に一抹の寂しさを覚えた私は、あの時何も掴めなかった自分の右手を握ったり開いたりを繰り返しました。
幾度かその動作を繰り返した後、
「さて、帰るとするかー」
などと口に出し、帰路を急ぎます。
──誰かの袖が恋しくなって、掴んでしまう前に。
さて、まずは持っていった商品を全て保管し、戸締まりをきっちりとし、自宅へ引き上げます。
引き上げると言っても、自宅は韮袖呉服屋と繋がっておりまして、奥にいけば、見慣れた自身の部屋。
さぁ、敷き布団に飛び込みまして布団を上からガバッ、と覆い被さるように掛けます。
周囲が闇一色となり視覚的に布団に覆われた事を確認し
「あぁぁぁぁぁぁ、恥ずかしいぃぃぃ!!」
と奇声をあげ始めました。
今日やらかした事が走馬灯の様に走ります。とくに繰り返されるのは裸事件。
「あぁぁぁぁぁぁ、うぁぁぁぁぁ」
布団の中に蹲り奇声を、思いきりあげます。
「なんで、もっと気の効いた言葉を掛けないかなぁ!! あぁもう、憎たらしい口!!」
暗闇の中の反省会、人間と深く関わった日はこれをやらない日はありません。
「おばさん、寂しがってたな……」
少し、収まり今日の別れを思いだします。
「あれで良かったのかな……? 良くないよね……」
なんて反省を繰り返し、あばばばと、もう一度奇声をあげ始めた所で、今日はお仕舞い。
これ以上は見苦しい場面しか御座いません。
次の日、韮袖呉服屋にはこんな張り紙がしてあったそうだ。
誠に勝手ながら、しばらくの間お休みを頂きます。
何となく続けてしまいました。
こっちは思い付いた時に書く予定です。
※追記 3月19日
修正させて頂きました。