さて、図書館よりも更に奥。地下に潜り、出会ったのはお得意様の妹様。金の髪が眩しいそのお姿は私と変わらずの背丈で、可愛らしく美しい。
そんなお姿の方が私目掛けて迫っております。
季節等は省かせて頂きます。生憎ですが余裕の手持ちがございません。
私、韮塚 袖引 遊んでおります。
「壊れれば一緒。さぁ、仲良く遊びましょ?」
そんな刺激的なお言葉が発せられるか否かで、突然、私の身体が二、三歩分後ろへと飛び退きました。私の生存本能とも言える何かが思い切り身体を引っぱったのです。
ぎゅんと引いた刹那。妹様の片腕が突っ立っていた場所の空気を根こそぎもぎ取とっていきました。
ぶぅん、なんて音が目の前から耳をひっぱたきます。目の前には一瞬にして距離を詰めてきた妹様の姿。その速さは瞬間移動かと見紛う程。
これはいけない、と頭を後ろに引いた勢いのまま、後ろへと飛び退きました。冷や汗が際限無く流れる中、距離を取り様子を見ることに。
とは、言ったものの様子見というよりは、一時しのぎ。避けられた事すら奇跡的ですし。これといった手もご用意しておりません。つい最近癒えた右腕も今回は役に立つかは微妙な所。ちらりと出口を横目で探しますと、何時の間にか足でも生えたのか、唯一の扉は少し遠退いており、たどり着く前に捕まってしまうことが関の山。どうした物かと頭をひねります。
捻った視界から見えるのは、数歩遠のいた妹様の姿。可愛らしいお顔が喜色満面に染まり、目が紅い光を爛々と称え、私を射殺さんばかり。そして非常に楽しそうに口元を歪ませながらこちらへと言葉を投げかけました。
「アハッ、避けた避けた」
クスクスと笑いながら此方を見遣る姿はまさしく迫力満点。捕食者の様な楽しみ方に力の差を嫌と言う程見せつけられ、思わず身体がぶるっと震えます。
いつ来てもいい様に、なんて心構えしつつ身構えますが、先程の素早さを見る限り全くと言って良い程避けられるという想像が沸きません。脳裏をよぎるのは弄ばれ、ぼろきれの様になった私の姿のみ。
人間様は恐怖や怯えがある一線を飛び越えると逆に冷静になってしまう、なんて何処かで伺いましたが、今の私は正しくそれ。冷や水を頭からばしゃりとやったかの様に冷静そのもの。自分の呼吸音すら聞こえて来そうな程には頭が冷え切っていました。
さぁ、いつでも掛かってこいなんて構えておりましたが、いつまでたっても妹様はこちらへと飛び込んできません。それどころか、こちらをじぃとしばらく見つめた後、そっぽを向いてしまいました。
俯き加減に何かを呟き始め、私は蚊帳の外の様子。それならいっその事この部屋から出てしまおうなんて考え、抜き足差し足で移動しようとしますと、クスクスと再び笑い声。気づかれたかと思い、びくりと身体を硬直させ、ギギギと振り向きますがどうやら違う様子。
部屋にポツンと佇むその姿は何やら寂しそうで、思わず足を止めてしまいます。研ぎ澄まされた耳に少し離れた距離ながらも呟きが聞こえて来ました。
「私はこれでいいの、ずっと私は一人。私はフランドールスカーレット」
クスクスとした笑いはいつしかケタケタとした笑いとなっていき、笑い声が部屋を包みます。聞いた所によるとこの部屋は防音仕様。閉じ込められたのか、閉じ込めたのかは分かりかねますが、こんな場所で誰にも聞かれず、誰にも相手にされないなんて寂しい物です。
何と言ったらいいのでしょうか、少し私も理解出来るような感覚でして、相手が誰なのかをすっかり忘れて近寄ってしまいました。
フッと目の前に妹様が現れ、しまったと気づいた時にはもう遅し。吸血鬼の力を誇示するように、私の首を両手で掴み宙へと持ち上げました。
ギリギリと首から出してはいけない音を出しつつも、ぐいぐいと持ち上げられており、一気に息苦しくなって行きました。万力の様な力で締め付ける妹様の両手に思わず呻きが漏れてしまいます。
「あ、うぐっ」
景色が霞み、だんだんと視界が赤に染まっていきます。必死に妹様の両手を掴もうとしますが、ゆさゆさと首から揺さぶられます。視界がぶれにぶれ、グワングワンと頭が揺れる。
どうにか掴んでいる手を止めたいのですが、力の差は歴然。どうしたって離れそうにありません。首がギリギリと音を立て、そろそろポロリととれてしまいそう。
危機感が、生存本能が、全力で、全力で警鐘を打ち鳴らす。そろそろ空気が無くなってひしゃげた蛙の様に……なんて言っている場合でもありません。
足をバタバタとさせ蹴りつけますが、効果は見られず。かくなる上は、などと考えていると、悲痛な笑いまじりの妹様の声が聞こえてきます。
「私が遊ぶと、全部壊れちゃう!! ねぇ、なんで!? どうして!? 私はどうしたらいいの!?」
答えを求めるような響きでなく、悲鳴に近い独白。こんな事を毎日考え、暮らしてきたのでしょうか。閉じこもっていたというのは、そういう事なのでしょうか。
あぁ、この子が外に出ると悩み、レミリア様たちに相談を持ち掛けていたのは、きっと……
そうと分かったのなら、おちおち死んでもいられません。乱暴な手でありますが妹様の手を思い切り
流石にこれ程の力は予想外だったのか、驚愕の表情で部屋の隅まですっ飛んで行きました。
「はっ、はあっ……」
空気を求め。身体が勝手にあえぎます。今は確認できませんかが、恐らく数日間は妹様の素敵な手形が首元に残りそうな予感がひしひしと。何はともあれ、妖怪であり多少は頑丈で助かりました。
九死に一生というか、必死に一生を勝ち得た私は妹様を見つめます。壁にぶつかったはずなのですが、壁にも妹様にも目立った外傷はございません。妹様は私の力に驚いたのか、驚愕の表情を浮かべるばかり。ふっ、どうですか、吸血鬼すら、えい、と投げ飛ばせるこの力は。もうただの弱小妖怪だなんて誰が呼べるのでしょう!
そんなことを考えていると、妹様が口を開きます。
「驚いた……全然痛くない」
……えぇ、分かっていましたとも。弱小妖怪ですものね私。いえ、悲しくなんてないのです。ただ、理不尽な世の中だと噛みしめているだけなので。
打ちひしがれていると、妹様はパンパンと埃やらを払いつつ、こちらへと寄ってきました。少し身構えてしまいますが、妹様はもう危害を加える意思は無い様で、興味を引いた様な表情で此方にやってきました。
そして、妹様はこちらに話しかけて来ました。
「袖引、そんなに弱いのによく生きていられるね!!」
目の前の背丈が同じ程の妹様から頂戴したのは、そんな混じりっ気無しの純粋なお言葉。それは激しい衝撃となって私を襲い、危うく心がぽっきりと逝きかけました。
引きこもっていたからというか何というか、恐らく悪意は無いのでしょうが、と言うか悪意が無いからこそ、心にズシンとしたこれまでに無い程の重たい衝撃が走り抜けました。
まぁ、そんな事を言われては悪癖も黙ってはおりません。重たい言葉を吹き飛ばすかの如く、勢いよく言葉が飛び出しました。
「なんだと!? この野郎!!」
先程打ちのめされかけたばかりですのに、よくもまぁべらべらと喋る物ですね。我ながら少し感心してしまいます。
そんな反応に妹様は大喜び。腹を抱えんが如く大笑い致しました。
「あはははは、また怒った!」
相手が大笑いしているのにこっちだけかっかしているのも損な物。すごすごと悪癖も引き下がり、ようやくまともなお話が出来る状態に。
本当に可笑しかったのか、目を擦りながら妹様は更に話しかけて来ました。
「本当に袖引は面白いわ、そんなに弱いのはうちに居ないもの!!」
「それって褒めてくださっているんですか……?」
あんまりなお言葉に涙がちょちょぎれそうです。しかもこのお屋敷には妖精も務めていらっしゃる筈。そこまで考え、妖精と比較してしまった事で更に心の中で涙を流します。
そんな心の中でダラダラと雨を降らせていると、妹様は少し沈んだ様子で、こちらを見てきます。
「少しだけ、羨ましい」
そんな呟きにも似たそのお言葉。本音なのかもしれませんし、勢いで言った事なのかもしれません。そんな事は私にはわかりません。ですが、寂しそうなお顔だけはきっと嘘ではないはずです。
ですから、私も本音を打ち明ける事にしました。
「私も、フランドール様の力が羨ましいのです」
「――え?」
恐らく一番驚いたのでしょう。妹様がばっと顔を上げ、視線が交差します。今日は何かにつけておどろかせておりますね。ふと、傘ちゃんの顔が脳裏に浮かびます。次会った時にこのことは自慢出来そうです。
まぁ、それはともかく、驚かせた表情を貼り付けたまま妹様は問うてきます。
「なんで? こんなものがあっても苦労するだけだよ?」
「それはお互い様ですよ。言いたくはありませんが弱いだけでも苦労するものですよ? 例えばですと……」
悪癖の事を始め、自分の苦労話を切々と話していきました。やれ、いちゃもんを付けられる。喧嘩でボロボロにされたなど。様々な事を話しました。
その度に妹様は笑って下さり、ついつい気分も乗ってしまい話し込んでしまいました。フランドール様とお呼びしておりましたが、フラン様でいいとおっしゃって下さるなど、順調に仲を深めていきました。
レミリア様の相談うんぬんを思い出したのは、もう随分と後の事。既に腰を下ろし話込んでいた最中でした。
ねぇねぇ、次は! 次は? とねだられる中、私はフラン様へと顔をつき合わせます。
「フラン様、次はあなたのお話を聞きたいです」
そう、伝えました。するとフラン様は少し躊躇った後、じゃあ最近の話だけ、と前置きをして話してくださいました。
魔理沙さんが外の世界に出ないか、と誘ってくれた事。久しぶりに真剣にレミリア様と相談した事。暴れないのなら好きになさいと許可が出た事。など色々な事を語ってくださいました。
分かっている事ではありますが、敢えて質問します。
「許可が出ているのに、お外には出ないんですか?」
「私が外に出ると、みんな壊れるの。だから外に出ないの」
「魔理沙さんは壊れましたか?」
「……壊れなかったわ」
意地が悪い質問だ、なんて思いつつも魔理沙さんの事を引き合いに出しつつ話を続けます。フラン様の様子を見るにかなり悩んでいる様でありますし、出来る事なら後押しみたいな事をやってみたいのです。
更に言葉を続けます。
「そして、私も壊れておりませんし、いまこうやってお話しております」
「……うん」
「私だって人間様から比べれば遥かに力持ちですし、悪癖だって勝手に暴走します。……まぁ、色々とありました。けれど今こうしてお話出来ているんです、フラン様は私よりも努力を要するかもしれませんが、大丈夫です。幻想郷は広いですから!」
「でも……」
出会ってすぐの私の言葉もきちんと聞いて下さり、フラン様は真剣に悩んで下さっている様子。ならばもう一肌脱ぎましょう。全ての悩みを聞く事はできませんがきっと助言くらいなら許される筈。
そう考えると私は、すくりと立ち上がります。そんな私の所作を見て、不思議そうな顔を浮かべたフラン様。そんな可愛らしいお顔を見つつ、私はある提案をしました。
「さて、私と弾幕ごっこでもしましょうか?」
「え?」
「暴走してしまうのなら、暴走する力と付き合っていけるようにしてしまえば良いのですよ。非殺傷の弾幕ごっこは最適かと」
「え、あ、うん」
戸惑っているようですが関係ありません。ちょっとぐらい強引にいってしまう位が丁度良いのです。直感的にそう感じたので従うことにしました。
困ったような、戸惑ったような表情を浮かべるフラン様の手を取ります。グイグイと引っ張っていき……たかったのですが、力の差的にびくとも致しません。
ちらと後ろを振り向くと、更に困った様な顔を浮かべるフラン様。そんな様子を見てコホンと咳払い。
「さて、始めましょうか」
「あ、流すんだ」
さて、始まりました弾幕ごっこ。私もそんなにやる方ではございませんが、フラン様に比べればやっている方、始めの内は手加減も必要かもしれません。え、先ほどの醜態? はて、なんのことやら。
さてさて、気を取り直しつつも始まりますは弾幕ごっこ。幻想郷の新常識にして、美しさを競うという素晴らしい競技。何やら人間様が妖怪に勝てる様になんて考案されたものだそうですが、それは弱小妖怪においても同じ事。先程の醜態を含め、見事汚名返上致しましょう!
そして、暫くが経ちました。
「袖引、弱い」
「ぐ、ぐぬぬ。やはりというか何というか強い……」
えぇ、ぼろきれの様に地面に伏しております。非殺傷とは言え、痛いものは痛い。服もボロボロになるわ、弾幕がごつごつと当たり痛いわで中々のボロボロぶりと言えるでしょう。えぇ、こうでも言っておかないと泣き出してしまいそうなのです。
始めの内の弾幕はそれこそ全身全霊を掛けて回避しないといけない程の物も多く、そこに気づいたフラン様が極端に調節をし、そのふり幅が隙となり優勢なこともございました。私が勝つたびにもう一回、と再戦を申し込まれ、応じている内に、徐々にフラン様がコツを掴んでいきふり幅が消え、形勢逆転。もう一回の声は私が発する事が常となり、現在の様に地面と添い寝するなんて機会が増えて参りました。
「も、もう一回です!!」
「まだやるの? まぁいいけど」
とは言え、元々の目的が力の制御であるため、此処でやめるわけにも参りません。痛む身体を無理矢理立ち上がらせ、再戦を申し込みもう一度浮かびます。フラン様の部屋は広く動き回るのも特に問題はありません。ですが、出来る事ならお外でやりたいものですし、皆さんにもこの面白い弾幕を見て欲しいのです。
ですから、私は何度だって立ち上がりましょう。迷って困っている子をちょいちょいと
ぼろぼろな身体を引きずりつつも、再戦し続けました。
そして――
「つ、疲れた。もうギブよ、袖引」
「そう、ですか……でしたら私の勝ちですね……」
遂にフラン様が音を上げ、私の粘り勝ちとなりました。とは言えこちらの足取りはおぼつかず、服はボロボロ。どちらが勝者なのかは一目瞭然ではございますが勝ちは勝ち。息も絶え絶えではありますが勝利宣言を行い、弾幕ごっこは幕を閉じました。
さて、こんなボロボロの状態で色々とするわけにもいきませんし、ここいらが潮時。あとは当人たちにお任せ致しましょう。そろそろ終わり、なんて空気を感じ取ったのかどこかフラン様もそわそわとし始める中、私は最後の気力を振り絞って、フラン様に伝えたい事を伝えます。
「フラン様、私に出来るのはせいぜいこうして弾幕ごっこやら遊びに付き合えるぐらいです。けれどレミリア様たちならきっと、きちんと問題に付き合って下さる筈です。ですから、もう一歩だけ踏み出してみて下さい。きっと見える世界が変わると思います」
私がこう言った所で伝わるかどうかは不安でありましたが、どうやら伝わった様子。フラン様は小さく頷き、小さく呟きました。
「……頑張ってみるね」
「えぇ、是非。いつか、当店に来店して下さる事を心よりお待ちしております」
心よりの笑顔を浮かべ、フラン様の来店を願います。そうなってくれたらなんて想像し、今から楽しみになってきました。
そんなささやかな楽しみを思い浮かべておりますと、フラン様は不安そうな表情で此方に質問しました。
「また……来てくれる?」
ふっ、と自然に笑みが漏れてしまいます。そして一言。
「えぇ、もちろん。また遊びにきますよ」
「絶対、絶対だよ!」
「では、指切りでもしましょうか」
ゆーびきりげんまん嘘ついたら針千本のーます。指切った!
そんな約束を最後に部屋から退出しました。
もう既に足取りが危ういのですが、ここで倒れてしまっては示しがつきません。壁に寄りかかりながら階段を昇り、図書館についた所で、意識が途切れました。
さて、これにて紅魔館での異変はおしまい。気が付くと自宅で寝かされており、隣には十六夜様の書置きが一言。
「お疲れ様」
見方によってはそっけなくも感じるかもしれませんが、私としては頑張ったなぁ。なんてひしひしと実感できる素敵な書置きでございました。
それからは疲れを取るようにもう一度だけ寝なおして起きたら夕方。色々とあったなぁ、なんて感想に浸りつつも様々な繋がりを持つに至ったこの異変はようやく終わりを告げました。
それからしばらくして、舞台は再び紅魔館。
恐れ多くもレミリア様とご同席し、お菓子を頂いております。なんというべきか普段よりも数倍豪勢なそのお菓子群は私の頬を緩ませるには充分以上。笑顔全開でほおばっておりますとレミリア様からお言葉が。
「もしかしたら、袖引なら引っ張りだしてくれるかも? と思ったの」
なんて自分の能力を説明してくださいます。運命を操る程度の能力は疑似的な未来予想ができるようで、私を見た時に直感的に感じたそうです。
「だから、二度もちょっかいを出したし、お菓子で餌付けしたわ」
「え?」
餌付けなんて恐ろしいお言葉が聞こえ、思わず聞き返してしまいますが、レミリア様は悪びれた様子も無く言い切りました。
「だって悪魔だもの私。だから頼み事断れなかったでしょ?」
なんてけらけら笑いながら言う始末。何というか、手のひらで転がされていた、というか手の上できりきり舞いしていただけだなんて判明してしまい、これが格の差ですか。ともう何度目か分からない実感をしてしまいました。
そんな感心やら、諦めやらがない交ぜになった感情をお菓子とともに噛みしめておりますと、レミリア様は急に真面目な顔つきとなり頭を下げました。
「感謝するわ袖引、妹を引っ張りだしてくれてありがとう」
「とんでもありません。私はただフラン様と遊んだだけですから」
「ふふふ、これからも贔屓にしてあげるわ。せいぜい励みなさい?」
「はい、今後とも韮祖呉服をよろしくお願い致します」
そんな、会話がございまして、本当にお仕舞い。
あ、そうそう、フラン様は紅魔館の方々や、たまに忍び込む魔理沙さん相手に弾幕ごっこを挑む様になり、門内ではございますが庭を歩くなんて事もやり始めたそうです。案外ご来店も近いかもしれませんね。
といった所で本当の本当に、長かった異変も無事終了致しました。
え? 次がある? まぁまぁ、それはまた次回と言うことで。
ではでは、次回も
お疲れ様でした。